104年後からの今 作:requesting anonymity
「皆、蜘蛛たちが食事を終えないうちに、スネイプ先生とマクゴナガル先生について行くのじゃ」
魔法生物飼育学の授業が終えたハリーは、まだ蜘蛛の巣の只中に居残るらしいダンブルドアとハグリッドが例のあの先生と今からどんな話をするのかも気になったが、しかし「先生たちの話に聞き耳を立てたいので居座ってもいいですか」などと訊ねるわけにもいかず、第一いくら会話の内容が気になるとはいえアラゴグのコロニーから安全に脱出できるタイミングなどそう頻繁にあるわけではないとロンともども骨身にしみて知っていたので、特に抗議も抵抗もせずダンブルドアに促されるまま従順に、森の奥に位置するアラゴグのコロニーから早足で脱出したのだった。
「このぶん運動しないとな」
両腕いっぱいにありったけの肉を確保したまま歩いているクラッブとゴイルを横目に見つつ誰にとも無くシェーマスがそう言い、食べすぎたと反省しているらしい女子たちが重々しく同意した。
そういえばそもそも僕はこれから魔法薬の授業じゃないかと、ハリーは地面からせり出していた木の根っこにつまづいてドラゴンの骨付き肉を落としそうになりながら思い出した。
最後にもうひとつだけ貰った手頃なサイズの骨付き肉を食べながらホグワーツ城へと帰ったのはハリーとロンだけではなかったし、それを森から出るまでに食べきってしまったのもハリーとロンだけではなかった。
「マクゴナガルせんせ、せんせは今から何年生に授業をするんですか?」
「5年生ですよミス・クランウェル=ブラック」
「あたし見学していってもいいですか!」
何故クローディアともう1人の神秘部職員の魔女がついてきているのかを疑問に思っているのも、ハリーとロンだけではなかった。
「ねえロンくん貴方のお兄さんの小さい頃の話とか知らない? 彼ぜーんぜん教えてくれないの」
「3歳くらいのパーシーが女の子の格好させられてる写真がまだ家のどっかにあったと思うよ」
オードリー・オリバンダーという名らしいその背の高い魔女を相手に拒絶することもなく会話しているロンを向こうから睨みつけているハーマイオニーとラベンダーの怒りの矛先がはたしてロンなのかオードリー・オリバンダーなのかは、ハリーは推測する気にもなれなかった。
ハーマイオニーとラベンダーの目に宿っているのは怒りではなく嫉妬なのかもしれないとも考えたが、今は近寄るべきではないという意味では同じなので、ハリーは確かめようとはしなかった。
「
食べ終わった骨を「消失」させて手も洗い終えた後で「ドラゴンの骨なんて貴重品では」という可能性に思い至ったハリーは、しかし貴重だったとしても今は必要じゃないと己に言い聞かせて、意識を周囲の友人たちやさっきまで自分もいた森の奥で続いているだろうダンブルドアと例の先生とハグリッドの会話などから、次の魔法薬学の授業へと集中させた。
不愉快極まるがあの「謎のプリンスの教科書」が大いに役立っていたことは確かな事実で、それ無しでやると決めてクリスマス休暇中も宿題だけでない魔法薬学の修練をシリウスにも助けてもらって散々やったからには自分の実力のみでN.E.W.T.レベルの魔法薬学に喰らいついていかなければいけないのだと、ハリーはマクゴナガルの後に続いて移動しながらそう覚悟を新たにしていた。
元々はロンがスラグホーンから貸し与えられた「52ページにゲロした痕跡がある教科書」がハリーの母親の私物だったという事実も、ロンとの合意によってそれをいま自分が持っているという現状も、その教科書の秘密を守る合言葉である「誰でも知っている簡単な呪文」の正体が未だに不明なままである以上、ハリーの助けにはならないのだ。
その教科書の合言葉の謎には知的好奇心を刺激されたらしいハーマイオニーがずっと取り組み続けているのだが、今のところ全てのアイデアが空振りに終わっていて、進展は何ひとつ無かった。
ダンブルドアから与えられた、スラグホーンに関する「宿題」も、チャンスがあればと狙ってはいるものの下手なアプローチは逆効果だろうとも思えたので、ハリーはまだ何もできていない。
「ねえあなた、お仕事に戻らなくてもいいのかしら? ロンも私たちも授業があるんだけれど?」
オードリー・オリバンダーへの敵意を隠そうともしないハーマイオニーの声が横から聞こえてきて、ハリーは「ハーマイオニーの悩みは恋愛絡みなのに僕の悩みは爺さんか」と、ロンの気を惹きたいのだろうになかなか素直になれないらしいハーマイオニーの苦戦を、スラグホーンの心の奥にあるガッチリ施錠された扉をどうやれば開けるかと苦慮している今の自分と重ねてしまった。
そしてとうとう「ウェディングドレスを着たスラグホーンの手を取るタキシード姿の自分」が脳内に登場してしまったので、心の中を洗い清めるために何かきれいなものを見たくなったハリーは周囲をキョロキョロと見回した挙句、スネイプを見ることにした。
きれいなものではないからこそスネイプを視界の中央に捉えておけばすぐにムカムカと腹が立ってくるので、他の雑多な妄想なんかはすぐにハリーの脳内から追い出されて消えてくれるのだ。
スラグホーンがスネイプより優れた教師だというハリーの意見にはスリザリンの面々すら同意してくれていたが、それでも6年目の魔法薬学が生徒に要求してくる能力と技術の水準は高かった。
「さて本日も、楽しくも困難な魔法薬に取り組んでもらうわけだがね。その前にいくつか、魔法薬学という分野においてきみたちがO.W.L.レベルの優秀さからN.E.W.T.レベルの優秀さへと進歩するのに必要な知識を身につけてもらうために、わしが今からきみたちに出題をする」
特に走る必要もなく時間に余裕をもって魔法薬学の教室にたどり着き、焦りもせず授業開始の時刻にはとっくに全員が心や道具や材料などの準備を終えていたハリーたち6年生に、今年度からの魔法薬学教授にしてセブルス・スネイプが生徒だった頃の魔法薬学教授でもあるセイウチみたいに太ったホラス・スラグホーン爺さんが語りかける。
「クリスマス休暇に入るまでの魔法薬学の授業は、5年生までとは比較にならない複雑さだったね? それはきみたちが不出来だからではない。誰もがきみたちと同じ挫折を経験した。きみたちの先輩も、兄や姉も、父や母も、祖父や祖母やもっと昔の顔すら知らない先祖も、皆おなじように6年生の最初の数ヶ月間は大苦戦した。あまりに難易度が急上昇するのだから、うまくできないのが普通だとすら言える――だから儂の教え方の問題じゃない、と言いたくないわけじゃないが――そこで今日は、誰もが6年目の初めに引っかかってきた落とし穴の正体をきみたちに教えよう」
スラグホーンが何の話を始めたのやらハリーにはサッパリ察せなかったが、しかしその落とし穴とやらに今までホグワーツで学んだ全員が引っかかって躓いてきたわけではないのだろうとハリーは直感していた。魔法薬学の6年生の授業で苦戦するどころか、苦戦している同級生たちから助けを乞われる立場だったに違いない人物を、ハリーは次々に思い浮かべることができた。
まずスネイプ。教科書にあんなにビッシリと偉そうな書き込みをしていた奴に僕らの苦労なんかわかるわけがない。スネイプはきっと「この程度のことがなぜできない」とか思いながら、同じスリザリンの仲間にだけは仕方なく講釈を垂れていたはずだ。
次に母さんと父さん。この2人は皆にいつも快くアドバイスをしてたって――父さんがスリザリン生にもアドバイスをしたとは思えないけど――キャッチラブさんとシリウスが言ってた。
それにシリウスも、友人同士の自主学習ではどの科目でもほとんど常に教える側だったってルーピンが言ってたし、そもそも3年生の時に「私が今まで見てきた中で最も優秀な生徒の1人」だと、あのマクゴナガルがそう言っていたのだから、魔法薬学という分野でシリウスが苦戦をしたことがあるとすれば、それは父さんと一緒に散々やったに違いない危険な独自研究の時くらいだろう。
(スラグホーン自身は……それにダンブルドアとか、例のあの先生は、どうだったんだろうな)
そこまで想像したハリーはトム・リドルも苦戦なんかしたはずがないなと思い浮かんでしまって気が滅入ったので、速やかに考え事を中止してスラグホーンの言葉に再び意識を集中し直した。
「きみたちが使っている『上級魔法薬』という本の、著者は誰かね?」
スラグホーンが出題したのと同時にハーマイオニーとノットが勢い良く挙手し、数秒ほど遅れて「自分の『上級魔法薬』を見れば判る」と気づいた者たちも1人また1人と手を挙げていく。
「……ふむ。みな意欲的で何より。ではミスター・ロングボトム。答えをどうぞ」
「え、あ。えっと、り『リバティウス・ボラージ』さんです」
ネビルの解答にスラグホーンは笑顔だけを返し、さらに追加の出題をする。
「そう『リバティウス・ボラージ』だ。では彼の、出身地はどこかね?」
またしてもハーマイオニーとノットが全く同時に挙手し、ハーマイオニーが指名された。
「リバティウス・ボラージは魔法界全体で見ても最も高名な魔法薬の専門家の1人で、アマゾンの奥深くにある魔法学校『
ハーマイオニーがいつものとおりにクッキリハッキリとした発音で解答を終えた瞬間、ザビニとノットとジャスティンが全く同時に「あっ」と、何かに思い至ったかのような鋭い声を上げた。
「そのとおり。リバティウス・ボラージはアマゾンの奥地にある魔法学校で魔法薬学に習熟し、そのカステロブルーシューを卒業してからも主にはブラジル魔法界で活躍した人物だ。ではそんな彼と、ブリテン島ハイランド地方に所在するこのホグワーツで学ぶ我らとで、『通常の室温』は。同じ温度だと思うかね? これといって温めも冷やしもしていない『常温の水』は、何度かね?」
スラグホーンの問いかけに、指名されるのを待てなかったらしいザビニが勝手に解答し始めた。
「ここらの気温は屋外ならだいたい年中10℃前後。冬なら5℃未満だ。雪だって毎年積もる。一方でアマゾンじゃ気温が25℃を下回るなんてことはまず無い。30℃を超えるような日だって年中あるんだから、俺たちが大鍋に用意してる水の温度とカステロブルーシューの生徒が魔法薬学の授業で大鍋に用意してる水の温度は、同じであるはずがない。『アグアメンティ』と唱えて用意したとしても俺が今そうした水は室温で冷やされていき、アマゾンでそうしたなら室温で温められていくだろう。リバティウス・ボラージが南米の魔法使いである以上、奴と俺とでは、わざわざレシピに記載なんかしない大前提の部分の認識に齟齬が生じて当然だ」
解説しながら悔しさを全身から溢れさせているザビニに、スラグホーンは5点与えた。
「儂がホグワーツの生徒だったころ、占い学の先生がワガドゥーのご出身でね。ムディワ・オナイ先生というお名前の立派な魔女だったんだがね。そのオナイ先生が言うには、ワガドゥーの生徒は皆ジグムント・バッジの魔法薬で大苦戦するそうだ。基本的な『美貌薬』のレシピや『ドクシー・キラー』なんかが授業の課題になった時にだがね。本の記述通りにやっても成功しないそうだ」
ハリーの隣ではロンが「じゃあ教科書に問題があるだろ」と言いたそうな顔をしていたが、しかしスラグホーンが言うには、それこそがN.E.W.T.レベルの魔法薬学を単に修めるだけでなくより高い水準で魔法薬学に習熟するための、重大な学びであるらしかった。
「ホグワーツは、外で雪降ってても教室はあんまり寒くないよな」マグル生まれのハッフルパフ生ジャスティン・フィンチ=フレッチリーが口を開く。「それでさ、多分そのカステルなんとかってブラジルの魔法学校ではさ、外がクソ暑くても教室の中は涼しいはずだよな。南米で一番の魔法学校なんだからホグワーツと同じくらい魔法まみれのはずだろ? それで、寒い部屋を暖めて快適にするのと、暑い部屋を冷やして快適にするのとじゃ同じ快適さでも室温はけっこう違うよな。だからつまり、教科書通りにやってる『つもり』なんだ僕ら。実は違うんだ大鍋の中身の温度とかが」
そう言ったジャスティンもまた、ザビニと同じ表情で悔しがっている。ジャスティンとザビニ、そしてノットとハーマイオニーの心にある悔しさは同じだった。
なんでこんな簡単なことに今の今まで気づけなかったのかという、そして本当ならもっと早く、O.W.L.試験より前どころか1年生の時にだって気づけたはずだという、自分自身への憤りである。
事実、アルバス・ダンブルドアは1年生の時点でこの教科書の著者と自分との間にある認識の齟齬に自力で気づき、それ以降は火加減を厳密に調節するなどして、あるはずの「差」を埋めることで魔法薬作りでの失敗を劇的に減らしたし、ビル・ウィーズリーはO.W.L.の実技試験の本番中に「この魔法薬を発明したのはブラジルの魔法使いだ」と気づいて大慌てでレシピを修正したのだ。
イギリス北部地域と南米との気候の違いが原因で生じた誤差を本番で即興でレシピを改変することによって見事に修正できたのは、偏にビル・ウィーズリーの地道な試験勉強の成果だと言えた。
「リバティウス・ボラージが発明した魔法薬を、リバティウス・ボラージが考案したそのままのレシピで作る時はね。まず最初に大鍋を温めておくといい。素手で触って温かいくらいにな」
ホラス・スラグホーンが伝授してくれたシンプルな解決策を皆がノートにメモしている中で、「ジグムント・バッジって誰だっけ」と呟いたネビルに「ホグワーツを途中でやめて魔法薬の研究に専念してフェリックス・フェリシスなんかを発明した16世紀の魔法使いよ」とハーマイオニーがこっそり教えてあげている。
「きみたちが4年生までの授業で習った魔法薬は、気温やら室温やら湿度など、魔法薬を作る環境の違いをある程度許容してくれるものばかりで、この点を指して『簡単な』と形容されることもある。もちろん簡単だと侮ってかかって酷いミスをした生徒も儂は大勢見てきたが……しかし6年生以降で作り方を習う魔法薬はこの点について非常に敏感で、厳密な管理を要するものばかりだ」
そう語るホラス・スラグホーンを無言で睨みつけていたロンが顔全体から放射していた憤懣やる方ない思いを、スラグホーンは鷹揚に笑って受け止めた。
「わしとてこの話をシャープ先生から教わった時は『なぜ最初に教えてくれなかったんですか』と抗議したとも。しかしだミスター・ウィーズリー。ただ教わっただけの知識は、自力で見つけ出した知識と比べて、驚くほど速やかに忘れていくものなのだ。だからできれば教科書の著者名などから自力で気づくチャンスを、こうして潰すべきではなかったんだが……しかしまあ、教えてしまったものは仕方がないから次善の策といこう。つまり実体験だ。皆、『上級魔法薬』の52ページを開いて、そこにレシピが載っている『永久栄養薬』に挑みたまえ。教科書に載っているレシピをそのまま再現してもまず上手くはいかないとあらかじめ保証しておこう……さあ始めなさい!」
スラグホーンが始めろと言ったので「永久栄養薬」とやらを作り始めたハリーたちは皆、材料を投入するより先に大鍋をある程度まで温めておくという今しがたスラグホーンから教わった事前準備を忘れなかったが、しかしそれだけで全ての問題が解決するわけもなく、曲がりなりにも魔法薬学のO.W.L.試験を「E:可」もしくは最高評価の「O:優」で突破したはずのハリーたちは1人残らず「上級魔法薬」以外の教科書や参考になりそうな魔法薬学の本まで引っ張り出して、今まで魔法薬学の座学で取ったノートも出して、スネイプではなくスラグホーンの授業なのだからこのような行為も許されるだろうという経験則と独りでやるのは無理だという心細さに突き動かされるまま、教室中で盛んに意見交換しながらの魔法薬作りを開始したのだった。
「レシピ通りにやってる『つもり』になりうる要因は、何もレシピ考案者が住んでた場所とホグワーツとの気候の差だけじゃないよな。例えばドラゴンの骨の粉末とかさ。それか――今回使うとは思えないけど――腫れ草の膿とかさ。大鍋に入れる時に、計量するのに使った道具の方にさ。どうしたってちょっと残るだろ? これってつまり『計った量と投入した量がちょっと違う』だろ。だからさ、まさに原因はこういう部分にあると思うんだよね、今年の最初の魔法薬学の授業で僕が『生ける屍の水薬』をうまく作れなかったのは。小さな不手際が複数重なると大きな誤差になる」
レイブンクローのマイケル・コーナーがそう意見を述べた直後にロンが「そういえばママはお菓子作る時は全部の材料をいちいち杖で操って入れてるな」と呟いたので、その方法なら確かに細かく刻んだ材料が一欠片だけナイフに張り付いたまま残るみたいなことは起きないなと思ったハリーは、今回だけでなくこれから魔法薬を作る時は一貫して、ロンのママの真似をすることにした。
「ロングボトム、カノコソウの根はナイフで刻むよりも適当な大きさにちぎってから乳鉢と乳棒ですり潰した方がいい。細かく刻めと指示してるレシピでもだ。汁を無駄にせずに済むからな――」
ノットがネビルに与えた助言を遠慮なく自分でも採用したハリーはカノコソウの根を乳鉢と乳棒ですり潰しながら、クリスマス休暇中にシリウスから教わった知識を思い出していた。
「ねえムーンカーフの糞ってカノコソウの根の薬効を増してくれるんじゃなかったっけ?」
シリウスの見識は疑わないが自分の記憶力は疑うハリーは、誰にともなく問いかけてみた。
「それってとっても良いアイデアだわハリー! でも、問題は量ね。こういう時に適量を計算で出すのに使う公式、私たしかノートにメモしてたと思うんだけど……」
ハーマイオニーはそう言い終わると同時にヨレヨレのノートを慌ただしくめくり始めたが、ハーマイオニーが調べ終わるのをただ待つという従来の選択肢を、ハリーとロンは採用しなかった。
「アッシュワインダーの卵は別に教科書通りでいいよなハリー?」
「たぶんね。火事の原因になりかねないものなんだから、寒かろうが暑かろうが影響ないと思う」
ハリーとロンがそうしているように、6年生の魔法薬学の授業に臨んでいる者たちは今、熱帯ではなく寒冷地であるホグワーツで「永久栄養薬」を作るためにレシピのどこをどう改変するのか、そしてどの部分を改変しないのかを、各々が己の考えに基づいて作業を進めるのではなく、全員でひとつの新たな「より適切なレシピ」を完成させようと、誰からともなく分業を開始していた。
「ノットくんノットくんすいません、あのあの双子呪文で材料増やすのって、なんでダメなんでしたっけ……私オカミーの卵を入れる量を増やしてみたいんですけど……」
トレイシー・デイビスがボソボソと聞き取り辛い発声でセオドール・ノットに助けを求め、ノットはトレイシーにローブの裾を手で引っ張られながらも嫌がることなく適切なアドバイスをする。
「双子呪文で増やしたもの、元の品ではなく複製されて生じた方の個体は、劣化が早いんだ。これは双子呪文による複製が厳密には完全ではないことを示している。だから食べ物を増やすのなら、食べ物を双子呪文なんかで増やす時ってのはまず間違いなくすぐに消費するんだから別に問題ないが、魔法薬を作るのに使う材料を双子呪文で増やして間に合わせるのは、避けられたはずの失敗を自ら招く愚かな行為だと言える。オカミーの卵を大量に使いたいなら、純銀でできてる高価な品だってことは一旦忘れて、魔法で嵩増ししようなんて考えずに大量に投入するんだな」
勇気が湧かないのでやめときますうと弱々しく返答したトレイシーの立ち姿はすぐ後ろで作業をしているルームメイトたちの創作意欲を刺激したが、彼女たちとて今はそれどころではなかった。
「あ。ゼニアオイ入れてみたら教科書に書いてある通りの色になったわ。なんでかしら」
「なんであなたいつも当てずっぽうで成功するのかしらね魔法薬学。1年生の頃からずっとよね」
トレイシー・デイビスのルームメイトであるじっとりした性質の女子たちのそんな会話で、どうやらホラス・スラグホーンはいくつか過去の記憶を思い起こしたようだった。
「あのミスター・ポッターも、そうやって当てずっぽうで近道を見つけることがよくあったな」
スラグホーンが言っているのは父さんの話だと気づいて、ハリーは作業の手を止めてしまった。
「そうやってミスター・ポッターが直感に従って試したアイデアがなぜ正解だったのかを、すぐに理論立てて解明できるのがミスター・ブラックだったな。あの2人は優秀だった……」
スラグホーンも自分と同じようにいま
「しかし『永久栄養薬』については、最も鮮明に覚えているのはあの子たちよりも5年先輩の彼だな。あんな解法で挑んだのも、あんな真似を完遂したのも今日まで彼ただ1人だけなのだから」
訊いてほしそうだなと察せたので、ザビニは「その『彼』って誰です?」と訊いてあげた。
「ミスター・ルシウス・マルフォイだよ」
スラグホーンのこの言葉でハリーは一気に興味を失くして自分の作業に戻った。
「つまりそちらのミスター・マルフォイのお父上だがね、あの子は面白かった。ミスター・ルシウス・マルフォイは授業では『永久栄養薬』を作るのに失敗してしまったんだが、1週間後の消灯時間ギリギリにわしのところに来てな。完璧な出来栄えの永久栄養薬を提出したんだ」
ズルをしたに違いないと、親にフクロウで市販のを送ってもらったんだとハリーは決めつけた。
しかし真実はそうではなかった。
「それをきみが作ったのかと訊いたら『そうです』と。どこを改善したのかと訊いたらノートを見せてくれた。そうしたらなんとまあ。ミスター・ルシウス・マルフォイときたら、考えつく限りの『改良』を、地道にひとつひとつ全て試していたんだ。手順をいちいち吟味して、少しずつ火加減を変えて、投入する材料の量も少しずつ変えて、有力だと思えた選択肢を順番に検証していった。その過程と成果が全てそのノートに記されていた。あの子には、地道な努力を長期間継続できるという目立ちづらいが稀有で高潔な才能があった。そして彼のそのひたすらな検証の成果がこれだ」
スラグホーンは折りたたまれた羊皮紙を取り出して、折りたたんだままハリーたちに見せた。
そしてまたスラグホーンの期待を察したザビニが「その紙は何です?」と合いの手を入れる。
「色見本だ。『永久栄養薬』について、リバティウス・ボラージのレシピをどう改変すると大鍋の中身がどうなるのか、煮込み時間や火加減、材料の多寡や新規に追加する材料について6年生だった当時のミスター・ルシウス・マルフォイがひとつひとつ検証した全ての手順における実際の状態が、彩色済みの挿絵と共に記載されている。これと『
さあさあ引き続き頑張りなさいとスラグホーンに促されて、ザビニも作業に戻った。
そしてそのまま難解な魔法薬に時間いっぱい挑んだハリーたちは各々の手際の良さと作業の正確さ、および少々の発想の差によって全員まるで同じ出来栄えとはいかなかったものの、ハーマイオニーとザビニを始めとする何人かは完璧な「永久栄養薬」を作り上げることに成功したのだった。
透き通った青色の液体であるべきところ、ネビルの大鍋の中身は緑色の範疇なのか青色の範疇なのか見る者によって意見が分かれそうな微妙なエメラルド色をしていたし、ロンの大鍋を満たす液体はハリーの目にはどちらかと言えば紫色に見えたが、本人たちは誇らしげだった。
そしてハリーの大鍋の中身はと言えば、色こそ文句のつけようもない透き通った青色だったが、目を閉じたら海に居るのかと勘違いしてしまいそうなほど鮮烈に、潮風の香りを漂わせていた。
「おやまあ。オカミーの卵を別で火にかけて融かしてから大鍋に入れたねハリー・ポッター?」
「えっ、はい。その、混ざりづらそうだったので……」
マズかったのはやっぱりそれかと、ハリーは安直な思いつきを実行したことを反省した。
「必要な水準を満たしている『成功者』の中で最も薬効が強いのはミスター・ザビニの薬だが、最も美味しいのはきみの薬だハリー・ポッター。であるからしてミスター・ノット、ミスター・マルフォイ、ミス・マクドゥーガル、ミスター・フィンチ=フレッチリー、ミス・グレンジャーの薬は文句のつけようが無い出来栄えであるからしてそれぞれに1人5点ずつ。次にミスター・ウィーズリーとミスター・ロングボトム、そしてミス・パチルとミス・パチル、ミス・グリーングラスも充分に成功だと言えるが手順にごく僅かな修正の余地があるため各々に3点ずつ。そしてミスター・ザビニの薬とミスター・ポッターの薬はわしの想定を超える物なので、彼ら2人にはそれぞれに20点ずつ与える。また他の皆にはひとり1点ずつ与える。課題に挑む過程が素晴らしかったし、想像を大きく下回るような酷い失敗をしている者が見当たらないのでね――皆、よくやった!」
ロンやネビルを始めとする、魔法薬学で加点を獲得すること自体初めての者たちが大きな声で喜びを表現してお互いを称え合い、また周囲の友人たちと互いにアドバイスの礼を言い合う中でその日の魔法薬学の授業は終了したが、ハリーは固めた決意を実行に移すべく、皆がスラグホーンから「若き日のルシウス・マルフォイ特製の永久栄養薬作りの手引き」を受けとって教室から出ていった後もまだその場に残って、スラグホーンにまずどのように話を切り出すべきかと思案していた。
しかし最初に話を切り出したのは、ハリーではなかった。
「会いに来てくれるのを待ってたのに、来てくれないのねスラグホーン先生。それともまさか、教え子の仇を討とうって決意を固めたからホグワーツに戻って来たんじゃあないのかしら――あら」
スラグホーンは自分ではなく自分の後ろに現れたらしい誰かを見ていると、ハリーは背後から聞こえてきたその声で気づいて、ゆっくりと振り返った。
「あーら、ハリーじゃない。あなたも最近会いに来てくれないわねハリー・ポッター?」
「や、やあマートル」
トム・リドルが秘密の部屋を開けた1943年の6月13日に、その秘密の部屋に潜んでいたスリザリンの怪物たるバジリスクとそれを操るトム・リドルによって命を落としたレイブンクローの4年生女子にして今では己の死した場所であるホグワーツ城2階の女子トイレに取り憑いているゴーストのマートル・ワレン、通称「嘆きのマートル」が、いつの間にやらそこにいた。
「…………ミス・ワレン」
このかつての教え子がどうして殺されなければいけなかったのかについて、今ではスラグホーンには、できればそんな可能性について考慮したくもない、最悪の心当たりがひとつあった。
「お久しぶりね、スラグホーン先生。見て。私ね、死んだの」
嘆きのマートルを見るスラグホーンの表情は、一昨年ハリーがあの三校対抗試合の最後の最後に墓地で目にした、自分の杖からセドリックや父さんと母さんやマグルのお爺さんなんかが出てくるのをなすすべなく見ていた時のヴォルデモートの顔と全く同じに見えていた。
両目を大きく見開いたまま満足に言葉を発声できずにただ狼狽えているスラグホーンは、まるで恐怖に打ちのめされているかのようだった。
【カステロブルーシュー】Castelobruxo
国際魔法使い連盟に登録している11の魔法学校のひとつ。アマゾンの奥地にある。
南米全土から生徒を受け入れている他、学校の敷地を「カイポラ」なる、毒で武装した屋敷しもべ妖精とでも言うべきイタズラ好きの生き物たちが守っている。魔法生物飼育学と薬草学の優れたカリキュラムで有名。
Castelobruxoをポルトガル語読みするとカステロブルーシューになるらしいがCastelobruxoは訳すと「魔法使いの城」であり、マホウトコロとどっこいのノー捻りネーミングだと言える。
【永久栄養薬】Everlasting Elixirs
公式設定では名前以外の詳細が明かされていない(つまり公式にはレシピ材料ともに不明)が、消費しても量が減らないか時間が経過しても効果が減衰しないかのどちらかであろう薬。公式訳では「万年万能薬」だが、「万能薬」かどうか定かではないと思ったので訳を私は勝手に変えた。
嘆きのマートルは通常はホグワーツ城2階の女子トイレに居るが、他のトイレや監督生のバスルームなどに現れることもあり、さらには自分の死の遠因になったいじめっ子の女子生徒が卒業した後もひたすら付き纏ってやったと本人が述べているので、つまり出歩けないわけではない。
双子呪文で増やした物の複製の方の個体は本物より早く劣化する、というのは原作者の発言。