104年後からの今 作:requesting anonymity
「それじゃあなあアラゴグ、モサグ! こんど一緒に散歩でもしよう。な!」
アラゴグとモサグを始めとする巨大蜘蛛アクロマンチュラの大家族にハグリッドが別れの挨拶を済ませるのを待ってから、ハリー・ポッターとホラス・スラグホーンはアルバス・ダンブルドアが差し出してきた右手の、小指の先にそっと触れた。
「…………痛むんだろうな、ダンブルドア」
「痛まぬよりは良いというものじゃ」
ダンブルドアの返答に納得していないのか、何かを察したのか。スラグホーンはほんの少しだけ眉間にシワを寄せて、自分が今そっと触れているダンブルドアの炭を削り出したかのように黒く枯れ果てた右手を見つめていた。まるで凝視し続けることでその腕を癒せると信じているかのような真剣そのものの眼差しだった。
どのような魔法によって被った害なのかを見極めようとしているのだと、ハリーは悟った。
「じゃアラゴグくんもモサグくんもまたねぇ。身体に気をつけてね――グロウプくんこれ持って。そうそうこの石だよ。砕かないように気をつけて……そーうそう上手。完璧!」
先生が杖で操って渡した4人掛けのソファくらいある大きな岩をグロウプは右手でそっと握り、新しく手に入れたおもちゃの遊び方が解らないとでも訴えてきそうな好奇心に満ちた目で、その岩をプレゼントしてくれたおかしな服装の魔法使いを見つめている。
「……ほらグロウプくん。ルビウスくんにおやすみーって挨拶しなきゃ」
先生がそう促すと、グロウプの視線はハグリッドへと勢い良く移った。
「ハガー、グロウプ、ねる!」
「おう! また後でなグロウプ!」
バチンと大きな音が響いて、グロウプの姿が握っていた岩ごと消えた。
「ねえねえアルバス聞いて聞いて。グロウプくんったらねえ、ヴィットーリオとかアーノルドのお世話を上手にできるようになってきたんだよ最近さ。アメリアくんが褒めてたんだから」
「由々しき事態ですな」
ダンブルドアが露骨に渋い顔をしたので、先生がいま言った「ヴィットーリオ」「アーノルド」が一体どれほど危険極まる魔法生物なのかを想像しないように努めていたハリーは、ドラゴンとかマンティコアとかを脳裏から追い出すのに集中し過ぎたせいで、「アメリアくん」というのが昨年度ウィゼンガモットの大法廷で同情を示してくれた当時の魔法法執行部部長でウィゼンガモット陪審員だったアメリア・ボーンズさんだとも、今年度の始めに死喰い人の手先であろう暴漢に襲われて以来ずっと公的には行方不明の本人だとも、全く思いもしなかった。
「さてハグリッド。お主も儂の手を取るのじゃ――ミス・ワレン、きみもじゃ」
ハリーがこの禁じられた森の奥深くまでスラグホーンとセットで連れてきた、普段はホグワーツ城3階の女子トイレに居るゴーストの「嘆きのマートル」ことマートル・エリザベス・ワレンはダンブルドアにそう促されて明らかに戸惑っていたが、しかしすぐに校長先生の言う通りにしようと決めたようだった。マートルが伸ばした右手がハリーの右手を通り抜けて重なり、ハリーは身の危険を感じるほどの冷たさに驚いてしまった。
「あら、失礼しちゃうわ」
マートルはご機嫌を損ねたらしいが、ハリーはマートルの手の、単に低温なだけではない得も言われぬ不快感にも気付いてしまってそれに耐えるのに精一杯で、平然とはしていられなかった。
「儂はきみの勇気に心から敬意を表する。ホラス。それはかつての儂ができんかったことじゃ」
ダンブルドアがスラグホーンにそう声をかけたのと同時にハグリッドが恐る恐るといった手つきでダンブルドアの左手にそっと触れ、おかしな服装の先生はダンブルドアのヒゲを鷲掴みにした。
「肩か左手にしておいてほしかったのですが、先輩」
「僕アルバスのおヒゲだいすき」
困ったような楽しんでいるような不思議な微笑みを浮かべてから、ダンブルドアはハグリッドとスラグホーンとハリーとマートルとおかしな服装の魔法使いを全員まとめて引き連れてホグワーツに隣接する禁じられた森の奥深くからホグワーツ城の校長室へと「姿くらまし」した。
「ほっほ」
到着したのと同時にハグリッドが棚をひとつ倒してしまったのを見て、ダンブルドアはなぜだか楽しそうに声を出して笑った。
「あぁあすまねえダンブルドア先生」
「よいのじゃハグリッド。全くそれでよいのじゃ」
ハグリッドは倒してしまった棚とそこに並んでいたものを手で元に戻そうとしてさらなる破壊を広げているが、しかしハリーはそんなハグリッドの姿を見ているうちに、ダンブルドアが今いったい何を「全くそれでよい」と評したのかが解った。
緊張をほぐすという分野において、ハグリッドは間違いなく魔法界最高峰の人材だと。
「あああすまねえ……すまねえダンブルドア先生……」
ハグリッドは棚をひとつ起こした拍子に、背後にあった別の棚2つを尻で倒してしまった。
「ルビウスくんきみもう自分の判断でいくらでも魔法使っていいんだよ。魔法大臣とウィゼンガモットがきみの権利回復を認めてくれたんだからさ」
おかしな服装の先生にそう指摘されて初めて杖を取り出したハグリッドは、どうやらいま改めて「もう自由に魔法を使っていいのだ」と、自分の名誉は回復されたのだと実感したらしく、レパロと唱えて棚やら貴重そうな器具やらを元通りにしながらも、杖を握るその手が僅かに震えていた。
ハリーが隣を見てみればスラグホーンは案の定笑ってこそいないが、スラグホーンの心を支配していたであろう重苦しい気分がいくらか楽になったのだと、その表情から察せられた。
「ではホラス。よいかの」
ダンブルドアがそう確認すると、校長室の奥から大きな銀色の水盆のようなものが独りでに、滑らかに空中を浮遊して運ばれてきた。
「『憂いの篩』じゃ。この憂いの篩はかつてホグワーツの創設者たちが、魔法学校を作る予定の土地の候補だったころのホグワーツで発見したと、これがホグワーツをこの地に作ると創設者たちが最終決定した理由のひとつになったのじゃと、そう言い伝わっておる。事の真偽は不明じゃがの」
ホラス・スラグホーンが杖を取り出して自分のこめかみに当て、しかしそれ以上何もせずにどうやら覚悟を決めるのに時間を必要としているらしいその間に、ダンブルドアはハリーとハグリッド、そしてマートルに対してひとつ解説をしてくれた。
「覚えておいてほしいのは『この憂いの篩』は、いま言ったように古くからホグワーツにあるもので儂の私物ではないという点じゃ。儂が1年生じゃった年には既に校長室にあったからの。そしてこれに限らず憂いの篩は、取り扱う技術を有する魔法使いのほうが少ないということも理解しておいてほしい。特にハリー、きみにはこれを確実に覚えておいてほしい。なにしろ呪文学のN.E.W.T.の筆記試験は数年に一度はこれを問うてくるからの。自らの記憶を取り出して瓶なりに一時保存するのも、それを損傷させずに憂いの篩に注ぎ込むのも優れた魔法使いあるいは魔女にしかできんことじゃ。そして単に記憶を見返すだけでなく、それらを整理し吟味し考えを新たな段階へと進めるために憂いの篩を活用することは、さらに一握りの魔法使いあるいは魔女にしかできん。言うなれば、山と積み重なった大量の本のなかで最も手元に近い1冊のすでに開かれているページに目を通すことと、大量の本の山を慎重に最下層まで漁って特定の記述を探すことの違いじゃ。そして多くの者にとっては、単に本を1冊そこに持ち込んで読むことすら、困難極まる」
ダンブルドアがそこまで説明してくれたところで、スラグホーンが杖を用いて己の頭からドロリとした銀色の何らかを引っ張り出すのを、ハリーは視界の端で見ていた。
「つまりきみがセドリックに関する記憶を見事に提供できたことは僕らハッキリいってビックリ仰天で、これが示してるきみの優れた技量に対してアルバスが50点くれたってことだよハリー」
「儂は驚いてはおりませんよ、先輩」
ダンブルドアが最後に付け加えた言葉はハリーをじんわりと喜ばせるものだったが、しかしハリーはスラグホーンの発言を遮るわけにはいかなかった。
「これがお前が欲していたものだダンブルドア。わしがなんとしてでも隠したかったものだ」
スラグホーンは自らの頭から引き出した「記憶」を、杖をそっと用いて憂いの篩に注いだ。
すかさずダンブルドアが左手を翳すと憂いの篩は音も立てずに何倍にも拡大され、いま校長室に集っている全員が同時に顔を漬けられるだけの広さが確保された。
「では、良いかのホラス。……ハグリッド、ミス・ワレン。お主らも見るのじゃ」
ダンブルドアとスラグホーンに続いてハリーとハグリッドとマートルも憂いの篩に顔を漬け、ハリーはスラグホーンが50年以上もの間ずっとひた隠しにしていた記憶の底へと潜っていった。
「メリィソート先生が退職なさるというのは本当ですか?」
濃淡すら無い灰色のみに覆い尽くされていたハリーの視界にまず浮かび上がったのは、そう問いかける端正な顔立ちの青年の姿だった。
「残念ながら、トム。たとえ知っていても、きみに教えてあげるわけにはいかない」
今よりずっと若いスラグホーンが、おおよそ50年前のスラグホーンがその青年に、口頭では釘を刺しつつも親しげにウインクした。
「まったく、きみという子は。教師の半数より情報通だね……どこで情報を仕入れてくるのやら」
そこは魔法薬学の教室の一角にある扉の先、魔法薬学教授のオフィスだった。若いスラグホーンの背後にある棚には魔法薬の材料に混じって菓子の箱やらシロップ漬けフルーツの瓶詰めやらも並んでおり、魔法薬学教師と言えばスネイプが真っ先に思い浮かぶハリーには、その百味ビーンズやパイナップルがそのまま生徒から見たスラグホーンの好ましさを示しているように思えた。
しかし強いて言うなら、どうやらこの当時のスラグホーンは今よりもさらに、節制とは無縁だったらしい。ハリーが今年度すでに何度か見た限りでは、今のスラグホーンはもう、魔法薬の材料を並べる棚とお菓子を並べる棚をごっちゃにしたりはしていないのだ。
「生徒が知るべきではないと我々教師が考えている物事でも、きみの耳には入ってしまう。この謎めいた能力のタネを、きみは訊いたら教えてくれるかね?」
ハリーはヴォルデモートがそんなこと教えるわけがないと思ったが、その推測はハズレていた。
「別に何も特別な努力や工夫はしていませんよスラグホーン先生。ただ、ここはホグワーツで、そこいらじゅうに噂好きの生徒たちが行き交っていて、先生方だってひそひそと会話しながら歩いていることがよくあって、毎日いつも、まったく誰の声も聞かずに目的の教室まで移動するなんてことはスラグホーン先生だって不可能ですよね。それに談話室でも大広間での食事中でも皆が各々の友人と会話をしている。ですから僕がホグワーツで得た情報の中に、僕にしか得られなかったものはひとつもありません。ただそれを聞き流したり忘れてしまったりするかどうかの違いだけです」
若いスラグホーンが片方の眉だけをグイと釣り上げたのと同時に、この光景をハリーの左隣で見ているハグリッドの苦々しげな表情がさらに一層渋くなった。
「いつも廊下を歩いている時に聞こえてくる他の生徒やすれ違った者たちの会話内容を、きみは全て覚えていると言うのかね? 全てを?」
「ええまあ。そうですが……そんなに驚くことなのですか? 言わせてもらえば、一度聞いた内容を、忘れようと努力したわけでもないのにいつの間にやら忘れてしまえる方が、信じられない」
これはヴォルデモートの本心だと、ハリーは気づいた。ヴォルデモートは、まだトム・リドルだったこの当時すでに、ヴォルデモートの考える基準に照らした場合の「無能」が、理解できないのだと。なぜそうあるのか、なぜそう居られるのかが解らないのだと。
そしてそれは「なぜそんな現状に甘んじていられるのかが解らない」とか「なぜ改善するべく努力をしないのかが解らない」とか、そういう類の話でもないのだ。
「意味不明なんだ。ヴォルデモートには。この程度のことをできない奴がいるなんて事実が」
ハリーは思わずそう言葉に出してしまったが、返ってきたのは「だろうな」というハグリッドの呟きだけだった。ダンブルドアもマートルもスラグホーンも、目の前の記憶に見入っている。
「――ところでトム、パイナップルをありがとう。きみの予想通り、あるいは事前に得た情報通り、これはわたしの好物だ――きみは向こう20年もすれば魔法大臣になれるとわたしは確信しているよトム。もちろんきみがそれを望み目指せばの話だが……魔法省には素晴らしいコネがある」
若いスラグホーンの褒め言葉で、どうやらヴォルデモートは気分を良くしたようだった。
「確かに、嫌だ嫌だやりたくないと泣き叫んで抵抗しながら魔法大臣のイスに無理矢理座らされた人間は、寡聞にして知りませんね」
ヴォルデモートの、トム・リドルのこの言葉によって部屋が笑いに包まれて初めて、ハリーは記憶の中のこの魔法薬学教授のオフィスにはトム・リドルとスラグホーン以外にも人が居たという事実に気がついたが、ハリーの注意が今まで学生時代のヴォルデモートと若いスラグホーンの会話に集中しすぎていたのか、それとも今この記憶の中で背景の一部として初めて彼らが形を成したのかは、ハリーにはどちらなのやら解らなかった。
「魔法大臣になるのは嫌かね?」
「いえ先生。ただ僕には、僕が政治に向いているのかが判りません」
トム・リドルの取り巻きであろう数人の生徒たちはそこでピタリと笑うのをやめた。
「それにまず、僕の生い立ちがふさわしいものではありません」
トム・リドルはそう主張しながら取り巻きというか子分であろう生徒たちの1人と視線を交わし、口の端だけで僅かに笑った。
これは明らかに自分たちのグループ内だけで通用する冗談を楽しんでいるんだと即座に察したハリーは、「生い立ちがふさわしくない」という言葉を冗談として通じ合えるというのはつまりトムはこの健全な友人関係ではないであろう取り巻きの生徒たちに自分がサラザール・スリザリンの直系子孫だと明かしたか、さもなくばそう仄めかしたことがあるのだと推測した。
「この時すでに、トム・リドルは自分の出自を正しく知っていたのですかダンブルドア先生?」
「そうじゃろうと、儂は考えておる」
トム・リドルが自分の出自を知るというのが何を意味するか、ハリーはこれまでのダンブルドアとの幾度もの個人授業でしっかりと学んでいた。
「それじゃあつまり、この時すでに、トム・リドル・シニアもその父と母も殺されていて、罪を被せられたモーフィン・ゴーントはアズカバンで朽ち果てようとしていたのですか?」
「そうじゃ。ハリー。この時すでにヴォルデモートは己の父ならびに父方の祖父母を殺害し、その罪を母方の伯父に着せた上で、なに喰わぬ顔をして休暇明けにホグワーツに戻ってきた後ということになる。そしてきみがいま察した通り、儂がこの事実に気づいたのはずっと後の、あわれなモーフィンの命が尽きようとする寸前になってからじゃ。儂がもっと早く先輩に相談しておれば――」
ダンブルドアの声色にも表情にも拭いきれない後悔が深く染み付いていて、それがスラグホーンを驚かせたようだった。おそらくスラグホーンは今の今までずっと、ダンブルドアが内心ではスラグホーンのことを責めているに違いないと、そう信じていたのだろう。
「なんでもかんでも自分のせいにしないの。悪い癖だよアルバス。僕ずーっと言ってるだろう? 大事なのは『ああしてれば』って悔やむことじゃなくて、これから先どうするかだって」
おかしな服装の先生がそう叱咤しても、ダンブルドアの顔色は変わらない。
「リドル一家の死は、報道されておらん。『おそらく』魔法使いに殺されたと『思しき』片田舎のマグルの家族なんぞでは人々の興味を惹けんと『日刊予言者』は考えたのじゃろう」
日刊予言者新聞と聞いてハリーが誰を思い浮かべたのかを、どうやらおかしな服装の先生に察されてしまったようだった。
「あのねハリー。いくらリータくんでも、この当時はまだ生まれてもいないんだから、それってつまり新聞記事の編集方針に口出しなんてできないってことだよ」
「バカな!」と記憶の中の若いスラグホーンが大きな声を出したので、ハリーの注意は再び視界いっぱいに上映されている過去の記憶の光景それ自体へと移った。
「きみほどの能力だ。由緒正しい魔法使いの家系であることは今年のチャドリー・キャノンズがリーグを最下位で終えることと同じくらいに明らかだ」
若いスラグホーンがそう言った途端、おかしな服装の先生が「まだ生き残りが居たのか」とか言いそうな顔をしてハリーの隣のスラグホーン先生を睨んだ。
「てっ、撤回して謝罪します」
「次は無いからねホラスくん」
その淡々とした一言があまりにも怒りに満ちていたので、ハリーまで肝を冷やしてしまった。
「あの、えっと、チャドリー・キャノンズのファンだったんですか、先生?」
「世界最強のチームだものキャノンズは」
そう言った先生の目が全く笑っていなかったので、ハリーはそれ以上なにも訊けなかった。
「チャドリー・キャノンズが優勝したのは儂が1年生だったあの年が最後でしたな? 先輩」
「ぜったいぜったいまた優勝するもん」
ダンブルドアからの指摘を受けておかしな服装の先生が俄にイジケ始めたその時、若いスラグホーンの背後にあるテーブルの上に置かれていた金色の小さな置き時計が透き通るような音色を響かせ、現在時刻が午後11時だとその場の全員に告げた。
「なんと、もうこんな時間か! きみたち全員、談話室に戻ったほうがいい。さもないとみんな困ったことになるからね……レストレンジ、明日のうちにレポートを提出できなければわたしはきみに罰則を与えなければいけなくなるよ。エイブリー、きみもだ。不出来なレポートは未提出のレポートより100倍の価値があると覚えておきなさい。もちろん優秀なきみたちならばわたしが満足するレポートを提出してくれると信じているがね――さあ行った行った! 消灯時間を過ぎてからグリフィンドールの監督生と廊下で鉢合わせしたらややこしいぞ!」
記憶の中のスリザリン生たちがぞろぞろと出ていくのを、ハリーは注視している。
「どいつがレストレンジですかスラグホーン先生」
「お前さんが思い浮かべちょるレストレンジじゃあねえんだ、ハリー」
ハグリッドがそう教えてくれたことで、ハリーは思い出した。ハグリッドはこの当時ホグワーツの生徒で、グリフィンドールの3年生だったのだと。つまり記憶の中の彼らを知っているのだと。
「ベラトリックスでもロドルファスでもラバスタンでもねえんだ。ロドルファスとラバスタンの父親だ。ハリー、お前さんが察したとおりリドルの奴の学生時代の取り巻きはそのあとそのまま最初の『死喰い人』になったが、お前さんが生まれる頃にはだいたいみんな死んどったんだ。当然だろうが? こいつらなんかがアラスター・ムーディに敵うもんか」
「それじゃあこのリドルの周りで威張り腐ってた奴らみんな死んだってわけ? ハグリッド」
何か具体的に過去の暗い記憶を思い返している様子で、マートルが訊いた。
「そうだ。あいつらだってヘタクソじゃあなかったけども、だからこそムーディの奴には生かして捕らえようなんて余裕は無えわけだ。そんで、一番マシな死に方をしたのはエイブリーの奴だぁな。エイブリーはムーディを殺そうとして返り討ちにされて……ちぎれて飛んでいったんだと」
ハグリッドの報告を聞いたマートルは、端的に言って気分爽快らしかった。
「今そっから出てった『レストレンジ』はロバートくんたち家族を殺そうとしてるとこを僕が見つけてね。そんでダイナとパーシバルとフォレストビアードが仲良く分けたの」
おかしな服装の先生のその言葉は「レストレンジはレシフォールドとマンティコアとキメラに生きたまま貪り喰われた」という意味だと、ハリーは昨年度にこの先生から受けた「防衛術」の授業と、その最中に交流した魔法生物たちの姿を思い起こすことですんなりと理解できた。
しかしハリーはその凄惨な光景をありありと思い浮かべてしまったので、ロバートとやらが誰なのか、もしかして自分も知ってる誰かの親類なのかについては、訊く気をなくしてしまった。
「――なんだね、トム。きみも早くせんか。正当な理由なくベッドを抜け出していると誤解されたらきみにだって不都合だろう? きみは監督生なのだし……」
他の生徒たちが全員退出してしまった後でもまだそこにいたトム・リドルに若いスラグホーンが改めて退出を促したが、リドルはその場から動こうとしない。
「先生、実はその、お伺いしたいことがあるんです」
「それじゃ、遠慮なく訊いてみなさい。トム、遠慮なく」
若いスラグホーンのトム・リドルに対する返答は、警戒とは無縁の、一番のお気に入りの生徒への親しみと優しさだけが込もったものだった。
「先生、ご存知でしょうか……ホークラックスのことですが?」
トムがそう訊いた途端に若いスラグホーンの顔から全ての表情が消え、微動だにしないままトム・リドルをじっと見つめ始めた。
若いスラグホーンの手は無意識にテーブルの上の金の置き時計を撫でていて、ハリーの隣に立ってそれを見ているスラグホーン先生の肩は、ほんの僅かに震えていた。
逃げ場がどこにもない状態で人生最大のトラウマと向き合っているにしては立派な態度だろうと、今はハリーもスラグホーンに多少は同情することができた。
「それは闇の魔術に対する防衛術の課題だから訊いているのかね」
このスラグホーンは違うと解っていながら質問していると、ハリーは直感した。
「いいえ違いますスラグホーン先生。本を読んでいて見つけた言葉なのですが、単語だけしか載っていなかったもので、先生なら何かご存知ではないかと……」
トム・リドルはそこでためらうかのように言葉を切った。
「ふむ。このホグワーツでその単語が載っている本を見つけるのは簡単ではないはずだがね……詳細が載っている本となるとさらに難しいだろう。1冊だけ心当たりはあるが、それがまだ禁書の棚に収まっているかはわからんね。取り除かれていたとしても異議申し立てなどする気にはなれんし、あるいは誰かが衝動的に燃やしてしまっていたとしても私には責められん。ホークラックスとはそういう魔法、闇も闇。真っ暗闇の魔法なのだからね」
若いスラグホーンがそう言うと、この50年以上昔の記憶の光景をいまハリーの隣で見ているスラグホーン先生が、ますます強く拳を握り締めた。
記憶の中のトム・リドルは若いスラグホーンを、じっと見つめている。
「でも、先生は全てをご存知なのでしょう? つまりその、先生ほどの魔法使いなら――すみません。けれど先生が教えてくださらないのなら……先生なら、スラグホーン先生なら教えてくださるのではと……誰かが教えてくれるとしたらそれはスラグホーン先生しかいないと、そう思えたものですから、とにかく伺ってみようと僕は考えたんです――」
トム・リドルはこの言葉をこそ、きっと何週間も前からこの時のために準備していたのだろうとハリーは確信した。遠慮がちな態度と口調を保ちつつ慎重を期して丁寧におだてる。言葉のどこも過剰ではなく明らかに吟味され組み立てられた形跡がある。リドルはきっとこの情報が欲しくて欲しくてたまらないのだろうと、ハリーには推察できた。
気が進まない相手をうまく乗せて目当ての情報を引き出すことにかけては、このトム・リドルより優れた腕前を持つ人物は世界のどこを探したって居ないと、ハリーは断言することができた。
そして1分近い完全な沈黙の後、若いスラグホーンは口を開いた。
「……さて、まあもちろん…………ざっとしたことをきみに話してもかまわないだろう。その単語が意味するところを理解するためだけになら――ホークラックスとは、人がその魂の一部を隠しておくために用いられる容れ物を指す言葉で、つまり分霊箱のことを言う」
「でも先生、なにをどうやるのか見当もつきません。僕にはその……よくわかりません」
トム・リドルが何か言おうとしてやめたのがハリーにも判った。トム・リドルはこの時興奮を抑えようと努力はしつつも抑えきれていないと、慎重に声を抑えて一見すると冷静かのように取り繕ってはいるが隠しきれていないと、ハリーは思った。
「それはだね。魂を分割するわけだ」若いスラグホーンの解説はいよいよ核心へと迫った。「それに取り掛かる前に、容器の方にも複雑極まる手順で――言うなれば受け入れ準備を――整えておく必要があるが。然る後に分割した己の魂の一部をその、予め準備を済ませておいた容器に封じる。そしてその容器を安全な場所にしまう。すると身体が攻撃されたりだとかで破滅を迎えても、別に保存してあるのだから魂の一部だけは死なずに、地上に残留できるというわけだ。だが、このような形で生存するというのは…………到底、到底まったく生き物として望ましいものでは……」
若いスラグホーンのこの言葉で、ハリーはほぼ2年前にあのどこだか解らない墓地で聞いたヴォルデモートの言葉を思い起こしていた。
「俺様は肉体から引き裂かれ、霊魂とすら呼べぬ、そこらのゴーストにも遠く及ばぬ、薄弱極まるものになり果てた…………しかし、俺様は確かに未だ生きていた」
ハリーがあの時のヴォルデモートの証言を諳んじると、隣でスラグホーンが唇を噛んだ。
「トム、それを望むものは居るまい。滅多に」若いスラグホーンが言う。「滅多に居るまい。そんな生よりは、死のほうが望ましいだろう」
しかし記憶の中のトム・リドルは、今や渇望を剥き出しにしていた。
「どうやって魂を分割するのですか?」
「それは」若いスラグホーンは明らかに困惑していた。「魂とは完全に一体であるはずで、そうあるのが通常で、そうでなければならぬということをまず理解しなければならない。魂を分割したいと考える者が仮にいたとしても、その者にとってもこれは変わらぬという事実をだ。分割しようというのは自他に対する最悪の暴力行為であり、自然に逆らう試みだ」
「でも、どうやるのですか?」と、トム・リドルが明らかに興奮しながら再び訊いた。
「邪悪な行為によって、悪の極みの行為によってだ。殺人はそれを行った者の魂を引き裂くのだ。そして、この現象を足がかりとして自分の魂の一部を任意の物品に――先に言った通り、あらかじめ準備万端整えておいた物品に――閉じ込める」
「閉じ込める? どうやってですか?」
リドルは若いスラグホーンの発言が済むと同時に次なる質問を投げかけた。
「呪文がある。訊かないでくれ! 私は知らない! わたしは――わたしがやったことがあるように見えるかね? 殺人者に見えるのかね?」
若いスラグホーンはとうとう声を荒らげ、その瞬間リドルの顔に焦りの色が浮かんだ。
「いいえスラグホーン先生。もちろん、違います」とリドルが大急ぎで言った。
「すいません先生。お気を悪くさせるつもりは――」
「いや、いや。いいんだトム。気を悪くしてはいない。こういうことにちょっとばかし興味を持つのは自然なことだ……ある程度の才能を持った魔法使いは、常にこういう分野に興味を惹かれる」
若いスラグホーンは部屋の中を疲れ切った足取りで移動していき、テーブル傍の肘掛け椅子にドサリと腰を下ろした。
「そうですね、スラグホーン先生。うまくやれなかったから歴史に名が遺っていないだけで、分霊箱を作ったとされる人物たちよりもずっと多くの者が、魔法史のあちらやこちらの時代で人知れず分霊箱を作ろうとして、どこかを間違えて単に自殺するだけの結果になったのでしょう……僕にはそんな気がします。居るものです。自分の能力の程度を正しく見極められない輩は」
トム・リドルが述べた推測がつい先ほど自分が思い浮かべたものとまったく同じだったので、ハリーはどうにもならない悪寒と戦わなければいけなくなった。
「その意見には同意できるね」
若いスラグホーンが肘掛け椅子の背もたれに体重を預けながらそう表明したことで、ハリーは少し気が楽になった。
「箒飛行の訓練を始めたばかりの1年生は、いつの時代でも1人か2人は、できもしない曲芸飛行に軽率に挑戦して、痛みに泣きベソをかきながら癒務室に運ばれて校癒に叱られるハメになるんだからね……箒の曲乗りなら怪我で済むかもしれないが、分霊箱はそうはいかない」
「でも先生」とトム・リドルが若いスラグホーンに今また問いかけた。「僕が解らないのは――ほんの好奇心ですが――あの、1個だけの分霊箱で、その……役に立つのでしょうか? たったひとつで? 分霊箱というのは経年劣化や破損の心配は無用な物なのでしょうか? それに……もっとたくさん分割するほうがより確実で、より強力なのではありませんか? 例えば、もちろん例えばですが……7という数字は、最も強力な魔法数字ではないですか? 7個の場合はどんな――」
「とんでもない!」
若いスラグホーンは大きな声を出すという乱暴な方法で、強引にトム・リドルの発言を遮った。
「7個! 1人を殺すというだけでもこれ以上なく悪いことではないかね! それに、魂を2つに引き裂くだけでも充分に、不自然極まる状態に自らを陥らせるのに、7つに引き裂くなど……」
そこで言葉が途切れてしまった若いスラグホーンはどうしようもなく途方に暮れた顔で、まるで今はじめてトム・リドルという生徒の顔をきちんと見たかのような表情で、括りつけられているかのように揺り椅子から動かないまま、指先すらも動かさずに、トム・リドルを見つめていた。
こんな話を始めてしまったこと自体を後悔しているのだと、ハリーには察せた。
「もちろん、全て仮定の上での話だ。我々が今している会話は、全て学術的な――」
「ええ、当然そうですスラグホーン先生」
リドルはすかさずそう保証した。
「学術的見地」
それが頼みの綱かのように、記憶の中の若いスラグホーンとハリーの隣で記憶を見ているスラグホーン先生が同時に呟いた。
「学術的見地。学術的見地から、魔法史に刻まれた過去の事例から言えることは、己の魂を3個以上に分割せしめた者は1人も居ないということだ。腐ったハーポも、その後に続いた者たちも、単に分霊箱を作ったとしか記録されていない。個数に言及している例は無い。それはつまり1つだけという意味だ。当然に、1つだけだ。1つでも言語道断の悪逆なのだから…………分霊箱を、複数個制作することについて考察した資料など、見たことも聞いたこともない」
ハリーの隣でこの記憶を見ているスラグホーン先生は、今や斃れるのではないかと心配になるほど血の気の失せた蒼い顔をしていた。
憂いの篩に顔を漬ける前よりも痩せたのではないかとすら、ハリーは思った。
一方でトム・リドルが今のスラグホーンの「分霊箱を複数個制作した例は無い」という言葉を前人未到の偉業という意味に受けとったこともまた、明らかだった。
「いずれにせよ…………トム。黙っていてくれるだろうね。わたしが話した内容は……つまり今回ここで我々2人が話した内容は、これほどまでに気軽に話題に取り上げたなどと知られては……世間体が。これ以上なく悪い。そもホグワーツではこの話題は禁じられているのだ……ダンブルドアは特にこの件について厳しい……わたしはホグワーツで教師を続けたい……」
若いスラグホーンが肘掛け椅子から立ち上がらないのか、それとも立ち上がることができないのか、ハリーにはどちらなのか解らなかった。
「一言も誰にも話しません、スラグホーン先生」
それだけ言って若いスラグホーンにクルリと背を向けて部屋から出ていったトム・リドルの顔には、抑えきれるはずもないほどの幸福感で満たされていた。
端正な顔立ちをしているのに、その顔を満たす幸福感が、奇妙なことにトム・リドルという生徒に、まるで未知の何かがヒトのふりをしているかのような不気味さと不自然さを与えていた。
「この一連の会話は、トム・リドルが6年生だった年の出来事だ。今の会話をわしとした時点で、トム・リドルは昨年度の終わりに秘密の部屋を開いてきみを殺して、その罪をハグリッドとアラゴグに擦り付けた後だったんだよ、ミス・ワレン…………トムはあの事件で、あの時は……一連の事件の解決に寄与したとして、トム・リドルはホグワーツ特別功労賞を――」
記憶を見終えたスラグホーンの言葉は、ほとんど泣いているかのようだった。
「いいの。だってスラグホーン先生のせいじゃないもの。リドルのせいだもの」
そう伝えた嘆きのマートルの声は、今までハリーが聞いたこともないほど優しかった。
「そうだそうだ。あんたのせいじゃねえぞスラグホーン。あの根性曲がりが全部悪いんだ」
ハグリッドも、マートルと一緒になってスラグホーンに慰めの言葉をかけた。
そしてトムが出ていった扉が独りでに閉まり、そこに残された若いスラグホーンと彼のテリトリーたる魔法薬学教授のオフィスという風景の全てが色褪せて形を失っていき、何もかも濃淡すら無い灰色だけの視界に戻ったのと同時にハリーとスラグホーンとマートルとハグリッドとダンブルドアとおかしな服装の先生は憂いの篩から顔を上げ、今のホグワーツの校長室へと戻ってきた。
「……どれだけ確からしくても推測は推測だね、アルバス。たとえ正解だったとしてもさ」
「そうですな先輩。こうして確固たる証拠を得た今では、よけいにそう感じられる」
ハグリッドとマートルは何か感想を言おうとはしているものの言葉が全く何も出てこない様子で、一方スラグホーンは完全に黙りこくってしまっていた。
「…………つまり、7個壊せばいいってことですか? 分霊箱を」
ハリーは、とにかくいま得た情報を整理し直したかった。
「違うよハリー。いいかい。7つに分割するってことは、6個の分霊箱を作るってことだ。だって、それがどれほど酷い状態だとしても、1個は自分の身体に入れとかなきゃ。でもま、僕らとしてはその身体のほうも壊したいんだから7つ壊すって理解でも、完全に間違いじゃないけどね。でもいずれにせよ、分霊箱を全部壊してからじゃないと、身体の破壊に取り掛かっても無意味だろうね」
おかしな服装の先生はハリーの勘違いを目ざとく訂正してくれたが、ダンブルドアはその先生の言葉をさらに訂正した。
「4個じゃ。ハリー。破壊せねばならんヴォルデモートの魂は残り4個じゃ。なぜならひとつはハリーきみが2年生の時に、もうひとつは儂が昨年度と今年度の間に、既に破壊しておるからの。6個ある物を、既に2個破壊した。残りは4個じゃ」
あろうことかダンブルドアの発言に、おかしな服装の先生がさらなる訂正を付け足した。
「違うよアルバス。残りは5個だ。トムくんは日記が破壊されたことを知ったから、それを埋め合わせるためにわざわざギリシャまで行ってふさわしい品を調達して、すでに1個新しく作り足している。カッサンドラくんが1905年に僕に教えてくれた通りに『6は7だけれど5は7ではない』からね。トムは指輪が破壊されたとは知らないから、1個作り足すだけで数が合うと思っている。だからギリシャで、活動を一切せずに――言うなれば冬眠みたいな状態で――ずうーっと生きていた『腐ったハーポのバジリスク』を調達した。これはウチの副部長に調べてきてもらったから確実」
おかしな服装の先生がそう言った途端に、ダンブルドアの表情が目に見えて曇った。
「それは……由々しき、事態ですな。腐ったハーポのバジリスクが実は死んでおらんのではないかという学説は、幾人かの魔法生物愛好家や魔法史家が提唱したことがありますが……まさか……」
ダンブルドアはそこからさらに何か言おうとしたが、まさにその瞬間おかしな服装の先生は突如ビクリと何かに反応して、あたかも背後からの不意打ちを察知したかのように大きな声を出した。
「む! ごめんアルバスまた今度ね! 僕とっても大事な用事がたった今できちゃったから大急ぎで神秘部に戻んなきゃいけなくなった! またねアルバス大好きだよ!!」
そう言い終わるか終わらないかの内に、その先生は勢い良く飛来した不死鳥に両足の鉤爪で顔を正面からガッチリと掴まれて、眩い炎に包まれた不死鳥に連れ去られる形で「姿くらまし」した。
「慌ただしいお人じゃ」
端的な感想を述べたダンブルドアの顔からは、焦りが綺麗さっぱり消えていた。
そしてホグワーツから遠く離れた英国魔法省本部地下9階、知られざる神秘部の奥底にあるひとつの部屋へと「姿現し」したおかしな服装の魔法使いは、その瞬間に小さな男の子と目が合った。
「ペットちょう居た…………うぐぅ、え、ぅ゙ぇ゙ぇぇぇぇぇぇぇぇぇ゙んペットちょうぅーー!!」
どうやら安心したらしいその男の子は、神秘部部長を長年務めるその魔法使いの姿を見るなり大粒の涙をボロボロと流して大きな声で泣き始めてしまった。
「きみが僕に居てほしい時は僕は絶対に居るよ。それで、どうしたんだいロルフ?」
「ペッドぢょうぅ……あ゙のね゙っ、あのねアントニオがね、僕ねアントニオがっ、ぅ゙ぇ゙ぇ゙ーーん!」
9歳のロルフ・スキャマンダーは頑張って状況を説明しようとしているが、言葉が言葉になっておらず、如何に神秘部部長と言えどもほとんど何も察してあげることができない。
「ロルフ、ロルフどうしたの。何があったんだい?」
「あ゙、ア゙ントニオっ、がねぇ、あのね……ふぅ゙ぐ、ぅ゙ぇ…………これっ……これぇ゙……これがぁ」
ロルフがぎゅっと握り締めていた右手を開くとそこにあったのは、見る者が見れば火蟹の甲羅の一部だとすぐに判る、大きな宝石の塊。
「アントニオのっ、アントニオの甲羅がね゙、急にボロボロって……アン卜二オ゙が大怪我しちゃったかもしれな゙くてぇ゙…………ぼくアントニオがっ、もしかしたらっ、もしかしたらってぇ゙……!!」
9歳のロルフが必死でここまで持ってきたのだろうその宝石をきちんと見た途端に、神秘部部長を務めるその魔法使いの表情は一気に柔らかくなった。
「ねえロルフ、ロルフ。ロルフ僕の目を見て。見て。いいかいロルフ。大丈夫。アントニオは怪我したんじゃないよ。大丈夫。ほらその宝石をよく見て。アントニオの血が全然ついてないだろう? むしろこれはアントニオが元気いっぱいだって証拠で、とっても嬉しい出来事。だから今すぐ一緒にアントニオのところに行こう。いいかい?」
「そうなの?」
急には泣き止めないロルフが、顔中ぐしゃぐしゃにしたまま訊ねた。
「そうだよ。あーあーあー鼻水が…………僕がロルフに嘘ついたことあったかい?」
「あ゙る゙…………!」
「そうだねあるね。昨日だって僕チョコマフィン2個しか食べてないって嘘ついて15個食べたからね。でもねこれは嘘じゃないんだよ。信じてロルフ。アントニオは大丈夫」
「ほんとう……?」
「本当。アントニオはね、いま脱皮してるのさ。だって大怪我して甲羅が砕けちゃったんだったらもっとベッチョリ血が着いてるはずだし、この宝石の色だってこんなに透き通った綺麗な色じゃあなくなってるはずだからね。だからほら。アントニオが脱皮するところ見に行こう?」
そう言えば前にアントニオが脱皮した時はロルフがぐっすり寝てる真夜中だったっけなあと思い起こしながら、神秘部部長を務めるその魔法使いはロルフが差し出してきた手を握ってあげた。
「アントニ゙オが大っきくな゙るってこと……?」
「そうだよロルフ。前より、ちょっとだけね」
「おい゙わいする゙」
「そうだね。みんなでお祝いしよう」
そこでロルフはどうにか泣き止んだが、しかしその途端に神秘部部長を務める魔法使いの脳裏にひとつの疑問が浮かんだ。
「ところでロルフさ。なんで僕を頼ってくれたんだい? 今日はロルフのパパとママだけじゃなくてニュートンくん……ロルフのおじいちゃんも居るしさ。副部長だって他の皆だってポピーちゃんだって居るだろう? ファスティディオを呼べば誰のとこにでもすぐ連れてってもらえるだろう」
するとロルフは一気にキョトンとした表情になって、その魔法使いの顔を見上げてきた。
「だってパパもママもおじいちゃんも、ふくぶちょうも、それにポピーちゃんもね。おしごとをしてるからね、ジャマしちゃダメだって思ったの。だけどねペットちょうは遊んでばっかりだから」
「アソンデバッカリダトオモワレテタカァ……」
妙な発声で不平を表明した直後、神秘部部長を務める魔法使いは己の失態に気づいた。
「オリバンダーくんとクローディアをホグワーツに置いてきちゃった…………」
あとで迎えに行かなきゃいけないなあと呟きながら、そのおかしな服装の魔法使いは9歳のロルフ・スキャマンダーと手を繋いであげたまま、不死鳥を頭のてっぺんに乗っけたまま、神秘部の知られざる廊下を歩いていくのだった。
明らかにされている限りでは、あの「ホラス・スラグホーンが隠していた記憶」が、トム・リドルがホグワーツの6年生だった1943年度の、何月何日の出来事なのかは不明。
しかしこの会話の時にトム・リドルが6年生だったことと、ホグワーツの年度初めがイギリスの一般的な学校と同じく9月1日からであること、そしてマートルが死んだのが1943年「6月」の学年末の最後の日だったという点を考え合わせると、スラグホーンに分霊箱に関する質問をするより前に、トム・リドルはマートルを殺害して日記を分霊箱にしていることになる。
今回の話の時点で、ヴォルデモートは分霊箱を「6個作ったけど1個壊されたから1個作り足して現在6個。俺様の魂は7つに分かたれている」と考えている。しかしアルバス・ダンブルドアとレガ主は「6個あったけど2個壊した」と知っている。だから残り4個を壊せばいいと考える。