104年後からの今 作:requesting anonymity
分霊箱たる「スリザリンのロケット」を思いがけず破壊できてからしばらく経ち、毎度ホッグズ・ヘッドの広々とした地下室まで赴いて行われる「姿くらまし講習」もいくらか回数を重ねて、ハリーたち6年生やセルウィンくん他数人の再受講組にとっての日常の一部へと組み込まれた頃。
今日もまた魔法省職員ウィルキー・トワイクロスを講師に迎えた姿くらましの講習会を終え、ホッグズ・ヘッドからホグワーツへと帰ってきたハリーたちはしかし城内へは入らず、セルウィンくんを始めとする再受講者の7年生たちも含めた全員がその足でハグリッドの小屋へと向かった。
「今回の『特別授業』をアナタたちが受けようとするなんて、正直言うと意外なんだけれど」
ハーマイオニーがセオドール・ノットらスリザリン生たちにそう伝えたのは、通算何度目か解らない今回の魔法生物飼育学の授業が、珍しくその内容まで事前告知されていたからだった。
「あの先生の魔法生物飼育学だぞ? 自由参加だからって見逃すのはバカのやることだ」
そう返したノットの隣を歩いているザビニも、セルウィンくんも、ダフネ・グリーングラスも、これまで数度行われた魔法生物飼育学の特別授業や、昨年度のあの先生の授業に抱いていた期待とは少し違う興味を、これから行われる今回の授業に対して抱いていた。
「貼り出されてたとおりの内容で本当にやるなら、ハグリッドの授業で扱うのが適切なのかどうかってとこから僕はあの先生の意見が聞きたいね。なにしろ魔法生物『飼育』学なんだから」
アーニー・マクミランの言葉に、ラベンダー・ブラウンが同意する。
「右に同じだわマクミラン。私はどれかの教科でやるなら『魔法史』だと思う」
「それだと時間いっぱい皆でお昼寝するだけになっちゃうよラベンダー」
ネビル・ロングボトムの素朴な見解を受けてハンナ・アボットとパンジー・パーキンソンが笑ったが、例によってハーマイオニーは嫌な臭いでも嗅いだかのように顔を顰めたのだった。
マクミラン家も、ブラウン家も、ロングボトム家も、アボット家も、パーキンソン家も、マルフォイやノットと同じくらいには純血だとされている、魔法界に古くから続く家系である。
生まれた時からずっと魔法界で育った彼ら彼女らが今回の授業でいかなる見解を述べるのかという点にも、ハーマイオニーは密かに興味を持っていた。
「――あらデニス。それにナイジェルも。あなたたち呪文学の宿題が今日までよね?」
「さっきフリットウィック先生に出してきたよハーマイオニー!」
「ハーマイオニーがくれた本のおかげだよ!」
グリフィンドールの3年生にしてハーマイオニーと同じく両親のどちらも魔法族ではない家庭に生まれ、ホグワーツの入学許可証を携えた教師が家を訊ねてきた時に初めて魔法界の存在を知った彼らは今回の特別授業に際しても、以前ニュート・スキャマンダーが「ラマッス」を見せてくれた時と同じように、どんな楽しい話をしてもらえるんだろうかと期待して、高揚感で胸を膨らませているのが一目で判る嬉しそうな顔をしたままハグリッドの小屋へと向かっている。
そうしてハリーたち6年生だけではない受講希望者たちがハグリッドの小屋の前へとたどり着いて見れば、そこに居たのは「あの先生」ではなかった。
私が講師を務めますという態度でそこに立っている男の姿を見て驚いたハリーは、またあの先生がポリジュース薬か何かで他者の外見に変身しているのではないかと疑って、正直に打ち明けてくれるのかどうかなど全く考慮しないまま、ごくシンプルな質問を投げかけた。
「……シリウス?」
「やあハリー! 姿くらましの講習は順調かい? あれは取り組まなきゃいけない努力の内容がシンプル過ぎるからコツを掴むまでは大変だろう。けどきみならきっと――」
ああ本人だと、ハリーはシリウスがこっちを見た瞬間の嬉しそうな笑顔で確信した。
大型犬を彷彿とさせる人懐っこい笑顔は他ならぬあの先生もよく見せるものではあるが、ハリーに言わせればシリウスのそれは、あの先生の笑顔よりも少しだけ儚げなのだ。
永いことアズカバンに居たことの影響で、父さんが死んでしまったことの影響で、それを自分のせいだとまだ思っていることの影響だろうと、ハリーは察していた。
「――おっと、頼まれて承諾したのだからきちんとしなければ」
尻尾をぶんぶん振っている気すらする喜びに満ち溢れた態度でハリーに話しかけ続けていたシリウスは集まっている生徒の数の多さにそこで初めて気がついた様子で、急に落ち着いた態度に戻って、ハグリッドの畑から溢れ出すようにしていくつも実っている寝床みたいなサイズのカボチャを背にしたまま、10年以上ホグワーツで教師をしているかのような堂々とした立ち姿で、集まった生徒たち全員を相手に話し始めた。
「皆、まずは適当に座ってくれ。誰だこいつはと訝しんでいる子も多いだろう。だがそれも当然。だってこうして今ここに立っているのが私だって時点できみたちにとっては『ガッカリ』だ……お察しの通り、私はきみたちが期待する『例のあの先生』じゃない。だがきみたちに事前告知された今回の授業内容は偽りじゃあない。皆の中には良く知ってる顔もたくさんいるけれど――」
こう改めて見てみるとシリウスって前より顔色良くなったよなと、ハリーは独り安堵している。
「――どうか『はじめまして』と挨拶させてほしい。なにしろこんな大勢の生徒の前で授業だなんて初めての経験でね。はじめましてホグワーツの活発な生徒諸君。私はシリウス・ブラック。そうだよ、そこのレイブンクローのレディ。そうだ。きみが今思い出した『そのシリウス・ブラック』で間違いない。12人のマグルを殺害した咎でアズカバンに収監されていた、アズカバンの公式記録に初めて脱獄囚として名を刻まれた、そして本当は12人のマグルを殺してなどいないと、全くの冤罪だとウィゼンガモットが評決を下し晴れて無罪放免された、あのシリウス・ブラックだ」
そこでシリウスは集まった生徒たちの中に見知った顔を新たに発見し「お久しぶりですスラグホーン先生」と、自分が生徒だった頃も魔法薬学講師をしていたセイウチのように太った老教授へ視線を向けて、あたかもまだ自分が生徒かのような丁寧さで挨拶をした。
「さて、事前告知は偽りじゃないと言った通り、きみたちに今回の授業をするのは例のあの先生だ。すぐ来るよちゃんと。1年生諸君はピンと来ないかもしれないが大丈夫。あの先生のことは誰でも1回で覚えられる――ところで、そこのきみはもしやミスター・『セルウィン』だったりするか? お父上に目がそっくりだな……ミスター・セルウィン今きみが表情に出してしまっていた疑問は抱いて当然のものだ――『教師じゃないならお前はここで何してるシリウス・ブラック?』」
また言葉を切ったシリウスは、そこでなぜかハリーたちから見て右に半歩だけ移動した。
「何を隠そう私は今回のこの授業に『教材』として招聘された。そしてお察しの通り、私は唯一の教材ではない――クリーチャー!」
「なんの用ですかシリウス様。クリーチャーは御屋敷の床を磨いていましたのに」
不愉快だけれど呼び出しに応じてあげましたよという不遜な態度を隠そうともしないその老いた生き物は1枚のボロ布だけを身にまとっていて、それだけで充分に全身を慎ましく覆ってしまえるほど、ホグワーツの1年生の誰と比べても大差がつくほど小柄で、痩せていて、尖った大きな耳は先端が垂れ下がっていて、ぐりぐりとした大きな目には偏狭さを示すような影が宿っていた。
こんな生き物は初めて見たと顔に書いてある一部の1年生たちがザワザワと落ち着きを失くしている中、ハリーの視界の隅にあるハグリッドの小屋から、値が張りそうな艶をしている黒のズボンと真っ赤なグリフィンドール寮のベストの上からドラゴン皮のコートを着て首にはスリザリン寮のマフラーを巻き、トカゲの目玉を模しているらしい橙と緑の派手なゴーグルをした、20代前半くらいにしか見えない色白の魔女が、ハグリッドと神秘部職員のクローディアを伴って現れた。
ハグリッドが隣にいるのでクローディアは普段よりもっと小柄に見えたし、クローディアが隣にいるのでハグリッドはより一層大きく見えた。
「やあ皆。ちょうど時間だから始めようか。告知した通り今回のテーマは『屋敷しもべ妖精』だ」
派手なゴーグルをした魔女はそう言いながらシリウスの背後にいくつも実っている大きなカボチャのひとつに腰掛け、あたかも自分は講師ではなく観客だとでも言うかのようにどこからともなくステッカーだらけの旅行カバンを取り出してそれを開き、中からのっそり出てきた角のあるヘビが身体を這い登ってくるのをくすぐったそうに見つめる。
「おはよう。まだ脱皮できないかいマールヴォロ」
〈かゆい。見えない。こわい〉
「大丈夫だよマールヴォロ。僕が見てるからね」
角のあるヘビは派手なゴーグルをした魔女の膝の上で蜷局を巻いてうねうねモゾモゾと絶え間なく身体を動かし続けていて、そこから数歩も離れていない位置の芝生にどっかりと座ったハグリッドはどうやら隣でモゾモゾ動き続けているマールヴォロが気になるらしく、一度ハリーと目が合って微笑んだ後は、これが自分が受け持つ教科の授業だなんてことは忘れてしまったかのように、カボチャに腰掛けている派手なゴーグルの先生の膝の上のヘビだけに視線を注ぎ続けている。
そんな比較的平和な光景のすぐ手前で、シリウスとクリーチャーは既に口論を始めていた。
「クリーチャーお前また私がコレクションしてたポスターを何枚も勝手に暖炉に焚べたな」
「シリウス様はヴァルプルガ様がコレクションなさっていた大切な家宝をあのような薄汚い輩に引き渡して売ろうとなさいました」
まったくどこにも座ろうとしないクローディアが好奇心に満ち溢れたまんまるの目でじっと見つめているのにもかかわらず、シリウスとクリーチャーはお互いを思いっきり睨んでいる。
「クリーチャーおまえ、
「シリウス様にお伝えできる内容をクリーチャーが知っていたらクリーチャーはお伝えします」
そうして口喧嘩をやめる気配が無いシリウスとクリーチャーを放ったらかしたまま、うねり続けるマールヴォロを膝に乗せた派手なゴーグルの先生は構わず授業の本題に入ってしまった。
「じゃあまず、家に帰ったら屋敷しもべ妖精が居るよって子は手を上げてくれるかな? はいありがとう。じゃ屋敷しもべ妖精が何なのかもよく知らないって子は? ありがとう手を下ろしてね」
先生が喋り始めたのに、シリウスはクリーチャーを問い詰めるのをやめない。
しかしこのシリウスとクリーチャーの現状の関係性それ自体が、こうしてしょっちゅう言い争う姿そのものが今回の授業では素晴らしい教材になると、その派手なゴーグルの先生は考えていた。
「命令だクリーチャー。お前が知っていることを私に全て話せ」
「お伝えできるようなことをクリーチャーは何も知りません」
「がるるるるる……!」
ついにクリーチャーを威嚇し始めたシリウスは、クリーチャーが「ご主人様の命令」に独自の優先順位を付けていることはちゃんと察していた。
シリウスの曽祖父の弟にあたるフィニアス・ブラックからの命令を至上としているからこそ、あのフィニアス・ブラックからの「どうかシリウスを助けてあげて」という命令があるからこそクリーチャーはベラトリックスではなく自分やハリーに味方してくれるようになったのだ、というシリウスの推測は概ねクリーチャーの心情を正しく見抜いていたが、一部は決定的に間違っていた。
シリウスは、クリーチャーにとっての優先順位の頂点が誰なのかを、未だに知らない。
「ところで今回の授業はちょっといつもと違うんだけれど、どこが違うか判るかな? 普段の魔法生物飼育学の授業や前にニュートンくんが皆にしてくれた授業で取り扱った生き物たちと、今回取り扱うテーマである『屋敷しもべ妖精』との違いを誰か答えられるかな?」
派手なゴーグルの先生からの問いかけに鋭く反応して勢い良く手を上げたのはハーマイオニーとアーニー・マクミランにセオドール・ノットとラベンダー・ブラウン、そして生徒たちの最前列で今日もマファルダを間に挟んで仲良く座っている1年生のフローラとヘスティア・カロー。
「んー、それじゃあミス・ブラウン」
先生はカボチャに座ったまま授業を続けるが、その手前に並んで立っているシリウスとクリーチャーは相変わらず互いに譲る気配のない言い争いを続けている。
「シリウス様はあのような血を裏切る者共のねぐらにいつまでも間借りするべきではありません」
「その言葉は禁止したはずだぞクリーチャー」
「シリウス様はクリーチャーがあの一家の者共を罵ることを禁止なさいました」
さすがにみっともないよとシリウスに伝えるべきかと迷っているハリーの耳は、横から聞こえてきたザビニの呟きを拾った。
「……さてはあの屋敷しもべ、『血を裏切る者』という言葉を罵りではなく正当な評価だと考えているな。そしておそらくシリウス・ブラックは『この人たちを罵るのは禁止だ』とでも命令した」
ああそりゃそうかと、ハリーはザビニの推測を聞いて納得した。
この場合、仲直りしたというのはそれ即ち、未だに仲が良くないということも意味するのだと。
主従関係こそシリウスの命や不死鳥の騎士団やハリーを脅かさない状態に改められたシリウスとクリーチャーではあるが、しかし相変わらずお互いのことが嫌いでもあるのだろうと。
「先生わたし喋ってもいいのよね?」
「もちろんどうぞラベンダーくん」
派手なゴーグルの先生に確認せずにはいられなかったらしいラベンダーは言い争い続けているシリウスとクリーチャーへ咎めるような厳しい視線を投げかけてから、一呼吸置いて口を開いた。
「屋敷しもべ妖精は、魔法界の法律を理解し、遵守し、社会の一翼としての責任を担えるだけの能力と知性ならびに理性を有すると一般的にみなされており、獣扱いされることはありません。そして、ヒトがそうであるように『飼育』という表現が用いられることも通常はありえません。労働力を必要としている者や、大きな屋敷を掃除しきれていない家庭などがあると屋敷しもべの方から訪ねてきて『雇いませんか』と提案がなされます。ですから屋敷しもべは常に飼育ではなく『雇用』あるいは――もちろんあまり良い言葉ではないけれどこれが現実だから――『使役』されます」
ラベンダー・ブラウンはそこで発言を終え、先生から1点を獲得したが、しかしセオドール・ノットとカロー姉妹、そして7年生のセルウィンくんは未だに挙手し続けていた。
「誰に対しても、独り言でも、『血を裏切る者』という言葉を決して使うなクリーチャー」
「シリウス様はあのような『尊き血族の恥晒し共』と交流し続けるべきではありません」
重ねに重ねた年齢ゆえか、クリーチャーの語彙はシリウスよりも遥かに豊富であるらしく、シリウスがいくら侮蔑的表現の使用禁止を言い渡してもほとんど意味を成していない。
聞き捨てならないはずの酷い用語をクリーチャーは繰り返し用いているのに、終わる気配すらないシリウスとクリーチャーの言い争いが、ハリーには何故か滑稽に見えてきていた。
クリーチャーに何度も表現を変えてまで悪しざまに言われているのは自分と自分の家族だと理解していないわけはないのに、ロンはハリーの隣でまったく怒りもせずに、それどころかポップコーンでも持ってるかのようにのんびりと笑っている。
「忌まわしき一族。伝統を踏み躙る者共。自らの血統に唾を吐いた愚か者共……」
「そんなにずっとイライラしてたら便秘になるぜクリーチャー」
侮辱も罵倒もどこ吹く風といった態度のロンは、そう言い放ってクリーチャーを笑い飛ばした。
「生ゴミにたかる蛆虫がクリーチャーに話しかけている……レタス喰い虫にも劣るマヌケ面をクリーチャーに向けている……クリーチャーは取り合わない……クリーチャーは返事をしない……」
「私の友人を侮辱するなクリーチャー!」
シリウスは怒っているが、ロンは相変わらずまるで気にする様子が無い。
「いーよシリウス。年寄りの気晴らしを取り上げるべきじゃない」
「そうよシリウス。私たちはクリーチャーがへそ曲がりだって知ってるもの。子供なんだったら叱ってあげるべきだけど、お爺さんを叱ったって時間の無駄よ」
ジニーもロンに同意したが、その声色にはクリーチャーに対するキッパリとした拒絶があった。
どれだけ酷い侮辱でもそれが自分に向けられたものならさほど気にしないというのは、ロンやジニーら兄妹だけに限らないウィーズリー家の人々に広く見られる尊敬されるべき特徴だった。
ウィーズリー家の人々は常に、他者のためにこそ激怒するのだ。
自分が2年生の時、ドラコに「穢れた血」呼ばわりされたあの時。ロンとフレッドとジョージがいったいどれだけ怒り狂っていたかを、ハーマイオニーは未だにハッキリと覚えている。
その場に居たグリフィンドール生が1人残らず怒ってくれたあの経験は、今やハーマイオニーにとっては掛け替えのない「嬉しい思い出」のひとつだった。
「どうぞミスター・ノット。僕の代わりに『屋敷しもべ』について追加の説明をしてくれるかい」
先生がノットを指名したことで、ハリーたちの意識は再び授業内容へと引き戻された。
「屋敷しもべは道具だ」
あえて、ノットは迂遠な言い換えなどせずにそう言い切った。
「屋敷しもべと契約した主人である魔法使いや魔女の多くがそう考えているために、屋敷しもべが使役されているのが日常の光景である家庭で育った子供も、自然とそのように理解する。僕もそうだ。家に帰れば屋敷しもべが居るのが僕にとっての『普通』で、屋敷しもべにとっての最高の喜びは労働と奉仕だと、僕は我が家に仕えてくれている屋敷しもべからそう教わった。我がノット家に仕えている屋敷しもべのヴロンク曰く、屋敷しもべにとっての生きる意味とは御主人様の命令を遂行することであり、それができないこと以上の絶望など無く、休暇とは最も残酷な刑罰だそうだ」
そう話すノットは明らかに、ハーマイオニーの表情を視界に入れまいと気をつけている。
「しかし屋敷しもべに関して一部の魔法族が誤解している点もある。それは、屋敷しもべにとっての最高法規は御主人様の命令であり労働と奉仕こそが喜びだが、しかし屋敷しもべにも喜んで従う命令と受け入れ難い命令があり、好ましい雇用主と好ましくない雇用主がいるという点だ。屋敷しもべは忠実だが、好ましくない主人に対しては極めて狡猾になる。それでも決して命令には逆らわないが、命令を恣意的に解釈し、抜け道を探し、主従関係を解消するチャンスを狙う。これは生き物なのだから当然と言えるが、屋敷しもべを使役することに慣れきった者ほど忘れがちな事実だ」
発言を終えたノットは自己弁護でも始めそうな顔でハーマイオニーを見たが、ハーマイオニーは何やら聞き取れない声量でブツブツ呟きながら考え込んでいて、誰の方をも見ていなかった。
一方、シリウスとクリーチャーはと言えばついにクローディアの存在に気づいたらしく、どちらからともなく言い争いをぱたりとやめて、2人して一言も発さないクローディアを見つめている。
「あなた様はフィニアス様のひひ孫さまだとクリーチャーは聞き及んでおります」
クローディアのことをほとんど伝聞でしか知らないクリーチャーでも流石に様子がおかしいとは勘づいたのか、クリーチャーにしては珍しく心配そうな表情をしている。
しかしクリーチャーと目が合ってもなお、クローディアはぽんやりとした表情のまま、何をするでもなく何を言うでもなく、普段の活発さはどこへ行ったのやら、微妙に右へ傾いたり左へ傾いたりを繰り返しながら、まるでそういうオモチャかのように、倒れそうで倒れない。
「ねえクローディア」そんな振る舞いがとうとう看過できなくなったのか、派手なゴーグルの先生は大きめの声で呼びかける。「ぼく一応きみの上司だからさ、訊く義務があるんだけどねえ――」
「――最後に寝たのは何日前の何時頃なのかなクローディア?」
こりゃダメだ、というその先生の呟きに、シリウスもクリーチャーも表情で同意を示した。
そしてその先生はカボチャに座ったまま、いつの間にか取り出していた杖に向かって宣言する。
「神秘部部長から緊急連絡。クローディア・クランウェル=ブラック上級研究員の安全管理義務違反が発覚したため、同研究員を現在から24時間の研究禁止処分とする――みんな聞こえたかい? クローディアったらまーた48時間以上連続で起きてたみたいだからね、今から寝かしつけます。なので向こう1日クローディアを働かせないでね。たっぷり休む必要があるから。連絡終わり」
放っておくと意欲と好奇心だけに従っていつまででも職務に邁進し続けてしまう無言者たちの心身の健康と生活態度の健全さを強制的に担保するための規則が、神秘部には数多くあるのだった。
「レヴィオーソ! ごめんね皆、授業に集中できないよね……話を戻そうね」
空中に浮き上がらせたクローディアに杖を向けて呪文で創り出した毛布で包みながら、その先生は生徒たち全員に謝罪した。
クローディアの寝言がしっかり聞こえたその先生は全身ベッチャベチャにしながら食事を終えたニーズルの赤ちゃんを洗ってあげている時と同じ笑顔をしながら、クローディアを杖で操って空中浮遊させたまま運搬し、周囲に実っている中でも一番大きなカボチャの上に乗っけた。
毛布でくるまれたことがキッカケとなったかのように速やかに入眠し今もう既にすうすうと寝息を立てて静かに熟睡したクローディアからホグワーツの生徒たちへと視線を戻した派手なゴーグルの先生は、困ったような微笑みから、経験の豊富さが滲み出るような教師の笑顔に変わった。
「まーったくもう……じゃあ、まあ。そうだね今の、この状況から訊こうか。知ってる人も多いと思うけど――屋敷しもべ妖精に対して雇用主が衣服とか靴下とか帽子とかマフラーとかそういう『着るもの』をプレゼントすると、それは解雇通告としての意味を持ちます。では、僕が今このクローディアにしたみたいに『毛布をかけてあげる』という行為を、仮に自分が雇用している屋敷しもべ妖精に対して行った場合、クビだと言い渡したことになるか、ならないか? お。いいね一番早かった。どうぞ言ってごらん、ミスター・ナイジェル・ウォルパート」
指名してもらえたのが嬉しいらしいマグル生まれのナイジェルは、今までの授業の内容に以前ハリーやダフネに教わった知識を組み合わせて、自分なりの答えを導き出す。
「毛布を贈った『御主人様』がその屋敷しもべ妖精に、めーっちゃ嫌われてたら、屋敷しもべ妖精がその毛布を、クビだって受け取ることもあると思う、思います。逆に屋敷しもべ妖精が出て行きたくなかったら『クビってことですか』って御主人様に訊いたりとか、それか毛布を『着るもの』だとは解釈しなかったりってこともあると思います。だから、毛布が着るものかどうかはそれを受けとった屋敷しもべ妖精が決めることで、贈る側がどう考えてるかは、きっとあんまり関係ない」
ナイジェルの意見を聴き終えて「素晴らしい。よく考えたね」と褒めてからグリフィンドールに1点与えたその先生は、一瞬だけ自分の膝の上でモゾモゾとうねり続けているヘビのマールヴォロに視線を向けてから、何か問いかけるでも挙手を促すでもなく、いきなり生徒を1人指名した。
「ではミスター・セルウィン。きみが、きみんちの屋敷しもべ妖精に、仮に毛布を渡したとしたら、きみんちの屋敷しもべ妖精はそれをどのように解釈するだろうか?」
唐突に発言を求められた7年生のセルウィンくんはしかしまったく焦ったりなどせず、それどころか考え込む様子すらほとんどなく、すぐさま回答を述べた。
「単に『これを綺麗に洗濯して乾かしておけ』って意味に捉えるかと」
先生は回答してくれたセルウィンくんに感謝を述べると、別の相手に同じ質問を投げかける。
「じゃあクリーチャー、きみは仮にシリウスくんから毛布を渡された場合、どう受け取るかな?」
「シリウス様がクリーチャーに毛布をくださるなどということがもしもあったなら、その時はクリーチャーは不可逆の自由を与えられたと解釈します。ですからクリーチャーは、フィニアス様から以前に賜った命令に従い続けます。クリーチャーはシリウス様をお助けしなければなりません。ですがシリウス様がクリーチャーに毛布をくださったならシリウス様はもうクリーチャーの御主人様ではありませんので、クリーチャーはシリウス様からのご命令を聞かないことができます」
永いことブラック家に仕え続けているその老いた屋敷しもべは一切の逡巡をせず即答した。
これを本人の前でハッキリ宣言するようになっただけ、シリウスとクリーチャーの関係性は改善されたとも言えるだろう。
「それは、そうなったらきみはシリウスくんの命令を聞くことが『できない』って意味かい?」
「フィニアス様かマリウス様がクリーチャーにシリウス様からの命令に従うことを禁ずるとご命令なさったのでない限り、クリーチャーはシリウス様からの命令に従うことも許されています」
「喜んで従うかい?」
「フィニアス様がそうせよとご命令くださいましたらば、クリーチャーは喜んでシリウス様のご命令に従います。御主人様の命令を遂行することこそが屋敷しもべの幸福です」
クリーチャーの発言の意味がよく解らず隣の友達や近くの先輩あるいは兄や姉などに解説を求めるような視線を投げかけているのはナイジェルと並んで最前列に座っているデニス・クリービーだけではなかったが、そんな一部の生徒たちの混乱はホラス・スラグホーンによって終息する。
「いいかね先生? つまりクリーチャーきみは、契約上の御主人様であるシリウス・ブラックが禁止しない限り、きみ自身の心に従って自ら選んだ御主人様にも忠誠を誓い、その命令に従うと、そういうわけだな? きみは、きみがブラック家と――わしが4歳だった頃もうすでにお爺さんだったきみがブラック家の誰と最初にそうしたのかは知らんが――結んだ雇用契約を根拠として?」
スラグホーン家もまた、ノット家やブラウン家やセルウィン家などと同じくらいには純血だとされている、古く由緒正しい名家である。
「クリーチャーは純血の由緒正しいブラック家にお仕えしております」
ロンが吐く真似をしたのがハリーの視界の端に捉えられたが、それよりもクリーチャーの目の前で思いっきり顔を顰めたシリウスの方にハリーは注目していた。
「クリーチャー」スラグホーンが続けて問う。「ブラック家の存命人物の中で、きみが命令に従ってもいいとされているのは誰か、教えてもらえるかな」
「フィニアス様と、マリウス様と、シリウス様です。マリウス様には奥様もお子様もお孫様も居られるとクリーチャーはお伺いしましたが、クリーチャーはこれらのご家族様とお会いしたことがないので、クリーチャーがマリウス様のご家族様の命令に従うことをご家族様方が許してくださるかどうかが判りません。そしてフィニアス様のご家族様は『クランウェル=ブラック家』を名乗っていると聞き及んでおります。クランウェル=ブラック家は、ブラック家ではありません。しかしフィニアス様は言わずもがなブラック家のご出身であり、お父上であらせられるフィニアス・ナイジェラス様はフィニアス様を勘当したことを生涯に渡ってとても悔いておられましたので、フィニアス様ご自身だけは未だブラック家の成員でもあられると、クリーチャーは考えます。ですのでクリーチャーは、フィニアス様と、マリウス様と、シリウス様。この御三方に従うことができます」
クリーチャーの声にはあまり抑揚が無いので聞き取り辛かったが、しかしスラグホーンが皆の前でクリーチャーにこれを言わせた意味はデニスもナイジェルも、他の生徒たちも理解できた。
屋敷しもべ妖精にも自分の考えや意見、主義信条があるのだ。
「ではクリーチャー」スラグホーンがさらに続けて問う。「そのフィニアス・ブラックとマリウス・ブラック、そしてそこに居るシリウス・ブラックから別々に与えられた命令が互いに矛盾していたら、きみはどうするのかね? 例えば1つしかない品を3人全員が『持って来い』と言ったら」
デニスもナイジェルも、そしてコリンもセルウィンくんも、ラベンダーもハリーもノットもこの問いを難題だと思ったが、ハリーたちの予想に反してクリーチャーは一切悩まなかった。
「まずフィニアス様に品物をお渡ししてからマリウス様をフィニアス様のところまでご案内し、それからシリウス様をフィニアス様のところまでお呼びします」
クィディッチの試合が始まる直前のドラコがハリーに見せるものによく似た挑戦的な表情をクリーチャーへと向けているシリウスは、気を悪くなどしていないとアピールしたいらしかった。
「つまりきみにとって『最優先の御主人様』がフィニアス様で、次がマリウス様、3番目がシリウスというわけか。これは察するに生年の早さと、きみにとっての『好ましさ』で決まっている」
「仰るとおりですスラグホーン様」
「そのフィニアス様が『シリウスの言うことを聞くように』と命令を下さったので、きみはあんまり好きになれないシリウス様にも、喜んでお仕えできる理由を得たというわけだね」
「仰るとおりですスラグホーン様」
クリーチャーがスラグホーンからの問いかけに肯定を返しつつシリウスの目を見て厭味ったらしくニヤリとしたのは、今のやり取りの中で既存のどの命令にも逆らうことなくシリウスに対する嫌悪を吐露できたからに他ならないと、ハリーは鋭く察した。
そして、ついに脱皮を開始したヘビのマールヴォロを優しく見守っていた派手なゴーグルの先生が、クリーチャーに問う。
「じゃあクリーチャーきみは、シリウスくんから与えられた命令を無視したり、逆らったりするかい? シリウスくんから何か命令されて『そのくらい自分でやれよ』と返す可能性、あるかい?」
「御主人様からの命令に逆らうことは屋敷しもべにとって最大の罪であり何よりも恥ずべき行いです。そのような行為を想定するだけでもクリーチャーは極めて不愉快です」
その回答が意外だったらしいデニスとナイジェルを始めとする一部の生徒たちが驚きの声を上げ、ハグリッドの小屋の前で行われている特別授業は一瞬だけ騒がしさに包まれた。
「なるほど。ありがとう。不愉快な質問をしてごめんねクリーチャー」
「『貴様など視界に入るだけで不愉快なのだから、好ましからざる質問程度の不愉快などはバジリスクの毒にドクシーの糞を混ぜるようなもので、有ろうが無かろうが同じだ』」
シリウスは今クリーチャーが先生に到底赦し難い無礼千万な暴言を吐いたと思って罰を与えようとしたが、それより早く当の派手なゴーグルの先生が、嬉しそうに大きな声を出した。
「あー! それブラック校長の真似だねえクリーチャー! そーっくり! その喩え面と向かって言われた気がするもの! ねえねえもっかいやってもっかい!」
「『黙れ』」
すごいすごい似てる似てると大喜びし始めた先生をシリウスだけでなく皆が呆気に取られて見つめている中、スラグホーンだけは「確かにあんな風だった」と呟いて、自分が生徒だった頃のホグワーツ校長たるフィニアス・ナイジェラス・ブラックを懐かしく思い出していた。
クリーチャーはこの派手なゴーグルの神秘部部長について誰からも特にどのように接しなさいとも命令されておらず、かつてフィニアス・ナイジェラスから与えられた「追い出せ」という指示はその日の内に撤回されたとハッキリ覚えているので、クリーチャーはこの派手なゴーグルの人物に対する接し方を、己の心だけに従って自由意志で決定できるのだ。
そしてクリーチャーは、敬愛するフィニアス・ブラックとマリウス・ブラックから、この神秘部部長がどれほど自分たちに良くしてくれたのかを以前事細かにお聞かせいただいた。
さらにそれだけでなく先日シリウスがクリーチャーに見せた「炭クズと化したロケットの残骸」が、他ならぬその神秘部部長によって破壊されたものだと、シリウスからその品について問い詰められた際にクリーチャーは知った。
御主人様からの命令を完璧に遂行できないことは屋敷しもべにとって恥であり罪である。それが御主人様から最期に賜った命令であれば尚更である。
「クリーチャーはあなた様に感謝こそすれど、謝罪などしていただく謂れはございません」
「きみがシリウスくんと、まあそれなりにお互い妥協して、ある程度だけでも仲良くしてたほうがフィニアスくんもマリウスくんも喜ぶと思うよクリーチャー。一緒に寝ろとは言わないからさ」
派手なゴーグルの先生が微笑みながらそう言うと、クリーチャーは思いっきり顔を顰めた。
「クリーチャーは努力をしていますが、シリウス様が偏屈なのです」
「がるるるるるる……!」
またクリーチャーを威嚇したシリウスの姿は、ハリーの苦笑いを誘った。
「面白い子だねえシリウスくんは……さあ、それじゃ次だ。今まで出た『屋敷しもべのルール』を思い出してね。御主人様に忠実で、人並みに感情も好き嫌いもあって、嫌だとしても御主人様に逆らうことはなく、しかし指示を自分に都合の良いように捻じ曲げて解釈することがあって、衣服を与えることは解雇通告を意味する。これらを念頭に、きみたちには2人の屋敷しもべを紹介したい。今回の授業の教材としては特に興味深い例だと言えるだろう……まずは……ペニー!」
「はい只今。ペニーに何か御用でしょうか」
バチンと大きな音を立てて「姿現し」したその屋敷しもべ妖精は、可愛らしい花の飾りがついた素敵な帽子を被っていた。
「見て見てペニー。今マールヴォロが頑張って脱皮してるんだよ」
「誰の助けも借りずにですか? 偉大な挑戦です!」
「そうなんだよね……ほらペニーここ座って僕の隣。このカボチャおっきいからさ」
デニスとナイジェルがその屋敷しもべ妖精の姿を改めて観察して驚くことができているのは、彼らがここまでの授業内容をきちんと理解できている証拠だと言えた。
「そうだよ。そう言えばペニーって帽子を被ってるよナイジェル」
「帽子も『着るもの』だよね? 去年は僕なんとも思ってなかった……」
小声で相談しているデニスとナイジェルなどとは違ってその驚きを去年すでに経験していた生徒たちやハリーを始めとする何も驚いていない者たちは、次はその話かと既に先回りして納得を済ませ、これからあの先生が何をどのように語るのだろうかという予想を心の中で始めていた。
「どうしてかしら」「おかしいわよね」
マグル生まれのデニスとナイジェルと同じかそれ以上に、純血を標榜する由緒正しいカロー家出身の双子の姉妹フローラとヘスティアが驚愕している。
フローラとヘスティアは心の支えを欲するかのように左右からお友達のマファルダにきゅっと身体を寄せたまま、2人揃って挙手して「質問がしたい」と先生に示した。
「どうぞ。訊きたいことがあるんだね? 言ってみて僕にでもペニーにでも、自由に」
先生が許してくれたので、フローラとヘスティアは2人仲良く口を開く。
「あなた」「ペニーって名前なのね」「あなたどうして帽子を被っているの」「それってクビになったってことじゃない」「でもあなた今その先生に呼ばれてすぐ現れたわよね」「なぜかしら」
素敵な帽子を被った屋敷しもべ妖精のペニーは激しくうねって脱皮を敢行しているマールヴォロからフローラとヘスティアに視線を移し、2人からの質問に快く答えてくれた。
「ペニーの前の御主人様は、悪い御主人様でした。ペニーはお店でお客様に商売をするのが好きでしたが、前の御主人様はお店を使って他の方々を陥れ傷つける手伝いばかりをペニーに命令しました。ペニーは御主人様の命令に従いました。お店が売りに出ていると伝えて、購入なさった方を店の奥に案内して、そこにある大きなチェストボックスの中へ入るように促すのです。誰もそこから出てきませんでした。ですがある時、ついにホグワーツの5年生の生徒がチェストボックスの中に入って行って、しばらくすると出てきました。それもファスティディオと仲良くなって!」
ファスティディオって誰だろうと疑問を抱いたのが表情に出ている生徒も少なからず居たが、誰もペニーの話に割り込もうとはしなかった。
「そしてその5年生の生徒はペニーの前の御主人様と対決して、前の御主人様は逮捕されました。そして、その時の契約ではペニーはその店の備品のような扱いでしたので、店の主が前の御主人様からその5年生の生徒に替わった時、ペニーの雇用主もその生徒になりました。そしてその方はペニーに帽子をくれて、ペニーのやりたいようにしていいと仰ってくださいました。ペニーの一番やりたいことは、その店で商売をすることでした。ですからペニーは帽子を受けとって、お店に残りました。それからずっとペニーはそうしています。お店で商売です。ですからペニーには御主人様は、もう永いこといません。その代わりペニーには、ペニーを家族だと言ってくれる方々が居ますから、その方々のご命令にならペニーは喜んで従います……ペニーはずっと幸せです!」
「どうだいきみたち。超かわいいだろうペニーは」
普段まるで表情が変わらないフローラとヘスティアは2人揃って大いに戸惑っているのが顔に出ていて、彼女らの中にずっとあった常識がたった今崩れたばかりなのだとハグリッドにも判った。
しかしフローラもヘスティアも、ここからさらに驚くことになる。
「それで、ペニーに似た例がこのホグワーツにもある。ハリー・ポッター、僕がこれから誰を皆に紹介するのか判るね? きみが呼んだほうが、僕がそうするよりもずっと喜ぶよね?」
先生が誰の話をしているのか、ハリーはもちろん察せていた。
「……ドビー?」
「ハリー・ポッター!」
ハリーに呼ばれたのでハリーの目の前に「姿現し」した屋敷しもべ妖精のドビーが靴下を履いていることに、ハリーの近くの生徒から次々に気づいた。
一方、ドビーはハリーのすぐ近くに見知った顔を見つけて、少し萎縮した態度で挨拶した。
「…………お久しぶりですセオドール・ノット様」
「久しぶりだなドビー。お前が安心するために必要だろうから一応伝えておくがマルフォイの奴は今ここには居ないぞ。あいつは自由参加の特別授業より『個人的な用事』を優先した」
「お気遣いありがとうございます。ですがドビーはご心配には及びません。ドビーはもうマルフォイ家の皆様にお仕えしてはいませんから」
そこでハリーがドビーに今なにをしていてなぜ呼んだのかを伝え、ドビーはすんなり納得して生徒たち皆から見える位置へと、シリウスのすぐ隣へと歩いていった。
「きみの今の御主人様は誰だいドビー?」
派手なゴーグルの先生がカボチャに座ったまま訊ねる。
「ドビーはホグワーツで働いています。ですからドビーの今の御主人様はアルバス・ダンブルドア校長先生ということになります。ですがドビーの気持ちは自由です。アルバス・ダンブルドアがドビーにとても良くしてくださるからです。アルバス・ダンブルドアは偉大な魔法使いです」
「ホグワーツで働いている屋敷しもべ妖精はきみだけかいドビー?」
「まさか! ホグワーツではとても大勢の屋敷しもべが働いています。ホグワーツのキッチンはホグワーツの大広間の真下にあります。ホグワーツで働く屋敷しもべは皆そこに住んでいます。ホグワーツができた時にヘルガ・ハッフルパフその人に雇っていただけた幸運な屋敷しもべたちが作ったとされている、樽を積み上げて組み合わせた素晴らしい宿舎がキッチンの隅にあるのです」
ドビーの言葉には、一昨年までのハーマイオニーにはきっと聞き流せなかったであろう、マグル生まれのホグワーツ生には俄に理解し難い奇妙な表現が含まれていた。
「先生、ドビーに質問をしても構いませんか?」
「いいよぉハーマイオニー。良ーしその調子だよマールヴォロ、上手!」
膝の上のヘビに注目しながらではあるが先生が許可をくれたので、ハーマイオニーは屋敷しもべ妖精のドビーに、この授業をするにあたってこの先生はきっと私がドビーにこの質問をすると期待していただろうと推測しながら、先生の狙い通りだと思えた問いかけを口にする。
「ねえドビー。私には、あなたたち屋敷しもべ妖精の働き方は、当然に保証されるべき権利が全く保証されていない、許されざる隷属に思えてならないのだけれど。だって――あなたがそうじゃないのはハリーから聞いたけど――休暇も給金も全くゼロでしょ? 屋敷しもべって。ホグワーツでだって、炊事と洗濯は全部あなたたち任せで、掃除もほとんどあなたたちがしてるわよね。なのに私たちときたらあなたたちに『いつもありがとう』の一言も無しで、どころかいつも自分が食べてる食事を誰が作ってて誰がシーツを洗濯してくれてるのかを考えもしない生徒だって大勢いるわ。なのにホグワーツで、そんな扱いで使役されることが、あなたたちの幸せなの?」
ハーマイオニーのこの問題提起にドビーが返答するよりも早く、挙手した生徒がいた。
「どうぞ。ミスター・ロナルド・ウィーズリー」
派手なゴーグルの先生がもう完全にマールヴォロの脱皮の応援に全力を注ぎ始めてしまっているのを振り向いて確認したシリウスが、やむなくその先生の代わりに発言の許可を出した。
「僕が思うに、確かに僕らホグワーツの屋敷しもべたちにお礼ぐらい言ったっていいと思うけど、ドビーがホグワーツで働き始める前、ドビーの御主人様はルシウス・マルフォイだったんだぜ? 働きたいかよハーマイオニー? ホグワーツを蹴ってまでマルフォイ家で!」
パンジー・パーキンソンとセオドール・ノットから思いっきり睨まれているが、そんなことを気にするようなロンではない。
そして当のドビーはと言えば、どうやら「もう御主人様ではないとはいえかつては御主人様だったのだからこんなに大勢の方々の前でこき下ろすなどしてはいけない」というドビーにとっての道徳と「でもドビーの前の御主人様は悪い御主人様だった」という認識との間で大いに心が揺れ動いたらしく、なにやら聞き取れない早口でブツブツと独り言をまくし立てた末に、さらに10秒ほど沈黙とともに熟考してから、ようやくドビーは嘘も言わず道徳にも反しない言い回しをひらめいた。
「ダンブルドア校長は、ドビーに『罰として手にアイロンをかけろ』とはお命じになりません」
今まさにロンへぶつけるつもりだった言葉をノットが胸にしまったのが、ハリーには察せた。
「マルフォイの奴はきみにそんなことを指示したのかドビー?」
片方の眉だけを吊り上げたシリウスはそう再確認せずにはいられなかった。
「いつもその罰ばかりだったわけではありませんが、そうです」
ルシウス・マルフォイに対する罵倒が喉まで来ていたシリウスはどうにかそれを声に出さず堪え、その代わりに生徒たちに向けて、落ち着いた表情で話しかけた。
「屋敷しもべ妖精が居て当たり前という家で育った者の多くが、屋敷しもべのことを道具だと考えている。この考えを間違っているとは私は言わない。だが思い浮かべてみてほしい。杖を粗末に扱い次から次へと折ってしまってすぐ替えが必要になるような魔法使いが優秀だと言えるだろうか? 大鍋や秤を雑に扱ってはすぐ壊す魔法薬師にフェリックス・フェリシスや脱狼薬が作れるだろうか? バリー・ライアンやビクトール・クラムが箒を乱雑に扱うだろうか?」
シリウスのその言葉は明らかに、生徒たち全員ではなく主にスリザリンのごく一部の生徒へ向けられたものだった。そして実際にナイジェルもデニスもコリンもキョトンとしていたしハーマイオニーは「シリウスったら何を当たり前のことを」という顔をしていたが、一方でセオドール・ノットやパンジー・パーキンソン、ダフネ・グリーングラスにミリセント・ブルストロード、それにフローラとヘスティアなどの面々は、シリウスの言葉に真剣に聞き入っていた。
「……腹が減ってきたんだなクラッブ、ゴイル」
いちおう隣を見てみたら案の定の表情をしていた2人に、ザビニは呆れながら言葉をかけた。
「しかし同時に、屋敷しもべを誤解することも避けなければいけない」シリウスは言葉を続ける。「屋敷しもべは確かに労働を何より好む生き物で、『充分な休暇』や『給与の適切な増額』などが彼らにも与えられるべき権利だという考えは屋敷しもべから生き甲斐を奪うものであり、他者への配慮に欠けた価値観の押し付けという傲慢極まる行いだと、私は考える。もちろん屋敷しもべとて充分な『休息』は確保しなければ死んでしまうし、それは満足に働けなくなるという彼らにとっての絶望に直結するし、暴力を振るって罰することは禁ずる法を制定するべきだと思うが、ゴブリンとヒトの関係性における『商取引』がそうであるように、屋敷しもべとヒトの間には『労働』というものに関して隔絶と表現できるほど大きな価値観の違いがあることを理解するべきだ」
でもシリウスついさっきまでお互いの価値観の違いが原因でクリーチャーと思いっきりケンカしてたよねと、ハリーは内心で思っている。
「価値観の違いが原因で衝突してお互い歩み寄れなかったせいでゴブリンと魔法族の間にどれだけのわだかまりができてるか、きみたちは魔法史の宿題をやってて学んだだろう」
シリウスとてホグワーツの生徒だった頃の魔法史の授業では睡魔に屈していたか、さもなくばジェームズ共々抜け出していたので「魔法史の授業で学んだよね」とは口が裂けても言えない。
「かつて、ポルトガルやスペインやイギリスなんかのマグルたちが新大陸と呼んだ土地に赴いて『自分たちの優れた文化と宗教を与えてあげよう』という名目で何をしたか、知っているだろう」
今度はシリウスは明らかに、ハーマイオニーやジャスティンを始めとするマグル生まれの生徒たちに向けて話していた。
「屋敷しもべに然るべき権利を与えるというのは素晴らしい取り組みだし是非そうするべきだが、このとき屋敷しもべたちにとっての幸福な生活というものがどういうものかを忘れてしまうと、善意の活動で彼らを苦しめることになりかねない。自分たちの価値観だけを押し付けることはあってはならない。それはマグルたちが開拓と称して行った暴力行為と同じものに他ならない」
ハリーが横目に見た限りでは、ハーマイオニーはシリウスから目が逸らせないようだった。
「まあ、ウィゼンガモットの過去の記録を見ても、裁判で屋敷しもべの証言を軽んじたりそもそも証言する機会を与えなかったり、あるいは最初から疑って決めつけてかかったりといったことは即刻やめるべきだと私も思うがな。あの慣習は真実を暴く妨げでしかない。冤罪の元だ」
シリウスがそう締めくくった直後「よおし良くやったなあマールヴォロ!」というハグリッドの大きな声が響き渡ったので、ああ脱皮が済んだんだなあとハリーにも察せた。
「さ。最後にちょっとだけ実技をしようか――ミスター・ザビニ、前にどうぞ」
先生から急に指名されたブレーズ・ザビニは戸惑いながらも立ち上がって、道を開けてくれるかと一言伝えて前列の後輩たちに退いてもらいながら進み出てきた。
「じゃブレーズくんここに立ってね。それでシリウスくんはもうちょっと離れて。シリウスくんもブレーズくんも杖を構えて。お互いを狙って。ただしシリウスくんは構えるだけで、一切なにもしないでね…………さあブレーズくん、シリウス・ブラックから杖を奪え!」
なんでそんなことを今わざわざとかなんとか呟きつつも、ザビニは指示に従う。
「エクスペリ――プロテゴマキシマ!!」
武装解除呪文を中断して唱えた盾の呪文ごと吹き飛ばされたザビニは先生の魔法によって芝生にふわりと降り立ち、目を白黒させながら驚愕している。その光景を目撃した生徒たちの中で全く驚いていないのはハリーを除けば数人だけで、スラグホーンすら目を丸くしている。
「フィニアス様はクリーチャーにシリウス様を助けるようにとお命じになりました」
6年生でも特に優秀なザビニをただ指を軽く鳴らしただけで吹き飛ばしたその老いさらばえた屋敷しもべ妖精を見下ろして、シリウスすらも驚いていた。
そしてザビニは自分が唱えた盾の呪文が自分の杖の先で一切破損も減衰もせずに未だ健在だと気付いて、さらに心の底から驚いたのだった。
自分が今いったい何を喰らって吹っ飛んだのか、ザビニには候補すら思い浮かばない。
「屋敷しもべをあんまりいじめるとね、後が怖いよ。だって彼らみんな、とっても魔法が上手なんだからさ。きみたち6年生は『姿くらまし』の講習会で習ったよねブレーズくん。ホグワーツでは姿くらましも姿現しもできないって。きみたちの中にも自分の家に同じ保護がなされてるって子も居るだろうけど、思い出してみてよ。できてるだろう屋敷しもべは。ホグワーツでも姿くらまし」
そこで死喰い人が自分の家の屋敷しもべにそう命じればホグワーツまで「案内」させることができるのではないかと思い至ったハリーは条件反射でドラコの姿を探したが、さきほどノットがドビーに言ったとおりに、ドラコの姿はどこにも無かった。
その頃ドラコは、ホグワーツの地下階の端、使われなくなって久しい歴史的遺構とすら言える地下牢の近くに来ていた。
「……見つけたぞ。ここだ。あのルックウッド城から続く道の、行き止まりの壁の反対側がここだ。ここが出口だ。この壁さえ、この壁にかかってる保護魔法さえどうにかできれば、そうすれば死喰い人共を連れてこられる…………お前、良くやってくれた。信じた甲斐があった」
見事に任務を完遂してくれたニフラーを、ドラコは抱き上げて撫でてやった。
去るクリスマス休暇をまるまる使って探索したルックウッド城の秘められた遺構の抜け道の行き着く先を塞いでいた壁に、ドラコはあの時ガリオン金貨を貼り付けていたのだ。
「しかしまさか本当に嗅ぎ当てるとはな……あの先生が去年言ってたとおりだな。魔法生物を侮るべきじゃない。僕はもうお前らを軽んじたりしない――」
そこでドラコは大急ぎで口を噤み、何かに突き動かされるように背後へ振り向いた。
「ドラコ、いま、なんて言ったの……」
アストリアが、ドラコを見ていた。
「ねえドラコ、今なにを言ったの……」
ドラコが閉心術を行使するために要した1秒の隙に、アストリアは駆け出した。
原作において、クリーチャーはかつての御主人様から「僕がどうやって死んだのかを誰にも話すな」と命令されています。スリザリンのロケットについて証言することはこの命令に反するため、クリーチャーからスリザリンのロケットに関する証言を引き出せるのは、クリーチャーにそんな命令を遺した人物が死んだ経緯を自力で解明して既に知った者だけ、だと言えます。
なので今回の話の時点では、まだ誰もクリーチャーからそれに関する証言を引き出せません。