●1943年 7月〇日
鏡越しのダンブルドアは、いつも通りだった。
『3巻は、どのような題名かな?』
鏡に現れて早々、ダンブルドアは尋ねてきた。
「『ハリー・ポッターとアズカバンの囚人』ですわ」
『先日、話してくれたブラック家の長男が脱獄する話だね』
「はい。大量殺人鬼のシリウス・ブラックが脱獄した――そこから始まる物語です」
もっとも、シリウスは――と、考えようとしたところで、頭を振って思考を変えようとした。この瞬間にも、ダンブルドアが私の思考を読んでいるかもしれない。原作の展開を楽しみにしてるようなのに、ネタバレを不意打ちで喰らってしまったら申し訳なく思えたのだ。
そんなことを考えていたら、ダンブルドアがくすくす笑っていた。
「アルバス?」
『いや、なんでもない。第三巻も夏休みの描写から始まるのかい?』
「はい。ハリーが『夏休みが大嫌いだ』という話から始まります」
ハリー・ポッターは夏休みが憂鬱だった。夏休み中にある誕生日に興味がなかったし、宿題がやりたくてたまらないといったように、一般的な学生とはかなりかけ離れた夏を過ごしていた。
とはいえ、そうなるのは当然の流れである。
夏休みはダーズリー家に帰ることが義務付けられていたし、まっとうな暮らしを送ることはできない。山のように宿題が出ているというのに、教科書類を筆頭とした魔法界に関係するすべての物を物置部屋に仕舞い込まれてしまうのだ。ハリーは「『教科書が取り上げられたから、宿題ができない』と説明したところで、スネイプは新学期早々に罰則を与える口実ができたと喜ぶだけだろう」と絶望しているし、たぶんそれは間違っていないだろう。仮に、自分の記憶を頼りに宿題をやろうとしても、マグルの紙に鉛筆で書いたものを受理するだろうか? マクゴナガル先生やフリットウィック先生は認めてくれるかもしれないが、スネイプは「指定された様式と違う」とか難癖をつけてきそうだ。
本当、ハリーにとっての夏休みは苦行でしかない。
唯一の楽しみが誕生日であって欲しいのに、まともにお祝いされたことがなかった。
しかし、この年は違う。
ロン、ハーマイオニー、ハグリッドから誕生日プレゼントが届くのである。二人からのプレゼントは具体的に思い出すのは難しいけど、ロンの両親がくじを当て、その賞金でエジプトに旅行したってことは覚えている。ハーマイオニーのもとにはヘドウィグが訪れ、フランスからプレゼントを届けてくれた。ハグリッドは「怪物的な怪物の本」をプレゼントしてくれた。「新学期に使うことになる」のメッセージを付け加えて――と、ここまで話したとき、ダンブルドアが噴き出した。
「……アルバス?」
『ひとつ聞いてもいいかな? この時期の魔法生物飼育学の教授は誰が担当しているのか、教えてもらうことは可能だろうか?』
「昨年度までは、ケトルバーン先生ですよ」
『分かった。だいたい理解した』
ダンブルドアは笑いながら頭を抱えていた。おそらく、すべてを察したのだろう。
「あの……先生。私、ずっと疑問に思っていたことがあるんです」
『未来の私が、ルビウス・ハグリッドを新しい教授に選んだ理由のことかい?』
「……察しが良すぎますよ」
私が肩を落としてもなお、ダンブルドアは押し殺すように笑い続けている。
『私ならハグリッドは教授として選ばない。魔法生物の知識に関しては、右に出るものはいないだろうが、指導力に関しては微妙なところだ。“怪物的な怪物の本”を教科書として選んだ時点で、教師としての資質を疑ってしまう。だが、そうだな……未来の私は違う視点で考えたのだろう』
「違う視点?」
『成長だよ』
ダンブルドアは目を緩ませながら言った。
『誰でも初めから完璧な指導をできるわけではない。私も最初は失敗した。試行錯誤をすることによって、指導力が向上していく。自分の見え方と生徒の受け取り方が異なること、どのように工夫すれば、身につけなければならない力を付けさせていけるのかなど、教師は多くのことを実践を通して学ぶのだ』
「……下手な授業に付き合わされる生徒は、たまったものではない気がします」
『そうだろうな……だが、教師が生徒と真摯に向き合おうとする姿勢は、必ず伝わるものだ。未来の私は、ハグリッドにもそれを期待したに違いない』
そこまで言うと、ダンブルドアは一度言葉を区切った。すうっと息を吸い、なにか考え込むように目を閉じる。
『それから……教授職は、未来の私からのプレゼントだったような気がするよ』
「プレゼントですか?」
『50年間、彼にかけられていた罪が晴れたんだ。ささやかな贈り物だよ、彼が新しい人生を歩むためのね』
「……確かに、先生ならそのくらい粋な贈り物をしそうです」
50年間、ハグリッドは無実の罪を背負っていた。
それが晴れたともなれば、そこから先は人生における新たな章の幕開けといっても過言ではない。新たな門出に贈り物をしたいと思うのは当然の流れだろう。
しかしながら、ハグリッドが喜びそうなプレゼントは…………どれもこれも危険そうなものばかりだ。せっかく無実だと明らかになったのに、法律違反になるような贈り物をすることは憚られる。ダンブルドアもいろいろ悩んだ末、出した結論が教授職だったのかもしれない。
「ハグリッドは……貴方からの贈り物であれば、どのようなものでも喜んだと思いますよ」
『そうだと嬉しい』
ダンブルドアは噛み締めるように言った。
『……話を戻そう。ハリーは喜んだだろう。夏休みに届く友人からのプレゼントほど嬉しいものはないからね』
「『初めて誕生日が嬉しいと思えた』と考えるほどには」
7月31日が、ハリーにとって特別な日になった瞬間だった。
もっとも、翌日には再び悲惨な日々に落とされるわけだが……それはそれである。
『原作のトムは、ハリーとよく似ているな』
マージーおばさん襲来のことを話そうか迷っていると、ダンブルドアが呟いていた。
『2人とも誕生日が待ち遠しくないところがね。孤児でマグルに育てられたところとかも』
どうして、原作のトムが誕生日を疎ましく思っていると分かったのか? ――なんて、聞き返すのは野暮だろう。
「でも、原作のトムとハリーは違います」
代わりに、私は言い返していた。
「だって、ハリーはグリフィンドールを選びましたから」
『その通りだ』
ダンブルドアは瞼を開けると、楽し気に微笑を浮かべていた。
『自分が何者かを示すのは、持っている能力ではない。自分がどのような選択をするということなんだ。君のトムがヴォルデモート卿に続く道を選ばないことのようにね』
「……はい」
私は頷いた。
トムがヴォルデモートになってしまう資質はある。だけど、私のトムは違う道を選び続けている。さながら、ハリー・ポッターが組み分け帽子に「スリザリンは嫌だ」と頼んだ結果、真のグリフィンドール生として剣に認められたように――……。
「50年後、『秘密の部屋』の事件は起きることはありませんわ」
部屋を開けた犯人は、周知の事実となっている。
部屋に眠る怪物も正体が暴かれ、トムのトランクの中で眠っている。
原作通りに起きるかもしれないイベントは、ギルデロイ・ロックハートが「闇の魔術に対する防衛術」の教授に任命されることくらいだろう。ただ、ヴォルデモートが「闇の魔術に対する防衛術の教授が一年で辞める呪い」なるものをかけていないので、そもそも私の知らない誰かが長年に渡り教授を勤めていれば、ロックハートなんかを雇う必要もなくなってくるわけだ。
そうなると、原作の2巻で起きる予定だったことは、すべてがすべて夢のまた夢である。
『闇の魔術に対する防衛術の教授が一年で辞める呪い?』
「ヴォルデモートがいろいろあってかけた呪いです。おかげで、1年で教授が辞めてしまい、未来のアルバスは教授探しに毎年苦悩することになるのですよ」
『……それは、世界の因果を変える魔法だ』
ダンブルドアの目が鋭く光った。
『一年を越えて在籍する事象を運命から排除したということだろうが、膨大な魔力だけで成しえるものではない。なにかしらの代償があるはずだ』
「さぁ……そのあたりは良く分かりません」
本当に分からず、私は首をひねる。
一読者としては「そういう舞台装置」と思っていた。新しい巻を読み始めるたびに「この人が新しい先生かー、どうやって教師を辞めるに至るんだろう?」と予想を膨らませたものだ。
しかしながら、そのような類の魔法は原作で他に登場していなかった。
世界や運命を変えるほどの魔法――……しいてあげるのであれば、リリーがハリーにかけた「愛の護り」が該当するのだろうか? 自分の命を引き換えに、「アバダケダブラ」すら跳ね返す鉄壁の防御を授ける「愛の魔法」も運命を書き換える魔法にあたるのかもしれない。いや、それはないか……なーんて、考えていると、私は、ダンブルドアがわずかに口を開けていることに気づいた。彼はまだ頬杖をつく態勢をとっていたが、手が頬から離れている。驚いたように私を見つめ、黙って数度の瞬きをしていた。
『そうか……なるほどな。だから……』
研究者さながらの目で興味深そうに見つめられていると、背中がむずむずとしてきた。
「あの……アルバス、なにが分かったんですか?」
『いや、はっきりとしたことはなにも』
ダンブルドアは首を振ったが、私には――どうにも何かを隠しているようにしか感じなかった。でも、彼が話す必要がないと判断したのであれば、それを甘んじて受け入れるしかない。
「アルバス。これだけは教えてください。選択することで、その人が何者かを示すのであれば……トムが予言から脱却し、蛇の王にも闇の帝王にもならない未来があるかもしれないということもありえるのでしょうか?」
私は青い目を見つめながら言い切った。
ダンブルドアも笑いを止め、まじまじといった様子で私を見てくる。
「予言は絶対だと分かっています。ですが、私は……闇の帝王はもちろん、蛇の王にもなってほしくありません。ただ、トムが普通のありふれた幸せをつかんでほしい……それだけなのです」
『責任のある立場の者は、必ず相応の重荷を背負う必要がある』
「……理解はしています」
誰しもが、年齢に相応しい重荷を背負う――それが既定路線だ。でも、その荷の重さは立場によって異なってくる。王ともなれば、私の想像を絶するほどの責任がトムの小さな肩に乗ることだろう。無論、トムならやってのけるだろう。涼しい顔をして、蛇の王としての責務を果たす姿が容易に瞼の裏に浮かんだ。
ああ、それでも――……私は望んでしまう。
「音楽家でも魔法生物の研究者でも、なんでもいい。トムには誰かのためじゃなくて、自分の願いを叶えるために突き進んで欲しい。本人が望んだ先に『蛇の王』があるのなら仕方ないけど、そうでないのであれば……」
『……何が言いたい?』
「……アルバス、貴方はトムを『蛇の王』にするために動いているのでは?」
トムがモーフィンに誘拐されたとき、ダンブルドアは魔法省からの要請で留守だった。
だがしかし、タイミングが良すぎる。少なくとも、モーフィンがダンブルドアの留守を狙って行動を起こしたとは考えられなかったし、そこまで企んでいるようにも見えなかった。
「トムがハグリッドを問い詰めるように仕向けたのは、貴方でしたよね?」
『仕向けたわけではない。偶然、聞かれてしまっていただけだ』
「……では、いまはそういうことにしておきましょう」
でも、私は反対である。
「トムを鍛えるな、とは言いません。ですが、トムの人生から選択を奪わないでください」
ダンブルドアにはダンブルドアの理想があるのだろうが、「蛇の王」に続く道を整備しないでもらいたい。そのことだけは伝えておきたかった。
『もちろんだとも、アイリス』
ダンブルドアは静かに答えた。
目はまったく笑っていなかった。
本当……怖い人である。
これで、今夜の歓談はお開き。
両面鏡を机の引き出しにしまい、日記をしたためている。
明日、トムが帰ってくる。
例年になく大変な一年を送ってきたのだ。原作のハリーのように、毎年事件が起きて渦中に巻き込まれるわけではない。きっと、ほとほとにくたびれているに違いなかった。
だから、精いっぱい甘やかそう。
愛を惜しみなく注いで、トムが少しでも休まるように。
いまの私からトムに与える贈り物は、それくらいしか思いつかなかった。
マグルの世界でも悲惨な出来事は起きているけど、魔法界も十分以上に物騒だ。私たちの家に帰ってくることが、一種の聖域のなかにいるかのような安らぎを与えるものであってもらいたい。
第四章はこれにて終了となります。
いつもご愛読してくださり、誠にありがとうございます。感想もありがとうございます。すべてに目を通しており、励みとなっております。
「秘密の部屋事件」はこれにて幕を閉じます。50年後の未来が変わり、(いまさらですけど)完全に原作崩壊です。今章は書きたいことが山ほどありました。しかしながら、話の流れと都合で泣く泣くカットした内容が多かったです。第五章では、カットしたことを小出しにしていけたらいいな、とも考えております。
この先、アイリスとトムたちがどのような未来を選択するのか、想像を膨らませながら楽しみに待っていただけると嬉しいです。
次回は先日のアンケートの結果を踏まえた番外編を投稿します。
今後も本作をよろしくお願い致します。