●1943年 12月31日
前世では大晦日。
いまは、もっと特別な一日――トムの誕生日だ。
それも、今年は17歳の誕生日。つまりは、魔法使いの成人祝いである。
昨日まで、トムは誕生日に対して興味なさそうに振舞っていた。
「誕生日なんて、1つ年をとるだけじゃないか。成人だからって、特別なパーティーをやるなんて大袈裟だよ」
まあ、これは例年通り。
この言葉は引き取った最初の年から言い続けているが、嬉しくてぶんぶん振られる尻尾を幻視している。なんやかんや一日を通して機嫌が良いし、私たちが見ている前で鼻歌を歌う姿が目撃されるほどだ。たぶん、無意識なのだろう。指摘したら「もう絶対にやらない」と気を張りそうだし、1年に1度しか見られない珍しい姿だから黙ったまま温かい目で見守ることにしている。
「アイリス。面倒なことはしないで。普通の夕食でいいから」
「大丈夫、大丈夫。面倒なことなんてしないから」
「……本当?」
トムは訝しむ目でこちらを見てくる。
「アイリスって、こういう祝いごとのときは張り切るから心配だよ。いつも通りでいいんだ」
「もちろん、分かってるわよ」
確かに、ディークの魔法で食べ物を増やしたり、保存が利く状態にしたりすることができるけど、配給でもらえる食料は少しずつ減ってきている。砂糖みたいな嗜好品はその最たる例だ。
だからといって、お祝い事は豪勢にやりたい。
だから、日頃から節約することが大事なのである。
そのしわ寄せが日頃の食卓に直結し、フェンリールに侘しい想いをさせてしまっていないか不安になる。食べ物で苦労させている分、甘えさせてあげられるように気を付けているけど……。
さて、トムのことに話を戻そう。
ディークと朝食の支度をしていたときのことだ。
フライパンを片手に、ディークと他愛もないおしゃべりをしながら、じゃがいものパンケーキを焼く。油がぱちぱちと弾ける音を耳にしながら、皿に移そうとしたとき、ふわっと皿が持ち上がった。皿だけではない。パンケーキ自体も浮遊し、ひとりでに皿へと舞い降りる。最初、ディークの魔法かと思ったが、すぐに違うと判明した。
「おはよう、アイリス」
トムが音もなく後ろに立っていた。
白いイチイの杖を握りしめ、悠然と腕組みをしている。
「おはよう、トム。支度を手伝ってくれるの?」
「まあね。たまには」
「ありがとう。でも、気持ちだけ受け取っておくわ。トムは今日の主役だもの」
私がにっこり伝えたけど、トムは不機嫌そうに眉を寄せる。
「……アイリスがそう言うならいいけど」
トムがつんっとした声で言う。なにかおかしな対応をしたかな、と首を傾げていると、ディークが小声で「奥様」と話しかけてきた。
「ディークは彼が魔法を使いたがっているのだと思います」
「魔法を?」
「はい」
ディークは微笑ましそうに目を細くしながら教えてくれた。
「魔法族の子は17歳になると『臭い』が消えます。家で魔法を使っても、魔法省から咎められることはありません。だから、その日はなんでも魔法を使いたがるのです」
「……なるほど」
そういえば、ハリーも17歳になるまでマグル界で魔法を使えずに苦労していた。17歳の誕生日は、かなりはしゃいで魔法を使いまくっていたような気がする。ジニーとのキスやダンブルドアの遺品の諸々を譲り受けたシーンの影響でかなり霞んでいるけど……。
「トム。やっぱり、お願いできるかしら? テーブルまで運んでほしいの」
私がトムに振り返り、お願いをする。
トムは大きく肩を落とし、首を振った。
「仕方ないな。特別だからな」
こうして文字にした状態で言葉だけ見ると嫌々だったが、声はまたとないほど弾んでいた。腕を組んだまま、小さく杖先を動かすだけでパンケーキを乗せた皿がテーブルへと運ばれていく。テーブルは音もなく磨かれ綺麗になり、テーブルクロスも新品同然の輝きを取り戻していた。
「ありがとう、トム」
私はくすくすと笑ってしまった。
「こうして手伝ってもらっていると、なんだかホグワーツに入学する前みたいね」
「お褒めの言葉として受け取っておくけど、もう17歳だということを忘れずに」
トムも楽しそうに言葉を返してくる。
だから、私も心が躍ってしまった。トムに声をかけ、リビングの片隅に連れ出すと、さっそくプレゼントを渡すことにする。
「トム。お誕生日おめでとう」
せっかくの成人祝いのプレゼントは朝一番で渡そうと用意しておいたのだ。
「別にプレゼントなんて貰う年齢じゃないよ、成人なんだしさ」
トムはにやにやしながらプレゼントを開け、その場で固まってしまった。箱に入った金時計に目を落とし、硬直している。
「これ……って?」
「金時計よ」
私は胸を張って答えた。
「魔法使いが成人すると、時計を贈るのが昔から習慣だって聞いたから……ナティと一緒に、ダイアゴン横丁で買ってきたの」
だから、ただの金時計ではない。
文字盤には針の代わりに、星が回っている。中心に太陽があって、水星から地球までの星が回転していた。たぶん、水星が秒針で金星が短い針、長い針が地球なのだと思う。背景も宇宙を思わせる深い藍色で、遠くに輝く星々のように金粉が散りばめられていた。
「あの……伝統的なものを買ったつもりなの。お店の人やナティとか、みんなに聞きながら。でも、いまの流行でなかったらごめんなさいね」
トムがあまりにも無反応だったから、だんだんと声が尻すぼみしてしまう。
伝統は伝統だけど、流行だってある。私だって「風邪ひいたときの風習だから」ってやらされた伝統の数々は吐き気がしたし、18世紀のドレスが伝統的で美しくても自分で着るのはちょっと……と引いてしまう。むしろ、伝統なんて古臭いなと感じるときの方が多いかもしれない。そんな心配がふつふつと湧き上がってきた――そのときだった。
「一応、裏も見て欲しいわ」
私が言うと、トムは金時計を裏返し、眉を上げた。裏には、不死鳥の姿が刻まれていた。
「本当は日付とか格言を彫りたかったの。でも、良いのが思いつかなくて……」
イメージとしては、錬金術師のアニメで主人公が持っていた銀時計だ。あれみたいに、トムが成人しても決して忘れて欲しくない日付とか格言とかを彫りたいと思った。でも、成人という旅立ちに相応しい格言はなにも思いつかず、かといって、日付も思いつかない。成人としての旅立ちとするなら誕生日がふさわしいのかもしれないけど、いまいちピンと来ず、結局――魔法生物に辿り着いた。
ずっと昔……引き取ったばかりの頃、トムが熊のウィニーにした顛末を忘れたことはない。動物は動物として何の感情も抱いていなかった彼が、いまでは自分のトランクに数種類の魔法生物を飼育するほどに愛着を持っている。これを成長と呼ばずになんと表現すればよいのだろう!
しかしながら、そのまま熊を刻むのは厭味ったらしい。
スリザリンの末裔ということで、バジリスクも考えたのだけど、
そうなると、次点で考え付くのは、ヒッポグリフなわけだけど……ヒッポグリフといえば、どうしてもダンケルクを思い出してしまう。あんな危険な目に遭って欲しくないのに、それを想起させるものを刻むのは抵抗があった。
考えて、考えて、うんと考えて、うーんと考えたあと……辿り着いた答えは、不死鳥だった。
「ディークから聞いたわ。不死鳥の歌は、善人に勇気を授け、悪人には恐怖を与えるらしいの。これからトムの進む道が、不死鳥も寄り添うような善いものでありますようにって……それに、トムの杖の芯は不死鳥の尾羽だから――……」
とはいっても、不死鳥といえば、ダンブルドアだ。
幾度となく変えた方が良いと思ったが、メッセージ性を持たせるとなると、不死鳥ほどふさわしい魔法生物はないように思えたのだ。だから、心配しながら意味を伝えたのだけど、最後まで話しきることはできなかった。
「――ッ!」
トムが金時計を握りしめたまま、私に抱き着いてきたのである。
こんなこと、ここ数年なかったから、私は目が白黒してしまった。トムは何も言うことなく、ぎゅっと強く私の身体を抱きしめた。随分とトムも大きくなった。ずっとずっと背が伸びて、ちょうどトムの胸の位置に私の頭があった。私は口を半分開いて言葉を口にしかけるが、その前にトムが小声で……本当に、私にしか聞こえないくらい小さな小さな震え声で囁いてきた。
「……ありがとう」
たった一言。
されど、どの言葉よりも重みがある言葉だった。
私を抱きしめる力強さも、その一言に言葉にならないありとあらゆる重みを乗せていた。
トムが離れたあと、私はトムに微笑みかけるのが精いっぱいだった。ここで口を開くと、込み上げてきた感情が怒涛のように押し寄せ、わんわんとみっともないくらい泣いてしまいそうだったから……。
「アニキ、おめでとさん!」
だから、フェンリールがリビングに駆け込んできてくれて良かった。
トムはすぐに気持ちを切り替えて、フェンリールに対応していたおかげで、つつがなく朝食の準備を再開できたのだった。
夕食は、とても賑やかなものになった。
ニュートやティナにスラグホーン、アルファードにドロホフ、ロジエール――全員が成人した魔法使いなので、部屋がちょっと手狭になるだろうと思ったけど、まったくそのようなことはなかった。もしかしたら、トムが魔法で密かに部屋を拡大していたのかもしれない。
驚いたのは、ルクレティアも来ていたことだった。
「御機嫌よう、トム。お誕生日、おめでとう」
ルクレティアはトムに向かって、上品にお辞儀をしていた。
「まさか、先輩が来てくださるとは思いませんでしたよ」
対して、トムは余所行きの笑顔で対応していた。
「アブラクサス・マルフォイ先輩も招待したのですが、用事があって来れないと言われてしまいましてね。ルクレティア先輩も同じかと思っていました」
「貴方の誕生日パーティーですもの。たとえ、トロールの巣穴で行われると聞いても駆けつけますわ」
二人とも、こんな会話をしていた。
互いに笑顔だったけど、バチバチと火花を散らしているように思えたのは、たぶん気のせいだろう。私がルクレティアに話しかけたとき、彼女ははにかみながらこう言ったのだ。
「お久しぶりですわ、トムのお母様。すみません、私……こういう場は慣れているのですが、緊張していまして」
「なにか、気になることでも?」
「いえ、トムのご実家だと思うと……粗相がないようにしなくてはと気を張ってしまうのです」
私はすぐに「どうか、自宅にいるような心持ちでリラックスしてください」と伝えた。
そりゃそうだろう。自分の婚約者(候補)の実家なのだから、緊張して当然だ。やっぱり、彼女がトムのお嫁さんになるのだろうな……。
あと、記憶に残ったのは、スラグホーンだ。
スラグホーンはトムにオーク樽の熟成蜂蜜酒をプレゼントし、気分がよさそうに微笑んでいた。
「そういえば、トム。例のバジリスクだが……元気にしているかね?」
「コウラクのことですか? ええ、元気ですよ。バジリスクの毒の活用に関する論文もそろそろ書きあがりますので、先生がお忙しくなければ添削をいただければと思います」
「もちろんだとも!」
スラグホーンは口髭を揺らしながら笑った。
「優秀な愛弟子の頼みであれば、悪魔の罠に襲われていたとしても引き受けるよ。バジリスクの毒が何かしらに飛躍的な効果があると判明した暁には、ぜひとも相場よりも安く毒を卸してくれることを期待しているからね。……しかし、解せないな。なぜバジリスクの名前をコゥラクとしたんだい?」
「コウラクです、先生」
トムは苦笑いをしながら話し出した。
「僕がバジリスクの名付けに悩んでいたとき、アイリスが『コウラク園なる風光明媚な庭園があるから、そこからとったら? バジリスクって危険な生き物でしょ? 危険とは縁遠い庭園の名前を付けるのは面白いと思うわ』と熱心に説かれまして」
こんな話を真剣な声でしていたのだから、私はローストビーフを喉に詰まらせそうになってしまった。
いや、私だってふざけたわけではない。
でも、トムが特に情を注いでいるペットの名前がエンラク、ウタ、キクと来ていたらね……つい、推してしまったのである。まあ、トムが私に名付けの相談をしてくる機会なんて二度とないだろうから、6匹分揃うことはないだろう。
他にも、アルファードたち死喰い人がトムへバースデーソングを奏でたり、ニュートが不思議な魔法生物の皮で造られた袋をプレゼントしたりと楽し気なイベントがたくさんあったけど、それをすべて書いていては朝になってしまうので、今日はこれでおしまい。
あと、気になったのは……アルファードのことかな。
ほとんど終わりのタイミングで、彼がこそっと私に寄ってきたのだ。
「マグルの家もなかなかに快適ですね」
「ありがとう。でも、たぶん今日はトムが魔法で拡大してますのよ」
あからさまなお世辞だったので、私は肩をすくめた。
しかし、アルファードは「しまった」という顔をした。ばつが悪そうに眉を寄せると、すぐに謝罪の言葉を口にしていた。
「すみません、そういうつもりで言ったわけでは……ただ、普通に生活をしていれば、このような住まいで暮らせるのだろうかと思いまして」
「普通、ということは分かりません。この家は、もともと祖母の持ち家ですから」
「そうですか……教えていただき、ありがとうございます」
アルファード・ブラックは頭を下げると、トムたちの輪に戻っていった。
もともと、彼はマグル社会に興味があるようだったけど、まだ失われていないのだろう。純血をモットーとするブラック家にもかかわらず、マグルの家に関心を抱くとは珍しいことだ。
なにか、動機があるのかもしれない。
今度、トムにさりげなく聞いてみよう。
最後にもう一度……トム、誕生日おめでとう。
ついに大人として一歩を踏み出すことになって、大変なことや辛いことがたくさん起きると思う。それでも、願わくばこれからの人生が善いものでありますように。