トム・リドル育成計画!   作:寺町朱穂

111 / 127
〇1944年2月 祖母と実母、愛息子のブルース

●1944年 2月△日

 

 ガランサス夫人と協議をした。

 私側の弁護士は、おばあちゃんが亡くなったときお世話になった方にお願いした。こちらが電話をかけると、「すぐに行きます」と言ってくださったので心強い。

 弁護士さん曰く、

 

『ヘレン様はこうなることを予期されていました』

 

 とのこと。

 さすがは、おばあちゃんである……。

 

 さて、協議は平日の昼間に始まった。

 フェンリールは「本当にオレがいなくていいのか? 本当に!?」と気にしていたけど、むしろ大人同士のどろどろした感じを見せたくないので、無理やり学校へ向かわせた。

 夫人は今日も少し古びた毛皮のコートを羽織り、やや色褪せたピンクの帽子を被っていた。つかつかとヒールを鳴らしながら「お邪魔します」も言わずに入室してくる。記憶より痩せていたが、それでも、あまりにも存在感があるものだから、彼女の後ろに弁護士が控えていることに気づくのが遅れてしまうほどだった。

 

「夫人、どうぞ」

 

 私がソファーを勧めたけど、彼女はつんっとすました顔で何も答えない。彼女は黙って座ると、私をじろりと睨みつけ、大きな口を開いた。

 

「アイリスは薄情者ね。あたしはね、母さんの娘なのよ! それなのに、あんたって子は、ヘレン母さんが死んだことも伝えないなんて……理不尽にもほどがあると思わない?」

 

 それから、夫人は不満をまくしたてる。あまりにも早口でマシンガンのように言うものだから、彼女が連れてきた弁護士はおどおどしている。自分が話したいです、という空気を出しているし、何度か止めようとするのに、夫人の勢いは止まらない。

 

「――ってことよ! そもそもね、法律的にも実子にはね、相続する権利があるのよ。そうよね、ブラウン弁護士?」

「え、ええ。1938年に制定された法律では、生存する配偶者や実子が故人の財産を請求できることになっており――……」

「ほら! 弁護士も言っているでしょ? つまり、あたしにもちゃーんとした取り分が発生するっての! それに、贈与請求の時効は6か月以内ってあるけどねぇ、知らなかったら、その分を考慮してくれるわけ。そうよね、ブラウン弁護士!」

「は、はい。現在の家庭事情を考慮致しましても、裁判所が請求を認める可能性が高い――……」

「ねーっ! そうよね! だから、時効になってないってわけ! 頭のかたーいアイリスちゃんでも、そのくらいは分かるわよね!」

 

 ブラウン弁護士がせっかく口を開いたのに、夫人はすぐに会話を取り上げてしまう。なんだろう、この人が私の実母だと思うと、すごく頭が痛い……私は聞いているだけなのに、体力がざくざくと削られていくのを感じた。

 

「遺言は知っているわ。でも、法律だって大事にしないといけないでしょ。おわかり?」

 

 夫人は鼻息荒く言い終えると、どうだと言わんばかりに胸を張った。

 

「……では、こちらの主張をさせていただきますね」

 

 私の弁護士さんは静かに言うと、鞄から数枚の書類を取り出した。

 

「まず、故人ヘレン・ウォルパートが亡くなった時点で、貴方様にも訃報を届けております」

 

 そう言いながら弁護士が広げたのは、訃報を郵送したことを示す控えの書類だった。

 

「葬儀の日程も間違いなく同封致しました。これは、私を含めた数人の事務スタッフで確認済みです」

「え……?」

 

 夫人は目が一瞬点になったが、すぐに思い出したように声を荒げた。

 

「そ、そんなの、捨てたに決まってるわよ。読まずに捨てたの。まさか、死んだって知らせだとは思わないじゃない!」

「それは何故?」

「だって……」

 

 夫人は目を泳がせる。

 

「ガランサス様、聞いていませんよ!?」

 

 気が弱そうなブラウン弁護士は、青ざめた顔で雇い主に問いかけていた。

 

「亡くなったことを知らなかったって、はっきり言ってたじゃないですか!」

「知らなかったのは本当よ! ただ、手紙は読まないで捨てたってだけで……」

 

 ちょっと誤魔化すように夫人が言ったので、私は思わず口を挟んだ。

 

「どうして読まなかったのですか? おばあちゃんからの手紙だったのに」

 

 夫人は言葉に詰まったようだった。

 でも、私は――その理由がなんとなく分かるような気がした。

 

「……おばあちゃんは、生前に貴方と縁を切っていたから読まずに捨てたのでしょう? 『縁を切ったのに、手紙を送ってくるなんてありえない!』とか難癖つけて」

 

 私が言葉に出すと、夫人の動きが固まった。ただ鎌をかけたつもりだったけど、その反応を見る限り図星だったらしい。私はわざとらしく小さく息を吐いた。

 

「おばあちゃん、トムに全財産を譲るって生前から豪語していましたもの。貴方が異議を申し立てることは、容易に想像できたはずですわ。それについての対策も講じていたはず……そうですよね、弁護士さん?」

 

 私は自分の弁護士に目を向ける。すると、彼もはっきり頷いた。

 

「1939年5月の時点で、親子の縁を切る誓約を交わしています。その際、モネの絵画を遺産の代わりに譲り渡す誓約書も」

 

 弁護士は次々と書類を机に並べていく。

 

「絵画の鑑定もしましたね。こちら、それの写しとなります」

 

 そこには、ちょっとした高級車が一括で買えるほどの値段が記されていた。

 

「……夫人、貴方は喜んでサインしましたね。こちらの絵画は、いまもご自宅に飾られていますか?」

「え……あー……」

「夫人?」

 

 弁護士が詰めるように聞き返すと、夫人はやっと答えてくれた。

 

「売っちゃった……で、でも、仕方なかったのよ! 夫と離婚して、あたしにはお金がないの! 娘も息子も育ててあげたのに、あたしにお金を寄こさないし……」

 

 夫人は言葉を続けるが、そこに先ほどまでの勢いはなかった。

 だから、私は思わずこんなことを言ってしまった。

 

「つまり……お金がなくなったから、おばあちゃんの遺産を頼ってきたってこと?」

 

 私はしらけてしまった。

 そういえば、この人はトムが有名になったことを知り、金銭を無心してきたことがあった。実父が川に溺れて亡くなったときも、保険金その他諸々すべての財産を自分のものにして、私には1ペンスだって渡さなかった。いや、寄宿学校に通うだけの金は工面してくれたけど……それだけだった。新しい服も下着も日用品も、すべて用意してくれたのは、ヘレンおばあちゃんだった。

 

「が、ガランサス様! 聞いていた話とまったく違うじゃないですか!」

 

 ブラウン弁護士は半分泣きながら叫んだ。

 

「これだと、請求はできません!」

「はぁ!? なに言ってるのよ! だって、法律で――……」

「基本的には未成年の場合です! もしくは、障害を持つ実子ですよ!」

 

 ブラウン弁護士が初めて夫人の言葉を遮り、声を張り上げた。

 

「将来的には成人した実子まで範囲が広がるかもしれませんが、現時点では余程の事情がない限り、認められないんです! 自分は、貴方の貧しい生活振りとお母様の死を知らされていない点、故人の遺産がすべて渡った先が有名なトム・リドルだということを考慮し、勝算があると踏みました。でも、これでは無理です!」

 

 彼はそこまで言い切ると、勢いよく立ち上がり、こちらに頭を下げてきた。

 

「申し訳ありません。私はこの件から降りさせていただきます」

 

 弁護士はそれだけ言うと、目にもとまらぬ速さで荷物をまとめて去って行った。

 

「ちょ、ちょっと! あんたに支払ったお金はどうなるのよ!?」

 

 夫人がようやく文句の言葉を口にしたときには、弁護士が玄関の扉を閉めた音が響き渡っていた。

 

「……ということです。裁判をされても良いですが、正直なところ貴方に勝算はありませんよ」

「……お前のせいだ……」

 

 弁護士がやや呆れ気味に告げると、夫人の口から言葉が零れ落ちる。

 だが、それは弁護士に向けられたものではなかった。

 

「全部、全部全部、お前のせいだ!!」

 

 夫人の狂気で血走った青い目は、まっすぐ私に向けられていた。

 

「お前なんか生まなければ良かった! そうすれば、私が相続してたんだ!!」

 

 夫人の口から漏れ出る怨嗟の言葉は、すべてここに記したくない。耳を塞ぎたくなるほどの罵詈雑言には、私の実父が死んだことへの恨みつらみも含まれていた。ようするに、私が生まれなければ、実父が私の教育に夢中になってガランサス夫人を愛することを忘れずにすんだって、言いたいらしい。

 

 ……まあ、前世の記憶がある娘なんて、普通の人には育てられない。

 私がもう少し思慮深ければ、ちゃんと年相応の振る舞いをしていたのだろう。でも、そうはならなかった。そりゃ、私だって頑張って子どもを演じたけど、どうしてもボロが出てしまった。だから、この人は壊れてしまった。もし、私がちゃんとしたまっとうな子どもだったら……この人もここまで落ちぶれることはなかったかもしれない。

 そんなことを考えていた、そのときだった。

 

「遅くなりました」

 

 リビングの扉が開き、清涼な声が響き渡る。

 振り返らずとも、そこに誰がいるのかはすぐに分かった。

 

「トム!?」

「遺産を受け取ったのは、僕ですから。話し合いには同席させてもらいます」

 

 トムは外行きの微笑みを携えていた。時間帯的に学校を抜け出してきたのだろうけど、びしっとマグルのスーツに身を包んでいる。貴族のパーティーを抜け出してきたと表現しても過言ではないくらい、どこからどう見ても好青年だった。

 

「とはいえ、すでに決着はついたみたいですね」

「と……トム君? ああ、トム君!!」

 

 夫人は血走った目のまま、しかしながら甘ったるい猫なで声でトムにすり寄る。

 

「あたしは、トム君のおばあちゃんよ。アイリスの母親だもの。おばあちゃん、苦しい生活をしていてね。助けてくれないかしら?」

「ええ、かまいませんよ」

 

 トムは朗らかに人の良さそうな声で言った。そのまま、どこからともなくヴァイオリンを取り出し、彼女の前で構えて見せる。

 

「貴方のために、一曲だけ弾きましょう。心の助けになるようにね」

「あぁ、ありがとう……ありがとう、トム君……!」

「インドの虎狩りでも弾きましょうか。いや、貴方には伝わらないでしょうから別の曲がいいですね」

 

 私は思わず噴き出してしまった。

 インドの虎狩りなんて、ガランサス夫人どころか弁護士も分からない。でも、私の反応から、夫人は馬鹿にされていることに気づいたのだろう。夫人の声が怪しむように沈んだ。

 

「トム君……? 何が言いたいの?」

「僕の演奏はそれなりに人気でしてね。本来でしたら、一曲弾くだけでもそれなりの額を頂くようにしています。ですが、アイリスのお母様ということで特別に今回に限り、50ポンドということで」

「は、はぁ!? 聴くだけで50ポンドですって!?」

 

 夫人の声に怒気が戻った。

 

「あなた、頭どうかしてるんじゃないの? あたしは、お金を少しだけ分けて欲しいって言ってるの! 音楽なんていらないわ! しかも、お金を払ってまで!? 冗談じゃないっての!」

 

 しかし、トムは涼やかな顔を崩さない。

 

「では、お引き取りを。僕と――アイリスの人生から出て行ってくださいね、速やかに」

 

 夫人は顔を真っ赤に火照らせ、ずんずんと去って行った。

 

「玄関までお送りしますよ」

 

 トムが夫人の後を追いかける。

 私と弁護士も慌てて追いかけた。けれど、私たちが玄関に着いた頃、そこにはトムの姿しかなかった。

 トムは私たちの方を振り返ったとき、心の底から上機嫌な顔をしていた。

 

「夫人はお帰りになりましたよ。弁護士さん、今日は遠いところからご足労いただきありがとうございます」

 

 それから、しばらくトムと弁護士がこれからの遺産の取り扱いについてとか、また夫人が乗り込んできたときの対処とか色々と話したけど……なんだか釈然としない。

 

「トム。夫人に何かしたんじゃないの?」

 

 弁護士が帰ってから、私はトムに尋ねてしまった。

 

「あの人、ただでは帰らない人だもの。廊下を蹴りつけたり、金目の物をポケットに入れたり……」

「僕は何もしてないさ」

 

 トムはくすくすと笑っていた。

 

「……やっぱり、なにかしたんでしょ」

 

 私が腕を組むと、彼はやれやれと首を振った。

 

「僕は耳元で囁いただけ。『最近、脚が痛いことを知っていますよ。お腹も痛み始めてる……教会へ足も向けず、ヘレンおばあちゃんの気持ちを踏みにじったことを神様が怒ってるからです』って」

「……それ、本当?」

「まさか!」

 

 トムのくすくす笑いはさらに強まった。

 

「あの年齢でヒールを履いてるんだ。この家は駅とか宿屋から離れてるから、かなり歩いたはずだよ。足が痛くなるのは当然じゃないか」

「お腹の痛みは?」

「あの人、食事を要求しなかっただろ」

 

 彼はそう言いながら、大きく伸びをした。

 

「前に来たときは、食事を出してくれって訴えてたじゃないか。今回は前回より困窮している。なのに、紅茶のお供にお菓子の要求すらしなかったってことは、相当お腹の調子が悪いってことかなって。まあ、お菓子より金銭に目がいっていたのかもしれないけど」

「……で、夫人の反応は?」

「化け物でも見たような眼を向けてきたよ。だから、僕には近づかないさ」

 

 トムは楽しそうに告げたけど、たぶん……他にも何か隠している気がする。

 

「さて、アイリス。僕、機嫌が良いんだ。なんでもリクエストを弾くよ」

 

 トムはヴァイオリンを構えながら、うきうきと弾んだ声を出した。

 これは確実に何か隠している。夫人に囁いたことは本当だろうけど、魔法を使って何かしたに違いない。脅しか、それとも――……。

 

「トム。魔法は悪いことには使っちゃ駄目よ」

「悪いことに使わないって! ずっと昔に約束したこと、ちゃんと覚えてるから」

 

 彼はわずかに不貞腐れたように口を尖らせる。

 ……うーん……それなら、大丈夫なのかな?

 

「で、アイリスは何を弾いてほしい?」

「インドの虎狩り以外……って、あの曲の存在、よく覚えていたわね」

 

 あれは宮沢賢治の「セロ弾きのゴーシュ」に登場する架空の曲だ。

 主人公ゴーシュが鬱憤晴らしに弾いた曲のことである。なお、これを聴いた猫はかなり酷い状態になって逃げていったという顛末があるのだけど……。

 

「覚えてるよ。アイリスが翻訳してくれたじゃん。いまでも、たまに『銀河鉄道の夜』は読み返すよ」

 

 『銀河鉄道の夜』と口にしたとき、トムの目に寂しさが過った。

 

「……アイリス」

 

 私ではなく、窓の外を見ていた。正確には、窓の外に広がる空――悲しいくらい眩しい青空を。

 トムはその先の言葉を何も口にしなかったけど、何を言いたいか分かった気がした。そのことを口に出して尋ねても良いけど、どう考えても気持ちが沈んでしまう。だから、私は気づかないふりをする。

 

「『きらきら星』が聴きたいな」

「……いいよ!」

 

 それは美しい調べだった。

 この曲を最後に聞いたのは、おばあちゃんの葬式のときだったけど、ますます磨きがかかり、深みを増していた。やっぱり、トムのヴァイオリンは素晴らしい……。

 

 ずっとずっと聴いていたい。

 

「私が死ぬときは、トムのヴァイオリンを聴きながらがいいな」

 

 だから、こんなことが口から漏れてしまった。

 もちろん比喩で言ったつもりなのだけど、トムはこれには眉を寄せて声を荒げた。

 

「アイリス! 僕の前で死ぬとか言わない! アイリスは長生きするんだ!」

「もちろんよ。怒らないで」

 

 なだめるように言ったのだけど、トムはしばらくプンプンと怒っていた。

 私の方が先に寿命が来るのは自然の摂理だけど……ね。

 

 

 

 

 

 

 




次回は11月30日(日)の更新を予定しております。
※投稿後、サブタイトルを変更しました。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。