トム・リドル育成計画!   作:寺町朱穂

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〇1944年4月 お人好しと地獄への切符

●1944年 4月1日

 

 トムが一足早く帰ってきた。

 演奏会のリハーサルの関係かと思ったけど、どうやら別件があったらしい。

 

「なに? もしかして、今日来ないといけない理由があったの?」

 

 私は、できるかぎり自然な表情を意識しながら微笑みかけた。

 早めに帰ってきたから、まさかジョナサンの件が既に伝わってしまっているのかと震えた。こちらは、まだどうやって切り出そうか練っている途中だというのに……それでも、平静を装って話し続ける。

 

「エイプリルフールとか?」

「いや、そういうものじゃないんだ」

 

 トムはホグワーツのローブを纏ったまま、私の方を見ずに言った。

 

「もっと大切なことがあるから――フェンリール」

 

 トムはフェンリールに呼びかける。

 フェンリールはソファーで丸くなっていた。もうじき満月になるので、調子が優れないのだ。フェンリールはトムの声に気づき、億劫そうに頭を持ち上げる。

 

「……わかってるよ、アニキ」

 

 彼はぐぅっと伸びをすると、立ち上がった。

 

「あー、母さんにはアニキから説明したんだろ?」

「いまからする」

 

 トムはネクタイを結びなおすと、私の方を向いた。彼の黒い目はいつになく真剣な色を携えている。珍しく緊張しているのか、握りしめた拳が微かに震えていた。

 

「トム、どうしたの?」

 

 私も向き合い、トムの目をまっすぐ見返した。

 トムは何度か小さく息を吐いたあと、意を決したように口を開けた。

 

「僕、友人と一緒に人狼の症状を和らげる薬を開発しているってことは知っているよね」

「もちろん。確か、レイブンクローのベルビィさんとでしょ?」

「……通常の狼をおとなしくさせることはできたんだ。あとは、実際の人狼で試してみる必要がある」

 

 トムが重たい口調で続ける。

 最後まで言わずとも、彼が何を言いたいのか理解できた。私は――なんて言っていいのか、分からなくなってしまった。呆けたように開けてしまった口を閉じ、再び開こうとしては唇を堅く結ぶ。

 

「それは……どうしても、フェンリールでないと駄目なの?」

 

 数分経ち、ようやくそれだけ口にできた。

 

 頭では理解しているのだ。

 ベルヴィの調合した脱狼薬の効果は、「アズカバンの囚人」でルーピンが実証済み。完成は半世紀ほど早まったが、おそらく問題はないのだろう。ましてや、トムが手伝っている。失敗するはずがない。

 それに、フェンリールを早く楽にしてあげたかった。

 年齢が上がるにつれ、フェンリールの病状は悪化していた。満月が近づくたびに、少しずつやつれていくのは見てられない。フェンリールがそれを隠そうと陽気に振舞うのも辛い。その前後、日記を書くのを止めてしまうほどには。

 だけど、一番心が辛くなるのは変身の日だ。

 鍵のかかる部屋に入れて、ディークが防音と防御の魔法を重ね掛けすれば閉じ込めて置ける。でも、それだけなのだ。変身が終わった後の傷だらけの身体を目にする度、「代わってあげたい」と痛いほど感じた。おまけに引き取った頃よりもうんと身体が大きくなり、防御の魔法をかけていても、部屋のドアがミシミシと軋むのだ。いずれ、ディークのかけている魔法を破ってしまうのも時間の問題のように思える。

 そう考えると、早めに脱狼薬を飲ませることができれば――どれほど彼は楽になるのだろう!

 

 そう、理屈では分かっている。

 

「トリカブトの薬なんでしょ? 本当に安全なの? 効果を疑うわけじゃないけど、狼と人間で拒絶反応が起きるかもしれないし、それに――……」

「いつか人体実験はしないといけない」

 

 トムの声色は変わらなかった。

 

「フェンリールの他、2人の狼人間の協力を得ることができたんだ。実験協力者の狼人間は薬を一週間、飲み続ける。そうすれば、満月の夜の攻撃性は薄まり、無害な狼に変身するんだ。理論上はそこまで分かっている。だから――」

「他に協力者がいるなら、フェンリールでなくてもいいんじゃないの?」

 

 トムの言葉を遮り、こんなことが口から飛び出していた。

 

「フェンリールを危険にさらすことは許可できません」

「アイリス……」

 

 トムは難しい顔をしていた。

 そんな顔をさせたいわけではないのに、了承(YES)を言うことができない。いままでになく重たい沈黙がリビングを支配し、私もトムも何も言い出せないでいた。

 

「はぁー! しんきくせーって!」

 

 その空気を切り裂いたのは、フェンリールだった。寝ぐせのついた頭をガシガシ搔きながら、彼だけがいつもの調子で振舞っていた。

 

「母さんもアニキもさ、そっくりな顔をするんじゃねーよ。鏡みてーに似てるぜ?」

「……む」

 

 これを受け、トムの顔には不満の色が滲みだした。

 

「フェンリール、聞き捨てならないな。僕はアイリスと似てない。アイリスほど楽観的じゃない」

「それ関係ねーだろ。つーか、それ以外はけっこー似てるとこあるぜ。ムダにお人好しなところとか」

「僕はお人好しなんじゃない」

「いや、お人好しだね!」

 

 フェンリールは牙を見せるように大口を開けて笑った。

 

「血も繋がってねぇ義理の弟を助けるために、ふつーは薬の開発なんてしねーさ。ましてや、狼人間のな」

 

 彼はくるりと振り返り、私を見上げた。

 

「母さん。オレがたのんだんだ。だからさ、そんな顔すんじゃねーよ」

「フェンリール……でも、なにかあったら……」

「心配性だなー大丈夫だって。アニキが失敗したことねーだろ?」

 

 フェンリールは血の気の悪い顔で楽し気に言い切った。

 

「それに、万が一ってときには、ニュートもいるんだろ? ニュートの家で実験するんだから、なんとかなるって!」

 

 まるで、子ども同士でピクニックに行ってくるような笑顔だった。きっと怖いだろう。不安だろう。彼のことだからトリカブトが猛毒を持つってことも知っているだろうし、他の材料も危険極まる物を取り扱っていることも分かっているはずだ。それでも、彼はトムを心の底から信じていた。心配の欠片もないような晴れやかな表情に、私は「行かないで」と言えなかった。

 

「…………なにかあったら、すぐに連絡して」

 

 私はフェンリールの頬に触れた。

 フェンリールは一瞬、目を大きく見開いたあと、目尻を緩めた。

 

「もちろんだよな、アニキ!」

「当然だよ」

 

 トムが力強く答えた。

 ほどなくして、トムはフェンリールを連れて「姿くらまし」をした。

 

 がらんとなったリビング。

 いつのまにか、私はしゃがみこんでいた。

 子どものように嗚咽を零して泣きじゃくっていた。頬を伝った涙は、ぽたぽたと絨毯に沁みを作っていた。

 

 これが、エイプリルフールだったらどれほど良かったことだろう!

 「冗談だよ」って、トムたちが戻って来てくれたら――……いや、それはない。万に一つもありえない。そういう質の悪い冗談を言うことは、口が裂けてもありえない。

 

 フェンリールが心配だ。

 それと同じくらい、トムも心配だ。

 

 だって、私は――トムに地獄への切符を渡さなければならない。脱狼薬の臨床実験をし、交響楽団との協演をしたあと、ほとほと疲れ果てているであろう。そこに溜まっているであろう疲れを無視して、伝えなければならないのだ。

 

 

 

※ (毎日、トムとフェンリールを案ずる文章が綴られている)

 

 

 

 

●1944年 4月8日

 

 

 ロンドンの家に戻った。

 今日は満月。いざというとき、すぐに駆け付けられるように戻ってきた。

 ナティにそのことを話したら、彼女は苦笑いをしていた。

 

「万が一のことが起きたら、『姿くらまし』があるから、どこにいてもすぐに駆け付けられると思うけどな」

 

 だって。

 それもそうかもしれない。

 それでも、少しでも傍にいたいのだ。

 

 私にできることは、それしかないから。

 

 

 

 

●1944年 4月9日

 

 フェンリールは無事だった!!

 ああ、良かった! 本当に良かった!!

 

 心配で心配で、日が昇るのと同時にニュートの家へ押しかけてしまった。本当に申し訳ない……でも、自分の目で確かめたかったのだ。

 

「フェンリールは無事だよ」

 

 ニュートが出迎えてくれ、ぎこちない笑みで言ってくれた。

 フェンリールの身体に、傷はなかった。

 顔にも腕にも足にも、どこにも引っかき傷はない。すやすやと心地よさそうな寝息を立てながら、床に寝転んでいた。

 

「よかった……」

 

 へなへなと座り込んでしまう。それから「よかった」としか呟けなかった。

 他の狼人間たちにも傷はない。だが、彼らはフェンリールと違い、静かに涙を流していた。悲しみからではない。歓喜の涙だった。

 

「彼のお母さんですね。息子さんの発明は世界を変えるものです。本当に……本当にありがとうございます」

 

 2人からは何度も頭を下げられた。

 

「私は何も……それを言うなら、トムに……トム、に……?」

 

 トムの姿はなかった。

 

「トムなら、臨床実験が終わったらすぐにコンサートホールに行きましたよ。『最後のリハーサルの準備をする』って」

 

 そこには、レイブンクローのローブを着た少年がいた。ニキビと火傷後の目立つ顔の少年は、やや疲れた色はあったものの達成感に満ち溢れた表情をしていた。

 

「貴方は……」

「ダモクレス・ベルビィです。トリカブトの毒以外の利用法がようやく見つかった日を共に喜びたかったのですが、トムにとって音楽も同じくらい大事なことのようですね」

 

 それから、ベルビィはトリカブトについて熱く語り始めた。申し訳ないけど、私は半分も分からなかった。専門用語とかちんぷんかんぷんで、右から左へと流れてしまう。

 ベルビィの熱弁を止めてくれたのは、ニュートだった。

 

「ダモクレス、まずは休んだ方がいい。僕も少し休んでから、トムのコンサートへ行くよ。……アイリス、君も酷い顔だ。バンティ、ベッドに案内して。仮眠をとった方がいい」

「……いえ、一度家に帰ります」

 

 私はフェンリールを抱っこして帰った。

 フェンリールはすっかり大きくなったけど、まだぎり背負える。たぶん、これが最後だと思う。そういえば……トムは抱っこしたことがなかったな……なんて思いながら、早春の霧の町を歩いた。

 

 肌寒い空気と背中の温もりを強く感じながら。

 

 

 

●1944年 4月10日

 

 昨日、トムにハガキを見せた。

 いつも通り素晴らしいコンサートが終わって、トムは満足した顔だったから――辛かったけど、私の様子に何かを察したらしい。

 トムはすぐにでも「なにがあった?」と聞きたそうだったけど、私は頑なに「帰ってから」と言い張った。

 心配だから、ナティにも同席してもらった。本当はニュートとティナにもお願いしたかったのだけど、彼らは仕事があるらしい。フェンリールは「オレも気になる!」とごねていたが、ナティの魔法で眠らせてもらった。……彼が起きたら、謝ることにしよう。

 

「実は、ジョナサン君からハガキが届いたの」

「本当!?」

 

 トムの不安げな顔は、瞬く間に華やいだ。私からハガキを意気揚々と受け取り、興奮した様子で短い文面に目を走らせ、瞬間的に青ざめた。

 

「アズカバン……だって?」

「えっと、一応聞くけど、アズカバンさんって友だちは……」

「いるわけないだろ!」

 

 トムが声を張り上げた。

 目を白黒させながら、何度も何度も貪るようにハガキを睨みつける。

 

「昔、ずっとずっと昔、ジョナサンにアズカバンのこと話したことがあるんだ」

 

 ハガキに目を落としたまま、トムは呟いていた。

 

「そうだ、あいつが引っ越しを切り出した日だった。あの日、僕、うっかり口を滑らせたんだ。なんとか誤魔化したんだ。そしたら、勘違いしてくれたんだよ……アズカバンって響きが、『地獄のどん底(アバドン)』みたいだって。監獄って悲惨なところだからって……そうだ……そうなんだ! それが言いたかったんだ!」

 

 トムは納得したように叫んでいた。ちっぽけなハガキを持つ手が、がたがたと震え始めている。

 

「これ、SOSだ。間違いない、助けを求めてるんだ!」

「トム……」

「アイリス、僕は行かなくちゃ! 今度こそ、助けないと! いや、そもそも、これ、いつ届いたの!?」

 

 トムは私を見た。

 黒い目の奥に赤い光がちらついている。私はごくりと唾をのむと、努めて冷静に言った。

 

「3月よ。本当はすぐに見せたかったのだけど、この場所がどのようなところなのか説明する必要があったから」

 

 私はモーリスに頼んで集めてもらった資料を広げた。

 

Auschwitz(アウシュビッツ)……Arbeitslager Birkenau(ビルケナウ労働収容所)って、ハガキには書いてあるけど、実態は労働なんて甘いものじゃないの」

 

 トムは資料に目を通した。資料の上を走る速度が尋常でないほど早く、数秒も経たないうちに読み終え、ページをめくっていく。ページをめくるたびに、トムの表情は真顔になっていった。すべてを読み終えたとき、トムの顔から感情が消えていた。だけど、目だけは燃えるように赤い。火星よりも激しく赤い色だった。

 

「トム。貴方なら、ジョナサンを助けられる。でも、助けるのはジョナサンだけよ。全員を救おうと思っては駄目」

 

 私は赤い目を見つめながら言った。

 そこで改めて悟った。私が泣いても叫んでも――トムは引き返さない。止めて止めるような子なら、ダンケルクに行くこともなく、パリへ飛ぶこともなかっただろう。どこまでも勇敢で、機転が利いて、お人好しで、狡猾な息子は、一度決めたことを覆したことがないのだ。

 

 それならば、少しでも良い方へ転がるように最善を尽くそう。私のできる範囲で、精いっぱいの助力をしよう。私は早くなる鼓動を感じながら、言葉を続けた。

 

「ここは1人逃亡すると、代わりに無関係の人を10人処刑するようなところなの。だから、ジョナサン君の精巧な遺体を作らないといけないわ」

 

 トムの目を見たまま、私はポケットから折りたたんだ用紙を取り出した。

 

「ここに、私が知る人体を生成するのに必要な物が書かれてるわ。お金を出せば集められる品だから、これを使って人体そっくりな人形を作れば脱走を誤魔化せると思う」

 

 トムは黙って用紙に目を落とした。

 

「水35L、炭素20kg、アンモニア4L……アイリスさ、どこでこんなこと知ったの」

「子どもの頃、調べたことがあったのよ。こういうの全部言えるのがカッコいい! って時期があってね……意外と覚えているものだわ」

「……あのさ、これじゃ駄目だよ」

 

 トムは顔を上げる。

 

「これは平均的な成人女性の人体を構成する物質だ。ジョナサンは男だし、体格が合わない」

 

 彼は苦笑いをした。その目は、すでに元の黒いものへ戻っていた。

 

「それするくらいなら、複製魔法を使った方が手っ取り早い。実体を誤魔化すために、少しこういった材料があった方がいいけどね」

「あ……そう、なの?」

「そうさ! でも、参考になったよ。ありがとう」

 

 トムは力強く頷き、にやっと笑った。

 

「それじゃあ、アイリス……行ってくるよ」

「国境を越える必要があるから、誰か大人と一緒に行った方がいいんじゃない?」

「それは伝手があるから大丈夫。僕だって、これまで何もしてないわけじゃないんだ。あ……そうだ」

 

 トムは杖を一振りした。

 すると、なにもなかったテーブルの上にガラス瓶が現れた。ガラス瓶にはヒマワリの花が飾られており、眩しいばかりに咲き誇っている。

 

「僕になにかあったら、この花弁が散る。だから、大事に持っておいて」

「トム」

 

 私はトムを抱き寄せ、ぽんぽんっと背中を叩いた。

 

「待ってるからね、この家で」

「……三日以内に帰るから」

 

 トムは私の耳元で力強く囁くと、手を振りほどいた。

 そのままやる気に満ち溢れた顔で「姿くらまし」をしてしまう。余韻はなく、背中を見送り続けることもできない。ただ、それでも、トムがさっきまで腕のなかにいた温もりは残っていた。私は残滓を強く抱きしめるように、ぎゅっと腕を組んだ。

 

「……アイリス、大丈夫?」

 

 ナティが私の背中をさすりながら声をかけてくれる。

 

「数日前から国境どころか海辺に出るのも封鎖されてるし……こっそりあとを追いかけようか?」

「お願いできる?」

「もちろん!」

 

 こうして、ナティも消えた。

 彼女が消えてから、すぐにバンティが来てくれた。ナティが代わりの護衛を頼んでくれたらしい。

 

 

 神様。

 天の神様。

 どうか、トムをお守りください。

 トムが地獄から生還しますように。

 三日後、私の大事な息子を抱きしめることができますように。

 

 私ができることでしたら、なんでも差し出します。

 どうか、この祈りを聞き届けてください。

 

 

 

 




地獄のどん底(アバドン)は「トム・リドルの消失」を執筆したときから、ずっと考えていたことでした。ようやくここまで来たと感慨深いと共に、ますます繊細かつ重い内容に足を踏み入れるので、気を引き締めていきたいです。
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