●1931年 11月×日
ママ友との付き合いがしんどい……。
日本の学校とは違い、保護者は送り迎えをしなければならないのだけど、トムが下校してくるのを門で待っているとき、他の保護者――つまりは、お母さんたちと顔を合わせることになる。
とりあえず、とある派閥に入ることはできたけど、話を合わせるのがとても大変。年齢も違えば、私生活も違いすぎる。
だいたい、この時代、シングルマザーは多くないから、私を娼婦とかトムを不義の子と見る人が多いこと多いこと! 一応、いま所属してる派閥のママさんたちはさ、私が未亡人みたいなものでトムは養子なのだと分かって接してくれるけど、どこまで本心のことやら。
トムも友だちを作る気配はなく、一匹オオカミで通しており、ママ友派閥の子たちとの仲もよくない。この調子だと、派閥から追い出される日も遠くないかもしれない。
まあ、それならそれで仕方ないか。
トムに友だちを作るよう強要したくないし、無理やりつくらせた結果、一方的な力で子どもたちを支配する「リトル・ヴォルデモート」爆誕とかたまったものでもない。
それに、私が我慢すればいいだけだから。
●1931年 11月〇日
土曜日なので、トムを散歩に誘った。
こういうとき、トムは素直についてくる。たまに、魔法の実験が佳境のときは「行きたくない」と主張することもあるけど。
「どこへ行くの?」
「私が貸している
こういうことは初めてなので、トムはちょっと驚いたようだった。
「僕も行っていいの?」
「トムにも関係することだから」
これまで貸している家に行くときは、自分一人で訪れていた。
仕事みたいなものだし、子どもを同席させるわけにはいかないと思ったから。いや、トムは子どもらしからぬ面もあるから、同行させても平気だと思う。それでも、常識的に考えて、4歳の子どもを連れていくわけには……って、いま気づいたけど、4歳の子を1人で留守番させるのもアレか。
とはいえ、今回は連れていく必要がある。
自宅からリージェンツパーク付近のアパートまでは歩いていける距離なので、お散歩にもちょうどよかった。
「まあ、アイリス!」
目的のアパートの前に着けば、ちょうど3階の住人が玄関口に立っていた。
「ミス・マーチバンクス、こんにちは。調子はいかがですか?」
グリゼルダ・マーチバンクスさんは、私より年上で小柄な御婦人だ。
今日も中世を思わせる古めかしいドレスを着ているが、新しい服が買えないというわけではなく、アンティークな服が好きなだけらしい。なにせ、彼女は女性ながら政府の庁署に勤めるエリート中のエリート! とても忙しいらしく、あまり家にいることはない。彼女曰く「家とは寝るために帰る場所」だとか。なので、職場に近いロンドン市内にあることが重要らしく、いつだったか「本当はもっと中心部に近いところがいいのだけど、女性の一人暮らしに貸してくれる物件がなかなか見つからないのよ。ここが見つかって、本当に助かったわ」と話してくれた。
「とても良好よ。貴方こそ元気そうで何よりだわ。それで、アイリス。そちらの男の子が例の……?」
「ええ、養子のトムよ。スペルはTHOMね。トム、マーチバンクスさんに挨拶をしなさい」
「はじめまして、ミス・マーチバンクス。トム・リドルです、よろしくおねがいします」
「まあまあ、お行儀がいいのね!」
マーチバンクスさんは、トムに握手をしながらやさしく声をかけた。
「グリゼルダ・マーチバンクスよ。よろしくね、トム」
マーチバンクスさんはにこやかに言うと、ふふふっと楽しそうに笑った。
「賢そうな子だこと。今日は仕事が休みでよかったわ、素敵な男の子と出会えたのだから。さあさあ、あがっていきなさい。温かいお茶を用意するわ」
「ありがとうございます。でも、遠慮しておきます。私はバラッドさんに用があって」
「ああ、2階の……」
マーチバンクスさんはちょっとだけ不快そうに眉をひそめた。
「悪い人ではないのだけどね。でも、あの人はねぇ……私がクッキーを焼いて持って行っても、『菓子は嫌いだ』といって受け取らないのよ。とても偏屈な人だと思わない? 私より家にいるのに玄関周りの掃除もしないし……まあ、私は手間暇かけずにちょいちょいっと綺麗にできるから快適に過ごせてるけど……ねぇ、アイリス。子どもを連れて行っていい人には思えないわ。身だしなみもねぇ、あれでしょ? そりゃ、身だしなみで人を判断してはいけないってことは分かってるわ。身だしなみに気を使わなくても、素晴らしい人は山ほどいるもの。でも、ああいう人は、子どもには悪影響でしかないと思うわ。それに――」
「ありがとうございます、マーチバンクスさん」
私はそれだけ言うと、トムの手を引いて扉をくぐった。
マーチバンクスさんは悪い人ではないのだけど、ちょっとおしゃべりが過ぎる。ずっと付き合っていたら、夜になってしまいそうだ。
というか、一度、マーチバンクスさんのお茶に軽い気持ちでお誘いを受けた結果、凄く大変だった。最初こそ私に話を振ってくれたけど、気がつけば、マーチバンクスさんは自分のことを語り出して……雰囲気で相槌はうったけど、申し訳ないが全然理解できなかった。途中から聞き疲れてしまい、部屋にかけられた絵画が動いたような幻覚が見えたこともあったほど。
政府の省庁に勤めるような頭のいい人の話には、ついていけない……。
って、そんな話はどうでもいい!
「ミスター? ミスター・バラッド?」
とんとんと玄関をノックする。
外から見たとき、2階の窓が開いていたので、家にいることは間違いない。間違いないのだが、まったく出てくる気配がなかった。
「るすじゃない?」
「……クインシー・バラッド! いい加減に出てこないと、家賃滞納で追い出すわよ! ええ、分かったわ。もういいです。いまから警察に行って、貴方を物理的に追い出す手伝いを頼んできますから!」
「わ、わ、わ、それだけはやめてくれ!」
私が声を荒げると、なかでドタバタと何かが崩れる音や騒がしい足音が聞こえてきた。ほどなくして、扉が乱暴に開くと、ぼさぼさ髪のひょろっとした青年が顔を出した。
「い、いやー、これは、アイリス。今日もお麗しい……」
「お世辞は結構。なかに入れてくださる?」
「あー、はい、ええ、どうぞ」
クインシー・バラッドは苦笑いをしながら招き入れてくれた。
部屋には必要最低限の家具以外は、薄い冊子がいたるところに散らばっている。一見すると汚らしい印象だったが、蓄音機の周りだけは綺麗に整理されていた。レコードがくるくると回っているのに針が浮いている。おそらくだが、ついさっきまで音楽を聴いていたのだろう。たぶん、私が来ることを知り、いそいで居留守を決め込んだに違いない。
「すみません、お茶菓子はなくて……あはは、紅茶でいいですか?」
「別にお気になさらず。私としては、ちゃんと家賃を払ってもらうことの方が重要ですから」
「うぐっ」
私がちくりと言えば、クインシーは申し訳なさそうに顔を逸らした。
「やちんって?」
トムが尋ねてくる。
「家を借りるために必要なお金のこと。クインシーは3カ月も滞納してるわ」
「いや、これには訳がありまして……2週間後にはまとまったお金が手に入りますので、それまで待ってもらえませんかね?」
「その話、先月も聞きました」
私が言えば、クインシーはあははと乾いた笑いをする。
まったく、この人はいつもこんな感じ。きっと、お金が手に入っても、ほとんど全部が楽器の整備費やレコード代に消えていってしまうのだ。
「あなたの才能は知っているけど、お金の管理がだらしなさすぎよ」
彼はロンドンのちょっとしたオーケストラの一員。だけど、クインシー・バラッドなんて名前は前世で聞いたことがないし、いまの時代でも有名ではないので、まあ……そこそこの演奏家。王立音楽院を卒業したプロ演奏家であることには変わらないし、実力は確かなのだけど、上には上がいる世界で生き残っていくのは本当に大変なのだろう。
彼の辛さや立場は理解できる。
だからといって、家賃を滞納され続けると、こちらとしても大変困るのだ。家賃収入がなくなると、私の挿絵画家としてのお金だけでは、正直なところ心もとない。
「お願いします、アイリスさん。ここを追い出されたら、行くところがないんですよ」
「わかっているわ、だから家賃の交渉に来たの。家賃を半分にしてあげる。それなら、払えるでしょ?」
「え、いいんですか!?」
クインシーの顔が一気に華やいだ。その顔を睨みつけながら、私は代わりの条件を口にする。
「その代わり、トムにヴァイオリンを教えてほしいの」
私がそう切り出せば、トムは驚いたように私を見た。
「この人が先生?」
「私の知人で、ヴァイオリンが一番上手いから」
家賃半額という餌をぶらさげているから、変な教え方はしないだろう。
「その子の先生ですか……?」
クインシーはトムを品定めするような眼で見る。
「年齢は?」
「4歳よ。最近、ヴァイオリンに興味があるの」
クインシーは明らかに面倒そうな顔をしたが、私の目つきに気づいたのか、すぐにへなっとした笑い顔を作った。
「分かりました、分かりましたよ。それで家賃をまけてくださるのなら……ですが、僕は手加減して教えるような器用な真似はできませんよ?」
「それでいいわ。むしろ、変に忖度されたくはないから」
最終的に、クインシーは折れた。
トムはあれだけヴァイオリンを習いたがっていたのだが、クインシーの家を出た後、やや不安そうにこう言った。
「あの人、ほんとうにうまいの?」
「上手よ。そうでなければ、部屋を貸さないわ」
「ほんとうかな」
「だったら、次に行ったときに聴かせてもらいましょう」
そうすれば、トムもクインシーの実力を知るだろう。
「まあ、あまりに酷い教え方だったら、他の先生を探せばいいわ。それに……もし、ヴァイオリンがあわなかったら辞めていいから」
「きわめるまでやめないさ!」
トムはふんっと鼻を鳴らした。
「孤児院のあいつもできたんだから、僕にできないはずがない!」
そうやって、挑戦的に笑った。
まだやってもいないのに自信満々なところは無垢な子どものようにも思えるし、トム・リドルならやってのけるのではないかという期待も感じる。
帰り道、クインシーに教えてもらった店を訪れた。
デンマークストリートにある店で、子ども用のヴァイオリンを購入。決して安くはなかったが、手入れに必要な物や手入れのやり方を丁寧に教えてくれたのでよかった。
ちいさなトムがヴァイオリンを肩にのせ、採寸をしているとき……最高に可愛かった。スケッチブックを持っていくべきだった……。しかたないので、帰宅後に当時のことを思い出して描いてみることにする。もう一度、ポーズを決めてもらえばいいって? トムは恥ずかしがってやってくれないのだ。
さて、トムはヴァイオリンを弾けるようになるのだろうか?
魔法の上達も気になるけど、それと同じくらい――私としては楽しみである。
そういえば、もうじきクリスマスだ。
トムの誕生日だって迫ってる!
プレゼント、どうしよう……!?
たくさんの方に読んでいただけているようで、とても嬉しいです! ありがとうございます!!