●1944年 5月6日
前世のこと、少し思い出した。
また忘れてしまうかもしれないから、急いでペンを走らせている。
これまで、死んだ年の夏から冬までの記憶がなかった。
全部ではないが、その夏の始めくらいまでの記憶が蘇ったのだ!
きっかけは、フェンリールとの会話だった。
「あー、今年の夏も出かけねぇの?」
フェンリールがソファーでごろごろしながら尋ねてきたので、私は苦笑いで返した。
「戦争が終わるまで、あまり余暇を楽しむのもね……また空襲があるかもしれないし……終わったら、遠くへ出かけましょう」
「へーい」
フェンリールは不満そうに返事をすると、くるんと起き上がった。
「母さんはさ、いままで行った夏の旅行で一番思い出がある場所ってどこなんだ? アニキとは、よく出かけたんだろ?」
「そうね……」
やっぱり、一番思い出深く残っているのはストーンヘンジだろう。
トムと初めて遠出した思い出の場所だ。それ以外となると……と、考えたとき、あれっと思ったのだ。
「……そういえば、あの年の夏は……?」
前世の私は出不精なところも多かったけど、それでも夏は必ずどこかへ出かけていた。
友だちと国内旅行を楽しんだこともあったし、勇気をもって一人旅を満喫したこともあった。どこへ出かけたかは、いまでも思い出すことができるくらい、全部が全部きらきらとした宝物になっている。
だから、あの年――私が死んだ年の夏も、どこかへ出かけたはずなのだ。
「ごめんなさい、フェンリール。ちょっと、思い出したことがあるから!」
私は仕事部屋にこもり、必死で神経を集中させた。
夏直前の記憶に意識を集中させ、なにか出かけた場所の手掛かりがないか思い出そうとする。
考えて、考えて、うんと考えて、頭が内側から熱せられるような痛みを越えて考えたあと――思い出した。
「私、イギリスへ行こうとしてた」
オリンピックが開催される程度にはパンデミックが落ち着いてきたし、海外旅行に繰り出しても良いんじゃないかって思ったのだ。英語があまり上手ではないくせに、イギリスへ行こうとしたのは、単純にヨーロッパに行きたかったからだ。フランスはフランス語が必要だし、ドイツはドイツ語、イタリアはイタリア語を話せないといけない。その点、イギリスは英語だけで通じるし、多少下手でもなんとかなる気がしたのだ。
それに、私が学生の頃、凄く好きだった軽音楽部のアニメでも映画でイギリスへ行っていたし、「彼女たちが無事に行って帰ってきたなら私だって行ける!」なんて、頭の軽い意気込みで旅行会社へ赴いたのだった。
……でも、思い出したのはそこだけ。
どこへ行ったのか、なにを体験したのかまでは、まったく思い出せない。友だちとの会話から何か手掛かりが見つからないかと思ったけど、「マジで一人で行くわけ? お土産はお菓子かお茶が良いなー」とか「有名な舞台があるみたいだよー、スマホ貸して! 予約してあげる」とか「湖水地方は行かないの? ピーターラビットゆかりの場所があるんだって!」とか、そんなものばかり。せめて、舞台の名前が思い出せたら良いのだけど……まあ、観覧した劇がなにか分かったところで、それが死の原因に結びつくとは思えない。どうせ、シェイクスピアとかそんなところだろう。
しかし、私がイギリスへ行ったことは分かった。
イギリスならば、魔法使いとすれ違うこともありそうだ。……ただのマグル、それも観光客が本場の魔法使いに恨まれるようなことをするとは思えないけど……なにかあったのは事実だ。そうでなければ、そこだけぽっかり記憶に穴が開くわけがない。
とりあえず、思い出したところまで書いた。
イギリス旅行を思い出せたとき、死の原因が分かるのだろう。
でも、本当になんで恨まれたのかな?
人を敵に回すような観光はしないはずなんだけど……たぶん。
●1944年 5月△日
庭仕事をしているときのことだった。
庭の手入れの大半はディークがやってくれるのだけど、私が庭に出ていないことが分かると、ご近所さんから「どうやって庭を保っているの?」と疑われてしまいかねない。
だから、天気の良い日で仕事もひと段落付いている日は外に出るようにしている。タオルを首にさげて、雑草を抜いていると、ご近所さんから声をかけられることもしばしばあった――のだけど、今日はちょっと疲れているらしい。声がした、と思って振り返ったら、そこには誰もいなかったのだ。おかしいな、と思って辺りを見渡しても、雑草が生い茂った庭が広がるばかり。誰か隠れているのかも、と思って草をかき分けてみたけど、15分あまりの捜索で見つかったのは、ウサギや蛇、それから蠅やムカデ、蝶みたいな虫くらいだった。
「奥様!」
そうこうしていると、ディークが血相を変えてやって来た。
「すぐお戻りを。お客様がまもなく参られます」
「お客様? 誰かしら?」
はて、来客の予定はあっただろうか?
私が首を傾げながら、エプロンで手を拭いていた。
「ルクレティア・ブラック様です」
「……今日は平日よね?」
実際、フェンリールは学校に行っている。
太陽だって、まだ真上を過ぎていない。
「私、なにかやった?」
早足で部屋に戻りながら、最低限の身だしなみを確認する。
身の覚えがない以上、学生の彼女がこんな時間に訪ねてくる理由は一つだけ――トムだ。トムの身になにかあったのだ。トムの異変に関しては、思い当たる節しかない。
「ディーク、お茶菓子の用意はできる? クッキーは昨日全部食べてしまったのだけど、なんとかなるかしら?」
「問題ございません、奥様。ディークがなんとかします」
私とディークがわたわたと準備に奔走していた、そのときだった。
ちりん。
家のベルが鳴る。
ルクレティアが到着したのだ。
「お邪魔致します」
今日の彼女は制服姿だった。トムと同じ制服なのに、貴婦人が高級サロンで仕立てた一着に見えるのだから、つくづくルクレティアの美しさと気品には脱帽する。主席のバッジは、まるで勲章のように胸に輝いていた。
「急に訪問してしまい、申し訳ありません」
そう言いながら彼女が廊下を歩くと、それに追従するようにカーテンが閉じられていった。
私がカーテンに目を向けると、ルクレティアは急くように言葉を続ける。
「誰にも見られたくありませんの」
そう言うと、彼女はリビングの窓も一気に締め切った。陽光が遮られたことで、室内が一気に暗くなる。そのまま灯りを付けようと杖を振ろうとしたので、それは慌てて止める。
「あ、電気製品なので!」
私がスイッチを押すと、リビングの灯りがついた。
「……」
ルクレティアは何も言わず、ソファーに腰を下ろした。
「お茶はいりませんわ。用件がすんだら、すぐに帰りますので」
「あの……その用件とは?」
私も対面するように座りながら、おずおずと聞いた。
「先の休日、トムとアルファードがどこへ行ったのか教えていただけます?」
「……それは、お二人から聞いた方が良いのでは?」
そう答えると、ルクレティアは目を細めた。
「アルファードの様子がおかしいのです」
「アルファード君の?」
「従弟ですから、異変くらい気づきます」
ルクレティアは淡々と――しかし、言葉の節には怒りが滲んでいた。
「私が問いただしても何も言わない。不都合なことがあると、のらりくらりと躱すのは昔からの癖でしたが、そこにキレがありませんの」
「……」
私は何も返せない。
思い返せば、アルファード・ブラックが死地へ出向くのは初めてだった。
トムはダンケルクやモーフィンとの対決など、なんやかんや死線を潜り抜けてきた。そのトムですら私に異変を隠すほど様子がおかしい。なんの耐性もない純血の魔法使いがマグルの――人間の闇に触れ、これまで通りの日常に戻れる方がおかしいのだ。
「答えなさい。なにか隠していることは見通していますのよ」
「トムたちが言わないのであれば、私の口からはなにも――」
「それでしたら、口を緩めさせてもよくってよ?」
私の言葉を遮り、彼女は杖を鼻先に突き付けてきた。
「奥様!」
「ディーク、大丈夫」
私はディークを手で制し、ルクレティアをまっすぐ見据えた。麗しい青い目は怒りと嫌悪で縁取られている。もともと、つかみどころのない令嬢だったが、こうも感情を爆発させていることは初めてだ。
「アルファード君の様子は、そこまで酷いのですか?」
「もともと作り笑いが多いですけど、その頻度がここまで酷いのは二度目――いえ、あのとき以上でしてよ」
「あのとき?」
私が聞き返すと、ルクレティアは一瞬言葉を詰まらせた。だが、すぐに気持ちを切り替えたように答えてくれた。
「マリウスが茨の穴に落とされる瞬間をみたとき以来ということです。私でさえ、さすがに寝つきが悪くなりましたもの」
「マレウス?」
「マリウスですわ。マリウス・ブラック! 一回で聞き取ってくださいませ」
すみません、と謝った。
前世で友人がはまり始めていたゲームの登場人物と名前がよく似ていたし、茨なんて単語を被せられたものだから、つい聞き間違えてしまった。
ルクレティアは軽蔑するように私を睨み続けた。
「もっとも、あれはブラック家の汚点。ブラックと名乗ることを許されていない者ですけど……それから、別に悪意があって茨に落としたわけではありませんのよ! 魔法使いは窮地に陥ったとき、魔力が開花するのです。ホグワーツの歴史を遡れば、5年生からの中途入学があった年もあります。それを望んで、おじさまたちは息子を落としたのです」
「……つまり、彼はスクイブ?」
「語弊がありますわ。まだ魔力が開花していないだけ――って、論点がずれてましてよ!」
彼女はそう叫ぶと、ムッとしたように口を尖らせた。
「あれを見たとき以上に、アルファードは不安定ですの!」
「……」
茨の穴に親族が落とされるのは、確かにトラウマものだ。そんなのを受けて耐えられるのは、茨の茂みに居を構える者だけだ。
しかし、あの場所は……立ち込めているであろう臭いからして、残酷な死で満ちている。マリウスには申し訳ないが、ショックの度合いは今回の方が大きいに違いなかった。
「トムは……どう過ごしていますか?」
「トムは変わりがありませんわ――いえ、あまりにもいつも通り過ぎて妙だと……ともかく、トムがアルファードをなにかに巻き込んだと私は考えておりますの」
トムのことを話すときだけ言葉が淀んだが、それ以外はハキハキとした調子で語っていた。言葉の節々から、アルファードを大切に思っていることが伝わってくる。血の繋がった従弟の様子が変だとなれば、心配するのは無理もない。しかし、どこか妙だった。
「さあ、吐きなさい。アルファードになにをしましたの!?」
「……分かりました」
私は彼女を見据えたまま、努めて平静に口を開いた。
「その前に一度……トムと話させてください」
「口裏をあわせるつもりかしら?」
「そんなことをしたところで、嘘だと見破れるのでしょう?」
「それは……そうね。でも、監視はさせてもらうわ」
「ありがとうございます」
私は頭を下げ、ゆっくりと顔を上げる。
「ところで、トムとの件は順調ですか?」
「?」
私が話題を振ると、ルクレティアは困惑したように眉を寄せた。
「何の話です?」
「……いえ、なんでも」
私がそういえば、ルクレティアは不思議そうな顔をしたものの、次の瞬間には憤然とした態度で帰って行った。まるで「マグルと同じ空気は吸いたくない」とでも言いたげな足取りで……だから、私は思ったのだ。
あれは、ルクレティアではない。
何者かが、ルクレティア・ブラックに変身して来たのだと。
もっとも、来訪者がブラック家の者だということに間違いはないらしい。
そこは、ディークが確認済みだ。
「ブラック家に仕えている若いしもべ妖精が、来訪を告げに来たのです。しもべ妖精に変身できる魔法使いはいません。ポリジュース薬の使用は人間に限定されていますから」
つまり、今日来たのはルクレティア・ブラックではないブラック家の者ということになる。
その時点で来訪者の正体は随分と絞り込める。
でも、今日は本当に疲れた……明日はダンブルドアとの会談があるし、そのときに、ここ数日であったことをすべて話そう。
それから、ホグワーツに行く必要がありそうだ。
偽ルクレティアの要望もあるけど、トムの状態を確かめなくちゃ!
誰の目でもなく、私の目で。