●1944年 5月×日
ホグワーツに来た。
魔法の古城に泊ることができて大満足……ではなく!
昨日の今頃はこんなことになるとは思っていなかったのであって、正直なところ激しく緊張している。いま、こうやって日記を綴っているデスクは見るからに年代物だし、椅子に座ろうとしたら勝手に引かれて、腰を下ろしたあとはちょうど良い位置まで前に出てくれる優れモノだ。
いったい、どうしてこんなことになったのか。
このような事態になった理由をまず書き残しておくことにする。
ことの発端は、昨日の夜――たぶん24時間くらい前に遡る。
ダンブルドアに提案されたのだ。
「アイリス、ホグワーツに来てくれないか?」
と。
もともとダンブルドアにいろいろと話す予定ではあったけど、両面鏡に現れた瞬間、彼は間髪入れずにそう言ったのである。
「トムの精神状態が極めて危険であることが判明した。だが、本人が自覚し、前に進むためには、アイリス……あなたの力が必要だ」
「それは……私でなければならないことなのですね」
ごくり、と唾をのむ。
すると、ダンブルドアは重苦しい表情で頷いた。
「他の誰に指摘されるよりも、あなたの方が良いと考えている。だが、そのためには――あなたに現状を見てもらう必要があるんだ」
「だから、ホグワーツへ……」
納得はした。
フェンリールも明日から二日間、友だちの家にお泊りだから留守にしても不思議に思われない。そう考えると、絶好の機会なのかもしれない。そうなのかもしれないが……
「でも、トムですよ?」
それでも、やっぱり疑問が込み上げてきた。
「私が来ているって知ったら、よけいに普段通りを装うのでは?」
トムの嘘や違和感を見抜ける自信はある。
しかし、それを指摘するとなると、具体的な根拠がなければならない。もとより、当初はダンブルドアでさえ見抜くのが困難なほどトムは平静を装っていた。私が見ていると知れば、なおさら隠そうとするだろう。そうなったとしたら、いささか不安である。
女の勘的なアレで押し通すには、トムは大人になりすぎている。
そもそも、原作では(ダンブルドアを除いて)大人たちを騙しきったほどの天才だ。私程度では……と、ここまで思ったところで、ダンブルドアはくすくすと笑った。
こんな状況だというのに、実に楽し気に笑うものだから、私はじろっと湿った視線を向けてしまう。
「アルバス……」
「アイリス、あなたは自分の力をまったく分かってないな。だが、それがいい」
ダンブルドアはひとしきり笑うと、咳ばらいをした。
「簡単なことだ。君は隠れて様子を見守ればいい」
「……そんな簡単にいきます?」
「私は魔法使いだ。自分で言うのもなんだが、極めて優秀なね。あなたを透明にすれば、トムは気が付かないだろう」
「……バレません?」
「トムは魔法の目を持っていないからね」
ダンブルドアは冗談っぽく言ったが、私は口を歪めることしかできなかった。
「そもそも、私が学校にいる理由はどうするんです?」
「そのままでいい」
「……トムの様子を見守りに?」
半信半疑の答えを口にする。
「あんなことのあとで、心配だったから?」
「それでいいんだ」
彼はウィンクをしてから、言葉を続けた。
「ディペット校長や寮監にもそれで話しておこう。そうすれば、君が透明になって歩いていても誰も文句は言うまい」
「えっ!? 話すんですか!? ぜんぶ!?」
「表向きの理由だけだ。そうだな……来年にはトムも卒業だ。トムが学校でちゃんとやっているのか、気になったという名目でいこう。さっそく、スラグホーンに手紙を書いてもらおう。なに、文面は私も考える」
ダンブルドアに言われるがまま、私は万年筆をとった。ほとんどダンブルドアが書いたようなものだけど、読み返してみたら私が綴ったように見えるのだから不思議なものである。見事なまでに、愛情深き母が一人息子の将来を心配する文面が仕上がっていた。
「では、これをディークに届けさせよう」
「……本当に上手くいくでしょうか?」
しかし、私の心配は杞憂だった。
次の日――すなわち、今日になって、スラグホーンが直接自宅に訪れたのである。
もちろん、十数分前にフクロウさんが来訪の手紙を届けてくれたので、びっくりはしたけどお招きの用意はできた。それに、ダンブルドアは「日曜日だから、スラグホーン自身が来るだろう」と予想していたので、朝から疑念を抱きながらも準備をしていたことも功を奏した。
「トムのお母様、ご安心くださいな」
スラグホーンはこんな時代なのに恰幅の良い腹をぽんっと叩き、穏やかな笑みでこう話してくれた。
「心配な気持ちは痛いほどわかります。ですが、トムは学業優秀で人望も厚く、何においても彼の右に出る学生はいません。卒業して魔法省へ入れば、最年少の大臣になること間違いなしです! つまり、それほど優秀ということですよ」
「で、ですが……私には、トムが無理をしているように思えてならないのです」
私は戸惑いながらも、ダンブルドアに教えられた言葉を自分なりに咀嚼して話すことにした。
「音楽の勉強をしながら、魔法の勉強――その両立は大変に決まっています。しかも、それに加えて、魔法生物の世話や魔法薬の開発もしているのでしょう? 勉強だって、かなり難しくなっているはずですし……そういうことに励み過ぎて、お友だちとの関係が疎かになったら、それはトムのためにもなりませんし……」
自分で例をあげながら、「トム、マジでこれ全部ひとりでやってるの?」と内心驚いた。むしろ、これに加えて他の活動を入れるのは不可能だろう。
「トム、疲れてませんか? ちゃんと休めているのでしょうか? 決闘関係の課外活動もやっていると聞いたことがありますが、それも続けているとなると、ちゃんと食事と睡眠はとれているのか……私、心配で心配で……」
「あー、それは……」
スラグホーンは一瞬だけ「たしかに、やばいかも」みたいに目を泳がせたが、すぐにこちらを向き直った。
「お母様、あなたの息子を信じましょう。それでも、どうしても不安でしたら……そうだ、ホグワーツへ様子を観にいらしてください」
「本当ですか!?」
驚きのあまり、机にばんっと手をつき、立ち上がってしまった。
まさか、こんな早くにその言葉が飛び出してくるとは思いもせず、つい前のめりになってしまう。
「ぜひ! いまから行きたいです、が……本当に良いのですか?」
そう言いながらも、ちょっとがっつき過ぎたような気がして、恥ずかしくて顔を赤らめてしまう。だが、スラグホーンはこちらの無礼を気にしてないように笑った。
「大丈夫ですよ。6月は試験期間ですが、まだ5月も初めですからね。むしろ、いまを逃したら、9月まで学業の様子をこっそり観に来ることは難しくなりますから」
スラグホーンは、すぐその場で校長宛てのフクロウを飛ばした。
手紙の返事を待つ間、私はスラグホーンの相手をした。とはいっても、やはりというべきか……スラグホーンの教え子たちの自慢話が大半で、聞き役がほとんどだった。まあ、今回の場合、スラグホーンが「ホグワーツを卒業した優秀な生徒たちは、全員成功していますので安心してください」という前振り付きだったけどね。
とはいえ、それがずっと続いたわけではない。
スラグホーンが思い出したように、こう言ったのだ。
「そうそう! ルクレティア・ブラックから聞いたのですが、お母様もヴァイオリンを弾かれるとか」
「うぐっ」
思わず喉を詰まらせてしまう。
「わ、私は本当に全然弾けないので……一曲しか。それも、昔聞いた曲のワンフレーズです」
「それでも、気になりますな。お聞きしても?」
「私のヴァイオリンはないので」
そう言えば、スラグホーンは残念そうに口髭を触った。
「それなら仕方ないですな。いや、実は私もピアノを嗜んでいましてな。もちろん、トムとは比べ物になりませんが……なかなか上手いんですよ」
「そうなんですか……!」
頷きながら、私は「謎のプリンス」の描写を思い出す。そういえば、マグルの家に隠れ住んでいるときも、ホグワーツの部屋でもピアノを置いていたような気がする。あの太い指でピアノが弾けるのか気になるけど、本人が言うのだから上手いのだろうし、潜伏生活中もわざわざ持ち運ぶくらいには思い入れが深いに違いない。
「私も先生の演奏が聴いてみたいですわ」
「いやー、何年も弾いてませんから」
スラグホーンは笑った。
お前……私には弾けといっておきながら、自分はそれで逃げるのかい! とツッコミを入れたくなったのを我慢する。
「学生時代は良く演奏会をしましてね。フィニアス・ナイジェラス・ブラック校長の前でも披露したものですよ。そう、アルバス・ダンブルドアと一緒に」
「アルバス、ダンブルドアと!?」
これは初耳で、私はぴくっと耳を立てた。
「備品のヴァイオリンでしたが、なかなか上手く弾きましてね。彼と合わせるのは、なかなかに楽しかったですな」
「あー……なるほど」
だから、蛙チョコレートに「趣味は室内楽とボウリング」と記載されていたのか……と納得した。そういえば、ずっとずっとずーっと昔、トムとダンブルドアが初めて会ったとき、「私もヴァイオリンを嗜んでいてね」みたいなことを言っていたような気が……くっ、当時の日記があれば確認できるけど、あいにく自宅に置いてきている。帰ったら確認するとしよう。
「なるほど、とは?」
「ダンブルドア先生の優秀さは伝え聞いていますので、なんでもできるのだろうと思いまして」
「ほっほう」
彼はニヤッと笑った。
「アルバス・ダンブルドアはなんでもできる。それは事実だろうが、私は一つだけ……彼の苦手なものを知っていましてな……」
「ホラス」
スラグホーンがなにか言いかけたとき、それを制する声がリビングに響いた。私もスラグホーンも弾かれたように声の方へ顔を向ければ、ダンブルドアがにこやかな表情で立っていたのである。
「あー、アルバス! まさか、君がディペット校長の使いかい?」
スラグホーンはバツの悪そうな顔をしたが、次の瞬間にはコロッと朗らかな笑みを浮かべていた。私の家だというのに、両手を広げて歓迎するような素振りを見せるのだから、ちょっと苦手な人種である。
「その通りだよ、ホラス。二つ返事で了承してくださり、丁重にお招きしなさいとのことだ」
ダンブルドアはそう言うと、私と向き直った。
「だが、今日は日曜日だ。今夜は城に泊まって、明日の授業を観てもらおうということに決まったよ。リドル夫人、急で悪いですが、いまから準備をしていただけますか?」
「あ、はい!」
私はピンっと背筋を伸ばした。
「だ、ダンブルドア先生! 何分間で準備すればいいでしょう?」
「何分でも。私とホラスはこちらで待たせてもらおう」
「10分で支度してきます!」
私は頭を下げると、急いで私室へ駆け出した。
それにしても、ダンブルドアから久しぶりに「リドル夫人」と他人行儀で言われた。少し不思議な感じがする。まあ、ここでファーストネームで呼び合う仲だと、スラグホーンに怪しまれてしまうので仕方ない。頭で分かってはいるが、誤魔化しとか嘘とか苦手なので背中がむずむずした。
まあ、そんな経緯で、私はいま――ホグワーツにいる。
トムに来ていることがバレてはいけないので、職員塔の客室から出てはいけないことになっている。食事も運んでもらって、ちょっとしたホテルにいるような気分だ。窓に目を向ければ、箒に乗って空を飛んでいる生徒たちが見える。それだけでも、こんな状況を忘れて心が弾んでしまう。部屋の肖像画が興味深そうに動いたり、ひそひそ話しているのは、ちょっと気になるけど……ただ書き物している背中姿しか見えないだろうから問題ない。第一、私の日記を読めるわけないし……。
いろいろ考えているうちに、だんだん眠くなってきた。
明日の朝は早い。
透明になった状態で、スラグホーンに寮の入り口まで案内してもらうことになっている。そこから、いろいろな授業や様子を見学する予定だ。一人で回れないので、誰か案内役をしてくれるらしいけど、それはまだ秘密らしい。
トムの学生生活をこの目で見られるのは、楽しみであり、不安でもある。
ま、なるようにしかならない。
私は……自分の目を信じるだけだ。