●1944年 5月〇日
いやー、大変だった。
だけど、やるだけの価値はあった。
やっぱり、トムは危険なことに手を出そうとしていた。魂の分割なんて……想像するだけで、背筋がぞっと震えあがってしまう。
いまの段階で気づいてよかった……。
その経緯も含めて、朝からの出来事を書き出しておく。
今朝、私はスラグホーンの魔法で姿を隠した状態で、蛇の像が並ぶ廊下に案内された。
「ここが寮の入り口です。待っていれば、まもなく出てくるはずですよ」
「……少し寒いですね」
「地下ですからな。冬よりはマシですよ。吐く息が白くなりまして、魔法で温めたランタンを持ち歩くものです」
スラグホーンが楽しそうに解説してくれる。
ただ私が姿を隠している状態だったから、はた目から見ると一人でつらつらと話しているように見える。たまたま通りかかったゴーストが、スラグホーンを怪訝そうに眺めてくることもあった。それに気づいたのか、スラグホーンは口を閉ざした。だが、やっぱり話したいのか、ゴーストの姿が見えなくなったタイミングで話を再開した。
とはいえ、そんなことも寮生たちが現れると終わりを告げる。
なんの変哲もなかった石の壁から、にゅるりと巨大な蛇が二つ現れたと思えば、アーチ状の扉が形作ったのだ。アーチの向こうに階段が続き、そこから次から次へと寮生が出てきたのである。
「やぁ、セオドール。おはよう、よく眠れたかい? エイブリーも早いな、おはよう。ちゃんと宿題は持っているかな? ――私がここにいるのが不思議だって? ちょっと野暮用があってね」
こんな調子で、寮生たちと仲良さげに言葉を交わしていた。
そのうち、トムが出てきた。ちょっと眠そうな目をしていたけど、スラグホーンを見つけた瞬間、やや驚いたように目を見開く。しかし、それは本当に一瞬で、すぐに朗らかな笑みを浮かべた。
「おはようございます、先生。まさか、朝からお会いできるだなんて……!」
「トム、おはよう。いや、なに。実は君と会いたくてね。今日の予定を確認しても?」
「僕の予定ですか?」
トムはそう言うと、すぐに鞄から手帳を取り出した。
「月曜日ですので、こちらの時間割になっています」
「空いている時間は?」
「図書室へ。調べたい本がありますから」
トムが模範解答のように言うと、スラグホーンは髭を触りながら頷いた。
「そうかそうか。いや、なに、君も最近は忙しそうだから心配していたのだよ。試験も近いとはいえ、身体は資本だ。ちゃんと休むことも大切だぞ」
「ありがとうございます、先生」
トムは一礼をすると、ドロホフたちと一緒に去って行った。アルファードも一歩遅れてついていったが、やはりというべきか顔色が悪い。無理もない、あの出来事が尾を引いているのだろう。彼のことも気になるが……いまはおいておくとする。
「さあ、奥さん。後を追いなさい」
スラグホーンに小声で促され、私はトムを追いかける。
しかし、これが大変だった……。
まず第一に、ホグワーツは想像以上に広い。
これまでは大広間があって、上の階に教室があるみたいなイメージだったけど、認識の甘さを実感する。幅のある通路もあったが、廊下は入り組んでいるし階段も多い。そのうえ、移動教室のたびに抜け道みたいなところを通ることもあったから、追いかけるのが大変だった。
第二は、トムの歩く速さだ。
トムと暮らして十数年。彼の歩く速さは良く知ったつもりだったけど、いつも以上にずんずん早く進んでいくのだ。一歩一歩で進む歩幅が広く、ついていくので精いっぱい。はぁはぁ肩で息をしながら、なんとかついていった。もしかして、一緒に歩くときは気を遣って足を緩めていたのかな……。
おかげで、足はぱんぱん。
きっと、明後日は筋肉痛だ。アン〇ルツが恋しいよ……。バン〇リンでもいい。
って、そんなことはどうでもよいのだ。
朝食、一時間目、二時間目……と様子を見張っていたけど、ぱっと見て特に変なところはなかった。礼儀正しく、友人たちに囲まれ、勉学にも励む優等生。制服も気崩さず、髪型もばっちり決まっていた。文句の付け所がない完璧な学生である。
ただ……やはり、笑顔がわずかにぎこちない。
完璧な笑顔だけど、ちょっとした拍子に頬がほんのわずか強張る。瞬きするように短い間だけど、作り笑いの証拠である。教師に対してなら分かるが、ドロホフたちに対してもそうなのだから、なにか無理しているのは明白だった。
それにしても……ダンブルドアはなにを考えているのやら。
私が懸命にトムの違和感を探っているのは知っているだろうに、五時間目に「闇の魔術に対する防衛術」の実技で「守護霊の呪文」を扱ったのだ。思わず、トム関係なく真剣に見入ってしまった……。
「試験には出さないが、少し息抜きになるからね」
ダンブルドアは微笑みながら始めた。
「最も恐ろしい闇の生き物――吸魂鬼に対抗する唯一の呪文だ。だが、扱うのは極めて難しい。優秀な魔法使いであっても、有体の守護霊を作り出せるものはごくわずかだ」
そう言いながら、ダンブルドアは杖を振る。
「『
杖の先から銀色の細いものが現れ、不死鳥を形作る。不死鳥は優雅に羽を広げ、教室をゆったりと一周すると空気に霞むように消えていった。
「コツは『幸福な記憶』を思い浮かべることだ。自分にとって最高の記憶を想像する。そのエネルギーが守護霊を作り出す」
ダンブルドアは簡単に言ったが、それができた者はいなかった。
トムでさえ、銀色の霞を生み出すのがやっとだった。トムは眉を寄せ、しかめっ面で呪文を唱えていたが、どうやっても有体の守護霊を作り出すことはできなかった。
「簡単にできるものではないよ。私も時間がかかった」
「……先生は、どのような記憶を思い浮かべているのです?」
トムは難しい顔のまま聞いていた。
「私かい? 友人からレモンキャンディーを貰ったことだな」
ダンブルドアはそう言いながら、悪戯っぽくウィンクをした。
……私に対する世辞はいらないよ……と、呆れていたが、トムは馬鹿にされたと思ったようだ。彼はちょっと怒ったように口を尖らせた。
「その程度でいいのですか?」
「想いの強さが大事だ。自分が幸せだと心の底から感じることが、守護霊に力を与える」
トムは何も返さなかった。
ダンブルドアは優し気に微笑んだまま、彼の肩を軽く叩いた。
「霞を出せただけでも、上出来だ。これから訓練を積むといい」
「吸魂鬼と会う機会はないと思います。僕はアズカバンに行くつもりはありませんから」
「だが、習得して損はない。君のお母さんに披露するといい、きっと驚くだろう」
「……そうかもしれませんね」
トムは笑った。
私の目から見て、今日初めての笑顔は自虐っぽい哀し気なものだった。
話を戻そう。
6時間目はマグル学だったが、先生が急病のため休講だった。
この講義を彼の友人たちはとっていないらしく、トムは一人で廊下を歩いていた。友達と歩くとき以上に足取りが早くて、私は足を潜めることも怠ってしまう。息だって、みっともないくらい上がっていた。
だからというべきか、誰もいない廊下でトムは立ち止まった。
「……そこにいるのは誰だ? ゴーストか?」
いらだった口調で尋ねてくる。
穏やかだった目つきは鋭く尖り、不愉快そうに睨まれる。
「朝からずっとついていたな。悪いが、僕は多忙なんだ。用件があるなら聞く。興味本位なら帰ってもらおう」
そう言われても、私は答えられない。
トムはしばらく黙っていたが、忌々し気に舌打ちをした。
「分かった。5秒待ってやる。その隙に消えろ。そうでないなら、無理やり正体を見せてもらうことになるぞ」
「……」
「5……4……」
トムはカウントダウンを始めた。数字を唱えながら、杖をゆるりと持ち上げる。
私はヤバいっと思って一度撤退を決めようとしたけど、なかなか足が動かない。万事休すか、と思った――そのときだった。
「トム! ここにいたのか!」
スラグホーンが腹を揺らしながら現れたのだ!
まさに、幸運!
トムは憎たらし気に私の方を一瞥したが、すぐに優等生の仮面を被り直した。
「先生!? 僕を探していたとは……?」
「いやなに、実は君に見せたいものがあってね。『鰓昆布』がついに手に入ったんだよ」
「鰓昆布……食べると水中でも息ができる魔法植物ですか?」
トムはやや興味を惹かれたように言った。
「魔法薬の材料にもなるんだ。興味があるだろう?」
「はい! ぜひ!」
トムは頷くと、スラグホーンと一緒に歩きだした。しかし、数歩歩くと、私の方をちらっと振り返る。
「トム? ……ああ、そこにゴーストがいるんだな」
スラグホーンは納得したように杖を取り出すと、私に向かってなにやら呪文をかけた。
「さあ、追い払った。詮索好きなゴーストには困ったものだ」
「……たしかに気配は消えましたね」
トムが戸惑いながらも言ったが、それっきりこちらを気にするそぶりは見せなかった。
もしかしたら、目くらましの魔法を重ねがけしてくれたのかもしれない。
さて、ここからが本題だ。
スラグホーンの研究室で起きた出来事である。
トムは鰓昆布を研究者のような目線で観察し、2、3点質問をした。トムの熱心な姿勢が良かったのだろう。スラグホーンは、どんな質問でも快く答えた。
「他に質問はないかな?」
「ひとつだけ……ですが、その……」
トムは躊躇うように口を閉ざした。だが、覚悟を決めたようにスラグホーンを見つめる。
「図書室で調べものをしていたら、どうしても分からないことがありまして……本を読んでも、よく理解できなくて」
「君に分からないものがあるのかい?」
「はい。たしか……
トムの唇からその単語が紡がれた瞬間、部屋の温度が急激に下がった。
スラグホーンの人の良さそうな顔からも血の気が一気に引いた。
「トム……! それは闇の魔術だ。君はどんな本を読んでいたんだ?」
「先生、あくまで知識を深めるためです。いろいろなことを調べておいた方が良いと思ったのです。ですが、これだけは……良く分からなくて。本にも『邪悪な魔法』だとしか」
彼がいつになく慎重に言葉を選びながら話しているのが伝わってくる。トム自身、このことについて口に出すことをはばかっているような、それでいて学問への興味が抑えきれないような空気を背負っていた。
「ですが、先生はすべてご存じなのですよね?その、先生ほどの魔法使いでしたら――……すみません。先生が教えてくださらないなら、他に聞ける先生がいらっしゃらなくて……」
トムは徐々に声を潜めながら、スラグホーンからわずかに顔を背ける。
スラグホーンはじっと何か考え込んでいるようだった。
「まあ、その言葉を理解するためだけなら」
スラグホーンは咳ばらいをした。
「ホークラックスとは、人がその魂の一部を隠すために用いられる言葉だ」
「でも、先生。魂を隠すだなんて……どうやってやるんですか?」
「魂を分断する。そして物体に隠す。そうすることで体が攻撃されたり、破滅したりしても、死ぬことはない。もっとも、その状態では生きているとは言えないがね」
スラグホーンはぶるりと身体を震わせた。
「どうやって魂を分断するのです?」
「自然の摂理に背く行いをすることで、魂が分断される。自分の生存のためだけに、人の命を無理やり奪うのだよ。つまり、殺人だ」
スラグホーンは自分でも口にして恐ろしくなったのだろう。瞬間的に、彼が微かに震えたのが分かった。
トムも顔をしかめた。
「……恐ろしいですね」
「ああ、恐ろしい」
「ですが、先生。僕が分からないのは……」
トムは言葉を続けた。
「もちろん、あくまで好奇心で……学術的な疑問なのですが、魂を入れる器は無機物でなくても問題ないのでしょうか? 例えば、分断した魂を他者の肉体へ移すことができれば、自分が2人存在する状態を作ることができると思うのです」
「なんだって?」
スラグホーンはわけが分からないといった目でトムを見つめた。
「自分を2人に? そんなことをしたら、どちらが本物でどちらが偽物か分からなくなる。魂は両方同じだとしても、確固たる自我を持つ知能が自身を偽物と認識して正常でいられない。同じ魂で結果は同じだとしても、はたしてそれは自分と断言できるのか?」
「ですから、憑依する肉体に宿っている魂と共存できるかと聞いているのです」
トムは赤子をなだめるように言った。
「魂を切り分ける量が調整できるとすれば、わずかな魂を閉じ込めることは可能なはず。魂の量が少なければ、肉体の主導権は寄生する肉体の魂が得るはずです。そうすれば、共存することはできますよね?」
「それは……まあ、そうだな」
「でしたら、元の魂とあとから入った魂の両方の人格を持つ肉体は作れるはずですよね」
「……理論的には。肉体が耐えられるのであればに限るが」
スラグホーンは青ざめた表情のまま言った。
「1つの肉体に宿るのは1つの魂だ。複数の魂を宿らせれば、肉体の崩壊に繋がる。わずかな魂であれば、肉体が壊れることはないだろう。だが……これはあくまで学術的な話だ。そうだね、トム?」
「ええ、先生。もちろんです。これは、先生と僕だけの秘密ですよ」
トムはそう言い切った。
残念だったが、私の耳には筒抜けだ。
そして、トムが密かに企んでいることの端をつかめた。
トムは分霊箱を作ろうとしている。
それも、恐らく誰かの肉体を分霊箱にしようとしているのだ。
でも、一体何のために?
どうして?
理由は分からない。
でも、分霊箱を作るためにはどうしても避けて通れないことがある。
それは殺人だ。
トムは、どうしてこんな狂った行動をとる道を選んでしまったのだろう? いや、どう考えても、ジョナサン君の件が後を引いているのだろうけど、それでも、その道に進むことだけは絶対に止めさせないといけない。
私の命に代えても、トムを止めてみせる。
説得する術を考えなくては……!
こうして筆を走らせていたら、何か思いつくと思ったのだけど……なかなか思い浮かばないものだ。
……こんな夜中に誰か訪ねてきたらしい。
ドアをノックする音が聞こえてくる。
一度、ペンを置いて、来訪者の対応が終わってから考えるとしよう。
3月15日に更新を予定しております。
次回「トム・マールヴォロ・リドルの分裂」をお待ちください。