●1944年 5月◇日
ふぅ……。
ひとまず、トムの目が覚めてよかった。
トムの口から、言い訳が流れるように出てきたときは息が詰まった。
しかも、「グリンデルバルドがするかもしれないこと」のひとつとして「魂を7分割することで、完全な存在になる可能性」を口にしたものだから、恐怖が先走って口を挟んでしまった。
トムが……私のトムも魂を7分割する可能性に行きついてしまった。
いまでも思い出すたびに、ぞわぞわっと背筋が凍り付いて腹部がぎゅっと縮む。本当に、なんとかなって良かったよ……。
昨夜は唐突に日記を止めてしまったので、続きから書き記すことにする。
部屋を訪ねてきたのは、オミニスさんだった。
いつも青白い顔をしている人だけど、昨夜は日本人形よりも白い顔をしていた。
「聞いたぞ。トムが分霊箱を作ろうとしているって!」
扉を開けて早々、彼は悲痛の声を上げた。
どうやら、ダンブルドアからふくろうを貰って、すぐに駆け付けたらしい。ダンブルドアが迎えに来てくれることになっていたみたいだけど、それを待っていられなかったようだ。
「トムもゴーントの血に逆らえなかった……あぁ、なんてことだ……」
「オミニスさん。まだ大丈夫です」
「君は闇の魔術の恐ろしさを分かっていないんだ!」
オミニスはげっそりとした表情で首を振った。
「すぐに、トムを説得しなければならない。ゴーントの血の悪癖だ。闇の魔術に魅入られたら、より深くまで堕ちてしまうんだ! いや、もう遅いかもしれない……」
「そんなことはありません!」
彼があまりにも悲観的だから、私は言い返していた。
「トムは疲れているだけなんです。しっかり休めば、正常な判断ができるはずですわ」
「随分と平和な頭をしているようだ。これまで花畑で生きてきたのか?」
「トムを信じているからです」
皮肉にも負けず、私は白濁とした目をまっすぐ見返した。
「トムが分霊箱を作ろうとしているのは、自分のためではありません。ジョナサン君のためです」
「根拠は?」
「トムは……私の息子は、自分のために人殺しをするような人間ではありません」
そう言ったが、鼻で笑われてしまった。
「誰がためであれなんであれ、人殺しは悪だ」
「知っています。だからこそ、冷静になれば目が覚めるはずなんです」
トムが一番助けたい存在は、ジョナサンしかいない。
トムが分霊箱を作ることで、どこをどうしたらジョナサンの命を繋ぐことになるのか――私にはまったく想像できない。トムの頭のなかでは、ちゃんと理論が成立しているのだろう。
だが、それは絶対にやってはいけないことだ。
本当は、トムだって理解できているはずだ。
いまのトムは――クマのウィニーを魔法で弄んでいた頃とは違う。命の重みを痛いほどに知っている。にもかかわらず、こんな手を選ぶなんて通常であればありえないのだ。しかし、現実にはありえてしまっている。スラグホーンにあんなことを質問するほどには、分霊箱の作成を最も現実的な手段として考えているのだろう。もしかしたら、殺す相手の選定も始まっているのかもしれない。
そこまで考えると、恐怖で脚が震えた。
しかし、同時に思うのだ。
「代替案を提示すれば、必ず目が覚めますわ。トムだって、本心は分霊箱なんか作りたいとは思っていないはずですもの。ジョナサンを……死にかけている人を助ける方法を提示すれば、絶対に!」
「……諦めさせる他ないだろう」
ところが、オミニスは考えを変えない。
「魔法薬の投与が逆に身体を弱らせているのだろう? その状態から復活するなんて、奇跡に頼るほかない。……それこそ、古代魔術でもどうにもならない」
「それは……」
言葉に詰まってしまう。
彼の言い分には、一理あった。古代魔術は良く分からないけど、魔法や魔法薬でもどうにもならないのであれば、奇跡を起こすしかない。けれど、魔法こそ奇跡を起こすのではないだろうか? そう考えてしまうのは、私がマグルだからなのだろう。
「……賢者の石は?」
「ニコラス・フラメルに借りる。なるほど、それはいい。『賢者の石』を死にかけのマグルを助けるためだけに使ったなんて魔法界に知れ渡った日には、世界中から『この人も助けてください』とフラメルの元に押し掛けることになるだろうな」
「な、なら、ユニコーンの血は?」
「それこそ馬鹿げている。ユニコーンの血を飲んだものは呪われる。生きながらの死だ」
オミニスに否定され、私は唸ってしまった。
私が簡単に人を助けられる術を思いつけるのであれば、トムだって苦労しない。それでも、必死になって助ける方法はないかを考える。
賢者の石を使うのは得策ではない。
ユニコーンの血も駄目。
他に命を繋いだものはあっただろうか?
「幸運薬を投与するのは?」
「調合には6か月かかる。危険な薬故に、市販はされていない」
「他に……他に、なにか……」
私は頭を抱えた。
原作のハリーは毎巻ごとに必ず命の危機に陥っていた。ほとんどは医務室で治療されていたから、今回の役には立たないだろう。でも、なにかヒントになるものはないか……考えて、考えて、うんと考えても、なにも思い浮かばない。
「アイリス、オミニス」
ふと気が付くと、オミニスの後ろにダンブルドアが立っていた。
「すまないね。君を迎えに行く予定だったのだが……」
「待っている時間も惜しくてね。本当は、こうして話している時間ももったいない。早く、トム・リドルの元へ行こう」
オミニスはダンブルドアを急かし、ダンブルドアも彼に追従する。
でも、私は……ダンブルドアの顔を見て、はたと思い出した。
「不死鳥……」
私の呟きに、ダンブルドアはわずかに驚いたように眉をあげた。
「不死鳥の涙には、癒しの力があるんですよね?」
ハリーがバジリスクの毒から生還できたのは、不死鳥の涙を摂取したからだ。いや、口に流し込まれたというか、肌に触れただけだった気もするけど……とにかく、フォークスのおかげで復活することができたのだ。
「バジリスクの毒もなんとかできるなら、瀕死のマグルも助けられるんじゃないですか?」
「素晴らしいが、肝心の不死鳥はどこで調達する?」
オミニスは挑発気味に言ってきたけど、今度はしっかり答えることができた。
「トムが飼育しています」
落語家を思わせる名前をつけているはずだけど、不死鳥は不死鳥。逃がしたなんて話は手紙に綴られてなかったので、いまも飼育しているはずだ。
「…………本当に?」
オミニスが黙る番だった。
驚いたように固まり、真剣に考え込む。
「……不死鳥の涙はいけるか、アルバス?」
「試してみる価値はあるだろう」
ダンブルドアも深く頷いた。
「決まりだな、アイリス。説得は貴方に任せても?」
「当然ですわ」
それから、三人で作戦を立てた。
トムを寮から連れ出して、邪魔の入らない静かなところ――フェルドクロフトで説得に臨む。
こっそり寮から連れ出すのは大変かと思ったけど、案外簡単だった。深夜だけあって、ホグワーツの廊下はたまにふよふよゴーストが浮いている以外、誰ともすれ違わなかった。トムも寮のベッドではなく、トランクのなかにいたので、運び出すのは簡単だった。
まあ、寮に忍び込んだとき、同室のアルファードを起こしてしまったけど……彼は私たちの味方になってくれた。
「トムは寝てないんです」
アルファードが辛そうに教えてくれた。
「毎朝、トランクから出てくるんです。寮の鏡を見ながら、目の下のクマを魔法で消して……たぶん、一時間か二時間くらいしか寝てないんです」
「……アルファード君、あなたも大丈夫?」
「俺は……」
アルファードは一度口を閉じたが、すぐに疲れたように笑った。
「大丈夫ではないですけど、トムよりはマシです。ちゃんと寝れてますから」
……アルファードは本当に良い子だ。
自分だって辛いだろうに……。
今後、彼のケアも気にかけていきたい。なにかできることはないかな……?
それから、トムは私の説得に応じてくれて、オミニスさんの家で寝てくれた。
20分くらいしたあと、オミニスさんの家を訪れてみたら、トムは心地よさそうに寝息を立てていた。ベッドのなかで身体を丸めながらも、どこか安心したように……。
たぶん、トムは大丈夫。
ちょっとだけ心配はあるけど、たぶん平気だろう。
今日は、私もしっかり寝ることにする。
おやすみなさい。
って、筆をおいたけど、いま飛び起きてしまった。
動揺で筆跡まで震えてしまっている。
あまりにも自然だったので、すっかり気づくのに遅れてしまったけど……私、ゴーストが見えるようになっている!?
あまりの衝撃で、眠気まで吹っ飛んでしまった。
マグルは、ゴーストを視認できない。
最初にホグワーツを訪れたとき、ゴーストが見えなくて残念って思ったのはよく覚えている。
でも、昨夜は見た。
夜の闇に包まれた廊下の端を、ふわふわと銀色の影が浮遊していた。まちがいなく、あれはゴーストだった。ゴーストなんて首無しニックとか灰色のレディくらいしか知らないけど、半透明なところは同じだった。
なぜ?
どうして、急に見えるようになったのだろう!?
明日、ダンブルドアに相談してみよう。
なにか不吉の始まりでないと良いのだけど……。