トム・リドル育成計画!   作:寺町朱穂

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〇1944年7~8月 這いよる蛇

●1944年 7月31日

 

 トムとジョナサンが出発した。

 正確にいえば、ディークの「姿くらまし」でスロバキアへ飛んだ。到着次第、トムが山中に潜めるレジスタンスを魔法で探す。そこに、ジョナサンを預ける。魔法で見た目を貧相にし、さぞ遠くから逃げてきたように偽るのだそうだ。

 

 私は――……「いってらっしゃい」くらいしか言えなかった。

 

 ジョナサンに食べ物とかお金とか必要そうなものを渡したかったけど、それはできない。いくら魔法で誤魔化せるとはいっても、限度というものがあるのだ。彼の安全のためにも、ここは何も渡さない。その代わり、彼の折れそうなくらい細い体を抱きしめた。

 

「どこにも行く当てがなかったら、ここに戻ってきなさい。いつでも歓迎するからね」

 

 髪のほとんど生えていない頭をなで、悲しいくらい白く冷たい頬を軽く叩く。

 ジョナサンは驚いたように目を見開いたが、すぐに目尻を緩めた。

 

「……はい、ありがとうございます」

 

 彼は吐息を零したような声で呟いた。

 

「あなたが、ずっと気にかけてくれたことは知っていますから」

 

 そう言って、へなっと笑う。頬はこけ、やつれた顔立ちだったけど、笑顔だけは昔のままだった。少年だった頃の幼い顔が重なって、私は涙をこらえるのに必死になってしまう。

 でも、泣いてばかりではいられない。

 ぐっと嗚咽を押し殺して、今度はトムに両手を差し出した。

 

「トム、あなたも……」

「僕はいいよ」

 

 しかし、彼は鬱陶しそうに手を振った。

 

「送り届けたら、あとは帰って来るだけだから」

 

 さあ行くぞ、と、トムはジョナサンに声をかけようとして固まった。

 ジョナサンはラシェルと別れを交わしていた。2人の間に会話はなかったけど、随分と熱烈な別れだった。

 ラシェルは寄宿舎から戻ってから、ジョナサンの傍を片時も離れようとしない。食事をとるときは必ず隣の席だし、寝るときも同じベッドで横になっている。歩くときは彼の肩を支え、杖の代わりをするほど甲斐甲斐しく世話を焼く姿が多く見られた。婚約者として、死の手前で引き返してきた愛する人の傍に少しでもいたいと思っているのだろう。

 だから、まあ……私としては、別れのキスくらいすると予想していた。

 特に、ラシェルはフランス人だし。

 ただ、トムにはちょっと刺激が強かったみたい。

 トムは目が点になっていた。あんぐりと口を開けたのもつかの間、すぐさまハッとしたようにフェンリールの目を隠した。フェンリールの方は、ちょっとニマニマしながら見ていたけど、視界を塞がれて怒ったように声を上げる。

 

「なっ、アニキ! なにすんだよ!」

「お前には早い」

「べつに、そんなことねーし! だいたい――っ!」

 

 フェンリールが最後まで言い終える前に、口は縫い合わされたように閉ざされた。たぶん、黙らせ呪文を使ったに違いない。

 

「……はぁ……不埒な」

 

 トムは顔を火照らせながら、ため息をついた。

 

「……そろそろいいだろ。二度と会えないわけじゃない」

 

 トムが呆れたように声をかけると、二人は弾かれたように離れた。

 ジョナサンは恥ずかしそうに顔を赤らめていた。

 

「あ、うん……そうだね。ラシェル、またすぐに会おう」

「ええ、必ず……」

 

 そう言いながら手を握る二人は、ちゃんと恋人同士だった。

 いつだったか、ラシェルが「ジョナサンの優しさに付け込んだ」みたいなことを言ってたけど、2人の間にはれっきとした絆を感じることができて安心する。

 

「お待たせ、トム」

「……あのさ、あんなことしている場合じゃないだろ」

「それって、どういうことかしら?」

 

 ラシェルが少しばかりムッとしたように言った。

 

「向こうで、女性と知り合う機会があるかもしれないじゃない。でも、彼には私がいるんだから!」

「デートの機会なんてあるわけない。命がけの逃避行なんだからさ」

 

 トムは理解できないといったように首を振り、ジョナサンとディークの手を取った。

 

「じゃあね、アイリス。明後日には帰って来るから」

「ありがとうございました。この恩は一生忘れません」

 

 ジョナサンがそう言い終えると、ぱちんという音と共に3人は「姿くらまし」した。次の瞬間には、スロバキアの山奥に立っていることだろう。

 

「……行ったわね」

 

 私が呟くと、ラシェルはへなへなと座り込んだ。

 

「大丈夫よ。すぐに会えるわ。ジョナサン君は、約束を守る子でしょ?」

「分かっています、分かっているのだけど……」

 

 ぽたぽたと涙を流していた。

 私は彼女の隣に腰を下ろすと、背中を優しくさすった。

 

 

 落ち着くまで、ずっと。

 

 

 トムが失敗しないことは分かっている。

 このくらいのこと、簡単にやってのけるだろう。

 ディークもいるし、いざってときはなんとか手を打ってくれるはずだ。

 それでも、やっぱりいつものように、この三日間はトムたちの無事を祈りつつ、そわそわしながら過ごすんだろうな……現に、こうして日記を書いているいまだって、気を抜くと不安が込み上げてくる。

 

 

 大丈夫って理解しているのに、ね。

 

 

 それにしても……最近、空襲が酷い。

 ドイツ軍の戦闘機は飛んでこないのだけど、代わりにミサイルが何発も飛んでくる。

 本当に怖い。

 この家は魔法で守られているから、下手に外へ逃げることはしない。近くの防空壕に逃げるよりも、家にこもっていた方が安全なのだ。それは、私も分かっているし、家族みんなが理解している。

 それでも、爆発する音は怖い。

 トムが帰ってきたら、すぐにでもコッツウォルズの家へ帰るとしよう。

 

 

 

 

●1944年 8月1日

 

 出版社へ原稿を届けに行った。

 いや、昨日は外出しない方が安全だって書いたけど、私にだって生活があるのだ。

 

 毎回、モーリスに原稿を取りに来てもらうのは申し訳ないし……。

 それに、最近の我が家の夕食には、ジェイコブが招かれている。モーリスは子どもが増えることですら驚愕して白目を剝きかけていたのに、見知らぬ男性が和やかに食卓についているところを見たら……卒倒して気絶しかねない。あらぬ誤解を与えてしまいそうだ。

 

『君、結婚するのか!? まさか、この男まで養子にするつもりじゃないだろうな!?』

 

 とかね。

 

 そう思って、編集部へ原稿を届けに行ったのだけど……モーリスに怒られてしまった。

 

「こんな非常事態にのこのこ来るなんて! 危ないぞ!」

 

 って。

 

「いつ空襲警報が鳴るか分からないっていうのに……家まで送るよ」

 

 私は「仕事があるでしょ?」って言ったのだけど、「もう休憩時間だし、君の安全の方が大事だ」って押し切られてしまった。

 だから、十数年ぶりに二人で街を歩いた。

 肩が触れるほど近くはないのに、離れようとしない絶妙な距離感を保ちながら、二人で瓦礫の街を歩いていく。ここのところのミサイルのせいで、一時は活気めいていたロンドンの街も逆戻り。ウェストミンスター橋なんて、破損したことが理由で通行止めになっていた。

 

「まったく。早く終わって欲しいものだな」

 

 モーリスは壁が崩れたヴィクトリア朝の建物を横目で追い越しながら、苦しそうに言っていた。

 

「来年の今頃は終わっているわよ、ヨーロッパ戦線はね」

「君の楽観的推測だろ。……まあ、君のそういう楽観は当たることが多いからな。今回もそうだと信じているよ」

 

 モーリスはそう言って笑った。

 

「戦争が終わったら、アイリスはなにする?」

「そうね……ケーキにアイシングをいっぱいかけて食べることかしら」

 

 私はちょっとおどけて言った。

 

「お砂糖の残量を気にしないで料理したいわ。モーリスは?」

「そうだな……気の知れた友人と食事かな、ちゃんとしたレストランでね」

 

 そんな和やかな会話を楽しんでいた――が、それもつかの間、モーリスの気配が変わった。ずっと私を見つめていた楽し気な視線が、一瞬だけ背後をかすめる。なにかを探るような、確かめるような目つきだった。

 どうしたのかな、と後ろを振り返ろうとしたけど、その前に彼はこちらへ肩を寄せてくる。そして、一言――とても低い声で短く告げた。

 

「アイリス、つけられている」

 

 胸がぞわっとした。

 自分の身に危険が迫るのは、これが初めてではない。だけど、慣れるわけもなかった。

 

「嘘でしょ」

 

 自分の声を抑えようとしたけど、かすかに震えてしまう。

 

「嘘じゃない。編集部を出てから、ずっとついてきている。目つきも怪しい、蛇みたいな奴だ」

「その人、白目?」

 

 モーフィンがまっさきに頭に浮かんだ。

 でも、彼はアズカバン送りになった。それに……主観的だけど、いまの彼が私をつけ狙うことはしないと思う。家宝の指輪を託す程度には丸くなってくれたわけだしね。ただ、それでも、危険な人物筆頭であることに変わりはない。蛇みたいだと称されたら、なおさらである。

 

「違う。痩せぎすの男だ。鼻はやや高めで底意地悪そうな顔をしている。心当たりは?」

「…………わからない。ショーウインドウに映せるかしら?」

 

 カーブミラーがあれば背後を確認できるのだけど、そういうものはこの時代にない。かといって、ここで唐突に手鏡を出すわけにはいかず、他にガラスのようなものはそれしか思いつかなかった。

 

「もう少し歩けば、大きなブティックの前に出る。それでいいか?」

 

 私は黙って頷いた。

 数分の距離が何十分にも感じられた。

 私を狙うのであれば、十中八九魔法関係者だろう。魔法関係者なら、私が太刀打ちできるはずもなく、モーリスを巻き込むことは明白だった。どうかお願い、なにもしないで……誰か分からないけど、せめて、モーリスと離れるまでは……と重い足取りをわずかに早める。

 そして、衣装を陳列した長い長いショーウィンドウをちらっと見る。整然と並んだマネキンではなく、ガラスの反射を確認し――……

 

「アイリス! 奇遇ね!」

 

 悲鳴を上げる前に、賑やかな声をかけられる。

 私が顔を上げると、ナティが楽しそうに手を振っていた。

 

「ナティ……?」

「ちょっと買い物していたのよ。アイリスは友人とおしゃべり?」

「え、ええ。友だちで仕事相手のモーリスよ。物騒だから、家まで送ってくれるって……」

「へー、私もご一緒していい? 隣に住んでいるんだしさ」

 

 ナティは明るく提案してくる。

 

「もちろんさ。大勢の方がいい、いまみたいな時代はね」

 

 モーリスはにこやかにそう言うと、私にだけ聞こえるように囁いてきた。

 

「……男だが、いつのまにかいなくなっている。だが、危ない男に狙われているのは事実だ。帰ったら、すぐに警察に相談すること。いいな?」

「……うん」

 

 男が消えたのは、別に不思議でも何でもない。

 きっと、ナティが来たから身を引いたのだ。

 だって、私が見たのは……ファンタビに登場したアメリカの闇祓いだった。名前は憶えていない。ティナの上司で、グリンデルバルドの脱獄に協力した男その人だった。

 

 

 最悪……。

 なんで、またグリンデルバルドに狙われないといけないんだろう?

 グリンデルバルドの興味を惹く存在ではないし……いや、「マグルにしては、実に興味深かった」と言われていたけど、どうして今頃なの? ここのところ、ずっと付けられている気配はなかったはずだ。一般人のモーリスが気づけるのだから、ディークや他の魔法使いたちが勘づかないはずがない。気づいていたら、「命が狙われているから、家から出ないでください」くらい言ってくれるはずだ。

 

 ……はぁ、考えても答えは出ない。

 時間を見て、ダンブルドアに相談することにする。

 なぜ、どうして? という堂々巡りの疑問を解決してくれるはずだ、たぶん!

 今回ばかりは、お得意の秘密主義を発動しないでくれ!

 

 

 

 




一難去ってまた一難。
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