トム・リドル育成計画!   作:寺町朱穂

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〇1944年8月 本当の幸い

●1944年 8月2日

 

 今日は精神的にまいった……。

 ミサイルが嫌になるくらい落ちてくる。

 この家に落ちても破壊されないって理解はしているけど、怖いものは怖いのだ。

 爆撃機の編隊が空を覆いつくす空襲も怖いけど、ミサイルはそれとは違った恐怖がある。空襲警報は鳴るけど、空を覆いつくすほどのドイツ空軍の姿はなく、代わりにミサイルが飛来し続けるのは精神衛生的によろしくない。爆撃機が一機残らず空から消えれば「やっと、終わったのね」と安心することができるのだけど、ミサイルはいつ終わるのか視認できないから……。

 

「大丈夫。この家は安全だから」

 

 そう言いながらも、避難用の鞄を抱えてしまう。

 フェンリールにもラシェルにも避難用のヘルメットを被せ、リビングに身を寄せていた。

 

「平気よ、平気。すぐに終わるわ」

 

 ラシェルの震える肩を抱き、フェンリールの小さな背中をさすり続けた。

 

「ほら、ラジオを聞きま――っ」

 

 2人を落ち着かせようと、ラジオに視線を向けたとき、ひときわ大きな爆発音が耳を貫いた。それと同時に、ラジオから金切り声が上がる。

 

『ああ、大変です! タワーブリッジが! タワーブリッジにミサイルが直撃しました! なんということでしょう!』

 

 ロンドン橋が落ちた(London Bridge Is Broken Down)

 マザーグースの一節が脳裏を過った。タワーブリッジはロンドン橋とは違うけど、ロンドンを代表する橋であることには違いない。私は手を伸ばしてラジオを止めると、2人を強く抱きしめた。

 

「せっかくだから、不思議な話をしましょう」

 

 ロンドンとも魔法使いとも関係ない話――爆発音が響き、家がぎしぎり鳴る現実を忘れるような物語――……

 

「あるところに、ジョバンニという男の子がいました――……」

 

 ふと、浮かんだのは「銀河鉄道の夜」。

 決して明るい話ではないし、なんならカンパネルラが命を落としたバッドエンドな物語だけど、自宅のリビングで真っ先に思いついた物語はこれだったのだ。昔、トムのために翻訳し、語り聞かせたことを無意識に思い出したからだったのかもしれなかった。

 最初こそ、2人とも「こんなときに物語なんて」という顔をしていたけど、ザネリにからかわれるところで怒っていた。ジョバンニが銀河鉄道に乗り、鳥捕りと出会うくだりのあたりでは、静かに聞き入っていた。

 話している間にも爆発の音が聞こえてきたが、遠雷のように響いていた。

 

「まるで、不思議の国のアリスね」

 

 すべてを語り終えた頃、ラシェルが呟いていた。

 

「夢の世界を旅するところが一緒。でも、本質は反対よ。アリスは言葉遊びが多くて、賑やかで騒がしい感じが強いけど、いまの話は静かで幻想的。どことなく物悲しいわ」

「……たしかに」

 

 私は小さく頷いた。

 

「その作品の比較は考えたことがなかったわ」

「『不思議の国のアリス』は、ルイスがアリスって子のために語った話なのよ。いまの学校で習ったわ。ジョバンニの物語も、きっと誰かのために綴られた話のような気がするの。アイリスさんは知っている?」

「作者が亡くなった妹を想って、だったと思う」

 

 前世で習ったことを思い出しながら答えた。

 ラシェルは「なるほど」と強く頷いた。

 

「だから、同じ夢の旅でも雰囲気が真逆なのね。1つは生きている少女を楽しませるため、もう片方は亡くした妹への祈りなのだわ」

「んなこと、考えながら聞いてたのかよ」

 

 一方、フェンリールは不服そうに言った。

 

「鉄道で旅するっておもしれーなって思ったけどさ、死んでるじゃねぇか。死者の列車! 暗い話で好きじゃねー」

「でも、ロマンチックよ」

「まあ、鳥捕りの話とかさよかったけどさ、なんつーか、全体的にいんうつっていうのか? うじうじしていて、オレは気に入らねーって思っただけさ」

 

 それでも、彼の表情はやや明るくなっていた。あいかわらず顔色は白かったけど、銀河鉄道の夜を語る前よりも頬のあたりに血色が戻っている。

 

「『ほんとうのさいわい』? んなの、悩むまでもねぇよ。『腹いっぱいになる食事』『あたたかいベッド』、これで十分だ」

 

 フェンリールは指を立てながら言ったけど、そのあとに少し考え込むように黙った。ややあってから、もう一本、指を立てる。

 

「ま、しいていうなら『家族』じゃねーの? 一人で気ままにやるのも楽だけどさ、こういうとき、一緒にいてくれる家族がいるって……幸せだと思う」

 

 彼はだんだんと声を落とし、最後の方は本当に囁くような声だった。そのまま三本の指をやや丸め、照れたように頬をかく。彼の様子を見て、ラシェルは幼子を見るようにくすくす笑っていた。フェンリールはすぐに気づき、むっとしたように口を尖らせる。

 

「あんたは? あんたにとっての、本当の幸いってなんだよ」

幸せ(アシュレイ)。神様の教えを守り、神様の前に正しく生きることよ。ただ、そうね……」

 

 ラシェルは天井を見つめた。

 

「たくさん大事な教えがあって、全部が全部等しく大事だけど……家族を大切にすることは、かなり大切だと思うわ。家族は神の祝福だもの」

 

 彼女は、ぽつぽつと口にする。

 

「そう考えると、この物語の『幸せ』はキリスト教的ね。私のとは少し価値観が違うわ」

 

 フェンリールは黙って聞いていた。うーと唸っていたが、ちらっと上目遣いでこちらを見てくる。

 

「母さんは? 母さんは、本当の幸せって何だと思う?」

「そうね……あなたたちが幸せなら、それで十分よ」

 

 トムとフェンリール、ラシェル。それから、ジョナサンも。

 みんなが幸せって笑っていられるなら、それで十分。

 でも、それはフェンリールの望む答えではなかったみたい。

 

「それって、違くねぇ? オレたちの幸せはオレたちの幸せ。母さんの幸せは母さんの幸せだろ?」

「でも、これが私の幸せなの。サソリの炎みたいなことは、ちょっと怖いけど……あなたたちを守るためなら、喜んで命を差し出せるわ」

 

 そう言って、彼の髪をなでながら微笑んだ。

 ただ、これにはフェンリールだけでなく、ラシェルも渋い顔をしていた。

 

「……そんなこと言うなよ……」

「誰かのためであっても、神は命を投げ出すことを許されないわ」

「たとえよ、たとえ話」

 

 そう言って、笑いながら誤魔化した。

 

 いつのまにか、爆発音は止まっていた。

 空襲警報解除のサイレンで、私は元気よく立ち上がった。

 

「さあ、夕食の支度をしましょう!」

 

 ちょうどそのとき、ぱちんという音が響いた。

 トムが帰ってきたのだ。

 

「トム!」

「帰ったよ、アイリス」

 

 トムの服装は出かけた時とは異なっていた。土で汚れた薄手のシャツに吊り紐つきのズボンという貧しい身なりをしている。

 

「ジョナサンは?」

 

 ラシェルがまっさきに聞いた。

 

「無事、引き渡せたよ。万事解決だ」

 

 トムが言うと、ラシェルは安堵の息を零していた。

 

「トム、その服は?」

「少しでも溶け込めるように変えたんだ。お腹もぺこぺこだよ……」

「良かったわ、ちょうど夕食の支度を始めるところなの」

 

 あとは続報を待つだけ。

 トムが解決したと言ったのだから、大丈夫なのだろう。

 私は食事の準備を始めた。

 とはいっても、自宅とは異なり食材の備蓄がないので、レンズ豆のスープとオートミールでかさましたミンスパイがメインだったけど……それでも、良い雰囲気で食卓を囲めたのは、幸せだなって思えた。

 

 そういえば、トムにとっての「本当の幸い」はなんだろう?

 せっかくだから、聞けばよかったな……。

 

 もう何年も経ったから、さすがに私が訳した「銀河鉄道の夜」は捨てているだろうけどね。

 

 

 

●1944年 8月6日

 

 ひとまず、コッツウォルズの家に帰った。

 フェンリールも落ち着いている。昨夜は満月だったけど、トムたちの開発した脱狼薬のおかげで部屋で静かに過ごしている。ちょっと怖いくらい……あの暴れ具合が嘘のようになくなったものだから、大丈夫な薬なんだよね、って不安になる。

 夜、フェンリールの部屋の前で耳をすませていたけど、あまりにも静かすぎて……思わず、トムの部屋を訪ねてしまった。

 トムの部屋からは、やっぱり誰かと話している声が聴こえてくる。

 私は「友だちと話しているのに申し訳ないな」って思いながらも、ノックをした。

 

「トム。ごめんなさい、ちょっといいかしら?」

「大丈夫だよ」

 

 トムはすぐに出てきた。

 肩越しに部屋の様子を見たけど、トランクが部屋の中央に置いてあるだけで特に変わった様子はなかった。

 

「なに?」

「えっと、フェンリールの薬のことだけど……」

 

 私が抱いている不安感を言葉にすると、トムは「なんだ、そのことか」と腕を組んだ。

 

「理論的には、野生を抑える薬なんだ」

 

 トムは言った。

 

「いまの調合では、肉体の変化は止められない。ただ、精神面まで野生化させないように調整することはできる。つまり、精神まで狼にさせないようにしたのが、僕とベルヴィが作り上げた薬なんだよ」

 

 トムは得意げに説明してくれる。

 本当はもっと詳しく語って聞かせてくれたのだけど、半分も理解できなかった。

 

「フェンリールの身体への負担はないんだよね?」

「それはないね」

 

 トムは断言した。

 

「満月になるたびに、強引に肉体が変化していることの方が負担だよ。次の目標は、狼化を抑える薬の開発なんだ」

「つまり、トムは薬剤師になりたいの?」

「それは……どうだろう」

 

 トムは言葉を濁した。

 

「魔法薬を調合することは、あくまで趣味として続けたい。だって、僕が開発したいのは、狼化を抑える薬であって、それ以外の薬にそこまでの興味はないんだ」

「それなら、なにになりたいの?」

 

 私が尋ねると、トムは口を閉ざした。言いたくなさそうに黙り込んでいるので、深堀しないでおこう――と思い、別の話題をふりかけたとき、トムはやっと口を開いた。

 

「僕は……悩んでいるんだ」

「大丈夫? 相談に乗るわよ?」

「いや、いい。僕が決めないといけないんだ」

 

 トムはまっすぐな目をしていた。

 黒々とした目の奥には明るい色が光っている。その目を見ただけで、ちょっと安心した。少なくとも「分霊箱を複数作成して、自分を分身させる」とか「闇の魔術を極めてみたい」みたいな危うい夢を抱いていないことは明らかだった。

 

「……そう。でも、どんな仕事に就くかは教えてね」

「もちろん。……おやすみ、アイリス」

「トムもね。あまり、おしゃべりはし過ぎないように」

 

 私はそう言いながら扉を閉めようとしたら、トムは不審そうに眉を寄せる。

 

「アイリス。どうしてそんなことを言うの?」

「誰かと話しているように聞こえたから……内容までは聞こえなかったわ」

 

 弁明するように言葉を重ねたら、トムはますます眉間の皺を深めた。

 

「僕はバジリスクと話していたんだ。蛇語と普通の言葉を聞き間違えるなんて、ちょっと疲れてるんじゃない? 早く寝なよ、アイリス」

 

 トムは私を気遣うように言うと、扉を閉めた。

 

 そっか、蛇語と聞き間違えたのか。

 あらぬ勘違いをしてしまったみたい。疲れているのかな、蛇語特有のシューシューガラガラ音を人間の言語だと聞き間違えるなんて……って、そんなことある!? ぶっちゃけ、ありえないんだけど!?

 

 もちろん、本当に疲れているだけかもしれない。

 私、普通の人間。

 蛇語を理解したことは、いままでなかったし……もしかして、急に理解できるようになった? でも、そんなことってありえるの? 分霊箱の影響? いや、ハリーが蛇語を理解できたのは、ヴォルデモートの分霊箱だったからだ。私のなかに眠るもう一つの魂が、ヴォルデモートとは思えない。ヴォルデモートはハリーの手によって、消滅したのだ。他に蛇語を理解している人が存在している描写は、原作にも映画にもなかった。

 え、まさか、ハリーの魂が私のなかに宿っている?

 でも、ハリーはヴォルデモート亡きあと、傷跡が痛まなかった的な一文が挟まっていた。たぶん、蛇語は使えなくなっているはずだ。

 それなら、いったい誰なの?

 

 何も分からない、辛い……。

 ……ひとまず、寝ることにする。

 

 おやすみなさい。

 朝になったら、疲れも全部消えてますように。

 

 

 

 

 

 

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