●1944年 8月×日
「
なぜだろう。
朝起きたとき、そんなことを呟いていた。
両頬には冷たい一筋の跡が伝っていて、鏡に映った自分の目は充血していた。
たぶん、泣いていたのだろう。
変だな、私……どうして、泣いていたんだろう?
私、悲しい夢でも見たのかな……?
さて、朝の不思議な出来事はこのくらい。
本日の本番はここからだ。
お昼をとっていたら、窓からコツコツと音が聞こえてきた。私を含め、食卓を囲んでいた子たち全員の視線が、一斉に窓へと向けられる。窓辺には、立派なフクロウが止まっていた。
「……ホグワーツのフクロウだ」
トムが怪しみながら窓を開け、手紙を受け取る。
お昼の時間に手紙なんて珍しいな、と感じなら、私は茶化すように口を開いた。
「あれじゃない? トムが主席になりましたって通達とか?」
「それなら一昨日届いた」
トムがペーパーナイフを器用に使い、手紙の封を切りながら答える。
「それは本当!? すぐにお祝いをしなくちゃ!」
「……そういう反応されるから、黙ってたんだ。もう子どもじゃ……ん?」
彼はそう言いながら手紙に目を落とし、愕然としたように眉を持ち上げる。そのまま、複雑な顔でこちらに視線を向けてきた。
「あのさ、アイリス。スラグホーンとダンブルドアが大事な話があるから家庭訪問をしたい、って」
「大事な話……? いつかしら?」
「あと10分後」
「そう、10分……なんですって!?」
私は勢いよく立ち上がってしまった。
あまりにも急に動いたものだから、テーブルの食器がかちゃかちゃ音を立てる。
「どうして!?」
急すぎる訪問は魔法界あるあるネタなのかもしれないけど……! いまやらなくても良くない!? 誰もが魔法を使って、ちょちょいのちょいと掃除したり、お茶の準備をしたりできるわけではないのだ。
「フェンリール、ラシェル、とりあえず部屋に行ってなさい。トム、服装を整えて来て。ディーク、準備を手伝ってくれる?」
「もちろんです、奥様!」
そこからは目まぐるしかった。
ディークが昼食の片付けと掃除の両方を担っている間、私はお茶とお菓子の準備に奔走する。ディークがいなかったら、どうなっていることか……。
「奥様、そちらもディークにお任せを! 奥様はご自身の支度を!」
「ありがとう!」
おかげで、髪の毛を整える時間くらいは確保できた。
ちゃんとしたメイクする時間まではなく、きっちり10分後に呼び鈴が鳴る。
「どうぞ」
スラグホーンとダンブルドアが昼間っから玄関口にいる。ダンブルドアは普段の紳士然としたスーツ姿、スラグホーンは魔法使いらしいローブ姿。ダンブルドアが長身に対し、スラグホーンは背が低めなこともあいまって、ちょっとだけ――いや、本当に少しだけ、コメディアンにいそうだなとか思ってしまう。ダンブルドアがボケで、スラグホーンがツッコミだと面白いかもしれない。ボケそうもなさそうな方がボケるから面白いのだ、なんて妄想を膨らませていたら、ダンブルドアが噴き出すように笑った。
「どうした、アルバス?」
スラグホーンが不思議そうに振り返る。
ダンブルドアはわざとらしく咳ばらいをした。
「いや、なんでも。いつ会っても楽しそうなお母様だと思ってね」
「お褒めの言葉として受け取っておきますわ」
私はにこやかに答えながら、やっぱり心を読まれたか……と思った。いつものことなので気にはしていないが、それはそれ、これはこれである。ノータイムで心を読むのは癖になっているのかもしれないが、こういう真面目なときは止めてほしい。いや、私が変なことを考えていたのが、そもそものキッカケなわけで……なんて、また思考が脱線しかけていたので、気が付くと、ダンブルドアの頬が再び緩んでいた。
「と、とにかく中へ。お茶を用意してありますから」
ひとまず、リビングに通した。
2人がソファーに腰を下ろすと同時に、ディークがお茶を運んできてくれる。
「先生!」
それと一緒に、トムも姿を現した。つい先ほどまで、安物のシャツと膝のあたりに穴が開きかけているズボン姿だったのに、やや高級感のあるシャツとアイロンのかかったズボン姿に早変わりしていた。胸には、真新しい主席のバッジが輝いており、手には小さな箱を抱えている。
「スラグホーン先生、ダンブルドア先生、お久しぶりです」
トムは箱をキッチンのテーブルに置くと、すたすたとこちらに歩み寄ってきた。
「おお、トム! さあさあ、こちらに座りなさい」
スラグホーンは自分の家にいるかのように、トムに対面の席を進めた。
「主席のバッジはもう届いたかな? おめでとう。もっとも、君がそのバッジを貰うことは、入学したときから決まっていたようなものだけどね」
「ありがとうございます、先生方のご指導あってこそです」
トムは余所行きの笑顔を張り付けたまま、私の隣に座った。
「ところで、先生。今日はどうして?」
「面談だよ、トム」
スラグホーンは人の良さそうな笑顔で言った。
「そのバッジと一緒に面談の知らせについて同封したはずだったのが、手違いで出されていなくてね。こんな急な来訪になってしまい申しわけない」
「面談とは?」
「お母さん、たいしたことではありません。ただ、ちょっとトムの将来に関してのお話がありましてね」
スラグホーンは紅茶を一口飲み、優雅に言葉を続けた。
「通常は、保護者の方と面談を行うことはありません。ですが、トムはマグルの世界でも名を轟かす有名人。お母様もマグルの方で、『トムの今後について、心配にしていることだろう』と校長と話し合いましてね。こうした機会を設けることになったというわけです」
彼はそこまで言うと、ちらっとダンブルドアを伺い見る。
「アルバスがついてきたのは、いかんせん……どうにも私はマグルのことが詳しくないものでして」
「ホラス、謙遜を」
ダンブルドアは、ここでようやく口を開いた。
「寮監は君だ。私は見届け人のような立場だと思ってくれ」
「そうだとありがたいよ、アルバス」
スラグホーンは微笑んでいたが、ちょっと警戒するような眼をしていた。もちろん、瞬きするよりも短い時間だけどね。でも、その気持ちはわかる。私自身、「面談なら寮監だけでよくない? どうして、アルバスが来たの? なにか裏があるに違いない」と思っている。
「先生、面談といっても……僕はまだ進路を決めかねています」
一方、トムはすまなそうに肩をすくめた。
「そうだろう、そうだろう!」
対して、スラグホーンは髭を触りながら、気前がよさそうに笑っていた。
「君の進路は選び放題だ! まだ1年残っているというのに、魔法省の大臣室を含んだ主要7部署すべてや預言者新聞を含んだ大企業6社からオファーをかけられている! これは、マーリン以来の快挙ですよ!」
「そうなの!? 凄い!」
私は目を丸くして、トムを見つめてしまう。
「大臣室って、魔法省大臣の直属ってこと?」
「お母さん、そうなんですよ!」
スラグホーンはパチンっと手を叩いた。
「大臣室からオファーが出たのも、マーリン以来! 数百年さかのぼっても、トムだけしか選ばれていないのです!」
「そうですね……」
トムは苦しそうに笑った。
「僕だけが選ばれたのであれば、きっと僕にしかできない仕事があるのでしょう」
「トム、それは違うわ」
私はそんなことを口走っていた。
「それは、貴方が優秀であることの証明でしかない。進路の一つとして考えるのは良いけど、『僕にしかできない仕事』なんて理由で選ぶのは間違っているわ」
たぶん、スラグホーンとしては「大臣室」という進路を勧めたいのだろう。
だけど、私は違う。
「道がたくさんあるのなら、そのなかで一番『やりたいこと』を選ぶべきだわ。『自分にしかできない』なんて義務感で進むのは違う、と思う」
「お母さん、それは確かにそうですけどね……」
「何日か前にも聞いたけど、トムはなにをしたいの?」
私はトムに尋ねた。
トムは何も言わない。珍しく口を堅く閉ざし、わずかにうつむいていた。しんっと水を打ったように静まり返る。スラグホーンが何か言いたそうに何度か口をパクパクさせていた。でも、大事な教え子の答えを尊重したい気持ちもあるのだろう。誰も何も言わず、一分、二分と過ぎていく。時計が刻む音だけがやけに大きく響き渡り、すぐ傍の扉の奥で、フェンリールとラシェルが身を隠している物音までしっかり聞こえてくるほど静かな時間だった。
そう、まるまる五分くらい経ったあと、トムは囁くように呟いた。
「僕は……人を守りたい」
静まり返った部屋なのに、私とスラグホーン、ダンブルドアにしか聞こえないほど小さな声だった。
「闇祓いになって、大事な人たちを守りたいです。でも、それだけじゃ駄目なんです」
トムは膝の上の拳を強く握りしめた。
「闇祓いは実働部隊でしかありません。マグルの……アイリスや友だちを守るためにも……法を変える必要があります。いまの時代に適した法に、魔法界の意識をよりよい方へ変えていかないといけません。そのためには、魔法執行部を選択することが最適解だと分かっています。……でも、僕が役人として働く姿はどうしても想像できないんです」
「トム……」
「ヴァイオリンを続けたい気持ちもあります。カーネギーホールに立つ夢は、いまだってここに」
そう言いながら、トムは拳を胸の位置まで持ち上げた。
「マグルの友だちが追いついてくるまでは、ヴァイオリンを弾き続けます。その覚悟はあります。無謀かもしれないけど、両立はするつもりです。でも、それは本業にはなりません」
トムは続けた。
「魔法生物学者は向いてません。僕は、ニュート・スキャマンダーほど魔法生物の研究に没頭できません。魔法薬学者も違います。ベルヴィみたいな情熱を持ち合わせていません」
ひとつずつ、可能性を潰していく。
丁寧に、確実に多すぎる選択肢のなかから自分に最適ではない道を消しているようだった。
「ホグワーツに残れたらいいのに、と思ってしまいます。例えば、闇の魔術に対する防衛術の教授になって、生徒たち一人ひとりを正しい魔法使いに育てることができれば……魔法界全体の意識もよりよい方へ進んでいくと思うのです」
「……」
「教えることは、嫌いではありません。幼い頃、友だちにヴァイオリンを教えたときも……ハグリッドの勉強を見たときも大変……いや、非常に大変でしたが、少し楽しかったです。むしろ、好きかもしれません。メリィソート先生もご高齢ですし、退任の噂も耳にしたことがあります」
だから、自分は「闇の魔術に対する防衛術」の教師になりたい。
トムは静かに、しかし確かに宣言した。
くしくも、その選択はヴォルデモートと同じだった。
だが、中身は別物だ。
ヴォルデモートは自分の手駒になる者を探し、育て上げ、自分だけの軍隊を作り上げるために教授を志した。ホグワーツに留まりたい、という気持ちもあったろうが、それと同じくらい前者の気持ちが強かった。
私の知っているトムは違う。
人をより良い方へ導くために、教師になることを志している。「最終的に世界を変えたい」という文字だけ見れば同じかもしれないが、属性は正反対だ。手駒ではなく、人を育てることに重きを置いている。
「……トム」
ここで、ダンブルドアが重たい口を開いた。
「君の覚悟は良く分かった。だが、採用を決めるのは校長だ」
「……はい」
トムは重々しく頷いた。ダンブルドアの青い目をまっすぐ貫くように見つめる様からは、芯の通った覚悟がひしひしと伝わってきた。
「ホラス、行くとしよう」
「アルバス? だ、だが、話はまだ……卒業したばかりの若者がホグワーツの教授なんて、これまで前例がない!」
「それを言うのであれば、卒業して一年も待たずに大臣室勤務も前例がない」
スラグホーンは渋っていたが、ダンブルドアに促されて立ち上がる。
「あ、あの、先生!」
トムも我に返ったように席を立つと、小箱を呼び寄せした。
「スラグホーン先生、本当は夏明けに渡そうと思っていたのですが、悪くなってはいけないので……いま、渡しますね。日頃のお礼です」
「あ、ああ、ありがとう。これは……オーク樽熟成蜂蜜酒だね、ありがとう!」
「すみません、ダンブルドア先生も来ると知っていれば……」
「いいんだよ、トム」
ダンブルドアは帽子を被りながら、にこっと笑った。
「君はお母さんを大事にしなさい」
彼はそう言って、ちらっと私に視線を向ける。
青い目が私を捕らえた瞬間、ふと――ずっと伝え忘れていたことを想起した。
(このあいだ、蛇の言葉がわかるような気がした瞬間があったんです。それから、グリンデルバルドの手下が私のことを尾行しているみたいなんです)
「お母さん、大丈夫だ」
ダンブルドアは優しく言った。
たぶん、私の心を読んで告げたのだろう。これ以上は、スラグホーンやトムたちがいる前で言えない。精いっぱいのエールだったのかな? そう受け取っておくとしよう……そうでもしないと耐えられない。次は9月。両面鏡で話す日が待ちきれないよ……。
「……これも、運命か」
ダンブルドアが低く呟く。
「え?」
「いや、なんでもない。アイリスさん、お元気で」
ダンブルドアはいつもと変わらぬ笑顔で、だけどちょっぴり寂し気に言った。
あれは、どういう意味だったのだろう……?
「アイリス……」
「トム」
私は自分の胸に淀んだ不吉な予感を抑え込み、笑顔でトムと向き合った。
「どの道に進んでも、トムがやりたい道を応援するからね」
「……ありがとう……」
トムは続けてなにか言おうとしていたが、口をぎゅっと結んでしまう。だが、先ほどほど時間を待たずに口を開いた。
「アイリスは、いつも僕の背中を押してくれるね」
「だって、トムは大事な家族だもの」
私の大事な愛息子だもの。
義務感とか正義感にかられて、自分の納得しない道を選ぶような真似はしてほしくない。どの道に進んでも辛いことはあるだろうし、苦しいこともあるだろう。それでも、その先にある未来は――きっと明るいものであるはずだ。
「トムは良い先生になりそうね」
私は少しだけ背伸びをして、トムの柔らかい髪をなでるのだった。
次回更新は6月7日を予定しております。