●1944年 12月4日
12月になると、浮足立ってしまう。
戦争が終わる気配が濃くなり始めたこともあって、街の人たちも楽しそうだった。
実際、来年の春には欧州戦線は終わる。残すところは日本だけってなるけど、実際に戦っているのはアメリカである。英国民からしたら、ドイツが敗北した時点で戦争終了って感じなのだ。
実に喜ばしいことである。
一刻も早く戦争が終わって欲しい。できれば、前世の史実よりも一日でも早く。
ただ、戦争以上に気がかりなのは、フェンリールのことだ。
9月頃から様子がおかしかったけど、日を追うごとに体調が悪そうに見える。満月まで日があるというときも、目の下にクマが目立ったり、私が話しかけても距離を置かれている。外に遊びに行くことも減り、学校からもまっすぐ帰って来るのだ。
今日だって、満月が終わったばかりだというのに、ずいぶんと無理をしている顔をしている。
だから、今日こそは腰をすえて話し合うことにした。
休日、お昼を一緒に食べながら切り出すことにする。最近のフェンリールはサンドイッチでも何でも味わうことなく口に詰め込んで、さっさと食事を切り上げてしまうから、わざとローストビーフの切れ端を用意する。
切れ端とはいえ、さすがはローストビーフ。
フェンリールは皿を一瞥した途端、目を丸くさせた。まじまじと肉を見つめ、ひくひくと鼻を動かしている。
「……母さん、なにかあった?」
「クリスマスの試作用よ」
私はあらかじめ考えておいた言い訳を口にした。
「ほら、今年はモーリスも来るでしょ? いつも以上に気を入れて作ったの。だから、味見用を一緒に食べない?」
「へー……めずらしー」
さぞ興味のないふりをしているのが丸わかりな棒読みだったけど、眼だけは誤魔化せない。ちらっちらっとローストビーフに視線を向けていることからも、興味津々なことは一目瞭然であった。
「それじゃあ、食べましょうか」
だから、今日のフェンリールは珍しく味わって食べていた。極めて厳しい顔で一口食べて、ふにゃっと頬が緩んでいる。本人もそれを自覚したのか、すぐに顔を引き締めるのだけど、また食べた瞬間、表情が緩んだ。
……いやー、可愛い。まだまだ子どもで可愛らしい……。トムにもこんな時期があったっけ。なんて、ほのぼのと思いながら、私も我に返った。いかんいかん、微笑ましく思っている場合ではない。フェンリールが最後の一口を食べ終えたタイミングで、私はこう切り出した。
「フェンリール。なにか隠していることはない?」
「……ねぇよ」
フェンリールはわずかに身体を強張らせた。
「なんにも」
「本当に?」
フェンリールが席を立とうとしたので、私は手を伸ばした。フォークを握っていた手を上から軽く押さえ、そのまま優しく握る。
「私、心配なの。なにか悩んでいることがあれば力になるわ」
まっすぐ目を覗き込む。
フェンリールの目は揺れていた。不安と悲しみと困惑で縁取られ、いまにも泣き出しそうな顔をしている。
「オレ……」
声も、私が握った手も震えていた。
何か言いたそうに口を開いたけど、我慢するようにぎゅっと結ばれる。その態度が答えである。なにか隠していることがあると伝えているようなものだし、それがどうしても私に言いたくないようなことで、しかも、かなり重荷に感じていることが丸わかりだ。
「ねぇ、フェンリール」
だから慎重に、努めて柔らかい声色で問うた。
「あなたを助けたいの。なにか、できることがあれば――……」
「じゃあ、母さんも教えてくれよ!」
私の言葉を遮り、フェンリールは叫んだ。我慢していたであろう涙が溢れ出す。涙が一筋頬を伝えば、あとは止めることができない。彼は肩を震わせ、泣きじゃくった。
「母さんにとって、『運命の日』ってなんだよ!?」
「運命……の日?」
今度は私が困惑する番だった。
「たとえば?」
「知らねぇよ! だから、聞いてんだよ!」
「……そうね……」
私は深く考え込んだ。約束の日なら分かる。私が好きだった錬金術の漫画で――って、それは関係ないか。それにしても、私ってあの漫画凄く好きだけど、ここまで記憶に残るほど好きだった? あれは全巻揃えていたけど、それは他の漫画も同じだった。しかも、私は読めないくせに英語版まで買い揃えて……駄目だ、頭がぼんやりする上に話が脱線している。
「私の運命が変わった日なら、いくつか心当たりはあるけど……」
例えば、オリビア・コールと友達になった日。
例えば、ルークと出会った日。彼を失った日も運命の日といえるかもしれない。他にも、自分の運命を決めた出来事は思い返せば指の数以上はあるだろう。
「やっぱり、決まっているわ」
でも、全部違う。
人生を大きく左右した日はたくさんあれど、私の運命と出会った特別な一日は間違いなく決まっている。
「一番はね、1931年の――……」
と、ここまで言ったところで、額に大きな痛みが走った。
「……
ひりつく額をさすりながら、顔を上げる。
そう、私は顔を上げた。つい1秒前までフェンリールと目を合わせて話をしていたというのに、なぜかテーブルに頭を強打していたのである。いつのまにか、フェンリールを握っていた手も離れていた。
私、どうしたんだろう?
困惑していたけど、フェンリールの表情が変わっていたことにも驚いた。
「ったく、ズルはなしって分かったよ!」
「フェンリール?」
「あー、母さんか。いや、なんでもねぇよ」
彼はもう泣いていなかった。もちろん、頬に涙の筋はついていた。けれども、震えはない。目から不安は拭いとられ、前向きな色で満ちている。
「大丈夫なの?」
「大丈夫だって! 母さんはそりゃ心配だろうけどさ、全部終わったらちゃんと話すから」
フェンリールは歯を見せて笑うと、空っぽになった食器を台所へと運んだ。
……良く分からないけど、ここ数日と比べて表情は格段に改善していた。
結果オーライといえばそうなんだけど、なんだかモヤモヤする!
今度、ダンブルドアに……
ダンブルドアに……?
最後にダンブルドアと話したのって、いつだったっけ……?
駄目、頭に白い靄がかかったみたいに思い出せない。
頑張ってみるけど、逆に眠気が込み上げてくる――……。
●1944年 12月24日
前回の日記を読みなおしたけど、最後が酷いミミズ文字で読めない!
「モヤモヤする」までは読めるんだけど……そのあと、何を書いたんだろう?
って、今日はそこじゃない。
えっと……そう、クリスマスパーティーをやった。
トム、ラシェル、フェンリール、それから今年はモーリスを招いてのパーティーをした。
モーリスは私の原稿を取りに来たついでに参加するってことだったけど、一番楽しんでいたんじゃないかなって思う。お酒が入ると良く笑っていた。
「アイリスは、料理が上手くなったな! ローストビーフなんて、絶品じゃないか! いままで食べた中で一番美味い!」
「お褒めの言葉として受け取っておくわ」
「いや、お世辞じゃないよ! そうだろう、トム?」
しかし、トムはモーリスに冷ややかな目線を向ける。
「同意するけど、もっと他の誉め言葉をした方がいいよ。わざとらしすぎて、アイリスに伝わらない」
「右に同じ」
「私も」
トムの答えに、次々と子どもたちが賛同していく。
モーリスは年甲斐もなく、ムッとしたように眉間に皺を寄せた。
「トム。大人を揶揄うんじゃない」
「……」
トムは何も答えなかった。でも、たぶん「魔法界では、もう成人だ」とか思っていそうな顔をしている。そんなことを想起していれば、トムと目が合った。トムは少し考えるような素振りをした後、にこっと笑った。
「アイリス。こっちのスープ、味付け変えた?」
「ええ。隠し味を足したの」
「だよね。僕、好きだよ。玉ねぎもトロっと煮込んであって悪くない」
「ふふ、ありがとう」
私は思わず微笑んでしまっていた。
素直な言葉で褒められると、嬉しいものである。
私がお礼の言葉を口にすれば、トムは勝ち誇ったように笑っていた。たぶん、本当はモーリスに対抗するために言ったのだろうけど……なんだか、まだまだ彼も子どもだなって可愛く見えた。
うん。
このあたりまでは、良いクリスマスだったと思える。
問題はこの後だ。
モーリスが帰宅し、フェンリールもラシェルも「おやすみ」と部屋に戻った。
私はディークと一緒に台所の片づけをやり終え、自室に入ろうとした――そのときだった。
「アイリス、話があるんだけど」
トムが声をかけてきたのだ。
どうやら、廊下でずっと待っていたらしい。
「トム? どうしたの?」
「いや、実は……これ、返そうと思って」
トムは何かを握りしめた手を差し出してくる。
不思議に思いながら、私も手を向ける。すると、トムは私の手のひらに小さくて丸い物を落とした。丸いものが手のひらに触れた瞬間、ぞわっと背筋が逆立つ。辺りの温度が数度は下がったような気がして、一体何を渡されたのかと年甲斐もなくビビってしまった。
でも、電球に照らしてみると、それは良く知っているモノだった。
「……これ、ゴーントの指輪!?」
私は目が点になった。
ゴーントの指輪は、確かに机の奥底にしまっておいたはずだ。そりゃ、当初は大事なものだから首から下げておこうかとか考えたものだけど、あまりにも高価な宝物過ぎて普段持ち歩くこともおこがましく思えたのである。なんだか、ずっと触っていると背筋が冷たくなるような気もしたし……。
「どうして、トムが? いや、いつか渡そうとは思っていたけど……もう渡していたかしら?」
「覚えてないの?」
トムは疑うように目を細めた。
「この間『グスコーブドリ』を読んでたとき、渡してくれたじゃないか」
「グスコーブドリ……? 双子の星は読んだけど、グスコーブドリは読んでないわ」
確かに、11月頃に宮沢賢治の童話集を取り出して読んだことはある。でも、双子の星や雪渡りのように比較的明るい系の話の話を選んで読んでいた。あまりにも心地の良い昼下がりだったから、うたたねをしてしまったけど……グスコーブドリは読んでいない。
私がそう伝えれば、トムは考え込むように黙り込んだ。
「……トム、良く分からないけど……いつか、これはあなたに譲ろうと思っていたのよ。サラザール・スリザリンから代々伝わってきた品であることには違いないもの」
「知ってるよ。でも、本当に覚えてないんだね?」
私は頷いた。
「これは、もう一度私が預かっておくわ。でも、しかるべきときが来たら、あなたに渡すから」
「……そうしてくれると嬉しい。でも、アイリス。気を付けて。なにか変だと思ったら、すぐに僕へフクロウを送って」
「もちろんよ」
トムは心配そうに何度も何度も言った。
たぶん、まだ怪しんでいることだろう。
これは……確実に、私の中のもう一つの魂が何かやらかしている。
「ねぇ、なにかやったの?」
これを書きながら、自分の胸の内に問いかけてみる。
反応なんてない。
部屋は静寂で満ち、風が窓をかたかたと揺らす音だけが微かに響いていた。
たぶんだけど、フェンリールの異変にも「もう一人の魂」が何かしらやらかしているような気がしてきた。だって、そうでもないとフェンリールがあんな見極めるような眼で私を見てくるわけがない。この間だって、フェンリールと話している最中に不自然な記憶の断絶があったのだ。たぶん、私が気づいていないだけで、もっと人格の入れ替わりが多発しているのだろう。
あー! もう!!
これが、某有名なカードゲーム的な世界観だったら「もう一人の魂」と会話できるのに!
そいつが私の身体を使って何をしたいのか分かれば、頭のモヤモヤも消えるというのに!! いや、聞いたところで悪い目的だった場合は納得できないだろうけど、少なくとも、身体を使用するときの理由くらいは説明してほしい。
そうでなくても、原作でもジニーと日記のトムが会話しているシーンとかあったよね? 私みたいに、突然入れ替わります! その間の記憶はありません! ってなる前に、対話する時間が少なからずあったよね!?
どうして私の心の居候は「お邪魔しています」の挨拶一つないんだ!
考えだしたら、ちょっとイライラしてきた!
これからは、より詳細に日記を書いていこうと思う。
読み返すことで、なにかしら見えてくるものがあるはずだから!
《以下、白紙。10ページほど残っているが、この日記帳はここで終わっている》
次回更新は8月2日(日)を予定しております。
まだまだ最終回にはなりませんので、ご安心ください。
六章自体は、あと数話で終わる予定です。