トム・リドル育成計画!   作:寺町朱穂

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クイニ―視点です。


◎クイニー・コワルスキーの直列

 

 ヌルメンガード城。

 アイリス・リドルにとっては、住み心地の良い場所だっただろう。

 窓の外を見れば、雪が砂糖のように降りかかった山岳地帯が広がり、ため息をつきたくなるほどの絶景を堪能できる。その上、部屋には一流ホテル並みの家具調度品が揃っているのだ。ベッドのカバーはシルクで織られ、明るいキルト柄のソファーに腰を下ろせば雲の上に座るかのごとくに柔らかい。洗面台の蛇口をひねれば、一日中いつでも水とお湯が出てくるところも高級感を漂わせている。暖炉にはいつだって火が灯り、床にはビロードの絨毯が敷き詰められ、冬の寒さを全く感じさせなかった。

 

(そう、ここだけ見れば)

 

 クイニー・コワルスキーは目をつぶった。

 

 ほんの数週間前まで、自分が閉じ込められていた部屋とは雲泥の差。

 アイリスの暮らす部屋を見たとき、同じ城の一室かと目を疑った。だが、すぐに理解はした。

 

 なぜなら、クイニーがいたのは牢獄。

 憎悪と絶望のるつぼだったのだから――……。

 

 

 

 クイニーがこの城に捕らえられてから、早いことで4年が経っていた。

 夫が「ポーランドに残った祖母を助けてくる」と家を飛び出し、祖母だけがアメリカの地を踏んだ。ジェイコブは祖母の身代わりとなり、自分がゲットーに捕らわれてしまったのである。

 最愛の夫が捕らわれたとなれば、クイニーがとる行動は一つだった。

 

『すぐに助けてくるわ。大丈夫、私は魔法が使えるもの』

 

 赤ん坊をジェイコブの祖母に託し、クイニーは単身でヨーロッパに渡った。

 ティナからも止められたが、「ジェイコブを捕まえているのは、ただのノーマジよ」という理由で押し通ったのである。

 

 そう、ジェイコブを助けるだけなら、クイニーでも簡単に成し遂げることができただろう。

 しかし、彼女は忘れていた。

 クイニーは、過去に一度、グリンデルバルドを裏切っている。

 つまり、グリンデルバルドの仲間たちにとっては「お尋ね者」なのだ。

 もちろん、そのことは彼女も理解し、注意を払って行動していたが、ポーランドに足を踏み入れた途端、信奉者たちの手に落ちてしまったのであった。

 信奉者たちから手酷い仕打ちを受け、ヌルメンガード城に送られた。

 クイニーは死を覚悟したが、グリンデルバルドが用意した罰は死よりも恐ろしかった。

 

『殺しはしないさ。ただ、それ相応の罰は受けてもらおう』

 

 クイニーは、牢に閉じ込められた。

 他の囚人たちのように、肉体的な拷問を受けることはなかった。

 だが、それこそがクイニーを蝕んでいった。

 彼女の特記すべき能力「開心術」。本来であれば、自分の定めた対象の心を覗き込む魔法だが、クイニーの場合は少し違った。気を抜けば、周囲の心の声が脳に雪崩れ込んでくるのだ。

 

『痛い、痛い、痛いーッ!』

『帰りたい……』

『殺して、一思いに殺してッ!』

『死んじゃえ!』

 

 耳を塞いでも、脳の扉を強引に割って来る。

 怨嗟の声と声にならない悲鳴、狂った叫びなんて生温い。ありとあらゆる悪感情が反響し、増幅していく。

 最初の数日こそ、クイニーは自分を制して「開心術」をコントロールしようと努めた。しかしながら、自分一人が横たわるのがやっとな石壁に囲まれた牢に閉じ込められた状態で数日も経てば、当然のように疲労がたまる。窓もなく、夜は指先すら視認できない真っ暗闇。暗くて寒くて、いつまでも独りぼっち……それだけでも精神がゴリゴリと音を立てながら削られていく。

 闇祓いの訓練を受けた者でも、こんな状況はなかなか耐えられない。

 ましてや、特殊な訓練を受けていない魔女ならなおのこと。

 クイニーが折れるまで、時間がかからなかった。

 精神的な拷問を一日中受け続け、それでも、なんとか自我を保っていられたのは、行方の知れない愛する夫や故郷の子どものことを想えばだった。もしかしたら、姉が助けに来てくれるかもしれないという希望もあった。

 

 しかし、それも4年。

 希望もほとんど消え失せ、絶望がクイニーを蝕みきった頃、看守が一言こう告げたのだ。

 

「出ろ」

 

 看守は、彼女をグリンデルバルドの前に連れ出した。

 グリンデルバルドはクイニーを見ると、にこりともしない顔で命令する。

 

「君の出番だ、クイニー。首尾よく働けば、ここから解放すると誓おう」

 

 グリンデルバルドは本心からそう言っていた。

 

「……誰の心を読めばいいの?」

「イギリス人のマグルだ。君には、彼女と生活を共にしてもらう」

「ノーマジ?」

 

 クイニーはついに自分の頭がおかしくなったのかと思った。

 自分を呼び出したのだから、よほど閉心術に特化した人間の心をこじ開けるのだろうと予想していた。ノーマジの心だなんて、ちょっと開心術を習った若者でも簡単に潜り込むことができる。

 

「毎日、夜になったら報告しろ。お前が読み取れた限り、彼女が何を考えていたのかを」

「……それほど重要なノーマジなの?」

 

 クイニーは思わず疑念を零してしまう。

 

「極めて重要だ。なにせ、彼女の記憶を紐解けば――……」

 

 グリンデルバルドの口元がわずかに弧を描き、囁くように言葉を続けた。

 それをすべて聞き終え、クイニーは頷いた。

 

「……分かったわ」

 

 しかし、そうは言ったものの、グリンデルバルドの考えが理解できなかった。それは、彼の護衛とばかりに付き従っていた側近たちも同じらしく、眼には困惑の色が光っている。

 ヴィンダ・ロジエールでさえ、

 

(本当に可能なのかしら? 仮に生み出せたとしても、その知識を引き出すなら『服従の呪文』をかければいいのに)

 

 と疑っていた。

 クイニーも半信半疑で、ノーマジの女性のもとに送り込まれた。

 

「話し相手が欲しい頃だと思ってね。君と寝食を共にする女性を連れてきた。仲良くするといい」

 

 グリンデルバルドはそれだけ言うと、部屋から出て行ってしまう。

 そこにいたのは、風変わりな女性だった。

 黒髪の女性は、どこにでもいる主婦に見えた。身体の調子が悪いのか少し頬がこけており、青い目は寂しそうに光っていた。

 クイニーは、息をするよりも自然に彼女の心を読んだ。

 

『マチガイナイ、クイニーダ。カワイソウニ……ファンタビノトキト、クラベタラ……ヒドスギル。メモアテラレナイワ』

 

 クイニーは首をひねった。

 英国人の英語には特有の訛りがあるが、これは訛りというレベルの話ではない。言語そのものが異なっている。自分が読み取れた単語は「クイニー」だけだった。

 

「あなた、私のことを知っているの?」

「いや、知っているというか、なんというか」

「いま、私の名前を言ったわ。心のなかで。どうして知っているの?」

「写真で見たことがありまして。ティナさんが見せてくれたんです」

 

 彼女はすらすらと話している。それに被せるように心の声を聞き取ると、本当に「ティナ」や「ジェイコブ」という言葉が耳に飛び込んできた。

 どうやら、嘘は話していないらしい。

 その上、彼女の心からも言葉からも、クイニーの調子を思いやる悲哀と親切心を感じ取れた。

 

(この人、普通に良い人に見えるけど……?)

 

 それは一緒にいる日にちを重ねるにつれ、確信に変わった。

 ふとしたときの仕草や思い出、血の繋がりのない息子たちへの想いからも、こんなところにいるはずのない善人に思えてならないのだ。

 

 ただ一つ、心の声が全く読めないことを除けば。

 

 

 毎晩、アイリスが寝静まった頃、クイニーはグリンデルバルドに報告に行く。

 

「今日も特に変わりはありませんでした」

 

 そう言いながら、グリンデルバルドにアイリスが書いている日記を渡した。

 たぶん、これに関しては、アイリスも見られていることを意識しているのだろう。

 例えば、日記で枕に関する不平不満を連ねたあと、本当に枕が変わったところを見て、確信したように笑っていた。

 

『どうして笑っているの?』

『なんでもないわ』

 

 彼女はそう言ったけど、心のなかでは国の名前や人名と思われることを考えていた。その上、わざわざ日記で枕に対するお礼を述べていることからも、読まれていることを意識している。

 

(たぶんだけど、本当に大事なことは書いていないわ)

 

 そう思いながら、クイニーはグリンデルバルドを見つめた。

 グリンデルバルドは興味深そうに日記を読み耽っている。グリンデルバルドは日記に目を落としながら尋ねてきた。

 

「他に何か気になったことは?」

「あいかわらず、彼女の考えていることは分からないの」

 

 クイニーは首を横に振りながらも、精いっぱい答えた。

 

「でも、少しだけあなたのことを考えてたみたい。『グリンデルバルドハ、ヒゲノヒトト カサネテイルッテ、キイタコトアルケド……シラナインダヨネ。ワカルノ、オッパイプルルン、ダケ……』」

 

 クイニーは覚えている限り言葉にしたが、実際に口にしても意味が分からない。

 グリンデルバルドは少し悩むように眉をしかめ、ふむっと頷いた。

 

「……und betrogen worden(騙されてきただけ)か?」

 

 彼は納得しているようだったが、クイニーにはまったくもって意味が繋がらなかった。

 

「でも、彼女は騙されているようには見えないわ」

「アイリス・リドルは人を騙せる器ではない。分かりやすいほどにまっすぐだ」

 

 グリンデルバルドはそう言った。

 

「だから、君が必要だ。()()を強引に呼ぶには肉体がもたない。だから、()()がのこのこと顔を出した瞬間を狙う必要がある。それは、君にしか読み取れない」

「分かりました」

 

 そうは言ったものの、クイニーはどうしても納得がいかない。

 

「でも、私は信じられないの。だって、彼女のなかにもう一人の誰かが仮にいたとして……それが、あれとどうして繋がるの? その…………」

「君の知るべきことではない」

 

 クイニーが言葉にするのもおぞましい存在について言い淀んでいると、グリンデルバルドは日記を突き返してきた。

 

「命令を付け足しておこう。彼女が『蘇りの石』もしくは『指輪』について考えたときも、すぐに知らせることだ」

「はい」

 

 クイニーは日記を抱きしめると、その場を辞した。

 部屋に戻ると、アイリスが身体を半分起こしていた。眠い目をこすりながら、欠伸交じりに聞いてきた。

 

「どこに行ってたの?」

「トイレよ。なんだか、眠れなくて」

 

 クイニーは焦って日記を背に隠した。

 

「……そう、なのね。クイニー、おやすみなさい」

「おやすみなさい」

 

 アイリスは頷いて再び横たわったけど、心のなかで何か言っていた。

 

『アノヒトニ、ホウコクカナァ……ソウダヨナァ……デモ、ホントウノコトハ、ゼッタイニイエナイ。ワタシモ、カノジョモ』

 

 依然として言葉の意味は分からなかったが、ところどころ寂しげなニュアンスだけは伝わってくる。

 

(ごめんなさい)

 

 クイニーもベッドに潜りながら、声にならない謝罪を抱いた。

 アイリスは昼間や日記では必死に明るさを保とうとしているが、彼女だって辛いのだろう。心細いのだろう。いくら友だちのようになったとしても、本当の気持ちを決して打ち明けることはできないのだから。

 

(アイリスは知っているのかしら? 自分が……おぞましい存在だって)

 

 クイニーの目から見て、アイリスは弱ってはいるものの生きていた。いまだって耳をすませば寝息が聞こえる。 たぶん触れば、心臓や脈が鼓動を打っていることも伝わってくるだろう。食事をとり、睡眠も欠かしていない。どう考えても、生きているのだ。

 

(グリンデルバルドの新しい嫌がらせ? 私への拷問の一種? いえ、彼はこういうことはしない)

 

 グリンデルバルドが誤魔化すことはあっても、この期に及んで嘘をつくことはない。

 少なくとも、彼は嘘をついていなかった。それを見抜けない自分ではない。

 

(こういうとき、ティナならすぐに答えを出せるのに……)

 

 毎晩、自分のふがいなさを悔やみながら眠りにつく。

  

 

 そんな生活を始め、数週間。

 2月も終わりに近づく頃のことだ。

 この頃になると、アイリスは一日のほとんどを寝て過ごしていた。本人は「怠いだけ」と言っていたが、身体が衰弱しているらしい。クイニーがグリンデルバルドに頼み、癒者を呼んでもらったが「衰弱」としか診断をされなかった。

 

(たくさん寝て、ちゃんと食べているのに……どうしてなの?)

 

 一歩も部屋から出ていないが、大きな窓からは日の光だって差し込む。人として生活するうえで必要なものは、すべて揃っているはずだった。かといって、咳をしたり熱が出たりするわけでもなく、悪寒を訴えることもない。

 

(私にできることがあればいいのに)

 

 パクワジのように看病できれば、と落ち込んでいた。

 そのとき、ベッドに眠っているはずのアイリスから声が届いた。

 

『……回復するまでに、かなりかかったわ。ここはどこかしら。状況的に連れ去られたのだろうけど、それにしてはかなり良いベッド。誰かに匿われている……?』

 

 クイニーは心臓が止まるかと思った。

 脳に届くのは、いつもの謎言語ではない。間違いなく、英語(ブリティッシュ・イングリッシュ)だった。

 

『誰かいるみたい。あの子を装って、にこやかに起きるの。大丈夫、私ならできるわ』

 

 そう言ってから、彼女は確かに起き上がった。寝起きの指で目をこする仕草や身体を持ち上げる様子もまったく同じように、ゆっくりと伸びをする。心さえ読めなければ、アイリスだと思っていたことだろう。

 

「……あ……」

「あ、あら、おはよう。よく眠れた?」

 

 クイニーは少し戸惑って返すと、相手もびくっと固まった。

 

『知ってる。フィルムで見た。あれは、クイニー・ゴールドスタインだ。心を閉ざさなくちゃ。全部読まれちゃう』

 

 アイリスを演じる誰かは、すぐに心を閉ざした。

 

(……この子、できる)

 

 クイニーはちょっと目を見張った。

 心を閉ざすとは言葉にすれば簡単だが、実際には非常に難易度が高い技である。それを目の前の人物は、さらっとやってのけた。それも、かなり深いところまで自分自身を心の奥底に締め出している。ここまで心を閉ざせる人物は、クイニーの知る限り一人――グリンデルバルドだけだった。

 

(でも、私ならいける)

 

 クイニーは一歩前に踏み出した。

 グリンデルバルドの命令ではなく、自身の好奇心――アイリスのなかにいる誰かをもっとよく知りたかったのだ。

 

『……これなら大丈夫。いくら相手が最強の開心術師でも、私には勝てないわ。心を開かせるのと同じくらい閉ざすのは得意だもの。だから、落ち着くの。急いで次の一手を考えるのよ、デルフィーニ』

「あなた、デルフィーニって名前なの?」

 

 クイニーが思わずそう告げると、彼女はギョッとしたように目を丸くした。

 

「ごめんなさい。心を読むのが癖で……でも、素敵な名前ね。可愛らしいお花みたい。あっ、安心して。あなたのことを突き出す気はないの」

 

 クイニーは大丈夫とばかりに手を振った。

 

「私はアイリスの友だちなの。だから、友だちのなかにいる貴方とも友だちになれたらいいなって」

 

 淡々と聞こえてくる心の声は、無垢な少女のようだった。

 少なくとも、グリンデルバルドから聞いていた存在とは似て非なる可愛らしさを感じられる。だから、すぐに報告する気にはなれなかったのだ。

 

「悪いけど、友だちにはなれないわ」

 

 デルフィーニは淡々と言った。

 

「早くロンドンに帰らないといけないから。この子には時間がないの」

「時間がないってどういうこと?」

「この子は死ぬのよ。このままだとね」

 

 彼女は少し冷酷な表情で言い切った。だが、彼女の声色には少しばかりの焦りが滲み出ていた。

 

「私は、この子を生かしたい。だって……」

 

 彼女はそう言うと、拳を心臓の位置に掲げた。ぎゅっと握りしめ、強く誓うように呟く。

 

「死にたがっていた私を……救ってくれた人だから」

 

 デルフィーニは目を閉じた。

 まるで、遠い昔に過ぎ去った記憶を抱きしめるように。

 

 

 

 

 

 




 第六章はこれにて終了です。
 秘密の部屋も分霊箱騒動も終わり、アイリスの謎に焦点をあてた章でした。
 いつも皆様にはたくさん考察していただき、ありがとうございます。感想を含め、全部読ませていただいています。本当、いつもありがとうございます! すごく励みになっています!
 次回からは「忘却福音(6.5章)」が始まります。
 デルフィーニ視点から見たアイリスの前世編ですね。本来でしたら、これも含め六章にしようかと思っていたのですが、一気に過去(未来?)の話になってしまうので、章分けすることにしました。いろいろ答え合わせのある話になる予定です。「忘却福音」は10話以内に終わり、いよいよ最終章に突入します。
 
 ここからしばらくトムたちの出ない話が続きますが、これからも本作をよろしくお願いします!
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