デルフィーニ視点の話になります。よろしくお願いします。
〇2021年8月 そして、彼女はほくそ笑む
さあ、時間を逆転させよう!
この世界を過去へ、貴方にとっての未来へ。
※
アズカバン。
北海に浮かぶ孤島にそびえたつ大監獄。
かつては吸魂鬼が看守を勤め、数日もすれば精神的に病んでしまう環境も今は昔の話である。
いまでは吸魂鬼は一掃され、闇祓いが看守を勤めていた。とはいえ、かつての名残はある。おのおのの牢を囲む石壁には、ひんやりとした冷たさの奥に絶望が沁み込んでいた。このような場所に放り込まれ、一人閉じ込められた魔法使いは過去の自分と向き合うことになるのである。
それは、デルフィーニも同じだった。
(いっそのこと、狂ってしまえればよかったのに)
デルフィーニは膝を抱えながら、幾度となく感じたことを胸の内で呟いた。
(……こんなところ耐えられない。偽善者共め、なにが人道的な配慮だ)
青みがかった銀髪が垂れ、組んだ腕をつかむ手に力がこめられる。
彼女はヴォルデモートとベラトリックス・レストレンジの子どもとして生まれたが両親と暮らした記憶はなく、死喰い人のロウルに育てられてきた。ホグワーツへ通うことも許されず、屋敷から一歩として外に出ることも許可されなかった。闇の魔術を徹底的に教え込まれ、ヴォルデモート卿の復活を目論んでいた。そんな彼女がアズカバンに収監された理由は、殺人罪。
エイモス・ディゴリーに錯乱の呪文をかけて、存在しない姪に成った罪ではない。
アルバス・ポッターとスコーピウス・マルフォイを騙し、逆転時計を使って世界を混乱させた罪でもない。彼らを過去の世界に閉じ込め、ヴォルデモートと接触して歴史を変えようとした罪でもなかった。
これについて、デルフィーニはまったく悪いとは感じていなかった。
『無期懲役よ』
それはここに収監される直前、魔法省大臣がデルフィーニに告げた言葉だった。
『あなたが真の意味で反省できたら、刑期の短縮を考えましょう。己の過ちを反省しなさい』
(……なにが刑期の短縮よ。こんなの真綿で永遠に首を絞められるようなものじゃない)
死なないように気を付けながら、それでも負荷をかけるように。
(まるで永遠の牢獄……殺してよ、本当に)
本日何度目か分からない呟きを繰り返した。
(あぁ、死にたい。殺して。でも……私は……)
デルフィーニは奥歯を噛みしめる。
完全に死へ渇望できれば楽なのに、胸の奥に未練が刺さっている。
ここに閉じ込められていると、時間だけは嫌というほどあるのだ。そのおかげで、
ここから出ることができたら、二度と失敗はしない。
出れないのであれば、一思いにさっさと殺してほしい。
(そのためには、とにかく出ないと……でも、模範囚を装っていたら出るのが遅れる。そもそも
目を閉じて考えこめば、どこからかヒステリックな声が聴こえてきた。
「早く私をここから出しなさい! 私は魔法省大臣上級次官でホグワーツの校長まで勤めたのよ! 私がこんなところにいるのは、極めて不当な裁判のせいなの!!」
「……元気なことで」
アズカバンの名物叫ぶ魔女の声はうるさく、聞いているだけで精神が削れていく。
(そんな言い方じゃ、絶対に誰の心も動かせないわ)
デルフィーニがそう思った矢先、看守の声が轟いた。
「静かにしろ! お前は決してここから出ることはないんだからな」
「なんでよぉ! マグル登録委員会のことなら、私は服従の呪文にかかっていたのよー! お願いだから、ここから出してー!」
「服従の呪文になどかかっていないことは、すでに証言がとれている。お前のせいで、いったいどれほどの無実の魔法使いが命を落としたことか……少しはおとなしく反省してろ!」
例の魔女はしきりに看守へ訴えていたが、当然のように看守は聞き耳を持つことはない。しばらく金切り声が冷たい廊下を反響していたが、次第にすすり泣きへと変わっていった。
(凝りないこと……叫ぶ元気があるなら、他に回せばいいのに)
絶海の監獄は、吸魂鬼がいなくても難攻不落だ。
外に味方や協力者はいない。そうでなければ、さっさとロウルが助けに来ているはずだ。彼が来ないということは、自分を見捨て安全な場所にいるに違いなかった。
(どこまでいっても、ひとりぼっち。だけど、私は闇の帝王の娘よ)
かつかつとこちらの牢に近づく足音を聞きながら、デルフィーニはにたりと口の端を持ち上げた。
看守の足音がだんだんと大きくなり、自分の牢の前で止まった。
「……大丈夫か?」
看守は囁くように尋ねてきたので、デルフィーニは顔を上げずに小さく頷いた。
「大丈夫……」
弱々しくか細い声で返すと、看守が安堵したように息を零した。
(馬鹿な看守め)
半分泣きそうな表情を作りながら、胸の内では嘲笑う。
さっきの哀れな魔女は泣き叫んで訴えることしかできなかったが、自分は違うという確信があった。
「あなたが……寄り添ってくれるから」
わずかばかり顔を上げ、目元だけ看守を見上げる。看守に潤んだ目を向けると、彼の頬が赤らむのが分かった。
看守は辺りを見渡すと、屈みこんでこちらに視線を合わせてくる。
「いま、君はロウルに騙されていただけの被害者だと上に話している。だが、上は聞き入れてくれないんだ」
「……ありがとう。でもいいのよ。だって、だって、私は……例のあの人の娘だもの。だから、信じてもらえないんだわ」
そうやってすすり泣けば、看守が慌てるのが分かった。
「大丈夫。僕だけは味方だよ」
心から案ずる言葉をかけられ、デルフィーニはわずかに頬を緩めてみせた。
「あなたは……優しいわ。世界で一番優しい人」
つまり、どこまでも愚かな人。
デルフィーニは彼が望む言葉を投げかけた。
(穢れた血の大臣はお砂糖より甘いわね。大昔の闇の魔法使いみたいに、舌を切り落とせば良かったのに)
言葉を話すことができれば、人の心を揺らすことなんてお手の物だ。加えて、デルフィーニは容姿にも自信があった。
自分の罪を静かに泣きながら贖罪したふりをするのは当然だが、その上で20年以上、闇の魔法使いに育てられた事実――虐待にも近いことを受け続け、「名前を言ってはいけないあの人」を蘇らせないといけないと教育させられていたことを涙ながらに話す。それだけで、看守はコロッと騙された。
(「アバダケダブラが人を殺す魔法だなんて知らなかったの」だなんて、誰がどう考えても嘘に決まっているのにね)
しかし、一度欺いてしまえればあとは簡単だった。
看守の身寄りを聞き出し、彼に寄り添っていく。看守も訓練を受けた闇祓いだが、娯楽もない絶海の孤島なんて寂しいに決まっている。そもそも、闇祓いなんて仕事に就く時点で正義感が強いに決まっている。正義感の強い若者がデルフィーニを案ずるまで時はかからず、一度落ちればあとは早かった。
「あなたと一緒に暮らせたら……でも、それは無理ね。ごめんなさい。だって、私は絶対に出させてもらえないもの」
「僕もそうさ。だから、僕は決めたよ……例の計画を実行しよう」
看守はそう言うと、ローブの袖から何かを出してきた。彼が握りしめた
「それって……その杖はっ!」
「君の杖だ。一緒にここから逃げよう。暖かい南の国で、一緒に暮らすんだ。君の心の傷を癒すためにも」
彼は杖と一緒に、まっすぐ貫くような視線をこちらに向けてきた。
看守の言葉に嘘はない。
いままで得た地位を、努力をすべて捨て、自分と共に生きようと。
「ありがとう……っ!」
デルフィーニは弱々しく手を出し、自身の杖に触れる。指が杖を捕らえ、ぎゅっと握りしめて
「優しい看守さん」
デルフィーニは表情を変えずに魔法を唱えた。
「
閃光が走り、看守は驚愕の顔をした。不意打ちを防ぐことはできず、まともに閃光が頭に直撃する。
「ここから鍵を外しなさい」
「はい」
看守は淡々と鍵を開け、自分を牢の外に連れ出した。
「こちらになります」
「出口まで案内すること」
看守が先導し、デルフィーニはその後に続く。ぺたぺたと裸足で歩きながら、両脇の牢から聴こえる怨嗟の声を凱旋歌のように聞き流す。「手錠を付けてないぞ?」「どこへ行く気だ!?」「尋問を受けに行くのか、嬢ちゃん」なんて声は興味ない。堂々と胸を張り、看守の後に続く。
(……まずいわね)
しかしながら、久しぶりにまともに両足で歩いたのだ。朝昼の食事を与えられているとはいえ粗食で、両足の筋肉が瘦せてしまっている。気を付けないと、何もないところでつまずきそうになった。
「面倒ね……『姿現し』は可能かしら?」
「アズカバンの半径3マイルは防止魔法がかかっています。箒でそこを越えてからであれば可能です」
「箒を呼び寄せましょう」
「呼び寄せ禁止魔法がかかっているんです」
看守がそう言った時だった。
「おい、誰と話してるんだ?」
廊下の角から別の看守が顔を出してくる。
デルフィーニは無言で失神呪文を放つと、そいつは廊下の端まで吹き飛んだ。がしゃんと大きな音を立て、その場に崩れ落ちる。
「何の音だ!?」
「何が起きた!?」
さすがに闇祓いたちに気づかれてしまったらしい。普通に考えれば、人のいない道を案内するのが筋というものだろう。頭の悪い看守を味方にしてしまったのか、自身の命令が悪かったのか――……デルフィーニはおもむろに舌打ちをし、看守に命令を下した。
「最短距離で」
「かしこまりました」
だが、悪運もここまでらしい。監獄フロアを抜け、箒置き場まであとわずかというところで、わらわらと闇祓いたちが姿を現す足音が響いた。
「そこを動くな、デルフィーニ!」
4人の闇祓いたちの杖が、一斉にデルフィーニへ向けられた。
「応戦しなさい。命に代えても私を守ること」
デルフィーニは闇祓いたちに見向きもせず、箒置き場へと足を進める。
「逃がすか!」
「
闇祓いたちは杖から閃光を放つも、看守も真顔で杖を振った。
「プロテゴ」
閃光は霧散し、デルフィーニに届くことはない。
「服従の呪文だ。気を付けろ!」
気づいた闇祓いが叫ぶ。
(さすがは闇祓い。でも、それに気づいたところで意味ないわ)
服従の呪文はそう簡単に解くことはできない。解除するための手段を講じている間に、十分逃げることは可能だ。事実、あと数歩で箒に手が届く。
そのときだった。
「
デルフィーニの耳の横を炎が走る。
(私を守れと命令しているのに? もう服従が解けた?)
しかし、すぐに違うことに気づく。
炎はデルフィーニを狙ったわけではない。箒を狙ったのだった。きちんと並べられた箒は瞬く間に燃え上がり、黒い煙と共に灰と化す。水をかけたところで、元には戻らないことは一目瞭然だった。
「邪魔を……っ!」
デルフィーニは舌打ちをすると、すぐに気持ちを切り替える。
箒で外に出ることが叶わないのであれば、とるべき手段は一つしかない。デルフィーニは壁に杖を向け、ありったけの力を杖に注ぎ込んだ。
「『
激しい爆発音とともに石壁が破壊され、それと同時に外の豪雨が吹き込んでくる。デルフィーニは迷うことなく穴を潜り抜け、数年ぶりに外の世界を見た。雷鳴が轟き、北海の風が雨を巻き込みながら鋭く吹き付けてくる。波は牙をむき、岩壁に豪快に叩きつけられていた。
さすがのデルフィーニも一瞬足がすくんだ。
(でも、私は今度こそ望みを叶える。闇の帝王を復活させてみせる)
そのことを考えたら、この程度の荒れ海に怯んでいる場合ではない。
デルフィーニは勝気な笑いを浮かべると、躊躇うことなく荒れ狂う海に身を投げる。床を蹴った瞬間に感じた浮遊感はすぐに終わり、身を切るような風と共に落下する。暗い波が身体を飲み込み、激しく打ち付けながら壊そうとしてくる。
(負けて、たまるものか!)
デルフィーニは杖を堅く握りしめたまま、黒い海を泳ぎ出す。
無事、ここから逃亡することだけを夢に見て。
※
そして、彼女は成し遂げた。
4kmにも及ぶ海を泳ぎ切り、「姿くらまし」をした――が、体力は限界だった。
「……ロンドン……」
ひとまず人の多いところへ逃げようと考えたわけだが、自身の足がロンドンの地を踏んだ瞬間、ぐにゃりと曲がった。満足な食事もとれず、ほとんど歩かない生活をしていたのに、気力だけで荒れた海を泳ぎ切ったのだ。腕も足もボロボロで一歩も動けず、その場に倒れてしまう。
せめて晴れていたら囚人服を乾かし、生き返ることができたかもしれない。
だが、いまは生憎の雨。
ひたひたと雨が降り注ぎ、一秒、また一秒と体力を奪っていく。せっかく杖があっても、これでは意味がない。闇祓いたちが自分の居場所を嗅ぎつけるのは時間の問題だろう。
(これで、終わりかな……短い夢だった)
諦める気持ちが芽を出し始め、頬には冷たいものが伝った。
「……
口の端から自分らしからぬ弱気な言葉が漏れた。
もちろん、それを拾う者はいない。
このまま気を失い、目が覚めたらアズカバンに逆戻りだ。
そう、思った。
「――?」
見知らぬ言語が降ってくる。
それと同時に傘がかけられた。ロンドンでは、この程度の雨で傘などさす人はいないというのに――デルフィーニはにわかに驚き、閉じかけた目をこじ開けた。
そこには、アジア人の女がいた。
鮮やかな赤い折り畳み傘を差し、当惑気味にこちらを見下ろしている。
デルフィーニは咄嗟に彼女の手をつかんで、こちらに引き寄せた。
「ウワッ!?」
「お前の家に匿え!」
「エ、マッテ。ホンヤク、ホンヤク……ッ!」
女はあたふたと板を操作し、こちらに出してきた。
「だから、私は言ってる! お前の家に匿え。でなければ、痛いめをみてもらうことになる」
「えっ、ハイっ! イエス! イエス!! ミーのホテル! レッツゴー!」
どうやら、女は板を通してこちらの言い分を理解したらしい。
マグルの女に匿われるのは極めて遺憾だが、背に腹は代えられない。
(連中だって、マグルのところにいるなんて思わないものね。ある意味、良い隠れ場所になるかもしれないわ)
不必要になれば殺せばいいのだ。記憶を改ざんして、幾度となく良いように扱い続けるのも良いかもしれない。相手はマグルなのだから、罪悪感を抱くこともなく好きに活用することができる。
(すべては、闇の帝王の復活のために)
女の背を追いながら、デルフィーニはほくそ笑むのだった。
次回は8月30日に更新します。
※「呪いの子」のタグ付け忘れていたので足しておきました。申し訳ありません!