駅前のレンタルビデオ店には、麗しい外国人が働いている。
流れるような銀髪を後ろで結びあげ、てきぱきと働く姿は映画のワンシーンのようだった。顔もスタイルもモデル以上であり、常連客でなければ「なにかの撮影の最中だろうか?」と勘ぐってしまうかもしれない。気のせいか、彼女の周囲だけ輝いて見える。それほどまでに、彼女は異彩を放っていた。
とはいえ、彼女は一日中働いているわけではない。
平日の昼前から夕方まで。
勤務が終わったあとは、すぐに帰ってしまうこともあったが、この日は客として残り、レンタルDVDを見て回っていた。
「デルフィーさん、お疲れ様です。なにを借りるんですか?」
店員の一人が彼女に話しかける。
すると、彼女はニッコリと微笑んだ。
「お疲れ様です、先輩」
ルージュを引いた唇から紡がれたのは、外国人とは思えないほど完璧な日本語だった。完全無欠美女外国人だったが、彼女の籠に積まれているのは日本のアニメーション作品である。かなりの量があり、レジでスキャンするのも時間がかかりそうだった。
「先輩、安心してください。無人のレジを使いますので」
「別に有人で借りても大丈夫ですよ。にしても、日本語上手になるの早くないですか?」
店員は彼女の蠱惑的な笑みにどぎまぎしながら、笑って返した。
彼女がバイトの面接に来たのは、3か月前。そのときは、ほとんど日本語を話せなかった。完璧な笑顔と働きたい意欲だけで採用されてから一週間後には二語文の会話が成り立つようになり、いまではすっかり日常会話に問題ない。
「デルフィーさん、コツとかあるんですか?」
「『好きこそのモノの上手なれ』ですね。それから、優しい先輩からいろいろと教わりましたから」
彼女はくすっと笑った。
「優しい先輩」と呼称され、店員の鼓動は早くなった。
「い、いやー、自分が教えたことはほとんどないですって! そ、それより、今日は金曜日ですねー。家帰ったら、ロードショーとか見るんですか? 今日ってハリポタですよね?」
「まだ悩み中です。
「そ、それならさ、一緒に――……」
店員が言いかけた、そのときだった。
チーンッ……という鈴の音がレジから響き、店員ははっと我に返る。
「あ、はいっ! ただいま! ――それじゃ、デルフィー。また今度」
店員は慌ててレジに向かうが、そこには誰もいなかった。
「いたずらかな。それにしては、客はいないし……?」
店員が途方に暮れていた。
その横を、デルフィーニは無人レジで会計を済ませて颯爽と通り過ぎる。
(馬鹿な男め)
デルフィーニは心のなかで舌を出した。
(『先輩』とは、魔法の言葉だな。名前で呼ぶより、従属させる効果がある)
おかげで随分と働きやすい職場になった。
マグルから月ごとにお小遣いを渡されてはいるが、お金はあればあるほど良い。
(あそこで働けば、日本の文化を知ることができる。その国に馴染むためには、文化を知ることがやはり大切だ)
デルフィーニは鞄にしまったDVDの数々に思いを馳せていると、油の香ばしい匂いが鼻孔をくすぐった。思わず匂いの方へ目線だけ向ければ、女子高生一行がバーガーショップの包みを抱えて歩いていた。
(……バーガーショップで働くのも良かったかもしれないわね……いえ、別に食べたいというわけではない。あのような低俗極まる食事は、闇の帝王の娘たる私にふさわしくないもの。ふさわしくないが、郷に入れば郷に従え。マグルに溶け込むならマグルに溶け込め、だ)
自分で自分に言い訳をしながら財布を確認し、小さく息を吐いた。最も興味をそそられるビッグなバーガーを買えないことはないが、それをしたら他に買い食いをすることはできないし、よけいな買い物をすることもできそうになかった。
(まったく……あんなコミックを買ったばかりに……)
デルフィーニは昨日買ったばかりの漫画を思い出し、舌打ちをしてしまう。
同居人のマグルに勧められ、つい夢中になったロボットアニメーション――その主人公の名前を冠した漫画が売っていたので購入してみたところ、本編のシリアスは皆無な青春ラブコメディだったのだ。
(肩透かしも良いところよ。恋愛コメディだなんて、低俗中の低俗。私が読むに値しないわ)
思い出すだけで、歩みに力が入ってしまった。
もっとも、このことを同居人のマグルに伝えたところ、「ラブコメは気軽に楽しめるから好きなんだけどなー」とのことで賛同を得ることはできなかった。極めて遺憾である。
(本当、可愛げのないマグル)
デルフィーニは家に入りながら、ため息を零した。
「ただいま帰った」
そうは言っても、帰ってくる声はない。電気のスイッチを入れると、静まり返ったリビングが広がっていた。やはりというべきか、マグルはまだ働いているのだ。
「はぁ……またザンギョウ?」
デルフィーニはおもむろに杖を取り出すと、テレビの前で胡坐を組んだ。杖の動きに合わせ、自分が纏っていたコートはハンガーにかかり、借りてきたDVDはひとりでに再生機に吸い込まれていく。ポテト系スナック菓子の袋が左手に落ち、食器棚から飛んできたコップには麦茶が注がれていた。
「……」
借りてきたばかりのアニメーションを目で追いながら、チップスを食べる。麦茶を飲み、足りなくなったら魔法をかけて増やすを繰り返す。
「……昨日の漫画よりは良いわ」
デルフィーニは小さく笑った。
架空の物語という観点は、魔法界にも存在した。しかしながら、どれもこれも「魔法」が前提として存在する。「吟遊詩人ビードルの物語」などその最たる例だ。
だが、マグルの物語は違う。
魔法ひとつとっても、作品によって千差万別。呪文を唱えて魔法を発現させる物語があれば、悪魔と契約することで自身の
(マグルの想像力だけは評価しても良い)
いや、ここは妄想力と表現する方が適切かもしれない。
魔法を持たないマグルたちは、それの力を手にしていないからこそ「ここではないどこか」や「見たこともない世界」を頭のなかに創り出すしかなかった。自分たち魔法族は、最初から呼吸よりも簡単に使いこなしているが故に、その発想には至らないのだろう。
(錬金術なんて、その最たる例ね)
デルフィーニは、一番のお気に入りであり、最も深く刺さった漫画のことを想起する。
錬金術で死んだ母親を生き返らせようとするなんて、想像したこともなかった。自分も亡くなった父を復活させようと、研究したことがあるから、幼い主人公たちの気持ちは痛いほど身に染みた。
(でも、私は錬金術なんて考えもしなかった。錬金術は物質を変形させるものだもの。人造生物を作ろうとする術も過去に研究されたとは聞いたことあるけど、人の魂を錬成させるなんて……ね)
これで母親を蘇らせることに成功していれば、良かったかもしれない。しかしながら、悲しいことに母親を蘇らせることはできなかった。作中で人の魂を弄んだ愚かな所業はたくさん出てきたが、誰一人として死んだ人間を――生まれる前の赤子ですら、呼び戻すことはできなかったのである。
(まあ、それはそうね。死んだ魂は戻ってこない)
しかし、その例外を手に入れることは実質不可能。だから、予言に従って過去を改変しようとしたり、死ぬ前に接触したりと模索したのである。
(でも、魔法族と発想が似ているところもあるのよね。弟の魂を鋼の鎧に定着させたところとか、分霊箱っぽいわ)
とはいえ、賢者の石が実際の人を――それを国単位の人間を使った悪魔的所業という考えは脱帽する。ニコラス・フラメルがこの漫画を読んだ暁には、驚愕のあまり失神するに違いない。
そんなことを考えているうちに、玄関に鍵が差し込まれる音が聞こえてきた。
(……帰ってきた!)
デルフィーニは目にもとまらぬ速さで杖を振った。最後の1枚だけ残ったチップスは増幅され、袋はすっかり元通りになり、コップと一緒に机の上へ運ばれる。デルフィーニも椅子に座り、さも退屈そうにテレビへ目を向けた。
「ただいまーっ! 遅くなってごめんなさい!」
どたどたと廊下を走る音が聞こえてくる。
「遅いわよ。早く夕食を用意しなさい」
デルフィーニはリモコンをいじりながら、ちらっとマグルの方を振り向いた。スーツ姿のマグルは、よほど急いで帰ってきたのだろう。髪の毛はぼさぼさで、肩で荒い息を繰り返していた。それでも、こちらと目が合うと疲れなど感じていないように笑っていた。
「すぐに作るね。お腹すいてたら、ポテトチップス食べていいよ」
「……私にスナックを食べろというのは、あんたくらいよ」
そう言って、先ほど元通りにしたばかりのチップスの袋を開けた。
「ごめんね、デルフィーニ」
「オーグリー様と呼ぶこと。私のしもべであるなら、そろそろ呼び名くらい覚えなさい」
「オーグリーは鳥の種類なんでしょ」
マグルは、冷蔵庫から作り置きの食材をあれこれ取り出しながら言った。
「種族名を敬称にするのは、なんか違うと思うわ。だって、偉い人のことを柴犬とかコーギーって呼んでいるようなものじゃない?」
「……いいのよ、魔法族だから。というか、その例えは何よ」
デルフィーニはテーブルに肘をつくと、左足を右太ももの上に乗せた。
「マグル、あんたにも分かりやすく言い換えると……そうね、小さくなった名探偵が主役のアニメがあるでしょ? あれの敵組織の幹部は酒の種類で呼ばれているじゃない。でも、誰も変だとは思わないわ」
「つまり、オーグリーはコードネームってこと?」
そういうものではない。
デルフィーニは言い返そうと思ったが、だんだんと面倒になってきた。むしゃくしゃする代わりに、チップスを口に放り込んでいれば、のんきな声がキッチンから聴こえてくる。
「でも、オーグリーって綺麗な鳥なんでしょ? 一度、見てみたいわ」
「アジアにはいないから無理よ」
「そっか……また、イギリスに行った時に見れるといいな。そのときは、案内してくれるかしら?」
「…………あんた、馬鹿?」
デルフィーニは椅子の背もたれに腕を乗せ、大袈裟にため息をついて見せた。
「私、お尋ね者よ。次にブリテンの地を踏むのは、再び闇の帝王の威光を轟かせるとき。あんたにオーグリーを見せている余裕はないわ。どうしても見たいなら、魔法生物学者の映画でも見ることね」
そう言って、杖の先端だけ動かして見せる。それに呼応するように、部屋の隅に積みあがっていた「ファンタスティックビーストと黒い魔法使いの誕生」のDVDが浮き上がり、テーブルに落ちた。
「上手くCGにしているわ。だいたいあんな感じよ」
「鳥なんて出てきたっけ?」
「ニュートの地下研究室にいたでしょ。あとで確認して、オーグリーの美しさを目に焼き付けること」
「せっかくだから、いま見ようかな」
「私がテレビ使っているの」
ちょっと不貞腐れたように言えば、マグルもテレビに目を向けた。
「あっ! 今日は映画借りたんだ!」
マグルは目を輝かせながら、テレビの方へグイっと身体を寄せていた。
昔の日本を舞台にしたアニメだった。鬼になった妹を元に戻すため、鬼狩りの組織に入った少年の物語である。アニメの方はなかなかに面白かったので、次は映画版を借りてみたのであった。
「その映画って、400億も売り上げたんだよ」
「マグルの評価は興味ないわ」
「あなたの評価は?」
「……まあまあってところね。説明の台詞が多すぎる」
もっとも、それで分かりやすくなっていたのも事実。
大きい画面で見ることができたら、さらに迫力を感じられたのだろう。
「私、たぶん子どもだったら真似してたかもなー」
「真似できなくはないわよ」
デルフィーニはティッシュペーパーを一枚とり、宙に放り投げた。そのままペーパーを黒い刀に変身させる。とはいっても、刀の詳しい構造を知らないので真似したのは見た目だけだ。それでも、主人公の使う刀そっくりの者はできた。デルフィーニは右手で刀を握ると、左手で杖を振るった。
「
杖の先から真新しい水が放出される。その水が空から落ちる前に、素早く杖を動かした。
「
水は地に落ちず、代わりに黒刀に纏わりついた。刀を中心に渦を巻きながら、緩やかに回転しているようだった。デルフィーニは刀を構え、くすりと挑戦的に笑った。
「どう? これが主人公の技でしょ」
マグルはぽかんと口を開けていたが、すぐに目を輝かせながら手を叩いた。
「凄いっ! 凄い、凄い!! アニメみたい!!」
そうやって喜んだかと思えば、悔しそうに頭を抱えた。
「あーっ、こうなるなら、声優ボイス搭載DXなオモチャの刀を買っておけば良かったー! いや、明日買ってくればいいんだ!」
「あんた、もう良い大人でしょ」
「だけど、本当の声を聞きながら、振りたくない?」
マグルはそう言った。
馬鹿らしい、と一蹴しようとしたが、ちょっとだけ好奇心が芽生えてしまう。確かに、玩具は玩具でもきちんと本物とそっくりな造りをした刀であれば、こんな即席の刀よりも迫力は出るかもしれない。それはそれで興味がある。デルフィーニが少しばかり考え込んでいると、ぐぅっと腹の音が鳴った。
「あっ」
「ごめんなさい。すぐにご飯にするね! 手が止まってた!」
マグルはいそいそと調理に戻って行く。
デルフィーニはお腹を触りながら、わずかに頬を赤らめた。
(調子が狂う)
再びテレビに顔を向けながらも、耳を澄ませて台所の音を聞いた。とんとんと包丁がまな板を叩く音、くつくつと鍋が煮える音、ときおり聞こえる下手な鼻歌――どれも嫌いな音ではなかった。
(そう、ここでの暮らしは……悪くない)
いままでの人生同様、息を潜めた逃亡生活には違いなかった。
それでも、ここは心地が良い。
ロウルと暮らしていたとき、ずっと一人ぼっちで寂しかった。教育を受けたが、少しでも覚えが悪ければ闇の魔法を使った折檻を受けた。
『こんなこともできないのか。ベラトリックスの血を濃く継いだな、嘆かわしい』
ロウルは吐き捨てるように蔑んだ。その声はいまでも耳の奥に蘇ってくる。
母たるベラトリックス・レストレンジは忌避すべき存在だった。ロウル曰く「純血と家柄しか取り柄がない」魔女である。
『あの女は右腕を語っていたが、ホグワーツの学生程度に後れを取った挙句、戦闘訓練を受けていない魔女に負けた。嘆かわしい敗北者だ。女であることと純血を掲げ、我が君に近づいた……実に醜い』
そう、自分には汚らわしい血が流れている。
(でも、半分はお父様。お父様は素敵なはずよ)
自分は闇の帝王の娘。
いずれは英国に舞い戻り、復活の狼煙をあげなくてはならない。
しかしながら、ここは痛い思いをしなくていい。好きなことだけをしていれば良い。同居人のマグルもうるさいが、こちらに悪さはしてこない。
(あと1年……いえ、3年くらい、ここにいてもいいかも)
デルフィーニは、逃避するように目を閉じるのだった。
次回は9月13日に更新する予定です。
今回がちょうど折り返し地点になります。