12月25日。
その日は、ごく普通の土曜日。
祝日でもなければ、特別どこかへ行くイベントもない。
しかし、世間はクリスマスを満喫しているらしい。テレビを付ければ、どこもかしこもクリスマスに浮かれている。通販番組でさえ、出演者が商品と無関係なサンタの服を着ているものだから苦笑すら込み上げてきた。
「バカらしい」
デルフィーニはテレビを消すと、椅子に座り込んで漫画本をめくった。すでに何度も読んできた漫画だけあり、するすると頭に入ってくる。だが、どうしても集中できない。その理由は、考えるまでもなかった。
「奮発してね、チキン10ピースも買っちゃった! それから、ノエルのケーキも!」
目の前で、マグルがクリスマスに浮かれているからである。
せっかくの土曜日だというのに、彼女は10時前に一人で出かけて行った。クリスマスの買い出しと知っていたが、待てど暮らせど帰宅しない。彼女が帰ってきたときには、太陽は西の空で輝いていた。「こんな長時間、いったい何を買っていたんだ」と問い詰めようとしたが、その気は失せてしまった。
(チキンを買うために、数時間並ぶとか……変なところで根性発揮して……はぁ)
数時間もかけてクリスマスを祝うための食品を買い集めてきたというのだから、呆れてものが言えない。あいかわらず信仰心もないのに、「お祝い事だから全力ではしゃいで楽しむ」なんてことは理解できなかったし、おそらく理解する日は永遠に訪れないことだろう。
「あとは、ピザが届くのを待つだけ。ピザの宅配なんて初めてだけど、わくわくが止まらないわ!」
「……冷凍のピザを買えばよかったんじゃない?」
デルフィーニは漫画に目を落としたまま、つい口を開いてしまった。
「冷凍なら半額以下の値段でしょ」
「でも、ロマンが足りないわ。せっかく誰かとお祝いできるクリスマスなんだもの! ちょっとくらい豪勢にしたってバチは当たらないわ」
「……私もあんたも信仰心は……いえ、止めておきましょう」
デルフィーニは首を横に振った。
「だいたい、クリスマスにチキンを食べるってどうかしてるわ。百歩譲ってローストチキンならともかく、ファーストフードのフライドチキンなんて……一周回って笑いが止まらないわ。聖ニコラウスも笑い過ぎて、そりから落下するかもね」
「日本だからいいの。デルフィーもチキン好きでしょ?」
「好き嫌いの問題ではないの。だから……もういいわ。この話はおしまいにしましょう」
反論をしようとしたが、マグルのにまにました笑顔に「明言しないってことは、チキンが好きってことだよね」とハッキリ書いてある。デルフィーニは強引に話を切り上げると、再び漫画へ目線を落とした。
だが、マグルはぐいぐいと話しかけてくる。
「それ、私が最初に買った漫画だよね? 気に入ってくれて良かった!」
「錬金術における現実との違いが興味深いだけ」
「興味のあるキャラクターはいる?」
そう聞かれ、デルフィーニはいったんページをめくる手を止めた。
「……別に」
デルフィーニはあえてそう返した。
まっさきに浮かんできた登場人物の名を答えても良かったが、あまりにもマイナー過ぎた。漫画の読者百人に聞いたら、まずは出てこないだろう。もちろん、その人物の名前を口にすれば「なるほど」と返ってくるだろうが、なぜその人物を選んだのかという話になれば、極めて自分の内面に関わってきてしまう。
「あんたは、どうせ雨の日に戦えない錬金術師あたりでしょ?」
デルフィーニは漫画本を閉じながら、ぶっきらぼうに言った。
「な、何で分かったの!?」
「あんたの顔に書いてあるから」
そのとき、玄関のチャイムが鳴った。ピザの宅配が到着したのだ。マグルは「はい、いま行きます!」と小走りで去っていく。その後ろ姿を目で追いながら、一言呟いた。
「馬鹿みたい」
これはあくまで予想だが、もしマグル一人でクリスマスを迎えたのだとしたら、ここまで豪勢に食べ物をそろえなかったことだろう。彼女がわざわざピザを宅配で頼んだのは、ひとえに家族でもない魔女と一つ屋根の下で暮らしているからなのだ。
(もし、あんたみたいな人が……お父様の近くにいたら……)
それこそ、先ほど話題に上がった漫画を思い出す。
錬金術の漫画には、魅力的な男性と同じくらい、強い女性が数多く登場する。
デルフィーニが興味を持った女性は、どこにでもいる夫人であった。
彼女は錬金術を使う才能も、機械を修理する腕も、鍛え上げられた肉体や精神も、正確無比な狙撃術も、主人を守る技の心得も、国を守る強固な信念も、忠誠心の厚い部下も持っていない。
彼女が抱いていたのは、養子に注ぐ愛。
彼女が養子にしていたのは、人類にとっての敵であった。それも、ラスボスの右腕と称しても過言ではないほど極悪で冷酷な敵である。普通の女性であれば悲鳴を上げたり、「騙したのね」と罵詈雑言を浴びせたりすることだろう。しかし、夫人はそのようなことをしなかった。敗北して胎児となり果てた養子を引き取り、慈しんで育てたのである。
そう――彼女は間違いなく「強い女性」だった。
(マグル……私は、あんたも強いと思う。あんたを100年前の過去に送り込めば、お父様が悪の道を歩まずにすんだ。あんたが傍にいれば、お父様は本当に偉大なる魔法使いになれるんだ)
それを実現するための理論はある。
この数か月の経験を基に、導き出すことができた。
ただそれを実現することはできない。どう頑張っても、自分一人では不可能なのだ。理由は単純で、純粋に魔法力が足りない。なにせ、これは世界の因果を乱す行いである。己の実力は父に迫るものだと自負していたが、それでもまだ手が届かない。
それに――これを実行をしてしまえば、自分は生まれない。
生まれないということは、自分はどうなってしまうのだろう?
それこそ、未来の世界から来るネコ型ロボットの物語では、「歴史の流れが変わっても、他でつり合いをとれば子孫として生まれてくる」と言っていた。
だが、デルフィーニはそこまで楽観的になれなかった。
まっとうに成長したトム・リドルが、ベラトリックス・レストレンジが産まれてくるまで独り身とは考えられない。ベラトリックスがよほど魅力的で運命的なつながりがあれば話は変わってくるが、あまりにも年齢が離れすぎている。
そう考えると、足元に底の見えない穴があいた。思わず震えあがってしまうような不安感が、波のように襲ってくる。
「デルフィー! 食べよう! クリスマスソングを流そう!」
陰鬱と沈みそうな自分を引っ張り上げたのは、能天気な声だった。満面の笑みでピザの箱を抱えながら近づいてくる姿を見て、デルフィーニの頬は自然と緩んでいた。
「……あんたさ……いや、なんでもない」
デルフィーニは杖を一振りした。
無機質な白い壁に、赤と緑のガーランドが飾られる。部屋の隅にはクリスマスツリーが出現し、妖精の形をしたオーナメントは囁くようにクリスマスソングを歌い始めた。
マグルは目を丸くすると、子どものように無邪気な笑みを浮かべた。
「素敵……っ! ありがとう、デルフィー!」
「殺風景だったから、ちょっと足しただけよ。ほら、はやく食べましょう。それより、シャンパンは買ってあるの?」
「もちろん!」
マグルは机の上に、スパークリングワインをどんっと置いた。
デルフィーニは苦笑いをするも、無粋なことは言わないことに決めた。
マグルは楽しそうに栓を開けるとグラスにスパークリングを注ぎ、高らかに掲げる。
「それじゃあ、メリクリー!」
「……メリークリスマス」
かちんっとグラスを合わせ、スパークリングを口に含んだ。炭酸の泡が喉を刺激する。でも、不快感はない。心地の良い清涼感を味わいながら、デルフィーニは心の底から微笑むのだった。
※
心地の良い時間というものは、あっという間に過ぎていく。
ジャンクな料理に舌鼓を打ちながら生産性のない雑談をしているうちに、壁の時計は夜の10時を指していた。
「あー、幸せ……こんな楽しいクリスマスは、ひさしぶり……」
マグルは酔って頬を紅潮させながら言った。
「デルフィーは?」
「そうね、私も久しぶり」
そう言いながら、グラスを煽った。
久しぶり? そんなの真っ赤な嘘である。クリスマスを祝ったことはあれど、楽しいものではなかった。ロウルとの生活は、いうなれば潜伏生活だ。豪華な料理で祝ったこともなければ、クリスマスなんてなかった年もある。
つまるところ、まともにお祝いしたのは初であり、人生で一番最もクリスマスであった。
「デルフィーは、プレゼントに何を貰ったの?」
「書籍よ」
適当にそれっぽいことを言えば、マグルは納得したように頷いていた。
「へー。デルフィーらしいね。私は人形のお家とか、ゲームのカセットだったなー。あ、でも、一度だけ本を貰ったことがあるんだ」
ちょっと持ってくるね、とマグルは自室へと駆けた。戻ってくると、彼女は絵本を抱えていた。美しい表紙だった。夜空を背景に、男の子が迫りくる汽車を見つめている。汽車は線路の上ではなく、空から男の子のもとへ向かってきていた。幻想的な表紙には、このような題名が刻まれていた。
「『銀河鉄道の夜』……?」
「おばあちゃんは厳格でね、『そろそろ本を読みなさい』ってプレゼントしてくれたの」
「ふーん……」
デルフィーニは絵本を手に取った。軽く読むつもりだったが、思わず引き込まれてしまう。そこに刻まれていたのは、絵本だというのに大変美しい日本語だった。
「ほら、デルフィーがこの間見ていたアニメでも出てきた本だよ。生存戦略ーってアニメ!」
「ああ、あれね。ということは、これは『本当の幸せ』を探す物語ってこと?」
本から顔を上げて聞けば、マグルはこくこくと頷いていた。
「デルフィーは本当の幸せって何だと思う?」
「私は…………」
答えは喉元まで上がってきていた。だが、それを口にするのは躊躇われる。
「デルフィー?」
しかし、マグルが見つめてくる。
こちらに全幅の信頼を寄せている目で、まっすぐと。
デルフィーニはやや悩んだが、喉に詰まりそうな言葉をすっかり飲み込んだ。そして、いつもの勝気な表情でこう返す。
「あんたは? 人に聞いてくるくらいなら、ちゃんと答えがあるんでしょうね?」
「私? 私は……気の置けない友だちと過ごしている時間かな」
マグルはくすっと笑う。
デルフィーニはそこまで酔っていないのに、自分の頬が熱を持ったことが分かった。なんとも実に反則的である。デルフィーニは顔を背けながら、わざと怒った口調で言葉を放つのだった。
「へー。毎日がクリスマスならいいってこと? 随分とお花畑な思考ね」
「そういうわけではないけど……一緒にココアでも飲んだり、縁側で二人並んで風鈴でも聞きながら空を眺めたり……そういう時間って幸せじゃないかなって」
「……そう」
確かに、想像してみると悪くない。
マグルが語るのは、一人では得られない幸せである。
「理解はするわ。ところで、ココアってなに?」
「まだ飲んだことなかったっけ? ホットミルクとチョコレートを足した飲み物でね、冬に飲むとぽかぽかして身体が温まるんだよ」
「ホットチョコレートのようなものかしら?」
「それとは少し違って……いい機会だから、ちょっと買ってくるね」
マグルは立ち上がった。
彼女はデルフィーニにプレゼントされたばかりのニット帽を被りながら、にこっと笑った。
「冬のココアはね、最高なんだよ。一人で飲むのも美味しいけど、デルフィーと飲んだら最高に幸せな気がするんだ」
「どこまで行くの? 特別に『姿現し』で送ってもいいわ」
「コンビニまでだから。15分で帰ってくるね」
マグルはコートを羽織ると、颯爽と出て行ってしまった。
クリスマスソングが奏でる空間には、デルフィーニだけが残される。
「……呆れた。馬鹿じゃないの?」
マグルは酔っぱらっていたのか、急いでいたのか分からない。だが、いずれにしろ、デルフィーニのトレンチコートを羽織って行ってしまった。
「日本は治安が良いとはいえ、もう10時よ……まったく、馬鹿じゃないの」
デルフィーニはお古のコートを纏うと、マグルのあとを追いかけた。
(私を15分も待たすなんて許せない。仕方ないから、私が付き添ってあげる。しかも、行き先はコンビニよ? 追加のデザートでも買ってもらわないと気がすまないわ!)
文句の言葉を並べながらも、デルフィーニの足取りは軽やかだった。身体は羽のように軽く、うずうずと気持ちも浮足立っている。古い街灯が立てる音すら心地が良く、街頭の灯りと時折走る車のヘッドライトが照らす道をどんどん進んでいく。
だから……
「
唐突に前方から聞こえた母国語に、全身から血の気が引いた。
マグルの前には、中年の男が立っていた。怒りに震える男の手には杖が握られている。デルフィーニからマグルの表情は読めないが、おそらく杖よりも急に聞こえた英語に戸惑っているのだろう。
「マグルっ!」
「『アバダケダブラ』」
デルフィーニが叫んだのと緑の閃光が宙を奔るのは同時だった。緑の閃光がマグルの胸を貫くと、彼女は動きを止めた。声もなかった。そのまま静かに倒れた。木が倒れるように、静かに倒れる。
「貴様っ!」
デルフィーニは激怒した。荒ぶるように杖を振り、中年の魔法使いを地面に括り付けると、飛ぶように迫った。そのまま男の首元を自分の左手で締め上げ、のしかかりながら拘束する。
「貴様っ! そのマグルが何をした! なんの恨みがあってのことだ!?」
「マグル……? ああ、ああ、ああ!! そういうことか……っ!」
中年の魔法使いは当初こそ苦しさで呻いていたが、地面に倒れるマグルとデルフィーニの顔を交互に見て、にんまりと勝ち誇ったように笑った。
「なにがおかしいの? 何様のつもり!?」
怒りをぶつければ、中年の魔法使いは一瞬だけ真顔になった。
「お前が……私の息子を……殺したからだ」
「息子……?」
一瞬、分からなかった。
本気で困惑する。
だが、瞬きを二回ほどしてようやく理解した。
「お前……あれの父親か」
クレイグ・バウカーJr。
アルバスたちの同世代であり、アルバスたちを探しにきたところ、たまたまデルフィーニと出くわしてしまった運のない魔法使いの卵だ。彼がアルバスたちを連れ帰ろうとのこのこ来たので、デルフィーニは計画に邪魔な存在としてアバダケダブラをしたのであった。正直なところ、デルフィーニが彼の名前を知ったのは収監されてからである。顔も声も思い出せないほど、どうでもよい人物である。
そんな人物の父とやらに、世界で一番大切にしていた人を殺された。デルフィーニは大鍋で殴られたような衝撃を受けた。ぐらりと視界が揺れた気がする。呆けたように口を半分開けば、バウカーの笑みはますます深まった。
「っくっく、ははは」
バウカーは狂ったように笑った。
「そうだ、その顔が見たかった! お前に苦しみを与えてから殺さないと意味がないっ! 息子が浮かばれない!! 真面目で規則を破ったこともない自慢の息子だったのに殺されたんだ!! だから、同じ絶望を与えてやったのさ!!」
「……黙れ」
「自分が幸福だと思い上がってたんだろ? アズカバンを脱獄して、楽しくのんびり暮らしましたってか? 笑わせる!! 人殺しのお前だけ幸せに生きようなんざ、ダンブルドアでも許さねぇよ!」
「黙れっ!!」
怒りのまま男の頬に平手打ちをする。
そのまま黙らせ呪文を無言でかけ、額に杖を突きつけた。
「『
男を殺したい怒りもあったが、まだ冷静的な部分が自身を落ち着かせていた。
どうして自分の潜伏がバレたのか、知っておく必要があると考えたのだ。
(……傷心のための旅行に連れ出される……日本を訪れたとき、スカイツリーで私たちを見かける……そのまま機会をうかがっていた……本当は
デルフィーニはそこまで心を読み、気がついたら男の顔を殴った。
何度も、何度も、何度も、何度も――顔の形が変わるくらい殴った。自身の拳に血が滲み、ひりひりと痛み始める。そして、最後とばかりに杖を振り上げたとき――視界の端に、マグルの亡骸が映った。
「…………」
そのままゆっくり手を降ろした。
どういうわけか、「アバダケダブラ」も「磔の呪文」も使う気になれなかった。
「お前を痛めつけたところで、マグルは帰ってこない」
代わりに、男の記憶を改ざんする。
デルフィーニたちと会った事実を消し、通り魔的にここで何者かに殴られたということにすると、デルフィーニはマグルの亡骸を抱きかかえ「姿くらまし」をした。
「……おかえり」
数分前まで幸せだった空間に降り立つ。
クリスマスソングをはじめとした幸せの残り香が、リビングにゆったりと充満していた。
「ごめんなさい……」
頬を涙が伝う。
「ごめんなさい……私のせいで……。なんて、馬鹿だったんだろう。あのとき、あんたを引き止めていれば……っ!!」
心が引き裂かれてしまいそうだった。
大声で泣き喚きたかった。でも、それをしたところでどうにもならない。
(……彼女を蘇らせたい。復活させたい……でも、それはできない。それをするなら……それを可能にするのは……)
一つの石が脳裏に過る。
だが、その石は失われた。禁じられた森の奥底で。
ハリー・ポッターが
「……あっ」
そこまで考えたとき、デルフィーニは弾かれたように顔を上げた。
ひとつ、とある仮説が繋がってしまう。合わなかったピースが嚙み合ったように、するするとパズルが出来あがっていくように理論が組まれていった。
「でも、それをしたら……」
マグルの亡骸を見つめる。
マグルの目はちょっと驚いたように丸く見開いていた。
デルフィーニはマグルの瞼を優しく閉じながら、冷たくなった額をなでた。
「死者の復活。そんなこと、あんたは望まないでしょう。でも、私は違うの」
魔法は奇跡だって起こせる。
なぜなら、魔法は人理を越えた現象を発現させることができるのだ。
自分にとって最高の恩人が静かなる死の眠りについていたとしても、ゆすり起こすことだって不可能ではない。その術を自分は既に知っている。
「だから、その時が来たら……私のことを世界で一番嫌いだと言ってね」
デルフィーニはマグルの額にキスを落とすと、黙したまま「姿くらまし」をした。
名前も知らぬマグルの亡骸だけを残して。
次回更新は9月27日(日)を予定しています。
忘却福音はあと2話ほどで終わらせるつもりです。
※仮タイトルのまま投稿してしまってましたので、変更しました。申し訳ありませんでした。