イギリスのウィルトシャー州。
なだらかな丘陵地帯の一角――月明かりに照らされた狭い道に、どこからともなく魔女が現れた。夜だというのにフードを目深に被り、闇に紛れるように歩いている。小道の向こうにはイチイの生け垣が連なっており、どこからともなく噴水の音が聞こえてきた。
(ここね)
魔女は生け垣を注視すると、杖先を自身の足にかすらせる。
「『
魔法を告げながら、ぴょんっと軽く跳ねた。足がふわりと浮き上がり、重力を無視して跳んでいく。あっという間に、魔女は生け垣の上まで到達した。
「『
軽く呪文の一節を告げれば、浮遊は瞬く間に解けた。すたんっと生け垣の内側に降り立ち、彼女は周囲に目を走らせる。少し離れたところに、ひときわ優美な館が見えた。一階の菱形の窓には明かりがきらめき、すぐ傍では噴水が庭を彩っている。
(あそこではないわ)
彼女は館に背を向け、庭のさらに奥へと足を進ませた。
庭といっても、自分の知るどの庭よりも広大だった。どこまでも刈り揃えられた芝が続き、見事な薔薇園まで広がっている。バラ園を抜け、さらに奥へ進めば景色は自然な林へ変わっていった。
(ここ、本当に庭なのかしら。いつのまにか、外に出たわけではないわね?)
魔女は樫の巨木を見上げながら、少しだけ心配になった。ご丁寧に池まである。池のほとりには、ハクチョウと思われる白い鳥が羽を休め、眠りについていた。
(屋敷を囲む生け垣は見当たらないわ。まだ、ここは庭園のなかで違いないわ)
魔女は舌打ちをする。のろのろと歩いていれば、それこそ太陽が昇ってしまうだろう。ちょっと足を速めたとき、ざわざわという音が前方からした。
「っ!?」
魔女は杖を抜き、すぐに狙いを定めたが、音の正体は単なる孔雀だった。自然林のような森にもかかわらず、孔雀はどこまでも気高く歩いていた。
(貴族趣味ね……孔雀だなんて)
だが、方向は間違っていないのだろう。
その証拠に木々の合間から、わずかな光が漏れていた。近づいてみれば、先ほどの館よりかは一回り小さい屋敷がたたずんでいた。しかし、小規模とはいえ決して質素というわけではない。蜂蜜色の石灰石で造られた二階建ての邸宅は、ちょっとした名士の屋敷ほどの規模を誇っていた。先ほどの通ってきた林が嘘のように、屋敷の手前には美しい芝が揺れ、季節外れのイングリッシュローズが石畳の小径を囲んでいる。ラッパ水仙が囁くように歌う声まで、どことなく品を感じられた。
(さてと、さっさと終わらせなくちゃ)
魔女は杖を一振りし、いとも簡単に扉を解錠する。当然、魔法の鍵はかかっていたが、それを破ることなど息をするよりも簡単だった。
灯りの消えた玄関ホールは、見た目よりかは質素だった。低めの天井と温かな木の香りを感じられる。床には何世代にもわたって磨かれてきたであろうオーク材の板が敷かれ、その上に深紅の絨毯が広がっていた。壁面には、先祖たちの肖像画が控えめに飾られていた。ニーズルを抱いた老婆や二百年前の衣装をまとった男性が一家団欒する姿など、どことなく家庭味を感じるものが多い。肖像画たちは眠っていたが、突然の来訪者に目を丸くしていた。
(いまさら姿を消すのも面倒ね)
魔女は軽く杖を振り、肖像画に錯乱呪文と睡眠呪文をかけた。彼らはあっという間におとなしくなり、再び眠りについた。
魔女は階段を上り、二階の南向きの一等良い部屋の前に立つ。その部屋の扉だけ、明らかに意匠が凝っている。魔女は迷うことなく扉を開けた。
(いきなり当たりのようね)
部屋の中心には四柱式のベッドが置かれていた。派手な彫刻や金箔はなく、磨かれたマホガニー材の柱には深緑色の天蓋布が掛けられ、温かそうな羽毛布団が膨らんでいる。
大きすぎるベッドには、老人が一人で眠っていた。
魔女は老人を見下ろし、にやりと笑った。
老人は人の気配に気づいたのか、うめきながら薄っすら目を開ける。
「こんばんは、ルシウス・マルフォイ」
魔女――デルフィーニは、にこやかに笑いかけた。
ルシウス・マルフォイは何が起きたのか理解できず、それでも、危険な人物が訪ねてきたことだけは察したのだろう。すぐさまベッドサイドの杖に手を伸ばしたが、デルフィーニは許さなかった。
「私、あなたに2、3点聞きたいことがあるの」
デルフィーニはそう言いながら、鞭のように杖を振った。
ルシウスの杖はデルフィー二の手へと引き寄せられ、ルシウスは縄で拘束されてしまう。
「安心して。あなたの愛しい息子と孫には手を出さないと誓うわ。私はね、聞きたいだけなのよ」
にっこりと目を細めて笑えば、ルシウスはより震えあがった。
「ベラトリックス……? い、いや、違う。お前は……誰だ?」
「あら? 麗しきお母様をご存じなのね」
デルフィーニはくすくすと笑った。
「私、ここで産まれたんでしょ? 随分と良い暮らしをしていたのね。隠居のダウアー・ハウスがここまで素晴らしいのだから、本邸はより美しいのでしょう」
「……何が、目的だ……?」
ルシウスは怯えながらもまっすぐ睨んでくる。
「お前は、噂の……アズカバンから脱獄した『闇の帝王』の娘だな。なにをしに来た?」
「借りに来たのよ。あなた、持っているんでしょ……
「っ!?」
ルシウスは言葉を詰まらせる。
ハリー・ポッターたちがアルバス・ポッターたちを助けるため、マルフォイ家が所有していた「逆転時計」を使った。だが、そのあとの処遇について、少なくともマグル世界で知られる「呪いの子」では明らかにされていない。普通に考えれば、破壊されたのだろう。
しかし、破壊したのであればそれを記すはずだ。
ダンブルドアが賢者の石を破壊したように、どこかに明記するはずである。
「逆転時計は存在する。時を遡るのは魔法の神秘だもの。マルフォイ家が簡単に手放すはずがないじゃない」
「あれは……破壊した。もう何十年も遡ることはできない。闇の帝王を復活させることなどできない!」
ルシウスは言い切ったが、デルフィーニは困った赤子を見るような眼で老人を見つめた。
「ふふっ、何年も戻るなんて……そんなことはしないわ。私、一時間だけ逆転できればいいの」
「なに?」
ルシウスは虚を突かれ、表情を崩した。
瞬間、デルフィーニは油断をつくように、鋭く杖を突きつける。
「『
ルシウス・マルフォイの心に潜入し、逆転時計の隠し場所を盗み取る。それだけにとどまらず、そのまま記憶の奥底へと侵入し、ルシウス・マルフォイの人生にとって最も恐怖であった夜――ホグワーツの戦いの記憶も盗み取った。
(これで準備は整った)
デルフィーニは記憶の海から抜け出し、深く息を吐いた。
「安心して。殺しはしないって決めてるの。私が殺すのは、あと一人。ただ、ちょっと面倒だから眠りなさい」
デルフィーニはルシウスに魔法の眠りをかけた。
「お前は……なに、を……」
ルシウスは抵抗するように目に力を入れていたが、デルフィーニの魔力の前では無力だった。1分も経たぬ間に瞼は閉じ、静かな寝息を立て始める。
(いまのうちに改ざんしておきましょう)
デルフィーニは彼の額に杖を置き、記憶を簡単にいじった。
どうせ庭に侵入した時点で、防犯魔法が働いている。いくら隠居のダナーハウスとはいえ、ここの騒ぎが漏れるのも時間の問題だ。それでも、記憶を書き換えたことで少しは目的の足止めができるだろう。
(急がないと)
デルフィーニはサイドテーブルにかけられた魔法を解錠し、中から「逆転時計」を取り出した。本物か否かを確認するまでもない。かつて、自分が見たものと瓜二つだった。
(いまのところ順調。さてと、これからが大変だわ)
デルフィーニは「姿くらまし」をした。
ぱちんという音とぐるりと回転する。次の瞬間、デルフィーニが目を開けると、眼前には巨大な城がそびえたっていた。
(戻ってきたわね、ホグワーツ)
なんともいえぬ感慨深さが押し寄せてくる。
アルバスたちと踏み入れたときのまま、ホグワーツ城は時の流れを感じさせぬ荘厳さを漂わせていた。
(でも、今は城に興味がないの)
デルフィーニは鉄の門の前に立つと、再び自分の足に「浮遊呪文」をかける。重力を受けなくなった足はゆっくり浮上する。そのまま進行する方角の空へ杖を向ける。
「『
本来、この魔法は空に向けても意味をなさない。空を見上げても、そこにはなにもない――と普通の魔法使いは思うだろう。
だが、実際には違う。
空には見えないだけで、窒素や酸素など様々な成分が大気を作り出している。自分が魔法をかけるのは、空気を構成する成分だ。デルフィーニは空気を固めた見えない足場を作りだすと、その上にふわりと跳び乗った。
(お父様のように飛行魔法は使えない。でも、これなら箒がなくても空を移動できる)
デルフィーニは進みたい方へ向かって、凝固の魔法をかけていく。浮遊魔法で重力の薄れた足は、その上を跳ねるように進んでいく。ちょっとした空中散歩。月明かりが注がれ、夜空を進んでいく。
(なんて、ロマンチック……と、あなたは言うでしょうね)
冷ややかな気持ちを抱きながら、夜空を跳んでいく。目指すのは城ではなく、その反対――「禁じられた森」だった。禁じられた森は黒く覆われている。鬱蒼と木々が生い茂り、上空からでは眼下の状態など判別がつかない。それでも、城の位置や
(ルシウス・マルフォイの記憶と照らし合わせると……あのあたりかしら?)
デルフィーニはだいたいの見当をつけると、禁じられた森へと降り立った。森を歩きながら、ルシウスのたどった道を探る。
「……ここね」
デルフィーニは足を止めた。月の灯りすら差し込まぬ森だったが、そこだけわずかに開けている。この場所を切り開いたのは二十年以上前だ。そのため今では草で覆われ、細い木々も生え始めているが、それでも確かに空間があった。
「『
デルフィーニは周囲一帯の木と草を一掃し、それだけを消失させた。ルシウスの記憶よりも幾分か多く、城の方角だけを多めに伐採する。たった2分もしないうちに、辺りは土と石しか残らぬ広場へと早変わりした。空を隠す木々が消えたおかげで、月明かりがまっすぐ地表に注がれる。それだけで、足元が見えるほど十分明るくなった。
「こうしてみると、かなり広いわね……時間がかかりそう」
デルフィーニは眉間に皺を寄せた。
かつて、この空間で闇の帝王がハリー・ポッターを殺そうとした。死喰い人たちが集い、ハグリッドが捕らえられていてもなお、余裕のあった広さである。今回それ以上に場所を広げたので、死喰い人が500人集っても余裕で収容できる空間を誇っていた。
「さてと――ルーモス!」
デルフィーニは杖先に灯りをともらせ、広場の一番端に座り込んだ。そのまま地表に転がる石を拾う。石を拾い、なにか刻まれていないかを指先で確かめる。すべすべとした感触が指を伝い、舌打ちをする。念のため、手の中で転がしてみた。しかし、何も起きない。
(これは違うわ)
すぐに石を消失させ、次の石を探した。石を見つけては落胆し、跡形もなく消していく。5回に1回は時計を確認し、さほど時間が経過していないことに落ち込んだ。そんなことを何十、何百と繰り返して、時計の針が一周してもなお進展はない。
デルフィー二は肩を落としたが、すぐに気を取り直す。
「さてと、ここからが本番ね」
むしろ、デルフィーニは意気揚々と立ち上がった。
ルシウスから奪った逆転時計を取り出す。
逆転時計の針を動かし、デルフィーニは
ぐるぐると視界が巻き戻り、地面に足がついたとき――自分より少し離れた場所で、デルフィーニ自身が座り込んでいた。彼女はちょうど初めの石を手にしようとしたときだったが、突然背後に現れた自分自身を振り返り――残念そうに微笑んだ。
「……やっぱり、最初は上手くいかなかったのね」
「ええ、私。その通りよ」
そう言うと、デルフィーニは自身が1時間かけて石を探した箇所に芝を生やした。
この時間軸のデルフィーニは芝のない場所に移動し、逆転してきたデルフィーニも時計を確認してから屈みこむ。そして、足元の石を拾った。やはり、何の変哲もない石である。何の感情もなく石を消し、永遠と繰り返す。そして、また1時間経ったとき、すくっと立ち上がった。
「それじゃあね、私」
デルフィーニは自分自身に別れを言うと、また1時間だけ過去に戻った。
過去に戻ると、最初の自分と2番目の自分がいた。ちょうど、2番目の自分が調べた個所を芝生に変え、屈みこむところだった。2人とも困惑などせず、未来から飛んできた自分を見つめる。
「また駄目だったのね、私」
「2回程度で
「これは長期戦よ、頑張りましょう」
3人で意思を確認し、デルフィーニは自分が探したエリアに芝を敷いた。
「そろそろ、私が時計係になるわ。時間を見落としたら大変だもの」
「私、しっかり見てなさいね。時間は有限だから」
過去の自分たちはそう言うと、地面に屈みこんで石を探し始めた。
デルフィーニはそんな自分たちを見下ろし、今回の計画を脳内でおさらいする。
(逆転時計を使った場合、同じ人物が同じ時間軸に存在することになる)
自分自身が顔を合わせてしまった結果、ドッペルゲンガーだと認識され、互いに殺し合ったケースもしばしあったと聞く。自分自身の記憶の辻褄があわなくなり、精神が崩壊したなんて話もあった。
(当然よ。自分が目の前に現れたら、頭が変になったと思うもの。未来の私の記憶だって、その経験が突然書き足されたら頭がおかしくなるわ)
だが、自分の認識が違えばその限りはない。
例えば、ハリー・ポッターは未来から来た自分自身を「父」と誤認した。未来の自分とは思わず、自分自身とも気付かないまま過ごしたので、自己矛盾を引き起こさなかった。
(つまり、自分の認識次第なのよ。自分自身が前もって予想していれば、さほどの自己矛盾は起きない)
1時間と決め、同じ場所に戻る。
自分はそこにいるが、その自分と協力して行動すればいい。
それを繰り返せば、同じ空間に自分を増やすことが可能だ。
(ちょっとした影分身ね。未来のネコ型ロボットもびっくりするでしょう)
くすくすと笑う。
正確に1時間戻ってしまうのでは、あまり意味がない。だから、芝を増やしたところから時間を測定することにした。おかげで芝の面積が増え、自分の数も増えている。
(とはいえ、これには2、3分程度のロスがあるのよね)
10回時間遡行を繰り返せば、短く見積もっても20分は経過してしまう。
100回だと200分、1000回だと2000分――1日以上経過してしまうのだ。途中で時間遡行する人数を増やすことも考えたが、さすがに自分の知らぬリスクが出るだろう。
(ルシウス・マルフォイの記憶が書き換えられていることに気づくまで、どれくらい時間がかかるかしら)
デルフィーニは計算する。
まず、ドラコが父の安全を確かめるだろう。
しかし、屋敷の肖像画もルシウス自身も侵入者の存在に気づいていない。それで、ひとまず安堵する。広大な屋敷を点検し、なにも異常がないと分かれば、防犯魔法の誤作動を疑うに違いない。
(でも、相手はマルフォイ家。それだけでは終わらないわ)
侵入者がいないと分かっていても、念のため金品を確認するはずだ。
純血の名家は、先祖代々伝わってきた多くの秘蔵の魔法道具を蓄えている。ひとつひとつを確認し、「逆転時計」が失われていることに気づいたら――そこからは早い。ルシウスの記憶を改めれば、書き換えたあとがあることに気づくはずだ。本当の記憶を取り出せば、自分が潜入したことも分かる。
(ここの場所を見られたことも分かるでしょうね。そしたら、ここに来る。いえ、その前に――スコーピウスの安否の確認かしら)
ドラコ・マルフォイは愛息子を愛している。
ドラコにとって、デルフィーニほど危険視している女はいないことだろう。なにしろ、愛息子を殺しかけた女である。
正直、デルフィーニはスコーピウスのことを恨んでなかったとはいえない。スコーピウスが機転をきかせたおかげで、闇の帝王が復活した未来はなくなってしまったのだ。
もっとも、いまは恨みはもちろん、復讐する気持ちもまったくなかった。
(スコーピウスは勘が鋭いから、私の存在に気づくでしょうね。もしかしたら、アルバスと一緒にここまで来るかも)
そのとき、自分は一体何人いるのか。
はたして、それまでに自分は
(いいえ、必ず見つけ出してみせるの)
デルフィーニは時計を強く握りしめた。
(失われた「蘇りの石」を見つける。そして、マグルをこの世に連れ戻す)
胸に抱いた覚悟を再確認するように、心のなかで呟いてみる。
逆転時計をこんな使い方をして、許されるはずがない。自分が何人も同じ世界線にいるなんて、異常でしかないのだ。いずれ、なにかしらの
それでも、かまわない。
(あの子を取り戻すためなら、どんな罰だって受けるわ。だって、それがお父様にとって――一番の幸せに通じるはずだから)
デルフィーニは静かに時計を見つめる。
時を刻む音と自分たちが石を探す音だけが響く世界で、その時を待つ。
「もう、私は躊躇わないわ」
覚悟の言葉を呟く。
囁くような呟きは夜風にさらわれ、どこからともなく消えていくのだった。
次回更新は10月4日を予定しております。
《デルフィーニが今回の魔法を使う際、参考にしたマグルの作品》
※あくまで今回の話に限定しています。
・「僕のヒーローアカデミア」
・「Fate/kaleid liner プリズマ☆イリヤ」
・「ドラえもん」
・「NARUTO」