●1945年 3月9日 《日本語で記されている》
確か、史実だと東京大空襲の日。
前世の祖母が巻き込まれ、さんざんな思いをしたって――小学校の宿題でインタビューしたっけ?
あのときは、途方もない過去のことに思えた。その過去に、私がいる。世界の裏側で起きている悲劇を思い返しながら、私は今日を過ごしている。
いや、世界の裏側ではなくても、悲劇は起きている。
私の見えないところで、気づいていない場所で。
さて、実は昨日――グリンデルバルドにブチぎれされた。
いや、でも、アバダられなかったから、激おこ程度だったのだろう。二日連続、グリンデルバルドは私を呼び出すと、開口一番こう言った。
「なんだ、この日記は!」
グリンデルバルドの手には、私の日記が握られていたのである!
てっきり、いままでも勝手に覗き見されているものだと思っていたので、ここで糾弾されるとは予想外である。文句があるなら交換日記みたいにコメントを書けば良いものの、どうやら直接文句を言いたいらしい。
私は小さく肩をすくめた。
「私用の日記ですわ」
「それは分かっている」
グリンデルバルドはそう言うと、昨日の日記を開いた。
「これはなんだ? 何と書いてある」
「前世の母国語です。私の心が読めるのでしたら、当然読めると思いまして」
私は言い切った。実はこの時、クイニーも呼び出されて隣で控えていたのだが――彼女が「ひぃっ!」と小さく悲鳴を上げるのが聞こえた。だが、私は聞こえなかったふりをする。これでも30年近く英国人として生きてきたのだ。この程度の皮肉は、ある種の嗜みである。
「やっぱり、英語の方がよかったですか? あ、ドイツ語にします? 少しでしたら書けますので」
「英語でも日本語でも変わらん」
グリンデルバルドの眼には静かな怒りの炎が燃えている。
「まともな内容が最後の数行しかない。まだなにか隠しているだろ?」
「そうは言いましても……本当に思ったことを時系列で羅列しているだけの日記ですので……隠しごとなどありませんわ」
当然のように本心を口にする。
ダンブルドアのように心をリアルタイムで覗かれているのであれば、もはや隠し立てする必要もないのだ。変に隠したとしても、見通されてしまうのは明白である。事実、いままではそうだった。なので、もはや気にすることなく思考を紡いでいるのだ。
「貴様……!」
グリンデルバルドは日記を大理石の床に叩きつける。あまりにも強い勢いで床に当たったものだから、背表紙がぐしゃりと潰れてしまう。だが、グリンデルバルドは気にしている様子はなかった。
「ふざけているのか?」
「ふざけてなどおりませんわ」
残念ながら、これが平常運転である。
これまでしおらしかった? それは、私自身が弱り切っていたからである。どこかのグリンデルバルドさんが朝食と一緒に魔法薬を用意してくれるので、元気で活発ないつもの自分が戻っているのだ。何もすることがなくて暇なくらいである。本棚に収まった数少ない本は読み返し過ぎて内容を暗唱できるレベルだし、クイニーと話すことも限りがある。むしろ、呼び出されてラッキー! なのだ。
力があり余っているのだから、いっそのこと掃除でも手伝った方が良いのかもしれない。そう思ったけど、すぐに自分で否定する。こんな立派な城なのだから、屋敷しもべ妖精の一人や二人いそうである。ここの妖精は、どんな衣装を着ているんだろう?我が家のディークはタータンチェックの布を巻いているし、原作のドビーは枕カバーを被っていた。ブラック家を訪れたとき、一度見た若いクリーチャーはふかふかの清潔そうな白いタオルを纏っていた。
……あれ?
ディークは布の清潔さに気をつけているし、クリーチャーも……まともに仕えている間は主人がみっともなく思われないように身なりに気を配っていた。
でも、マルフォイ家のドビーは?
ドビーの枕カバーは凄く汚れていたイメージが強い。あれは、映画の演出だったのだろうか?
そもそもだ。屋敷しもべ妖精の魔法は魔法族のそれを遥かに凌駕している。ならば、しもべ妖精に立派な鎧を着せて、戦線に向かわせた方が――……って、自分でもマズイ方向に思考がいってしまったとき、グリンデルバルドは呆れ切ったように首を振った。
「しもべ妖精は鎧を衣服と認識している。鎧を与えた途端、解雇通知だと受け取られてしまうのだ」
「なるほど……」
「……なぜ、しもべ妖精まで思考が飛んだ? いや、考えなくていい。お前と接していると、頭が痛くなる」
グリンデルバルドは本当に気分が悪そうだった。
私なんかを気にしている暇があるのであれば、休んでいた方が良いように思えた。目の下も疲れたように窪み、少しばかり黒ずんでいる。健康状態も良くないのか、顔色もやや青ざめていた。というか、それこそ魔法薬の投与が必要なのではないだろうか? 元気爆発薬なるものがあると、トムから聞いたことがある。いや、あれは原作だったか……? そんなことを考えていれば、グリンデルバルドは恨めしそうに睨んできた。私は、仕方なく肩をすくめた。
「……すみません。お役に立つことができず」
「心にもないことを――……片隅では考えているようだが、それは案じている内に入らん」
律義にこちらが考えていることに対し、言葉を返してくれる。
「一言付け足せば、元気爆発薬はお前に投与した魔法薬だ――効果は自分でわかるだろう」
「素晴らしい効能ですね! 貴方も使えばよいのに」
「お前には効き過ぎたようだな。やはり、マグルに魔法薬の使用は控えるべきのようだ」
とは言いながらも、たぶん明日も投与されるのだろう。
私の寿命よりも、デルフィーニなる存在を呼び出す方が重要度も高いに違いない。
「……立ち止まるな、歩き続けろ」
グリンデルバルドの呟きで、思考を戻す。
「日記の末尾に記されていた。ダンブルドアの言葉か?」
「いいえ」
漫画に登場したエクソシストの言葉である。
決して、アルバス・ダンブルドアの言葉ではないが――彼も似たような言葉を投げかけてそうだ。シリウスが亡くなったとき、それっぽい言葉をかけて励ましていたような気もする。ただ、ダンブルドアの名言と言えば……いろいろと他のものが浮かんでしまうのだ。
「例えば?」
グリンデルバルドが促してくる。
だから、私はそこまで悩まずに一番最初に浮かんだ言葉を告げた。
「わっしょい! こらしょい! どっこらしょい!」
至極真面目に答えたのに、辺りはしん……と静かになった。それなりの距離が離れているというのに、互いの息遣いが聞こえてくるほど、小洒落た部屋は水を打ったように静まり返っている。クイニーが戸惑って、おどおどとする音までが異様なまでに響き渡っていた。
「……ふざけてるのか?」
グリンデルバルドは再び聞いてきた。
つい、私はムッとしてしまう。
「本当ですよ。新学期の校長先生の話として、『ニ、三言だけ、言うとするかのう』って前置きしてから言った内容ですわ」
とはいえ、これは日本語訳の表現である。本来の英語で何と言っているのかは、私は知らない。だけど、そこまでかけ離れた内容ではないはずである。
「あの人、真面目な人ですけど……意外とお茶目な部分もあるってご存じですよね?」
グリンデルバルドは反論してこなかった。代わりに、こう切り返してきた。
「他にはないのか?」
「……『愛』です」
ダンブルドアの名台詞にして、お得意の解決法である。
『愛』。
愛の力というものは、どのような魔法よりも強い。古より伝わる力なのだそうだ。事実、私の知る原作は愛で彩られていた。母の命を賭した愛から幕が開け、愛で悪を打ち滅ぼしたのである。ヴォルデモートはダンブルドアの語る愛を心の底から馬鹿にしていたが、本人も最強の副官も愛の前に破れたのだった。
「愛?」
グリンデルバルドの額にますます皺が寄る。極めて不快そうに、彼は言葉を繰り返した。
「愛だと?」
「ダンブルドアは愛の伝道者ですから」
ふざけるな、とでも言いたげな人を殺しそうな目で見つめてくるが……私は聞かれたから答えただけである。文句があるのであれば、未来のアルバス・ダンブルドアに直接言ってほしい。
「……」
グリンデルバルドはしばらく物言いたげな顔をしていたが、大きく舌打ちをした。
「明日は馬鹿につける薬を用意する必要がありそうだ」
そう言い残すと、マントを翻して去っていった。
グリンデルバルドが姿を消すと、クイニ―が青ざめた顔で駆け寄ってきた。
「アイリス、大丈夫!? 彼にあんなことを言って――っ!?」
「聞かれたから答えただけよ。それに、彼が本当に怒っていたら、死の呪文で一瞬でこの世からいなくなっていたわ」
「だとしても、危険すぎるわよ……っ!」
クイニ―はこんこんと怒ってくれる。
彼女の心配はありがたいが、私はマグルである。ここに留められているのは、利用価値があるからなのだ。つまり、デルフィーニが出てきたら終わる。肉体の主導権をデルフィー二の魂を固定化させるのか、それとも、記憶だけ無理やり抽出して、即処分になるのか……そのあたりは分からない。
まあ、とりあえず、今日は寝るとしよう。
「元気爆発薬」なんて、元気の前借なのだ。身体を休めて、明日に備えるのである。
もっと後遺症の少ない魔法薬が欲しいなー、なんて叶いもしない希望を記すのであった。
●追記。
奇跡も魔法もあるんだよ。
だから、いまは耐えるの。
大丈夫、きっと上手くいくから。上手くことを運んでみせるから。
オーグリーに誓う。
次回更新は11月15日(日)を予定しております。
一週間空きますので、ご注意ください。