●1931年 1月 ✕日
昨日はトム・リドルを引き取ることになってしまった。
いや、原作ブレイクをする気はなかったんだ!
ハリー・ポッターの世界だと分かった以上、未来の帝王を引き取ることが物凄く危険だと分かっているし、悪い魔法使いに殺される確率がぐんっと上がるのも理解している。というか、彼自身に殺される可能性が極めて高い。
マグルの育て親なんて、純血至上主義者にとって、目の上のたんこぶに決まってるしさ!
だけど、改めて考えてみると仕方なかったのかなって思える。
私の目の前に、小さな男の子がいた。
男の子は自分を迎えに来たのか? と尋ねてきたから、私が正直に「姉ではなく、親戚でもない」と答えた瞬間、男の子の様子は一変した。男の子の青白い顔からはさらに血の気が失せ、口を真一文字に結んでいる。こちらをまっすぐ見つめる目は哀しい色で縁取られていた。
その姿は雨の日に捨てられた子犬そのもの!
本人は切ない気持ちを隠そうとしているようだが、みじめに押し黙ってしまった顔は、こちらの罪悪感を膨らませる。
聞いたところによれば、トムは数日前に4歳になったばかり。
実質的には、3歳児である。
3歳の男の子を「私は貴方と血縁ではない。無関係だ」と冷たく突き放して、おめおめと家に帰れるか?
残念ながら、私にはできない。
まあ、冷静になってからは「引き取らなくても、様子を見に通えばよかったんじゃない?」「あしながおじさんになればよかったのでは?」ということに気づいたが、過ぎてしまったことは仕方あるまい。
トム自身も本当に引き取ってもらえるとは思っていなかったのか、戸惑いの色を強く浮かべていた。目をぱちくりさせたあとは、本当にそうなのか、私の目をまじまじと見つめた。私の目が嘘を言っていないかどうか見極めようとしているようで、しばらく経て、ようやく……彼は口を開いた。
「ほんとうに?」
囁くような声だった。
「ほんとうに僕を――」
「アイリス! ちょっとこっちに来て!」
彼の言葉を最後まで聞き取る前に、オリヴィアに襟元を強く引っ張られた。そのまま、私の制止も待たず、オリヴィアは私を事務室に放り込んだ。
「いいこと? 友だちのよしみで忠告するけど、あの子だけは止めた方がいいわ!」
オリヴィアは真剣な表情で言い切った。
「変な子よ。赤ん坊の頃から、ほとんど泣かなかったし……それに……他の子との仲もよくないの。この際だからハッキリ言うけど、あの子が不機嫌になると、いつもおかしいことが起きるのよ。花瓶が割れたりとか、いきなり雨が降り出して嵐になったりとか! 赤子のとき、珍しく泣いたと思ったら、タンスがいきなり開いて、服が散乱したこともあったのよ! ポルターガイストがいるのかと思ったけど、そうでもないし……とにかく変な子なの!」
オリヴィアはここまで一気に言い切った。
「それって偶然じゃない?」
「偶然にしては、多すぎるの! 正直、気味が悪いわ」
オリヴィアの直観は正しい。
間違いなく、彼女が指摘した出来事は偶然ではない。しかしながら、私がこの場で「彼が魔法使いで魔法を暴走させているからです」なんて、説明できるはずもなかった。
「それは……たしかに、不安かも。でも、本人が盗みをしたり悪さを働いたりすることはないのよね?」
「さすがに、こっそり盗むことはないけど、他の子の物を欲しがったり、無理やり奪おうとすることはあるわ」
すでに、ヴォルデモートの片鱗が出始めているということか。
いや、3歳児だということを考えれば、他の子と衝突したり、他の子の物を欲しがったり、無理やり奪おうと喧嘩に発展したりすることは無きにしもあらず。
いま矯正すれば、なんとかなるかもしれない。
そう、願いたい!!
「でもね、オリヴィア。私は彼に『うちにおいで』と誘ってしまったのよ。一度、期待させてしまったことを覆す方が、とても残酷だわ」
「それはそうだけど……」
「それに、養子が欲しいと思っていたから」
もう結婚するつもりはないし、新しい恋人を作るつもりもない。
養子を貰う時期としては、第二次世界大戦のあとあたりをイメージしていたが、ちょっぴり時期が早まっただけだ。
「わかったわ。他に良い子はたくさんいるけど、あの子がいいというのであれば止めはしない。でも、これだけは覚えておいて。絶対、苦労するわよ」
「人生は苦労の連続だもの」
笑って見せれば、オリヴィアは苦笑いをした。
「実は、まだ彼からOKを貰っていないの。断られたら諦めるから、もう一度だけ一緒に話してもいい?」
「ええ」
事務所を出ると、オリヴィアは石の階段へと私を案内した。通りすがりに、灰色の服を着た子どもたちに指示を出したり、叱ったりする。
そこそこに世話が行き届いているように見えた。
ただ、オリヴィアには悪いけど、子どもたちが育つ場所としては全体的に薄暗く冷たい雰囲気が根底に漂っているように思えた。
「ここよ」
2番目の踊り場を曲がり、最初のドアで止まった。
「トム? お客さんよ。さっきのアイリスさん」
オリヴィアは二度ノックして、部屋に入った。
私が入ると、オリヴィアは背後でドアを閉める。
「お邪魔します」
私は少年に笑いかけた。
殺風景な部屋だった。古いタンス、木製の椅子が一脚、鉄製の簡易ベッドしかない。灰色の毛布の上に、トム・リドルは両膝を抱えるように座っていた。無表情のまま、じっと黒い目は私を睨みつけている。
大昔、謎のプリンスの映画で見た部屋にそっくりだ。
映画のワンセットに迷い込んだような気持にさえなった。
しかしながら、これは現実。
現実の……トム・リドルの部屋である。
「あなたのことを何と呼べばいい? トム? マールヴォロ? リドルはやめておくわ。私も家名がリドルだから」
「……なんでもいい。どうせ、2度とあわないんだから」
さっきと違って、素気ない返事だった。
「あら、どうして?」
「あのヒトから、いろいろきいたんだろ」
少年はオリヴィアがいなくなったドアを指していた。
「まあ、いろいろと。……タンスのなかを見てもいい?」
「どうして?」
「あなたの持っている服が気になるの。1、2着だけなら、これから買わないといけなくなるでしょ?」
「……なぜ?」
「なぜって、一緒に暮らすことになるから」
「しんじないぞ!」
トムは強く言った。
「あいつから、僕をひきとるのをやめるようにいわれたんだろ! あんたは、どうやってことわろうか、かんがえているんだ! だまされないからな!」
言葉が拙いながらも、極めて激しい口調だった。
耳が痛くなるほどの大声で、心臓を貫くような叫びは、彼の心を現わしているようで胸が痛んだ。
私は黙ってそれを聞くと、先ほどしたように、屈みこんで目線を合わせる。
「私はあなたに嘘はつかない」
「なにが、うそはつかないだ! しんじないぞ!」
「なら、信じてもらえるまで努力するわ」
私は微笑んだ。
務めなくても、ふんわりと口元が緩む。
トムは……毛を逆立て、激しく警戒している野良犬のようだった。誰も信じない、と全身で叫んでいる。
ただ、ダンブルドアが出会った「11歳のリドル」よりは人間不信ではない。
目の奥に、ちらちらと「本当に信じていいのか?」と思案するような色が見え隠れしていた。
「貴方は、うちに来る気はない?」
私は、なるべくゆっくりと話し出した。
「私は挿絵画家をしているの。孤児院を舞台にした本の挿絵を担当することになって、ここにはその参考にするために来たのよ。まあ……それだけでは、十分に食べていけないから、いくつか家を貸してるわ」
警戒を崩さぬ少年に、私は語り続けた。
「一応、ロンドン在住ね。いま住んでいるのは4階建ての家。あまり広くはないけど、貴方の部屋も用意できると思うわ。近い将来、養子を貰おうと思っていたの」
どうかしら? と、首を傾げながら問いかける。
トム・リドルは何も答えなかった。しばらく黙っていた。
「まあ、人生は長いし、今後を左右することだから、ゆっくり考えてから答えて」
返答は今日でなくてもいいよ、と付け足そうとしたとき、少年はふいっと目線を逸らした。
「服、2ちゃくある」
少年は、ほとんど聞き取れない声で言った。
「見てもいい?」
彼は何も言わず、ただ黙って頷く。
彼の反応に、私は無性に嬉しくなった。
私は、お礼を言ってから、部屋の隅まで歩き、タンスの扉をぱっと開いた。彼の言う通り、すり切れた服が二着、レールにかかっている。そのほか、特に私物らしいものはない。
よかった。
ダンブルドアがタンスを燃やしたときは、戦利品もとい盗んだ品を集めた箱が収められていたのだ。
たしか、あのときは11歳。
いまは4歳になったばかりだから、盗みを行うようになるのは未来のことだと判明した。
よかった、本当に良かった。
盗んだ品を発見して、指導するのは大変だと思っていたのだ。窃盗癖はなかなか治りにくいと聞くし、癖がつく前に出会えておいて、本当に良かった。
あとは、これといって特別に記録することはない。
このような流れで、昨日、トム・マールヴォロ・リドルと養子縁組をすることが決まった。
後は、正式な手続きを踏み、2月頃には、彼を家に連れてくることになるだろう。
さてと、それまでにいろいろと調べ物をしなくては……!
●1931年 2月 △日
ひさしぶりの日記になる。
ここのところ、本当に忙しかった……。
挿絵の仕事も佳境だったし、子どもを引き取るための準備も大変だった。
暮らすって物いりである。
衣服はもちろん、子ども用のちょっとした小物や道具を買いそろえたり、トムが使っていいように部屋を整えたり……。
正直、かなりお金を使ってしまった。
いまは、それなりに不況だし、10年後には戦争が始まる。ロンドンが空襲されることもあったみたいだし、将来的に考えたら、お金はいくらあっても足りない。
挿絵の仕事を増やそうかな……稼げるうちに。
リドルの一族についても調べなおしたけど、トム・リドルの名前はまったく出てこなかった。
原作に登場するリトルなんとか村が登場する痕跡もなかったし、私のリドル一族は三世代前から、ロンドンで暮らしていた。おまけに、いまはアメリカに移住しているので、トム・リドル・シニアとの接点はまったくなし。
やはり、たまたま同姓だっただけみたい。
これまで、リドルの家名に違和感をもたなかったのかって?
ざっと調べて「トム・リドル」の名前が出てこなかったから、「偶然ってあるもんだな」と、それっきり詳しく調べてこなかった。
いまでも信じられない。
この世界に魔法が存在するなんて!
あーあ、どうせ転生するなら、魔法使いになりたかった。
11歳の時に、ホグワーツから手紙をもらいたかったな……。
というか、いまは原作ではどのあたり?
トム・リドルが幼児だから、ハリーの両親やスネイプ先生たちが産まれるよりもずっと前なことは確実。秘密の部屋事件前ってことになるから、ファンタスティックビーストが指標になってくるんだろうけど……ファンタビの年表なんて詳しく覚えてない。
ほんと、スマホをもって転生したかった! そうすれば、wikiですぐに調べられるのに!
1は始まってるの? それとも、2も終わって、3か4の終盤に差し掛かってるの?
私の知っている歴史とハリポタの正史とでは、微妙に違ってくるかもしれないから、だいたいの時系列を確認しておきたい……
いったい、どうやって調べよう?
考えても埒が明かない。
とにかく、明後日はトムが来る日。気を引き締めて、準備をしよう。
※
●1931年 2月◇日
トム・リドルは天使だった。
素晴らしい。