●1931年 2月〇日
昨日は、一言で終わってしまった。
だが、間違いではない。
トム・マールヴォロ・リドルは可愛かった!
まじ天使である!!
いや、本人が聞けば否定するし、激怒するかもしれないが……私的な日記で書いてるから平気平気。この日記、ローマ字で書いてるから絶対に読めないし。
さてと……昨日のことを思い出しながら綴ってみようと思う。
ウール孤児院まで迎えに行くと、すでに少年は支度を整えて待っていた。
孤児院の壁と同じような灰色のコートを着て、むすっとした表情で立っている。以前は、瞳の奥に希望のような光をちらつかせていたのに、今日は嫌悪の色しかない。世界中に喧嘩を売るような険悪な眼差しをしており、全体的に針をまとっているようだ。
一体、なにかあったのだろうか?
とても不安になったが、私が尋ねる前に、ウール孤児院の院長は不自然なほど明るい声でこう言った。
「リドルさん! この度はトムを引き取ってくださり、ありがとうございます!」
老齢の院長は、「やっと、厄介払いができた」とでも言いたげな顔をしている。
「あの、なにかありましたか?」
「いいえ、なにもありませんよ。ほほほー」
絶対に、なにか厄介ごとがあったのだ。
そうでなければ、こうも見え透いた誤魔化し方はするまい。
このあたり、詳しく問い詰めてみたかったのだが、引き取りの書類を含め、なんだかんだと手続きをしている間に、あれよあれよと流され、このことを思い出したときには、孤児院の門を出るところだったのだ。
このあたりは、ちょっぴり後悔である。
ちなみに、見送りに来たのは、さきほどの院長ただ一人。子どもたちの姿はない。予想通りというべきか、これといった友だちはいないようだった。
「行きましょう」
トムに手を差しのべた。
ところが、トムは「いい」とふいっと顔を背け、そそくさと歩き出す。4歳になったばかりだと聞いてはいるが、かなりしっかりとした足取りである。
「危ないから、繋ぐよ」
私はトムの宙を泳ぐ右手を握りしめた。
「はなせ! 1人でへいきだ!」
「はぐれたら大変だわ。まだ、家の場所も分からないでしょ?」
最初は手を振り回して抵抗してきて、ちょっぴり危なかった。4歳児にしては力が強く、振り払われそうで焦る。ここで振り払われても困るので、ちょっと強めに……とはいっても、トムを傷つけないように気をつけて握れば、思ったよりもあっさり諦めてくれた。
「ありがとう」
「しかたなくだからな!」
トムはそっぽを向いたまま、どこか突き放すように言った。
しかしながら、黒い髪の隙間からのぞく耳は、ほんのりと赤く染まっている。
「分からないから、しかたなくなんだ」
そうは言っても、声の雰囲気は格段に明るくなった。
すでに孤児院から引き渡される直前の非常に険しく、とげとげした雰囲気は一切感じられない。
もしかして、喜んでくれてる?
そう思った瞬間、私は頬が緩むのを感じた。
表面上はツンっとした態度を取り繕っているようだけど、手を握ったことを喜んでくれている。例えるなら、野良犬といったところだろうか。「自分は一人で平気だ」という顔で警戒心を持っているように振舞いながらも、尻尾が大きく揺れていることに気づいていないような印象を受けた。
そもそも、本気で嫌だったら、魔法が暴走して異常現象が起こるはず。
それがないということは、本気で嫌ではないということ。
まあ、実際、彼の顔を見れば嫌がっているふりをしているだけというのが、大人の私からすれば分かる。
それらすべてが演技の可能性?
相手はホグワーツの教師全員(ダンブルドアを除く)を騙し通し、演じることに長けた人物。こちらが騙されている可能性を考慮しなくていいのかって?
騙しの達人となるのは、11歳以降の彼のこと。
いま、私の目の前にいるのは、4歳になったばかりの男の子だ。4歳の男の子がそんな高度な技を駆使できるか? たとえ、すでにそれをマスターしており、私を騙そうとしているのだとしても……まあ、いまはそれで構わない。
彼を養子にすると決めた以上、強盗殺人をしたり、非魔法族差別をしたりする人間にはしない。
いうなれば、まっとうな人間になるように育てる!
それが実現してしまうと、綺麗なトム・リドル爆誕で完全に原作ブレイクするわけだが……この子を引き取ると決めた時点で、いまさらである。
あとは帰宅するまで、特別に書き残すことはない。
せいぜい、トムのマグカップを買いに雑貨屋に立ち寄ったくらいだ。
衣服みたいに事前に用意してもよかったけど、マグカップくらい自分の好きな物を使いたいはずだ。
イギリス人に転生してから、お茶をする時間が物凄く増えた。
朝に一杯、仕事しながら二杯、昼に一杯、三時のお茶の時間に一杯、夕食後に一杯ってな感じ。
特別紅茶党というわけではなく、私の周りの人たちもみんな同じくらい飲む。
まあ、朝はコーヒーという人も多いけど。
トムは少し悩んだ末、品の良い深緑色のマグを選んだ。
将来の寮カラーを選ぶとは、スリザリンの血は侮れん……。
そうそう! 家に着く頃、トムの方からこんな言葉をかけられた。
「あなたのことは、なんてよべばいい?」
ぽつり、と。
白い吐息とともに、口から零れ落ちるような小さい声だった。
「私のこと?」
「ミス・リドルでいいのか?」
「それはちょっと違うわね」
私は少しだけ悩み、ようやく口を開く頃には玄関の前に立っていた。
「だって、あなたもリドルでしょ? あなたは私の養子ということになるから『お母さん』って呼んでもらえるのが一番いいのかもしれないけど……」
トム・マールヴォロ・リドルの母親は、メローピーただ一人だ。
「お母さん」なんて呼ばせてしまった暁には、メローピーが息子のために遺した数少ないことを奪ってしまうようで、背中がむずかゆくなる。
「アイリスでいいわ。ただのアイリスで」
「それでいいの?」
私がドアを開けながら言えば、トムは眉間に皺を寄せた。
「しつれいじゃない?」
「大丈夫よ。尊敬を込めて言うなら、なにも失礼じゃないもの。みんな、アイリスと呼ぶんだから」
トムは納得したようなしてないような顔になった。
私はそんな彼を横目で見ながら先に家へ入り、わざと大きな声で「ただいま!」と言った。そして、そのまますぐに後ろを振り返り、小さなトムと向き合った。
「そういえば、まだ答えは聞いてなかったわ」
孤児院で会ったとき、こちらから質問した「なんて呼べばいい」の回答をもらってない。
「あなたのことはトムって呼ぶけど、それでいい?」
「……」
トムはなにも答えない。
肯定も否定もしなかったので、もうすでに、トムって名前に好印象を抱いていないのだろう。
「トムって名前が嫌いなの?」
目線を合わせて尋ねれば、トムは不貞腐れたまま頷いた。
「トムってヒトはたくさんいる」
「そうかしら? 私は嫌いじゃないわよ」
「ほんとうに?」
「私は嘘はつかないって約束したでしょ?」
私は真実を口にしたけど、トムは疑いの色を隠さない。
「トムは非常に歴史のある名前だもの。それだけ、みんなが『いいな』って思っている名前だということ。それでも嫌に思うなら、『TOMのトム』ではなく『T』と『O』の間に『H』を挟む『THOM』って呼ぶわ」
「それって、トムじゃないか!」
「でも、Hが入るだけで、貴方の考える平凡さは薄まるんじゃない?」
とある児童文学からの受け売りだが、あながち間違ってはないのではない気がする。
「……なら、Hのあるトムでいい」
「ありがとう。では、Hのあるトム――『おかえりなさい』」
彼と向き合ったまま、にっこりと微笑む。
トムは不意を突かれたように、きょとんとした。
しかし、数回ほど瞬きをする間に、だんだんと言葉の意味を理解したのだろう。青白かった顔は、だんだんと日が昇るかのように明るんできた。嬉しそうに黒い瞳を輝かしてはいたが、やはり、恥ずかしかったのかもしれない。
手を繋いだときのように、顔を背けながら、消え入りそうなほど小さな声で……
「ただいま」
と。
家の敷居をまたぎながら、照れくさそうに。
ああ、かわいかった……まじ天使。