トム・リドル育成計画!   作:寺町朱穂

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トム視点です。



●トム・マールヴォロ・リドルの消失

 

 

 その日、トムとジョナサンは校庭の片隅で身を潜めていた。

 

「はぁ……まったく、あいつらしつこいな」

 

 本当はヴァイオリンを練習したかったが、BBC交響楽団と協演してから女子生徒たちが音楽室前で待ち伏せするようになったのだ。最初は無視して弾いていたのだが、扉の前で「きゃあきゃあ」と黄色い歓声を上げながら熱い眼差しを向けてくる――まったく集中できない。

 しかも、どこへ行くにも彼女たちは嗅ぎつけて迫いかけてくるのだ。

 最初こそ「邪魔だから向こうへ行ってくれ」と追い返そうとしたが、彼女たちは「話しかけてくれた!」と興奮するばかりだったので、よけいうるさくなる始末! トムは諦めて、彼女たちから逃げることにしたのである。

 今日もジョナサンと一緒になんとか彼女たちを撒き、ここまで逃げてきたところだった。

 

「トムは人気者だよねー」

 

 ジョナサンは大木の陰に座りながら、曖昧に笑った。

 

「なにが人気者だよ」

 

 トムも隣に腰を下ろすと、つまらなそうに言った。

 

「あいつら、僕がヴァイオリンで有名になってから集まって来たじゃないか。それまで、近づきもしなかったくせにさ」

「そうかなー。だって、デイビスさんやウィルソンさんは、トムがBBCと演奏する前から『付き合ってください』って頼んでたよ」

「それは僕の顔しか見てない連中だろ!」

 

 トムは自分の頬を叩き、苦々しい思いになった。

 自分の顔は実父とそっくりだった。その事実を知ったとき、その瞬間だけ誇らしい気持ちを抱いた。だけど、その気持ちはすぐに一変する。実父はあまり良い人間ではなかった。子どもに向かって、感情的に怒鳴るのは紳士的ではない。

 実の祖母も素敵な人格とは言い難い。トムが「実父そっくり」なことや「ヴァイオリンの神童」として可愛がってくれるようだったが、アイリスやナティに言葉はおろか視線ひとつ向けなかった。アイリスがトムを養ってくれたと知っているはずなのに、まるで「存在しないもの」として扱っていた。

 それなのに、「トムにとって、良いおばあちゃん」として振舞っているつもりらしいのが鼻につき、どうしても許せなかった。

 

 では、実母は良い人間なのか? と聞かれると、必ずしもそうではない。

 実母は実父の顔に惚れて、魔法の薬で心を操っていた。伯父のモーフィンを見る限り、あまり容姿がよいとはいえなかったのだろう。好意を伝えても、ふられてしまった可能性が極めて高い。だからといって、魔法で操るのは良くない。結果として操られていたことが発覚したあと、実父に「騙された。お前は詐欺師だ」と言われてしまう。

 実母が捨てられてしまったのは……可哀そうだし、同情するが、少なからず自業自得のように感じられた。それに人を騙せるほど高度な魔法が使えたなら、お腹のトムを守って生きていくことだってできたはずである。生きることを止めるように死んでいったことも、トムには分からなかった。

 アイリスは「きっと、メローピーは魔女でいることに疲れてしまったのよ」と寂しげに話していたけど、いまだに納得がいかない。

 

「……僕はこの顔が嫌いだ。本当の家族は、ろくな奴がいないからさ」

 

 トムは疲れ切ったように呟けば、ジョナサンが目を逸らした。

 

「そっか……トムはイースター休暇で、本当のお父さん一家に会いに行ったんだよね。その……酷い人だったの?」

「とても素晴らしい人たちだったよ。傲慢で粗雑さにかけては、英国で一番さ。祖父には会えなかったけど、きっと同じような性格に違いない」

「本当のお母さんの家族には会えたの?」

「まあね。でも、伯父のモーフィンが一番酷い。あいつは最低な人間だ」

 

 あんな奴と血が繋がっていると考えるだけで、鳥肌が立ってしまう。

 

「あいつ、アイリスを殺そうとしたんだ」

「え、ええっ!?」

 

 ジョナサンは飛び上がって驚いた。しかし、すぐに大きな声を出してしまったことに気づき、両手で口を覆う。二人して息を潜め、誰か近づいてこないか様子をうかがった。遠くから子どもたちの楽しそうな騒ぎが風に乗って耳に入ってきたが、女の子たちの甲高い笑い声は聞こえない。

 トムたちは同時に安堵の息を零し、再び話し始めた。

 

「本当に大丈夫? 警察には相談した?」

 

 ジョナサンは囁くような声で尋ねてきた。

 

「大丈夫さ。上手く逃げられたし、新聞も読まなそうだから、僕たちの居場所がわかるわけない」

「でも、どうして殺そうとしたの?」

「僕の養育権をとりたかったらしい。そいつ曰く、僕は『偉い人の最後の末裔』で、ちゃんとした教育を受けないといけないんだってさ。ふんっ、頭を下げて頼まれてもごめんだ」

 

 いくら血が繋がっているといっても、アイリスとの暮らしを捨て、あんな男との生活を選ぶわけがなかった。魔法は学べるが、『磔の呪い』を筆頭とする法に触れるような呪文しか教えてもらえないだろう。ヴァイオリンは「穢れたマグルの楽器」として取り上げられ、目の前で壊されるに違いない。

 

「伯父さん、なんというか……警察のお世話になったことがありそうだね」

「実際、逮捕されてたみたいだよ。僕の母さんが惚れた男に危害を加えて、それを咎めた役人と母さんを殺そうとして、3年間もアズカバンって監獄に収監されてたんだって」

「アズカバン?」

 

 ジョナサンが首を傾げる。

 

「アメリカのアルカトラズのこと? 僕、そんな監獄があるって初めて知ったよ」

「どこまで本当だか分からない。あいつは昼間っから酒を飲んでたし、きっと舌が回ってなかったんだ」

 

 口を滑らせ「アズカバン」の名前を言ってしまったが、トムは戸惑うことなく誤魔化した。これでは、アイリスのことを「うっかり屋」と笑えない。

 トムは自分の失態を内心恥ずかしく思った。

 

「あー、たしかに。地獄のどん底(アバドン)って言葉もあるよね。そう言おうとしたのかも。監獄って酷い場所だから」

「君、いろんな言葉を知ってるよな」

「えへへー、それほどでも」

 

 ジョナサンはいつものへなっとした笑顔を浮かべた。

 どうやら、上手く誤魔化せたようだ。トムはほっと息をつくと、やれやれと首を横に振った。

 

「結局、僕はいまの環境が一番ってことだ」

 

 血の繋がりは切っても切れない。

 

 ただ血の繋がりがなくても、アイリスは大事な家族だった。

 実父や血の繋がった親戚と出会えば、生活に劇的な変化があるかとも思ったし、家族が増えるかもしれないと期待したこともあった。実際にはそんなことはない。やっぱり、自分の家族はアイリスだけだった。

 もっとも、ここまで冷静に考えることができたのは、先にアイリスの実母と会っていたこともあるかもしれない。アイリスと血が繋がっていても、彼女との仲は険悪でお世辞にも良い人ではなかった。だから、実父たちと出会っても、そこまで感情的になることなく接することができたのだろう。アイリスは実母と完全に縁を切る方向で動いているみたいだけど、そういう意味では会って良かったと思える。

 

 もちろん、彼女とは二度と顔を会わせたくない。

 

「……アイリスさん、優しいからね」

 

 ジョナサンは寂しそうに呟いていた。

 その横顔を見て、トムは彼の家庭環境を思い出した。彼も優しい母を亡くし、実父からあまり愛されていない。継母も褒められない性格をしていた。一度だけ会ったことはあるが、トムを優しく歓迎してくれた一方、ジョナサンには冷ややかな対応をしていた。

 ジョナサンは口にこそ出さないが、常日頃から差別されているのだろう。

 トムは大きく息を吐いた。

 

「君、卑屈すぎるぞ」

 

 暗い表情の彼に向かって、トムは励ましの言葉を投げかける。

 

「君には僕がいるだろ。それが不服なのか?」

「……トム」

「それから、僕が人気者だって言ったけどさ、君だって人気者になれるはずなんだ。性格が優しい。背も高い。落ち着いているし、顔だって悪くない。語学も堪能。クラリネットも得意だ。作曲の才能もある。なにより、この僕が認めた友人だ」

 

 トムは指を折りながら告げる。

 特に、ジョナサンはこの数か月で一気に背が伸びた。少し前まで、トムの方が高かったのに、いつの間にか抜かされてしまっている。ジョナサンは肩をすくめ、おどおどと背を丸めているので背の差は気にならないが、堂々としていれば、「童顔なハイスクール生」と勘違いされるかもしれなかった。

 

「だから、もっと背筋を伸ばせ。そうすれば、『彼女にしてください』って子の一人や二人出てくるはずだ」

 

 トムは言い切った。

 ジョナサンは間違いなく良い奴だ。そうでなければ、ここまで友だちを続けていないだろう。ただその優しすぎる性格のせいで、クラスメイトたちから下に見られがちなところはいただけない。せめて背筋を伸ばせば、軽んじられないはずだと確信していた。

 ところが、ジョナサンの返答は予想外のものだった。

 

「トム……僕、彼女はいらないかな」

 

 ジョナサンは哀しそうな言葉を漏らす。

 トムは彼がなにを言っているのか分からず、怪訝そうに眉を寄せた。

 

「君、彼女を欲しがってたじゃないか」

「そうだけどね、いまはいらない。だって、僕……僕……もうじき、引っ越すから」

「なんだって?」

 

 トムは聞き間違えたかもしれないと思った。だけど、ジョナサンの顔色がすべてを物語っていた。彼の目元には涙がにじみ、ふるふると震えていたのだ。

 

「あのね、おじいちゃんとおばあちゃんの養子になるんだ。だから、7月末にはフランスへ引っ越すことが決まったんだよ」

「養子って、どうして?」

「パパの新しい奥さんのお腹に赤ちゃんがいるんだ。だから、僕はいらないんだって」

 

 ジョナサンはぽつぽつと言葉を零した。

 

「おじいちゃんとおばあちゃんは子沢山だったけど、男の子がいなくてね……ずっと跡継ぎを欲しがってたんだ。だったら、僕がちょうどいいよねってなったんだよ」

 

 トムは呆けたように口を開けるしかできなかった。衝撃のあまり、慰めの言葉どころか質問すら浮かばないほど思考が固まってしまう。

 

「あ、でもね! おじいちゃんとおばあちゃんは優しいよ! お手伝いしたら褒めてくれるし、僕が失敗しても声を荒げて怒ることもない。レベッカも連れ来て良いよって言ってくれたし……それから、おばあちゃんは料理も上手なんだよ! チキンスープが特に絶品なんだ! おばあちゃんはママのママだから、味付けが似てるのも嬉しいかなって!」

 

 ジョナサンは努めて明るく言おうとしていたが、かえって不自然だった。

 

「安息日の過ごし方とか覚えることも多いから、慣れるまで大変かもしれないけど……それはそれで良い経験になると思うんだ! 学校だってパリに住むんだから、コンセルバトワールを目指すのも――」

「王立音楽院はどうするんだよ!」

 

 彼の言葉を聞いて入れられず、トムは遮ってしまった。

 

「一緒に目指そうって、約束したじゃないか!」

「おじいちゃんの家は裕福だけど、留学するほどのお金はないよ……ごめんね、トム」

「どうして謝るんだ!」

 

 トムは勢いよく立ち上がった。

 

「継母の腹に赤ん坊がいる? それがなんだよ! 君が家を出ていく理由にはならないだろ!」

「……パパの新しい奥さんは、僕の顔を見るのが嫌みたいで……ママに似てるのが気に障るんだって」

「だったら、最初から音楽院の寄宿舎に入ればいいんだ。寄宿舎が駄目なら、どこか下宿するのだっていい。僕の家に下宿したらどうだ? 部屋はあまってるし、僕がアイリスを説得する!」

「トム、それは無理だよ」

 

 ジョナサンは寂しそうに首を横に振った。

 

「おじいちゃんとおばあちゃんは僕が来るのを待ってるんだ。それにパパが決めたことを覆すことなんて無理だよ。僕は……まだ子どもだから」

「子どもだから、なんだって言うんだ! 諦めるな!」

 

 トムは行き場のない怒りをぶつけるように、大木を蹴ってしまう。大木はびくともせず、自分のつま先がじんわりと痛くなり、そのことが余計にいらだちを誘った。

 いっそのこと、ジョナサンの父親に魔法をかけて思考を変えることができれば――なんて物騒な案が脳裏に過ったが、ジョナサンの不安そうな声で我に返る。

 

「……トム、目が赤いよ?」

「泣いてなんかないさ!」

「違うよ、本当に目が赤いんだ。大丈夫?」

 

 ジョナサンに指摘され、トムはぎょっとした。急いで近くにあった窓に目を向ける。すると、窓に反射した自分の目は炎のように真っ赤に染まっていた。

 

「あ……」

 

 そのとき、孤児院にいた頃を思い出した。怒りが爆発すると、きまって目が赤くなったのである。孤児院の先生たちは病気を疑ったがそんなことはなく、健康そのものだった。誰もが不気味がり、この不思議な現象は「悪魔の子だから」という理由で片付けられていた。いまにして思えば、魔法使いの血が影響していたのかもしれない。

 アイリスと暮らすようになってからは(少なくともトムの知る限り)目が赤くなったのは一度もなく、目の異常のことなんてすっかり忘れていた。

 

「医務室に行こうよ。病気かもしれない!」

 

 ジョナサンの目は不安そうに歪み、心の底から心配しているようだった。

 その姿を見て、トムは無性に泣きたい気持ちになった。ジョナサンは父に捨てられ、一人で異国へ引っ越すというのに、自身の胸に抱えた寂しさや嘆きよりも「友だちが心配」という感情を優先している。

 それは、自分にはできないことだった。

 

「……こういう体質なんだ」

 

 トムはぼそりと言った。

 

「本気で怒ると目が赤くなる。病気じゃない」

「そうなの?」

「ありえないよな。本当……最悪だ」

 

 気がつけば、トムは座り込んでいた。

 

「トム……なにか、僕に隠してるの?」

「隠してる? 僕はなにも隠してないさ!」

 

 トムは荒々しく反論するが、本当はジョナサンに魔法のことを明かしてしまいたかった。だけど、そのあとのことを考えると、どうしても言葉が喉元に留まってしまう。実父のように、ヴァイオリンの腕前を魔法によるものだと勘違いされてしまうかもしれない。孤児院の人たちのように「悪魔の子」として見られるかもしれない。ジョナサンの目が恐怖と嫌悪で縁取られた日には、立ち直れるとは思えなかった。

 

「トム。僕たち、友だちだよ? どんな秘密でも、絶対に誰にも言わないよ」

「だから、隠してないってば! 君だって、引越しのことは前から知ってたんだろ!? なら、どうして言わなかったのさ!」

「それは……」

 

 ジョナサンは黙り込み、わずかに目を逸らす。

 その姿を見て、トムは鉄砲玉のように立ち上がった。

 

「ほら、君だって隠してるじゃないか!」

 

 叫んでしまってから、しまったと口を閉ざした。

 しかし、口から飛び出してしまった言葉は戻らない。

 ジョナサンはひどく傷ついた顔をしていた。彼の青ざめた表情を見て、トムはたまらず走り出してしまった。後ろから呼び止める声が聞こえてきたが、無視して走り続ける。

 走って、走って、走って――気がつけば、校門を越えて路地まで来ていた。路地の陰に入り込むと、ふらふらと壁に背を預ける。それから、トムは年齢相応の子どものように泣いた。嗚咽を必死に押し殺そうとするも、ぼろぼろと涙が頬を伝っていく。

 

「ちくしょう……止まれ、止まれ、止まれ!」

 

 ジョナサンが一番辛いはずなのに、自分の都合で傷つけてしまった。理解しているのに、自分の掻き乱れた感情が追い付かない。ジョナサンへの罵倒と謝罪と嫌悪と憐みを始めとしたありとあらゆる感情が雪崩のように小さな胸に注ぎこまれ、乱暴にかき混ぜられているようだった。

 

 トムは何度も深呼吸をして、少しずつ心を落ち着かせていく。

 

「僕は……」

 

 空を見上げた。

 家と家の合間から覗く狭い青空がみえた。哀しくなるくらいの青空を背景に、鳥が列をなして悠々と飛んでいく。空を飛ぶ鳥を見て、ふと――少し前に、アイリスから聞かれた言葉を思い出した。

 

『トムはどんな大人になりたいの?』

 

 恥ずかしくて黙り込んでしまったけど、ちゃんと答えはあった。

 

 学校の先生たちの前では「優れたヴァイオリニストになりたい」と答えている。

 ヴァイオリンは練習すればするほど技術が身につき、上達を感じるのが心地よい。上達具合を例えるなら、階段を一足で数段飛ばしながら駆けあがっていく感覚だろう。このまま空まで駆けあがり、星をつかめるほどの腕前になりたかった。

 

 しかし、それは本当の夢と言い切れなかった。

 もちろん、ヴァイオリニストの夢は捨てないし、これからも目指していきたい。

 

 それでも、本当は――「願いを叶える正しい魔法使い」になりたかった。

 

 モーフィンや実母のように魔法を悪用した人もいるが、トムにとって魔法は一際特別だ。実母がトムに残した数少ない贈り物であり、魔法を使うたび――アイリスが無邪気に喜んでくれるのだ。

 

 あの家に来たばかりの頃、彼女から向けられた言葉は今でも耳の奥に残っている。

 

『トムは魔法使いなのね。だって、悪魔は人を助けないでしょ?』

 

 たった6年前のことだが、10歳のトムにとって6年は遠い昔のことだった。あの頃だって、毎日なにかしら素敵なことがあったような気がするのに、すべてを詳細に思い出すことは難しい。それでも、あの日の記憶だけは手触りや匂いまで鮮明に思い出すことができた。

 

『魔法って憧れるもの。むしろ、トムが羨ましいわ。私も魔法を使ってみたい』

 

 アイリスは空への憧れを語り、トムは彼女に誓った。

 

「アイリスを空に連れて行きたい……」

 

 鳥の群れが消え、雲のみがゆったり流れる空を眺めながら呟く。

 あのときから、トムの願いは変わらない。

 

 『アイリスの願いを叶えられる正しい魔法使いになりたい』と。

 

 瞬間移動まで出来るようになったのに、自在に空を飛ぶことはできない。

 服に浮遊の魔法をかければ浮かせることはできるけど、それは飛行とはいえない。高いところから飛べば、地面に着くまでの間は宙を漂うことはできるが、それも落下からの浮遊であって飛翔ではなかった。なかなか上手くいかない願いが叶うまで、トムは魔法を極めようと心に決めたのだ。

 

 アイリスには恥ずかしくて口が裂けても言えない――本当の夢である。

 

「……ちくしょう」

 

 青い空が涙で滲んでいる。トムは乱雑に袖で目を拭った。

 「願いを叶えられる正しい魔法使い」になりたいと目指しているのに、自分はジョナサンの父親を操るような使い方しか思いつかなかった。これでは、モーフィンたちと変わらない。「悪魔の子」そのものである。

 ヴァイオリンは上達した。魔法だってたくさん使えるようになった。

 だけど、トムには他に良い案がなにも浮かばなかった。

 

「ちくしょう……っ!」

 

 トムは再び地面を蹴って走り出した。

 学校に背を向け、自分の家へ一目散に駆けだす。

 自分にはどうすることもできない。でも、アイリスならなんとかしてくれるかもしれない。おっちょこちょいのうっかり屋で楽観的な彼女だけど、最も頼りにできる大人である。自分では思いつかないアイディアを考えついてくれるかもしれない。

 

「悔しい……悔しいっ!」

 

 自分の無力さが悔しくてたまらなかった。泣いて人を頼りにすることしかできない――それが何よりも悔しくて、トムは奥歯を噛みしめて走った。

 

「はい、どちら様で……っ、トム!?」

 

 玄関のベルを鳴らすと、アイリスがほんわかした雰囲気で現れる。しかし、そこにいたのが目元の腫れたトムだと気づいた瞬間、穏やかだった表情は瞬く間に崩れ去り、一気に青ざめてしまった。

 

「どうしたの!? なにがあったの!?」

 

 アイリスはすぐに屈みこみ、トムの両肩をつかむ。

 トムはなにがあったのか話そうとした。それなのに、アイリスの青い瞳を見ていると、先ほどの空を連想し、ありとあらゆる感情がとめどなく込み上げてくる。

 

「ジョナサンが……僕……」

 

 なんとか声に出すも、みっともないくらい震えていた。

 涙がとどめなく溢れ出て、頬を伝っていく。

 アイリスはなにも言わず、その場でトムを抱きしめた。いつもなら「子どもじゃないから止めて」と突き放していただろうが、アイリスの腕のなかで泣きじゃくっていた。

 

「アイリス……僕の目は……普通?」

 

 嗚咽交じりの口から出たのは、自分の問題だった。

 

「……いつも通り、黒い目をしてるわ」

 

 アイリスは驚いているようだったが、トムの背中をあやすように優しく叩く。

 

「ロンドン塔のカラスみたいに真っ黒で神秘的な色よ」

 

 柔らかな声に、トムはさらに涙が溢れ出る。

 アイリスは心配したらしく、努めて優しく尋ねてきた。

 

「ジョナサン君と目のことでなにかあったの?」

「違う……違うんだ……」

 

 大切な友だちが、手に届かない場所へ行ってしまう。ジョナサンとなら、どこへだって一緒に行けると思っていたのに。

 ヴァイオリンが上手くても、魔法の力があっても、どうすることもできない。どうすることもできないまま、大切なものが指の隙間から零れ落ちていく。胸の内にぽっかりと底の見えぬ黒い穴が開くような得体のしれない感覚は、例えようもなく怖くて震えが止まらない。

 

 

 それは――トム・リドルが初めて感じる消失だった。

 

 

 

 

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