トム・リドル育成計画!   作:寺町朱穂

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〇1937年8月~9月 迫りくる足音

 

●1937年 8月△日

 

 日中戦争が始まっていた……。

 

 7月の最初は聖マンゴに入院中だったし、退院してからもバタバタしていたから気づくのが遅れてしまった。1941年が真珠湾攻撃で、その数年前に盧溝橋事件が起きたとは覚えていたから、そろそろだとは思っていた。

 だけど、もう起きてしまっていたなんて……!

 

 ショックが凄くて、新聞を読みながら愕然としてしまった。新聞を片手に紅茶を飲んでいたけど、カップを持ち上げた体勢のまま固まってしまったものだから、トムがちょっと心配そうに覗き込んで来た。

 

「ジャパンがチャイナと小競り合いをしてるのか?」

 

 トムも私の後ろから新聞に目を落とし、納得したように頷いている。

 

「アイリスはジャパンが好きだから、ジャパンを応援してるんだろ」

「戦争は応援できないかな……」

 

 どんな理由があれど、戦争だけはやってはいけない。

 それに、この戦争は長く続いた末に敗北する。これから、戦争は8年も続くことになるのだ。……改めて考えると絶句してしまう。誰もが8年も戦い続けることになるとは想像していないはずだ。トムだって、私が「この戦争、8年は続くと思うよ」と言ったところで本気にしないだろう。

 たった8年、されど8年……だんだんと恐ろしくなり、足元から血の気が失せていった。

 

 ……自分にはどうすることもできない。

 むしろ、歴史を知っているからといって、私にできることなどあるのだろうか?

 

 いまは考えるのを止めよう。

 話を戻すが、トムは日本に好感を持ってくれている。

 

「僕、ジャパンは好きだよ。ケンジ・ミヤザワの作品は好きだ」

 

 「銀河鉄道の夜」を通じて、日本に興味を持ってくれたことは嬉しい。トムとの仲がぎくしゃくとした期間、翻訳に没頭できたこともあり、「銀河鉄道の夜」の英訳が完成した。

 トムは「銀河鉄道の夜」を最後まで読むと、複雑な顔をしていた。

 

『これ……バッドエンドじゃないか』

『でも、お父さんはもうじき帰って来るって示唆されてるわ』

 

 私がすぐに言葉を返したが、トムは難しそうに眉を寄せていた。

 

『カンパネルラは死んじゃったじゃないか……アイリスが好きな作品だから、僕はてっきり……』

 

 トムはそれっきり黙り込んでしまった。

 だけど、この物語が嫌いになったというわけではない。夜中に扉の隙間から灯りが漏れていたので、部屋に入って様子を見たとき――トムは机に突っ伏して寝ていた。左に私が翻訳した「銀河鉄道の夜」が開かれ、右には自分なりの考察をまとめたノートが広げられている。何度も読み返しているようで、翻訳した甲斐があったというものだ。

 それに『他の作品も翻訳して』と頼んでくることからも、宮沢賢治の作品が気に入ったのだろう。

 ちなみに、いまは『よだかの星』の翻訳に取り組み中だ。個人的には『注文の多い料理店』や『雪渡り』あたりが良いと思ったのだけど、トムはあらすじを聞いて『次はこれがいい』と……。

 なぜ、可哀そうな話ばかり選ぶのだ……。

 

「だけど、ジャパンは遠い……気軽に行ける距離じゃないけど、いつか、アイリスと一緒に旅行したいな」

「そうね。チャイナとの争いが終わったら……ゆっくり旅行できるといいわね」

「あー、でも、少し不安だな。僕、ジャパンの料理はあんまり美味しく感じないからさ」

「うぐっ!?」

 

 私は言葉を詰まらせる。

 トムが経験した日本食は「米」と「あんぱん」。

 やはり米は「虫っぽい」と苦手意識が強く、いまだに食べてもらえない。

 トムから貰った小豆で「あんぱん」を作ったのだけど、小豆の甘さがイマイチだったらしく、トムはしきりに首を捻っていた。

 私にとって数十年ぶりの餡子は、目が覚めるほど美味しかったのに……!

 

 それにしても、イギリス人に「日本食は美味しくない」と評価されて物凄く悔しい!

 私個人としては、イギリス料理より前世の料理が好きだ。日本食、最高である。イギリス料理も悪くはないのだが、全体的に雑なのだ……。たまに外食するときの店もかなり吟味したうえで選んでいるし、料理だって自分の口に合うものを作っている。フィッシュ&チップスを作ることもあるけど、本場のレシピを参考にしながらアレンジしたものだし……。

 

 まさかとは思うけど、トムはイギリス料理が美味しいと思っているのか? イギリス料理が美味いと誤解してしまっているのか!?

 日本に行ったら、本当に美味しいものを食べさせてあげるから……!!

 

 

 

 

 

●1937年 8月×日

 

 モーリスが面白い知らせを持ってきてくれた。

 私が入院していたことを知り「病院くらい教えてくれたらいいのに。見舞いに行きたかった」と不貞腐れていたが、完治祝いに教えてくれたのだ。

 

「オックスフォードの教授が9月に児童向け作品を出版するらしい。内容を聞く限り、アイリスが興味を持ちそうな話だから教えておくよ」

 

 トールキン大先生の「ホビット」!!

 大学時代は映画をDVDで買って、何度も何度も見返すほど好きだった作品である。原作はチャレンジしたけど、挫折してしまった……でも、この娯楽の少ない現在なら楽しんで読みきれる自信がある!

 早く出版されないかな……!

 

 

 さて……毎年恒例だけど、ヘレンおばあちゃんの家へ行ってきた。

 おばあちゃんは最近具合が悪い。

 あきらかに足腰が衰えてる。歩き方もよたよたとしていた。おばあちゃんがトムを気に入ってからは、近所の駅まで迎えに来てくれていたのに、今回はそれすら難しかったようだ。

 年齢も70歳を越えてるし、一人で暮らして大丈夫なのかと不安になってくる。お手伝いさんを雇うとか……おばあちゃん、家を離れる気はなさそうだし……。

 おばあちゃん自身も終活を意識しているらしく、今日もトムを猫可愛がりしながらこう言っていた。

 

「遺書に書いたからね、私の財産はぜーんぶトム君に相続させることって」

「おばあちゃん、冗談はやめて」

 

 トムが返事をする前に、私は口を挟んでしまった。

 

「あの人と遺産相続で争いたくないわ」

「大丈夫よ。ちゃんとした弁護士に遺書を預けてあるから問題ないわ。あの子に1ペンスたりとも渡すものですか!」

「そういう問題じゃなくて……はぁ」

 

 ガランサス夫人は「私は娘よ!? どうして、血も繋がってない子どもに遺産がいくのよ!」と絶対に権利を主張してくるはずだ。下手したら裁判沙汰になるかもしれない。いくら遺書があるとはいえ、面倒ごとは御免である。

 

「おばあちゃん、長生きしてね」

「まだまだ生きるわよ!」

 

 おばあちゃんが目を輝かせながら、トムの頭を撫でていた。

 

「トム君が世界で一番有名なヴァイオリニストになるまで!」

「もう……トムの人生を勝手に決めないで」

「そういえば、トム君の学校は決まったのかい?」

 

 おばあちゃんはトムに尋ねる。

 トムはちらっと私を伺い見てから、ゆっくりと答えるのだった。

 

「第一志望は音楽院。9月に他の学校も見学に行くつもり」

「あら、それはどんな学校?」

「スコットランドの寄宿舎付きの私立だよ。ちゃんと見学してから、将来のことを考えようと思っているんだ」

 

 嘘ではない。

 9月にホグワーツに見学へ行くことが決まっていた。

 本当はもう少し早くても良かったのだけど、授業風景を見なければ判断しかねるからだ。

 

 実際のところ、トムがどちらを選ぶのか分からない。

 

 彼から相談を受けたら親身になって聞くつもりだ。こちらから「どうするか決まった?」と尋ねても良いけど、ホグワーツを見ていない以上、返ってくる答えは「検討中」だと分かりきっている。学校見学が終わってから、一緒に決めていけばそれでよいのだ。

 

「そういえば、フランスに引っ越した友だちから手紙が届いたって話をしたっけ?」

 

 トムはホグワーツのことを掘り下げたくなかったのだろう。話題を変えるように話し始めた。

 

「パリの街には回転木馬があるんだってさ。フェスティバルでもないのに街角に設置されていて、いつでも乗れるらしいよ」

「トム君はパリに行きたいのかい?」

「いずれはね。フランス語を完璧にマスターしたあとだけど」

 

 最近、トムはフランス語を学んでいる。

 ジョナサンからの手紙を読んで、パリに対する興味を膨らませているようだ。願わくば、この友情が良い方へと向かうことを祈るばかりだ。

 

「トム君ならできるはずよ。だって、私の自慢のひ孫だもの」

 

 おばあちゃんはうっとりと呟いた。

 

「トム君がパリで公演するときは、私も連れて行ってもらおうかしら」

「おばあちゃん……」

 

 私はほとほと呆れてしまった。

 トムが魔法学校に行って、そのまま魔法の世界で暮らしていくと決めたとき、どうやって説明すればいいのだろう? おばあちゃんは頑固だし、魔法を受け入れるとは到底思えないから、慎重に接しないと……。

 

「おばあちゃんもパリに行けるといいね」

 

 私はそれだけ言った。

 説明は大変だけど、おばあちゃんには長生きしてもらいたい。おばあちゃんにはいろいろ迷惑をかけてきたし、トムのことを好いてくれることもありがたい。ちゃんとしたお礼をしようかな……おばあちゃん孝行として、パリ旅行をプレゼントするとか!

 

 第二次世界大戦が終わったあと、三人でパリを旅行するのも良いかもしれない。

 

 だから、それまで……元気で過ごしてくれるといいな。

 

 

 

 

 

 

●1937年 9月◇日

 

 

 明日、ついにホグワーツへ行く。

 二泊三日……学校の見学をするだけなら一泊で足りる。だけど、スリザリンの血を引く人がホグワーツ近郊に住んでいるので、この機会に会いに行くことになったのである。先日、モーフィンに誘拐されたときに助けに来てくれた人であり、私が直接顔を見てお礼を言いたかったので、我がままを通させてもらってしまった。

 

 トムも明日が楽しみのようで、凄くそわそわしている。

 ヴァイオリンに集中できないのか、おやつの時間より前にリビングへ降り、子犬のエンラクと遊んでいた。トムはエンラクの頭を撫でながら、こんなことを呟いてた。

 

「エンラクにも魔法学校を見せたかったな……アイリス、やっぱりエンラクも連れて行ったら駄目?」

「駄目よ。どのような場所か分からないし、ただの旅行ではないのよ」

 

 二泊三日の間、ナティにエンラクを預かってもらうことになっている。

 トムは「ニュートに預けたい」と主張していた。……彼なら完璧に世話をしてくれるだろうけど、世界的魔法生物学者に飼い犬を預かってもらうなんて、申し訳なさすぎる……。

 

 

 それにしても、私も一緒にホグワーツへ行けるなんて……!

 なんだか、夢みたい!!

 しかも、ホグズミード村に泊まれるのだ!

 きっと、宿泊先は「三本の箒」だ。本物のバタービールを楽しめるのだろうか? 他にも魔法界特有の料理も食べてみたい!

 

 今日は早く寝ることにする。

 感動をすぐに残したいと思うから、日記だけは忘れないようにしないと……!

 

 

 

 

 





2章は次々回で終わる予定です。
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