トム・リドル育成計画!   作:寺町朱穂

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第三章、開幕です。
※冒頭の短文を追加しました。


第三章
〇1938年7月 ささやかな日常


 

 時計は好き。

 針が進むたび、死に向かって一歩踏み出している。

 だから、針が進む音を聞くと安堵する。

 胸の内から響く鼓動と似た音は、愛する人へ会うためのカウントダウンなのだ。

 

 でも、たまに耳を塞ぎたくなる。

 この世界へ未練と仕返しが、心の臓に刺さって抜けないから。

 

 

 

●1938年 7月17日

 

 いよいよ、今日が本番!

 ロイヤル・アルバート・ホールは満席!

 チケットも即完売だったというのだから、トムの人気の高さをひしひしと感じた。今回、協演するロンドン・フィルハーモニー管弦楽団のファンも多いだろうが、観客たちはトムの腕前に惚れこんでいる人ばかりのようだ。開幕前から「また演奏に磨きがかかってるのかしら?」とか「今日の演奏も楽しみ!」とか、誰もが興奮したように囁き合っている。

 そんな観客たちを見て、私の隣の席――ヘレンおばあちゃんも嬉しそうに口元を綻ばせていた。

 

「ふふっ、トム君は凄い人気ね」

 

 一昨日から、おばあちゃんは家に泊まっている。

 コッツウォルズ地方からロンドンまでの道中、おばあちゃんの老体には一苦労だったらしい。一昨日は着いて早々、ベッドで横になっていた。

 実際、かなり無理をしているように思える。

 それでも、おばあちゃんは「トムがロイヤル・アルバート・ホールで演奏する」と手紙で伝えたときから「私も観に行く!」と心に決めたのである。絶対にトムの晴れ姿を生で視聴すると決めてから、おばあちゃんは凄かった。それまでは郵便受けまで歩くのも億劫だったらしいのに、めきめきと体調が回復し、医者から長旅の許可が貰えるほどにまでなったのだ。

 

 これも、愛だな……。

 

 トムの調子は今日も完璧。

 演奏前から緊張の欠片もなく、リハーサルも涼しい顔でこなしていた。まがりなりにも、プロと協演しているというのに臆することは一切ない。まあ……これは毎回のことなので感覚が麻痺しかけているけど、やっぱり凄いことだ。

 演奏は、当然のように素晴らしかった。しかも、前回よりも技に磨きがかかっている。今回、トムはチューニングをしなかった。普通、オーケストラが演奏を始める前、全員でチューニングするのが当たり前なのに、トムはなにもしない。チューニングなしに一曲目に臨み、弾きながらペグをきゅっきゅっと動かして調整している。そんなことをしたら音が乱れて聞くに堪えなくなるけど、それはあくまで一般的な話。

 トムの演奏に一切の乱れはなく、美しくも神々しい音色を奏でていた。

 

 文句なしの天才の技術である。

 

「あぁ、トム君……立派になって……」

 

 ヘレンおばあちゃんはハンカチで涙を拭っていた。

 演奏が終わってからも、観客たちはスタンディングオベーション。いつまで経っても拍手が鳴りやまない。結果、アンコールを2回することになった。

 その後、私たちはトムを迎えに行くため、楽屋へ向かうことにした。

 とはいえ、おばあちゃんと一緒だから、ゆっくりとした移動だ。だから、いつも以上にお客さんたちの声を耳にすることができた。

 その多くはトムの演奏技術に感嘆するものばかりだったけど、トムの進路に関する話題もちらほらと聞こえてきた。

 

「ねぇ、聴いた? トム君、音楽系の学校への推薦を蹴ったんだって」

「学業に専念っていうこと? もったいないわ……もう、コンサートもないのかしら?」

「一年に1度はあると嬉しいけど……どうなるのかしら?」

 

 ……ファンの人たちからしたら、残念なことだろう。

 実際、ヴァイオリンの先生を含む音楽家たちから、何度も「再考した方がいい」との提案を受けた。だが、トムの演奏は客観的に見てもプロの音楽家以上の腕前である。

 

『音楽の道を諦めるわけではありません。むしろ、カーネギーホールのような大舞台に立ち、演奏をしたいと夢を抱いております』

 

 トムは先生方を説得し、「月1度のレッスン」と「定期演奏会をすること」を条件に矛を収めてくれたわけである。

 なお、進学先について、ヘレンおばあちゃんを含む先生方には「寄宿舎のある名門校」としか伝えていない。それ以上尋ねられても「トムの進学先が漏れて、学業に支障が出るのを避けたい」の一点張りで通している。

 万が一、私が「ホグワーツ魔法魔術学校へ進学するんです」なんて事実を語った暁には、くだらない冗談か私の気が狂ったと思われることであろう。

 

 

 ホグワーツといえば、楽屋に先客がいたことを思い出した。

 私とおばあちゃんが楽屋の扉を叩こうとしたとき、部屋から声が聞こえたのである。

 

「――だろう? ならば、貴方はスリザリン寮に来るべきだ。半純血という事実は、僕や先輩たちでもみ消せるはずだからね」

「別に恥じるべきことではありませんよ」

「だが、君はゴーントの血を引いているのだろう? ゴーントといえば、歴史のある純血の家系だ。ヴァイオリンの腕と同じく、誇りに思うといい」

 

 気取った声と内容で、誰が来訪しているのかすぐに分かった。

 でも、おばあちゃんは違った。

 

「どうしたんだい、アイリス。早く扉を開けて、私の可愛いひ孫の顔を見せておくれ」

 

 どうやら、おばあちゃんには声が聞こえなかったらしい。おばあちゃんの耳が遠いことが幸いした。マグルとかもみ消すとか、説明に困るところだった……。

 私は咳ばらいをし、ちょっと強めに扉をノックする。

 

「トム、お疲れ様。おばあちゃんと入っていいかしら?」

 

 私が声をかけると、トムがすぐに「いいよ」と返してきた。それと同時に、ぱちんっと指を弾くような音が聞こえてくる。私はその音を聞き終えてから、扉を大きく開いた。

 

「アイリス、おばあちゃん。どうだった、僕の演奏は?」

 

 部屋に入ると、トムがとびっきりの笑顔で迎え入れてくれる。

 

 だけど、他に誰もいない。

 

「ああ、トム君……っ!」

 

 おばあちゃんがトムに抱き着いた。皺だらけの手で何度も何度も髪を撫でながら、称賛の言葉を口にする。トムはなされるがままになっていたが、私に視線を向けると、わずかに肩をすくめた。

 私は小さく頷くと、楽屋のなかを見渡した。

 トムへのプレゼントも数多くあったけど、ひときわ目を惹いたのは、演奏を始める前はなかった花束である。純白の百合の花と真っ赤な薔薇の花束だ。百合も薔薇も個々が強い主張をしそうなのに美しく華やかに纏まっている。

 

「トム、お客さんが来ていたの?」

 

 私は花束に近づき、そこに備えられたカードを摘まんだ。

 「蛇の血を引く演奏家へ」という文字が記されただけの質素なカードだったが、電灯にかざしてみると二頭のドラゴンに挟まれた「М」の紋が透かして見えた。

 

「さっき帰ったよ。あまり長居はしたくないってさ」

 

 トムは素っ気なく答えた。

 それだけで、誰が来たのか確信する。

 

 来訪者は、アブラクサス・マルフォイ。

 聖マンゴ魔法疾患病院で知り合った小さな魔法使いだ。マルフォイ家の当主たる彼の父親の前でリサイタルする話は「トム・リドルは半純血」という理由から流れてしまったけど、息子のアブラクサスはトムのヴァイオリンに心酔しており、トムが出演する舞台があると必ず訪れる。こちらが招待状を送っていなかったとしても、どこからともなく察知して花束を持って現れるのだ。

 

 ただ……トムはといえば、ホグワーツの先輩になる少年をあまり好いてはいない。

 いつだったか、トムはこんな言葉を零していた。

 

『僕の演奏を好いてくれるのはありがたいよ。だけど、顔を合わせるたびに“リドルの名を捨て、ゴーントと名乗るべき”とありがたい助言をしてくれるのは……僕、リドルも悪くないって思っているからね』

 

 

 そのあと、私たちはレストランで夕食を食べた。

 ちょっと奮発したフレンチのコース料理だ。トムはマナーもすっかり身につき、私がテーブルに肘をつきそうになると、こほんと咳払いをして注意を促すほど余裕がある。穏やかな表情はもちろん、ぴんっと立った背筋から傷一つない綺麗な指先まで、全身からエレガントな空気を醸し出していた。

 いまのトムを見て、誰もが「赤子の頃、ロンドンの片隅の孤児院で暮らしていた」なんて夢にも思わないはずだ。

 

 あー、それにしても……おばあちゃん、トムには激甘である。

 おばあちゃんは肉の脂身を「おばあちゃんは食べきれないから」とトムに分け与えていた。肉の脂身だけではなく、前菜のエビや魚料理の一部、デザートにいたっては、アイスクリーム丸々を「お腹いっぱいだから、トム君が食べなさい」とあげていた。

 おばあちゃんはアイスが大好物だし、お肉やオマールエビにも目がない。だけど、それ以上にトムに美味しいものを食べて欲しいんだろうな……。

 

 家に帰って来ると、おばあちゃんはトムへの入学祝いとコンサートのお祝いとして新しい万年筆をプレゼントしていた。

 

「ヴァイオリンとお勉強も頑張ってね。でも、無理は駄目よ」

 

 昨日の午後、私と一緒にハロッズで購入した万年筆。

 白い綿を詰められた箱に収まったそれは、上品な緑色をしていた。

 

「トム君は緑が好きだと聞いたからね。喜んでくれるといいけど……」

「ありがとう、おばあちゃん。さっそく、これでジョナサンへ手紙を書くよ!」

 

 トムは弾かれたような笑顔を浮かべ、感謝の一礼をすると、飛ぶような速さで自分の部屋へ戻っていった。耳をすませてみると、かりかりとペンを動かす音が聞こえてくる。

 

「おばあちゃん、早速使ってるみたいよ」

 

 私が伝えると、おばあちゃんは心底嬉しそうに微笑んでいた。

 

 

 私もトムに入学祝いのプレゼントを買ってあげようと思っているけど、なかなかピンっとくるものがない。万年筆は良いアイディアだったけど、おばあちゃんと被ってしまうのは問題だし、かといって、ヴァイオリン関係の品々も新調したばかりだ。

 

 

 うーん、どうしようかな……。

 

 

 

 

 

●1938年 7月18日

 

 

 おばあちゃんをパディントン駅まで送った。

 トムはヴァイオリンのレッスンがあったので、見送りは私一人だけ。

 

 おばあちゃんは、私ではなくトムに見送って欲しかっただろうな……。

 そう思っていると、おばあちゃんは駅の改札口で財布を取り出した。

 

「アイリス、帰りの電車賃はこれで足りる?」

 

 そう言いながら、おばあちゃんは20ポンド札を5枚も握らせてきたのだ。

 

「ちょっ、おばあちゃん!? こんなにかからないよ!」

 

 私は驚いて返そうとするが、おばあちゃんは頑として受け取らなかった。

 

「あまったお金は、自分のために使うんだよ。美味しいものを食べたり、服や画集を買ったり……」

「おばあちゃん……」

「疲れてるみたいだからね。仕事、山積みなんだろう?」

 

 私は目が点になった。

 そんなこと、一言も教えてないのにどうして? 私は理解に苦しんでいると、おばあちゃんはからからと笑った。

 

「あんたね、私の目は誤魔化せないよ。あんたの家は全体的に綺麗に掃除が行き届いてたけど、あんたの作業机や本棚が整頓されてなかったじゃないか」

「あ……」

「昔から、あんたはストレスがたまると整理整頓が行き届かなくなるからね。……ちゃんと休んで、トム君をしっかり育てなさい。あんたは、あの子の母親なんだから」

 

 おばあちゃんはそれだけ言うと、改札をくぐってしまった。

 私は茫然とおばあちゃんの小さな背中を見送ることしかできなかったけど、すぐに我に返って叫んでいた。

 

「おばあちゃん!」

 

 おばあちゃんが振り返る。

 私は大きく手を振りながら、精いっぱい叫んだ。

 

「ありがとう!! おばあちゃんも身体に気をつけてね! 今度は、おばあちゃんの家に行くから長生きしてね!」

 

 おばあちゃんの口は動いたけど、声は聞こえなかった。

 だけど、朗らかな笑顔と小さく振られた手で――彼女の優しさと、なにを伝えたかったのかは受け取ったと思う。

 

 

 おばあちゃん、長生きして欲しいな……。

 これから……末永く、おばあちゃんに恩返しができますように。

 

 

 

 

 

 

 

 

●1938年 7月▲日

 

 戦争の足音が近づいている。

 日中戦争が依然として続いているせいで、1940年に予定されていた東京オリンピックは延期し、代わりにヘルシンキで開催されることが決定したらしい。

 他にも、新聞に目を通せばドイツの不穏な政策について嫌でも目に入る。「水晶の夜」は起きてないけど、勃発するのは時間の問題だ。

 

 太平洋戦争が始まったのは、1941年。

 だけど、その前から第二次世界大戦――ドイツの侵攻は始まっていた。それは、はたしていつ訪れるのだろう?

 私はこのままでいいのかな?

 もっと、なにか……自分にできることがある気がする……。

 

 くよくよ悩んでも仕方ない。

 良い知らせに目を向けるとしよう。

 

 今朝、ホグワーツから手紙が届いた!

 分厚くて重たい黄色みがかった羊皮紙の封筒で、エメラルドのインクで宛名が書かれている。フクロウが運んでいるので、切手は貼っていないし消印もなかった。

 

「ついに届いた!」

 

 トムは封筒をペーパーナイフで切ると、鼻歌を歌いながら手紙に目を落としていた。ホグワーツからの手紙を読む表情は、未来の女王陛下から熱烈なファンレターが届いたとき以上に自信に満ちあふれていた。

 いや、昔からトムは王室に興味なかったか……。

 

「アイリス、見てよ! ニュートの本が教科書だ!」

 

 トムは一緒に届いた「必要なものリスト」を渡してくる。

 そこには、たしかに「幻の動物とその生息地」と記されてあった。……あれ? 「魔法生物飼育学」の授業って、3年生からの選択科目だった気がするけど、1年生から使うの?

 トムは、私が戸惑っていることに気づかない。絶賛困惑中の私に向かって、弾むような声で話し続けていた。

 

「この間、ニュートが一緒に学用品を買いに行ってくれるって約束したんだ。すぐに知らせて来てもいいかな?」

「え、ええ……でも、まだ朝よ。せめて、10時の鐘が鳴ってからにしなさい」

 

 私が言うと、トムはちょっと不貞腐れたように口を膨らませる。だけど、それも一瞬で、すぐに切り替えたように笑顔が戻った。

 

「たしかに失礼だよね。……おいで、エンラク。朝のブラッシングをしてやるよ」

 

 トムはそう言うと、ずーっと足元をうろうろしていた飼い犬を抱きかかかえた。

 

 トムはニュート・スキャマンダーを兄のように慕っている。もしかしたら、ジョナサンがいない現在において、トムが最も心を許している相手かもしれない。ヴァイオリンの練習の隙間を縫いながら彼の家に通い、魔法生物の世話をしているのだ。ニュートからブラッシングのやり方を学んだらしく、うちのエンラクの毛艶が日に日に輝きを増している。

 

 ……私もトムからブラッシングの手ほどきを受けているけど、これがなかなか上手くいかない。正直なところ、9月以降、私とエンラクの二人暮らしになったとき、世話の水準を維持できるか不安である……。

 

 

 「必要なものリスト」に話を戻すとしよう。

 そこに記された物品書籍は見覚えのないものばかりだったけど、バチルダ・バグショットの魔法史の教科書があって「やっぱり、ハリポタの世界なんだな」とつくづく感じた。

 それから、ペットの持ち込みの記載もあったけど、「フクロウ、または猫、またはヒキガエルを持ってきても良い」と書かれていた。

 

 これ、ちょっと私の知っている知識と違う気がする。

 なぜなら、ロンがネズミを連れて来ていた。実際には本当のネズミではなかったけど、ペットとして大事にしていたし、2年生の変身術の授業に連れて来て、ゴブレットに変身させていた。こっそり持ち込んだにしては、なんとも大胆な振る舞いである。

 

 いまはこの三種だけ許可されているけど、ハリーたちの世代の頃は規則が緩和されたってことなのかな?

 

 それにしても、ペットの持ち込みか……。 

 せっかくだし、トムの入学祝いにフクロウを買ってあげようかな。

 

 魔法生物に興味があるようだし、フクロウは魔法界における郵便屋さんだ。

 

 きっと、トムの役に立つことだろう。

 

 だけど、魔法界の物価ってどれくらいなんだろう?

 マグルの金銭との両替のレートは?

 魔法界って、マグル蔑視の世界だから法外なレートだったらどうしよう……?

 ちょっと弱気な心が顔を覗かせるけど、トムに金銭の心配をさせてたまるか! ちゃんと学用品を揃えて、フクロウをプレゼントするぞ!

 

 

 とりあえず、明日は銀行だ。

 トムと大英博物館へ行く約束をした日だけど、銀行へ寄り道するくらいの時間はある。

 

 しっかり、お金をおろして来なくっちゃ!!

 

 

 

 

 

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