トム・リドル育成計画!   作:寺町朱穂

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〇1938年8月 ダイアゴン横丁

 

●1938年 8月〇日

 

 チャリング・クロス駅。

 この駅に来ると、子どもの頃、大好きだったアニメ映画を思い出す。小さな名探偵がVR世界から生還するため、チャリング・クロス駅発の最終列車に飛び乗り、とびっきり危険なクライマックスに挑むことになるのだ。

 

 思い出すだけで、当時の興奮が蘇ってくる。

 そして、今日――それに負けないくらいの興奮を味わって来た!

 

 いやー、まさか、チャリング・クロス駅から徒歩で行ける範囲内に「漏れ鍋」があったとは夢にも思わなかった。本屋や楽器店、映画館とかありふれた店が立ち並び、マグルが楽し気に闊歩する通りは、とてもではないが魔法界への入口が隠されているとは思えない。トム自身、ニュートに案内されている間、半信半疑といった様子だった。

 

「ここだよ」

 

 だから、ニュートが足を止めたとき――トムは怪訝そうに眉を寄せていた。

 

「ここって、汚いパブじゃないか」

 

 トムはそう呟き、私へ同意を求めるように視線を向けてくる。

 

「汚いパブ……私には見えないわ」

 

 だから、私は本当のことを話した。

 

「本屋とレコード店しかないもの」

「アイリス、冗談が過ぎるよ! その間にあるじゃないか!」

 

 トムが声を荒げながら指を差したが、そこにはなにもない。哀しいことに、私にはどうしても「漏れ鍋」の扉が見えないのだ。マグル避けがしっかり機能している証拠になるのだが、実際に目にできなかったことは残念極まりなかった……。

 

「トム、マグルには見えないんだ」

 

 ニュートが説明し、トムの目が点になった。何度も確認するように扉と私を見返し、ようやく嘘ではないと理解したとき、トムの瞳に寂しそうな色が滲んだ。

 

「……アイリスと一緒に行けないの?」

「手を繋いでいれば平気さ。魔法族と一緒に入れば問題ない」

 

 そのことを聞いて、トムは安堵の息を零した。すぐに私の手を握り、本屋とレコード店の境目に向かってすたすたと歩き始める。正直なところ、知識として「漏れ鍋」への入口があることが分かっていても、なにもない壁に向かって歩いていくのは不安だった。だけど、トムの小さな手から伝わる力強さと確固とした歩みのおかげで、まっすぐ前を向いていることができた。そして、壁に激突する寸前、ぽっかり穴が開いたように扉が出現し、中に入ることができたのである。

 

「ここが、漏れ鍋……っ!」

 

 暗くて陰気な空気が漂い、どことなくみすぼらしかったけど、お店の造りも椅子もテーブルも黒い帽子を被った魔法使いや魔女たちも――すべてが映画のままで、私は一人興奮を隠せなかった。

 

「ミスター・スキャマンダー! これは珍しい!」

 

 若いバーテンはこちらを見ると、ちょっと驚いたような声で言った。

 

「飲んでいくのかい?」

「いや、今日は友人の買い物に来ただけなんだ」

「友人? そちらの御婦人かな?」

「違うよ。こっちのトム・リドル……魔法生物に関しては、僕の助手を任せられるくらいには詳しいよ」

 

 ニュートはトムの肩をとんっと叩いてみせた。

 

「ほう、君もトムというのか!」

「スペルはTHOMですけどね」

 

 トムが素早く返すと、すぐにニュートを見上げた。

 

「ここで魔法の杖が買えるとは思えないけど」

「ここの中庭に通路があるんだ」

 

 そのまま、ニュートはパブを通り抜け、古びた煉瓦の壁に囲まれた小さな中庭に案内した。ゴミ箱が数個置かれ、雑草がまばらに生えた狭い庭である。

 

「よく覚えて。煉瓦を叩く順番によって、辿り着く横丁が異なるんだ」

 

 ニュートはゴミ箱の上の煉瓦を数えながら、長い杖で壁を三度叩いた。すると、叩いた煉瓦が震え、ぐらりと意志が芽生えたように揺れ、がたがたと動き始める。煉瓦は互いに位置を入れ換えながら、ゆっくりとしかし確実に大きなアーチを形成していく。その向こうには、小奇麗な石畳の通りが曲がりくねって先が見えなくなるまで続いていた。

 

「ここがダイアゴン横丁。ついてきて、人が多いからはぐれないように」

 

 漏れ鍋を後にし、曲がりくねった道を進んでいくと、ほどなくして中世の王都に迷い込んだような空間が広がっていた。右の店の外には大鍋が積みあげられ、ゆらゆらと落ちるか落ちないかのところで揺れている。その隣では、小太りな魔女が薬問屋の前でドラゴンの目玉を瓶に詰めている。どこからともなくフクロウの鳴き声が聞こえてきたと思えば、二股の猫が足元を通り過ぎていく。私が猫を目で追っていれば、トムが手を引っ張って来た。

 

「アイリス、箒だよ! 箒が売ってる!」

 

 トムが目を輝かせながら教えてくれる。

 何人かの子どもたちが、箒のショーウィンドウに鼻をくっつけて眺めていた。子どもたちは真新しい箒を熱心に見つめながら、早口で話し合っていた。

 

「見て! コメットの新作だよ!」

「すげー、かっこいい! クリーンスイープ3号より速いかな?」

「コメットには敵わないさ」

 

 子どもたちは楽し気に議論を交わしていたが、そこに鋭い声が割り込んで来た。

 

「コメットもクリーンスイープも良い箒だけど、『銀の矢』が一番さ!」

 

 鷹のような黄色の目をした少女が、子どもたちの輪に乗り込んでいく。

 

「銀の矢ほど素晴らしい箒はないよ。一本一本手作りの味が出ているし、速度の調節も柄の握り具合も右に出るものはない!」

「それなら、コメットだって――!!」

 

 わいわいと箒について議論を交わす姿は、ラグビーやクリケットでどのチームが最強か言い争う姿と重なって見えた。スポーツに熱中するところは、魔法族もマグルも変わらないのかもしれない。

 

 そういえば、銀の矢とかいう箒を推してた少女……どこかで見覚えがあるような……。

 

 うーん、思い出せない。

 まあ、いいか。思い出せないのだから、たいしたことではないのだろう。

 

 

 私たちはダイアゴン横丁を歩き、まっさきに訪れたのは「グリンゴッツ銀行」。

 ダイアゴン横丁は想像より小さな個人商店が立ち並んでいたのだけど、そのなかでも「グリンゴッツ銀行」はひと際高くそびえていた。真っ白な建物はちょっとした宮殿のようである。私たちの顔が映るくらい磨き上げられたブロンズの扉の両脇には、深紅と金色の制服を着たゴブリンが立っていた。扉の奥に広がる大理石のホールも荘厳で、百匹を超えるゴブリンが細長いカウンターの向こう側で、脚の高い丸椅子に腰を降ろし、ゴブリンの身体ほどもある帳簿に書き込みをしたり、真鍮の秤でコインやら宝石やらを量ったりと忙しなく働いている。

 ゴブリンということを除けば、ロンドンの大銀行にも匹敵する。いや、それ以上かもしれない。

 

 さて、ずっと不安に思っていた両替だけど……これは思ったより良心的だった。

 1ガリオン金貨が5ポンド。

 1ガリオン金貨は17シックル銀貨。1シックル銀貨は29クヌート銅貨――頭がこんがらがる。イギリス政府にも言いたいけど、計算が大変だから十進法を採用して欲しい。

 とはいえ、ずっしりとした純金の硬貨1枚と5ポンドが同列というのは、ちょっと驚きである。むしろ、こんなに重い金貨が5ポンドで手に入っていいの? ってなる。

 職人さんの一週間分の給料がだいたい10ポンドで、それが金貨2枚分に相当するかと考えると、はたして釣り合っているのかどうか微妙なところである。あまり金の価値なんて考えたことなかったけど、溶かして売れば5ポンド以上になるような気がしてならなかった。

 

 ちなみに、今日は両替だけだったので、グリンゴッツ名物のトロッコに乗ることはなかった。ちょっと残念……ジェットコースターみたいで楽しそうに思っていたのに。

 

 

 とはいえ、これで魔法界のお金は手に入った。

 ニュートに道や店を聞きながら、私たちは買い物をする。お店のなかには、ハリーたちの時代にも存在した店がいくつかあって、そのひとつが「マダム・マルキンの洋裁店」だ。トムが採寸している間、私はニュートと一緒に望遠鏡や鍋を買いそろえることにした。ニュートは親切で、いつものトランクに買った物を収納してくれたので、何度お礼を言っても足りない……彼がいなければ、私たちは大鍋を抱えて地下鉄に乗ることになっていたはずだ。

 

 トムはといえば「マダム・マルキン」の洋裁店に入るまで、目を太陽の光を一身に浴びた黒曜石のように輝かせていた。足取りも軽やかで、きょろきょろと周囲を見渡しながら、ニュートへ質問を矢継ぎ早に繰り出すほど気持ちが盛り上がっていた。

 ところが、洋裁店から出て来たとき、彼の表情はわずかに暗いものだった。むすっと頬を膨らませ、沈んだ表情をしている。

 私が「なにかあったの?」と聞く前に、トムは口を開いた。

 

「僕、グリフィンドールに入りたくない」

 

 これを聞き、私とニュートは顔を見合わせてしまった。

 

「グリフィンドールって、ホグワーツの寮のことよね?」

「採寸で一緒になった子が、グリフィンドールに入りたいって熱弁していたんだ。それはまだ良かったんだけどさ……」

 

 トムは言葉を続けようとしたが、思いとどまったように口を閉ざした。黙り込んでしまったので、私はトムに言葉を投げかけた。

 

「その子の名前は聞いたの?」

「聞く必要はない。9月になれば、嫌でも分かるはずだから。どうせ、同じ学年だし……あんな髪の毛がライオンみたいに爆発してる奴、一瞬で見つけられるよ」

 

 それだけ言うと、トムはこの話はおしまい! と話を切り上げ、必要なものリストに目を落としてしまう。トムにここまで言わせるなんて、いったいその子はどんなことを話していたのだろう? 実に気になるところだが、あまり深掘りして欲しくなさそうな顔をしていたので止めることにする。

 

「そうだ。杖を買う前に、入学祝いを買ってあげる。フクロウはどう?」

「えっ!?」

 

 トムの頬が俄かに赤く染まった。

 

「そんなことしなくていいよ! おばあちゃんに万年筆貰ったしさ」

「それとこれは別。フクロウは郵便を運んでくれるんでしょ? とても便利だし、可愛いと思わない?」

 

 そう言うと、ニュートが「フクロウを買うなら、イーロップのふくろう百貨店が一番だ」と紹介してくれた。店のサイズ的には他の店と変わりなかったけど、百貨店と称するだけあり、店のいたるところにフクロウが止まっていた。まだ昼間だというのに、何匹ものフクロウの目が宝石のように輝き、くるくる回っている―――。さて、ニュートは百貨店のオーナーと知り合いらしく、フクロウを割引きしてもらえることになった。オーナーとニュートは「大陸横断向けの長距離フクロウを入荷したんだ」とか「ホグワーツの学生向けのフクロウならこのあたりだけど、もうちょっと長い距離を飛ばすなら――」とか色々と話し合っていた。トムは説明に対して一心不乱に耳を傾け、フクロウを吟味していく。

 

 最終的には、モリフクロウを購入していた。

 シロフクロウとかなり悩んでいたが、最終的な決め手になったのは、モリフクロウの方は英国に生息しているということだった。

 

「白いフクロウでも良かったのよ」

 

 私が尋ねると、トムはにこやかに首を振った。

 

「だって、シロフクロウはイングランドにいないじゃないか。このあたりに生息してないフクロウが、何度も何度も家に来たら、周りの人たちに怪しまれるよ」

 

 なんとも現実的な選択……。

 トムは籠の中で茶色のフクロウが羽に頭を突っ込み、ぐっすりと眠り込む姿を楽しそうに見つめていた。

 

「これで、あとは杖だけだね」

 

 ニュートが最後に案内してくれたのは、「オリバンダーの店」だった。狭くてみすぼらしい店構えだったが、剝がれかかった金色の文字で「オリバンダーの店――紀元前382年創業 高級杖メーカー」と記されていることに歴史を感じた。

 

「……あー、僕、用事があるから。二人で入って」

 

 ニュートは店に入ってくれなかった。

 仕方なしに、私とトムで店に入る。中に入ると、奥の方でベルが鳴った。

 

「いらっしゃいませ」

 

 迎え入れてくれたのは、大人しそうな男性だった。オリバンダーって老人のイメージがあったから、こうして若い姿の人が出てくると拍子抜けがする。

 

「ああ、君はホグワーツに入学するのかい? 名前を聞いても?」

「トム・リドルです。スペルはTHOM」

「つまり、マグル生まれの子だね?」

 

 トムは頷いた。

 

「どんな杖があるの?」

「ここには、ありとあらゆる杖がある。だけど、ひとつ――忘れてはいけないのは、君が杖を選ぶのではない。杖が君を選ぶんだ」

 

 すると、若いオリバンダーは巻き尺を取り出し、トムの方から指先、手首から肘、肩から足元など制服を採寸するかのように測り始めた。

 

「リドルさん。杖は一本一本、材質も芯も違います。ここにある杖は何百もあるが、ひとつとして同じ杖はありません。もちろん、他の魔法使いの杖を使っても、決して自分の杖ほどの力は出せないというわけです」

「僕、杖を使わないでも魔法を使えます」

「杖は相棒ですよ。杖は正しい主人の力を十分に引き出すことができるのです」

 

 オリバンダーは巻き尺をしまうと、にこりと笑った。そして、自身の杖を軽く振り、一本の箱を呼び寄せる。

 

「これを試してください。黒檀にドラゴンの心臓の琴線。23センチ、良質でしなりがよい」

 

 トムは杖を手に取り、軽く振った。しかし、なにも起きない。

 

「ああ、違うな。では、こちらは? ニワトコにユニコーンのたてがみ、25センチ」

 

 オリバンダーは杖を取り上げると、他の杖を勧めてくる。だが、どれも同じだった。何本試しても、オリバンダー的にしっくりくる杖がないらしい。五分、十分と時間が経過し、ニ十分も経つ頃には杖の箱の山が椅子に積み上がっていた。

 

「難しい……難しい。だけど、心配しなさるな。必ず見つけてみせる」

「あの、やっぱり、僕は杖なんてなくても……」

「それは駄目だ。私のプライドが許さない!」

 

 オリバンダーは激しく告げると、比較的真新しい箱を取り出した。

 

「これはどうだ! 34センチ、イチイに不死鳥の尾羽根! ちょっと長いかもしれないが、これなら良いはずだ!」

 

 すると、どうしたことだろう!

 トムが杖を持った瞬間、店の空気が一変した。窓なんて開いていないのに、ちょっと埃っぽかった空気が一掃され、深い森の奥にいるかのように澄んだのを感じた。それと同時に杖先から緑と白銀の火花が花火のように流れだし、光りながら古びた壁に反射する。

 

「素晴らしい! 実に素晴らしい! それが君の杖だ。杖は君を主人に選んだ。イチイの杖は生と死にまつわる力を持ち主に与えるという。くれぐれも正しく使いなさい」

「生と死……か」

 

 トムの顔に複雑な色が一瞬過ったが、すぐに杖を手にした喜びに戻った。

 

 そういえば、原作のヴォルデモートの杖も不死鳥の尾羽根だった。

 材質まで覚えていないけど、もしかしたら同じものだったのかな?

 ちなみに、杖は7ガリオン。35ポンドはちょっとした出費だったけど、一生使うと考えたら安い買い物だ。

 

「アイリス、お金は大丈夫? 僕のヴァイオリンで稼いだお金から出しても――」

「心配しないの。大丈夫だから。それに、そのお金はいざってときのためにとっておきなさい」

 

 オリバンダーの店を出たときには、夕暮れ時。

 蜜色に染まったダイアゴン横丁を歩きながら、私はトムに言い聞かせる。

 

「あと、1か月か……」

 

 私は呟いていた。

 9月になったら、トムは出発してしまう。そう考えると、ひどく冷たい風が胸の内に吹いた。

 

「大丈夫だよ。僕、手紙を送るからさ。毎週送ろうか?」

 

 トムが冗談っぽく笑うと、自分のフクロウに目を落とした。

 

「こいつの名前、どうしようかな。ねぇ、アイリス! エンラクみたいにさ、ジャパンの音楽用語でいい感じのものない?」

 

 トムがきらきらとした眼差しを向けてくるが、私は曖昧に笑った。

 

「そうね……考えておくわ」

「あ、アイリス。いま、本当は思いついてるでしょ? 目、逸らしたから!」

「良い案は思いつかないのよー」

 

 だって、歌丸とか口が裂けても言えるわけがない。そもそも、音楽用語ではない。私が言葉を濁すと、トムは不貞腐れたように口を尖らせた。

 

「だから、良い案かどうかは僕が決めるから!」

 

 

 ダイアゴン横丁の中心に、二人の影が長く伸びる。

 トムとの会話を楽しみながら、私たちは帰路に就くのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 次の更新は6月16日(日)の17時前後を予定しております。
(前回、次回の更新予定が16日になっていました。……誤字です。勘違いをさせてしまい、申し訳ありませんでした。
 次回は間違いなく16日(日)に更新しますので、ご安心ください)

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