●1939年 3月4日
トム、ヴァイオリンのレッスンのために帰宅。
私は気になっていたことを尋ねてみた。
「トムたちの音楽はロックなの? それとも、ヘヴィーメタル?」
だけど、これは失敗。
トムは珍しく首を傾げ、眉を寄せた。
「ごめん。よく分からない。聞き取れなかったのかもしれないから、もう一度お願い」
ここでようやく「ロック」も「ヘヴィーメタル」も誕生する前だと察した。
トムの専門はヴァイオリンのクラシック曲だが、先生に勧められて音楽史の勉強もしている。それなのに、ロックもヘヴィーメタルも知らないなんてありえない。余計なことを言ってしまった、と反省したが、もうどうすることもできない。かといって、ここで「なんでもない」と答えることは逆効果だ。
私は少し迷った末、こう返すことにした。
「アメリカンなスタイルなのって聞きたかったの。ほら、かの国は伝統にとらわれない演奏をするって聞いたことがあって。トムたちのグループの名前は古典的ではないでしょ?」
「そういうことか」
トムは納得したように頷いた。
「アメリカは意識しなかったな。僕は僕たちの音楽にふさわしい名前をつけただけだよ。理解できないのは、時代が追い付いていないだけさ。そりゃ、スラグホーン教授はあまり良い顔をしなかったけど……『もう少し優雅な名前をつけるのはどうだろう? 私が命名してもいいが……』って」
そのあと「スラグホーン教授は分かってないんだよな」と続けていたが、私的にはスラグホーンに同意する。スラグホーンが口の髭をひくひくさせ、青汁を飲み込んだような苦い表情をしていることが容易に想像ついた。スラグホーンならどのように命名をしたのか気になるところではある。
「トム。演奏もその……時代が追い付いてない感じなの?」
「良い演奏は時代を超えるんだ」
トムはにやっと得意げに笑った。
「アイリスにも分かりやすく表現するとそうだな……全体的にジャズっぽいかもしれない。トランペットとドラムはないけど……演奏はスラグホーン教授も手を叩いて絶賛していたよ。教授とマルフォイ先輩が気に入ってくれてね、『三本の箒』で演奏できないか動いてくれているんだ」
「ホグズミード村の?」
「本当は3年生以上しか行けないんだけど、一日だけ特別に許可してもらえるように働きかけてるんだ」
「三本の箒」でライブができるくらいには、良い音楽なのだろう。いくらトムが教授のお気に入りでも、彼の気に入らない曲は演奏させないはず。そこには、ちょっとだけ安堵する。「お前も蝋人形にしてやろうか!」みたいな音楽グループだったらどうしようかと思った……。
「私も聴きに行きたいな……」
「本当!? オミニスさんが聴きに来てくれるから、アイリスも連れて来てもらえるか尋ねてみるよ!」
「オミニスさんが?」
私は少し驚いた。
オミニスとは一度会ったっきりで、クリスマスのカードをやりとりする程度の交流しかしていない。そりゃ、そうか。私はあくまで養母であり、オミニスにとって血の繋がりがあるのは、私ではなくトム・リドルだ。トムがまっとうなスリザリンの継承者に成長しているか、自分で確認しているのだろう。
「たまに学校に来るんだ。僕がちゃんと学業に励んでいるか気になるんだって。ホグワーツは彼の住んでいるフェルドクロフト村から近いから、足を運びやすいらしいよ」
トムはそれだけ言うと、テーブルに置かれた新聞に目を移した。すると、一面に大きく特集されたニュースに目が点になる。
「カーター、死んだの?」
「ん? ええ、そうみたいね。私も驚いたわ」
ハワード・カーターはツタンカーメンの陵墓を発掘した考古学者で、3日に亡くなった。そのことに関する特集が組まれているらしい。他の関係者たちは次々と不吉な死に方を迎えたのに、この人だけ生きることができた。
「そういえば、昔……王家の呪いについて話したことがあったね」
ずっと昔、ストーンヘンジへ旅行したとき、帰りの電車で話し合った。いま、日記を確認してみたけど、その記述はない。あまりにもとりとめのない会話だったから、残しておかなかったんだな……と思うと、ちょっと切なくなった。
「実際のところ、王家の呪いはあるの?」
「墓荒らしを攻撃する呪いはあるよ、魔法史の教科書に書いてあった。……カーナヴォン卿がファラオの呪いにやられたのかは知らないけど……忘却術の歴史とか調べれば、なにか分かるかもしれない。調べてみようかな……」
トムはそのあともなにか言おうとしていたが、レッスンの時間が迫っていたので話は切り上げ。
レッスンは特に語ることもないかな。いつも通り、完璧な仕上がり。ホグワーツの勉強や課外活動の数々に励みながらも、ヴァイオリンの精度を落とすことなく、むしろ、高めているのは感心する。
先生は「やっぱり、いまからでも音楽院に来ないか?」としきりに勧めていた。それから、レコードの依頼が来ていることも。トムの演奏をレコードで売り出す企画を申し込まれたらしい。それも、アビー・ロード・スタジオで録音するそうなのだ!
「構わないよ。海外でも売り出すんでしょ?」
トムは快諾していた。
こういうことは面倒だと断ると思ったのに、意外にも乗り気で話を聞いている。あっという間に話を進め、4月にレコーディングをして、6月には発売する流れになった。いや、曲は!? って思ったけど、それは既にリストアップされているし、トムも問題ないそうだ。実に手際のよいことで……。
「カーネギーホールで演奏しないか、という話も来ているが……それは止めておくかい?」
「成人するまで国内のみと決めていますので」
さすがのトムも「カーネギーホール」の名前を聞いたときは、驚いたのか目を瞬かせていた。
あと、当然のことだが「死喰い人」の話はしなかった。事情を知らない一般マグルからしたら、突っ込みどころあり過ぎる話である……。間違っても、マグルの世界ではデビューしないだろうしさ。
それにしても、アビー・ロード・スタジオか!
たしか、マッシュルームカットのグループで有名なところだよね? 今度こそ、トムの前で口を滑らせないように注意しないと……!
余談だけど、トムから一足早い「母の日」のプレゼントをもらった。
去年は私のために演奏をしてくれたけど、今年はカーネーションの花を貰った。
「アイリスのために、木の枝を変身させたんだ! ほら、ここ見て」
トムに言われて、カーネーションの切り口を注視する。すると、そこにはカーネーションのものとは思えない丸い葉っぱがついていた。
「わざと残したんだ。魔法で変身させたって分かるようにね」
トムは得意げに鼻を鳴らす。こころなしか「わざと」を強調しているように聞こえる。トムのこういうところ、昔から変わらないな……なんだか、微笑ましい。
「ありがとう、大事にするね」
カーネーションはお気に入りの一輪挿しに活けた。いまも仕事机の上で咲いている。素敵な贈り物を貰った記念に、花弁を一枚だけ栞にしようかな。
●1939年 3月×日
やっと日記を書ける時間ができた……。
自分の気持ちの整理もかねて、努めて冷静に。
えっと……そうそう、N.Wさんに会った。
ホワイト氏から貰った名刺によると、「チェコスロバキア難民委員会」のロンドン支部の一番偉い人らしい。とりあえず電話でアポをとり、連絡先に書かれた住所に行ってみて唖然とした。だって、そこはロンドン郊外のハムステッドの一軒家。どこからどう見ても、裕福な一軒家……「チェコスロバキア難民委員会ロンドン支部 児童課」には思えなかった。せっかく会う約束を取り付けたというのに、私は騙されたのかなと庭先で途方に暮れていると、玄関の扉が開いた。
「お約束いただいたリドルさん?」
現れたのは、初老の小奇麗な女性だった。ほんの一瞬、ちょっと目元がベラトリックス・レストレンジと似ていると感じた。もちろん、それは錯覚。彼女の目はとても柔らかく、どこまでも優しい雰囲気で満ちていた。
彼女はN.Wの母と名乗り、本人はあと少しで帰ってくるので中で待つように言った。家のなかも当然というか、普通の住居で、落ち着いたリビングに通された。絶対に政府非公認の団体だ。ホワイト氏に騙されたのではないだろうか? 私のなかで不安はどんどん募っていった。
さて、Nの第一印象は誠実そうな人だと感じた。
私が「どのような活動をしているのか、詳しく知ってから寄付したい」と伝えると、とあるカードを取り出した。長方形のカードには、8人の子どもの写真がきっちり並べられている。どの子もあどけない表情を浮かべているのに、規格通りに並べられたそれは履歴書に貼る証明写真のようだ。そんなカードが何十枚も重なっている。
「全員が救助を待つ子どもたちです。まだまだたくさんいます」
そう言うと、彼は切り取っていない写真の山を見せてくれた。
「子ども1人につき、50ポンドの保証金と受け入れてくれる里親が必要になるのですが、資金が足りません」
「このバツ印は?」
写真の上についた✕印について触れると、それは行き先が決まった子だと教えてくれた。だけど、✕印がついた子はほんとうに少ない。いつから活動を始めたのかと聞けば、昨年の12月からだそうだ。
「最初の救出は母の日に決行されます。まずは20人……チェコスロバキアを脱出し、2日後にリバプール・ストリート駅に到着する予定です」
「実際の活動を見てから、寄付するか考えます」
「ぜひ!」
……それで、私はリバプール・ストリート駅に行った。
なにもせずに見ているだけは申し訳ないので、里親たちの整理をしたり、引き渡しリストの確認を手伝ったりした。20組の里親たちも、NもNの母親も誰もがそわそわとしている。
そのうちに、国際列車が少し遅れて到着した。一般の客たちに混じって、20人の子どもたちが大人に引率されてわらわらと降りる姿が目に入った。期待に目を輝かせる子、不安そうに俯いている子、駅構内の様子が無性に気になっているような子……全員に共通しているのは、数字が印刷された名札を首から下げていることで、その光景を見た瞬間、頭に電流が走った。
これは、パディントンの元になった出来事だ。
くまのパディントンは、ペルーから遠路はるばるロンドンへやって来る。そのとき、首から「この子をよろしくお願いします」と書かれた札をさげていたのだ。実際に比べてみると、いま目の前の子どもたちの札と、パディントンが実写映画でつけていた札はそっくりで……思えばこの瞬間、私はこの団体を信用することに決めたのだ。
実際、救出する場面を目撃したわけだし……事務所や従業員の数はともかく、これはちゃんとした活動だ。私が今の今まで知らなかっただけで、歴史の1ページになる出来事のような気がしてならない。
ひとまず、10ポンド寄付してきた。
本当は50ポンドをポンっと寄付するのが良いのだろうけど、そこまでのお金はすぐに用意できない。でも、資金がないよりはましだろう。これで、一人でも多くの子どもが救えることを祈る。
それから、もう一つ。
まだ悩んでいる途中だけど……一人、難民の子を引き取ろうかと思っている。
そりゃ、子どもはお金がかかるけど……トムの幼少期の服が残ってるし、部屋だって余っている。里親になる条件は、子どもたちを親元に返せる状態になるか17歳になるまで面倒を見ると約束すること……それだけだ。難民の子と同じ宗教でなくても良いらしく、チェコ語を話せなくても引き取ることはできるらしい。
それなら、私でも里親ができるかも……って考えたのだけど、問題はトムだ。
トムが賛成するとは思えない。だいたい、引き取る子は100%マグルの子だ。魔法の存在を明かせないし、その子が魔法を受け入れてくれるかどうか自信が持てない。だって、実際にその子と話して引き取るか否か決めるわけではなく、たった1枚の顔写真しか手がかりがないのだ。
だけど、ここで「引き取らない」という選択は取れない。
だって、想像してしまったのだ。
N.Wが見せてくれた1000枚を超す膨大な数の子どもの顔写真……あどけない笑顔の子どもたちは、誰かが里親として引き取らなければ、数年以内にほぼ間違いなく命を落とすのだ。それも安らかな死ではない。狭い部屋にぎゅうぎゅうに圧しこめられた状態で、毒ガスで苦しみ、喘ぎ、少しでも酸素を吸おうと藻掻く人々に潰されて……ああ、これ以上の想像はできない。
なにもできないなら、考えないように努めることができた。
でも、いまの私なら一人でも救えるかもしれない。それを都合をつけて見て見ぬふりは……私にはできない。もし、ここで寄付だけして終わりにしたら……死ぬまで後悔することになる。
トムをどうやって説得しよう……。
母の日のカーネーションを見ながら、今日も考える。良い案は浮かばない。しかしながら、長々と考えている時間はない。
ドイツがミュンヘン協定を破り、チェコスロバキアに侵攻して全土を占領してしまった。
ポーランドに攻め込むのも時間の問題だ。さすがに、ポーランドに攻め込んだら……我が英国やフランスはドイツに宣戦布告する。つまり、ドイツから難民を救助することが不可能になってしまうのだ。
残された時間は、あとわずか。
4月のレッスンまでに、どうにかして説得材料を集めないと……。
ヘレンおばあちゃんも家に電話を引いたみたいだし、相談してみようかな……いや、こっそり訪ねて、顔を合わせて相談しに行こう。
あー、でも、おばあちゃんも「やめなさい」って言いそう……。
どこの子かもわからない子を引き取るなんて、正気の沙汰じゃないって……。
……悩みは募るばかり。
私に前世の知識がなければ、他人任せにできたのだろうな……と苦笑いをしてしまう。知らなければ「大変だな。可哀想だな。でも、私にはどうすることもできないから」で終わらせてしまっていたかもしれない。
ひとまず、寝ることにする。
朝起きたら、良い案が思い浮かんでいるかもしれない。
次回更新は7月26日(金)を予定しております。