●1939年11月〇日
ダンブルドアと会うのは、数か月ぶりだ。
こんな忙しいときに時間を作っていただいて、本当に申し訳ない……。
魔法界は、グリンデルバルドとの全面戦争中である。ダンブルドアといえば、ファンタビ2の時点から「グリンデルバルドが唯一恐れる魔法使い」として有名だった。戦争真っただ中の現在、関係各所から「どうしてホグワーツから出てこないのか」と怒りの吼えメールがひっきりなしに届いてもおかしくないだろう。
しかも、今日は平日。仕事帰りに時間を割いて来ていただくこと、確定である。
実際、西の空が橙色に染まり始めた頃、ダンブルドアが玄関口に現れた。洒落た帽子を被り、スーツを着込んだ姿は、すっかりマグルの世界に溶け込んでいる。通りを歩く人たちは、彼が魔法使いだと誰も信じないだろう。
「お忙しいときなのに、ありがとうございます」
私が招き入れると、ダンブルドアは気にしてないとばかりに微笑んでいた。
「この曜日は授業が一時間早く終わるからね。それに、他でもない君の頼みだ」
リビングに通すと、エンラクがきゃんきゃん吼えながら駆け寄ってきた――と思ったら、私を素通りして、ダンブルドアに一直線。遊んで、遊んで!と言わんばかりに、長い脚の間をぴょんぴょん跳ねまくる。
「こ、こら! すみません!」
エンラクは魔法使いのお客さんが来ると、いつもこうだ。
モーリスとかマグルの友人が来るときは、警戒するように吼えるのに……あれか? 魔法使いとマグルとで体臭が違うとか?
「いや、気にしてないよ。利発そうな犬だ。名前は?」
ダンブルドアがエンラクを撫でながら尋ねてきた。エンラクはすっかり腹を見せて、尻尾をふりふり振っている。
「エンラクです」
「名付け親はトムかな?」
「東アジアの伝統的な曲で、越天楽というものがあるらしくて……それを縮めたものですわ」
実際のところ、名付け親は私みたいなものだが……まあいいか。決めたのは、トムである。
「エテンラク……不思議な響きだ」
ダンブルドアは何度か頷いていた。
その間にも、エンラクはダンブルドアに指示された芸――おすわり、伏せ、ハイタッチなどを軽々とこなしていく。数分もすれば、エンラクはすっかり満足したようで、一度だけ吼えると、いつもの定位置に戻っていった。
「そういえば、今日は珍しいものを持ってきた。いつも、君にレモンキャンディーを貰っているからね。気に入るといいが……」
ダンブルドアはそう言うと、上着のポケットから壺のような瓶を取り出した。ポケットといっても、手がすっぽりと収まる程度の狭さしかない。そんなポケットに瓶が入る隙間など考えられず、ニュートのトランクと同じ魔法をかけているのかもしれなかった。
「
真っ赤なラベルのかけられた壺を模した瓶を一目見て、私は少しばかり驚いてしまった。まさか、アルバス・ダンブルドアのポケットから、名前を知っている酒が出てくるとは思わなった……。
とはいっても、私は紹興酒自体そこまで好きではない。どちらかといえば、苦手である。前世で友だちと中華街に行ったとき、物は試しと飲んではみたものの、どことなく薬っぽい風味にギブアップしてしまった苦い思い出があるのだ。
「ご存じだったかな?」
「昔、一度飲んだことがありまして……チャイナタウン経由で仕入れた安物ですけど」
「なるほど……だが、その様子を見るかぎり、あまり気に召さなかったようだ」
「い、いえ、そんなことは……! あくまで、安物でしたので! 先生が用意してくれた品は、とても高級そうに見えます!」
私は急いで取り繕う。
ダンブルドアが好意で持ってきてくれた品に対し、「実は嫌いです」なんて口が裂けても言えるわけがない。しかし、そんな私の反応を見て、ダンブルドアは悪戯っぽく笑った。
「実は、もう1本持ってきていてね」
ダンブルドアは頬笑みを絶やすことなく言うと、今度はネックの長い瓶を取り出した。
「ライアンの最高級オーク樽熟成蜂蜜酒だ。こちらなら気に入るだろう」
「
そう答えると、ダンブルドアの笑みが深まった。杖を流れるように一振りだけすると、どこからともなくグラスが2つ現れる。グラスに目を奪われている間に、いつのまにか瓶も宙に浮かんでいた。瓶が傾いて、2つのグラスに蜂蜜色の液体をたっぷり注ぎ入れる。
「乾杯」
ダンブルドアはグラスを手に取ると、そのまま会釈するように挙げた。
私もそれに倣って、もう1つのグラスを捕まえる。
「それでは、ありがたくいただきます」
一口、すすってみる。
これが、実に上品で美味しかった。蜂蜜酒特有の甘さはあったけどくどすぎず、とても舌触りが良い。ほのかに爽やかな木の風味も感じるのは、オーク樽で熟成したからだろう。ダンブルドアも「最高級」と口にしていたが、納得の酒である。前世風に例えるなら、新年の格付けチェックに出されるレベルに違いない。
もう一口、今度は舌で転がすように味わっていると、ダンブルドアが話しかけてきた。
「おばあさまが亡くなったと聞いたが……気落ちされたことだろう」
「思ったよりは落ち込みませんでしたわ。年齢も年齢でしたから、覚悟はできていましたもの」
「失礼だが、おいくつだったのか聞いても?」
「88歳でした」
私が言うと、ダンブルドアの顔色が曇った。
米寿まで生きたので、十分長生きだったと答えようと思ったけど、イギリスに米寿に相当する言葉がないので言い淀んでしまう。なんとか次の言葉を絞り出すまでに、数秒ほど時を有してしまった。
「……ですが、祖母は長生きしたと思いますわ。最期の数年間は、夏を共に過ごすことができましたし……血は繋がってませんが、ひ孫の顔を見せることができました」
「……そうか。いや、失礼。マグルと魔法族の寿命が異なることを失念していてね」
「え? そうなんですか?」
少しばかし驚き、きょとんとしてしまう。
「魔法省の発表によると、魔法族の平均寿命は137歳と数か月だ」
「137歳……!?」
あんぐり口を開けてしまう。
まさかの130歳を超えてくるとは……。ギネス記録の最高齢の方より、はるかに長生きであるとは思いもしなかった。いや、よく考えれば分かることだ。いまもバリバリ現役なダンブルドアが、ハリーたちの時代――すなわち、1990年代も現役だった時点で、平均寿命はマグルのそれとは異なることは明らかである。
「トムも同じくらい長生きするんですね……」
また一口、蜂蜜酒を飲みながら、しみじみと呟いていた。
70歳のヴォルデモートは想像できるけど、70歳のトムを思い浮かべるのは難しかった。スキンヘッドと蛇のような鼻にはならない人生を送っているはずだから、整った顔のまま年を重ねていることを願いたい。
ただ、ここまで寿命が違うのであれば、トムがマグルの世界で生きるのは大変だろう。
若いうちはいいけど、老年期にさしかかるにつれて、一般的なマグルの老人との差異が浮き彫りになってくるだろうし、あるときを境に表舞台から完全に姿を消さないといけない。「マグルとしてのトム・リドル」の死を偽装することだって、いずれは必要になってくる。
もちろん、気が遠くなるくらい未来の話だけど。
そのあと、しばらく雑談をする。トムの子どもの頃の話とか、ヴァイオリンを始めたキッカケとか、そういう他愛もない話題……ダンブルドアも最近のトムの学校での様子を教えてくれた。ダンブルドア曰く、トムたちの「死喰い人」はホグワーツで大人気らしく、ちょっとしたファンクラブまで組織されているそうだ。死喰い人の活動をしながらも、勉学を怠ることもなく、全科目1位をキープしているらしい。
「あそこまで人気を極めれば、調子に乗ってしまうことも多いが、トムはどこまでも謙虚な姿勢を崩さない。あなたの教育の賜物だ」
「いえいえ、そんなことはないですよ」
私は恥ずかしさを誤魔化すように、蜂蜜酒を一気に飲み干した。
「すべてはトムが努力した結果です。私がしたことは、特に何も……しいていうなら、やってはいけないことを教えたことくらいです」
「やってはいけないこと?」
「当たり前のことですよ。公共の場では人を不快にさせないとか、悪い言葉遣いをしないとか、人の物を奪うのはいけないとか、相手が動物であっても、嫌がることをやらないとか……」
「動物?」
ダンブルドアが聞き返して来たので、私は蜂蜜酒を自分のグラスに注ぎながら頷いた。
「ずっと昔……トムを引き取ったばかりの頃、ロンドン動物園に行ったんですよ」
私は例の『熊のウィニー事件」について語った。
ずっと昔のことなのに、昨日のことのように思い出せるのは、トムが動物と触れ合うたびに想起する出来事だからだろう。
「いまとなっては、すっかり動物好きな子になりましたけど、あの頃は悩んだものです」
「そういうことがあったとは」
ダンブルドアは眼を興味深そうに細めていた。
私も蜂蜜酒を飲みながら、懐かしさに浸っていたけど、いつのまにか部屋の灯りがついていたことに気づき、はっと我に返る。時計に目を向ければ、飲み始めてから2時間以上が経過しようとしていた。
「も、申し訳ありません! 本題がまだでしたね!」
さあっと血の気が引いていく。
ダンブルドアが貴重な時間を割いてくれたというのに、2時間もぐだぐだと無駄話をしてしまった。申し訳ない気持ちでいっぱいになり、すっかり酔いが醒めた。
「引っ越しのことですけど……」
「私は良いと思う。だが、1つだけ……条件を付けさせてくれ」
ダンブルドアは先ほどまでのリラックスしたものとは変わり、どこまでも真剣な表情で言った。
「条件とは?」
そう聞き返す自分の背筋は、自然とまっすぐ伸びていた。
「これまで通り、出かけるときは事前にナティへ知らせることでしょうか?」
「それも引っ越しまで続けてもらいたいが、問題はナティのことだ」
ダンブルドアは静かに話し始めた。
「いままでは、ナティが貴方の護衛として隣に住んできた。ナティが護衛に付けないときは、他の信用のおける魔法使いが護衛についている。だが、今度の住まいはそうもいかない。人の出入りが目立つ田舎町だ。もちろん、魔法で近所の人を強引に新天地に移住させることは可能だが……」
「できれば、やめてほしいです」
それをしたら、トムも絶対に勘づく。
マグルの世界で暮らしていた頃でも怪しみそうだが、いまの彼はホグワーツに通い、魔法界の常識を身につけ始めている。魔法使いがマグルの街に住んでいる時点で違和感があるだろうし、わざわざ自分の家の隣に引っ越してくるとなると「なにか裏があるのではないか」と怪しむはずだ。
「だからといって、これ以上……ナティの生活を犠牲にさせるのは……彼女とは良好な関係を築けていると思いますが、マグルの生活に溶け込むことを苦労していたように思いますので」
「そこで、提案がある」
ダンブルドアは、ひょいっと杖を振るった。
瞬間、バチンっと大きな音がして、リビングの絨毯に奇妙な生物が現れた。蝙蝠のような巨大な耳にテニスボールみたいな大きな目、ふさふさの白い眉毛と顎に髭を生やした生き物が、うやうやしくお辞儀をしている。間違いない、屋敷しもべ妖精だ。しもべ妖精はどことなく汚れたボロを纏う印象を抱いていたけど、私の前に現れたのは質の良さそうなタータンチェックの布を細い体に巻き付けている。
「ディークだ」
ダンブルドアは友人を紹介するような口調で言った。
「ホグワーツに長年仕える屋敷しもべ妖精で、私の友人でもある。護衛としても優秀だ。彼を貴方とトムの家に住み込みで滞在させてほしい」
「私は構いませんけど……いろいろと大丈夫でしょうか?」
私はダンブルドアとディークと表情を交互に見比べる。
「トムにはなんて説明したら……それに、近所の方に見られてしまったら……」
「奥様、その心配はございません」
ディークは朗らかな笑顔で言い切った。
「ディークは姿を隠して働くことが得意であります。守りの魔法も得意ですし、どのような家事も雑事もお任せください」
「ですが……しもべ妖精は、魔法使いの屋敷で働くのでしょう? 私はマグルですし、そもそもお金持ちでもありませんわ」
「そこは心配ない」
ダンブルドアは悠然と頷いた。
「トムは由緒正しきスリザリンの直系子孫だ。旧家には、屋敷しもべ妖精が仕えても何も不思議ではない。ゴーントの小屋にも、二十年前までは屋敷しもべ妖精が仕えていたものだ。マールヴォロが妖精を八つ当たりで殺してしまってからは、あの家に仕えようと考える屋敷しもべ妖精はいなくなったが……いまは違う」
「そういうものでしょうか?」
私はなんとなく釈然としない思いだった。
「トムは賢い子です。絶対に怪しむと思いますわ」
「賢い子だからこそ、トムは受け入れる――この杖に賭けていい」
そう言われてしまえば、私は納得するしかなかった。ダンブルドアの言い分を、まったく理解していないけど……きっと、私には話せないけど、別の策があるに違いない。
「では、決まりだ」
ダンブルドアは立ち上がった。
私も急いで立ち上がり、彼を玄関まで見送った。
「またお会いするときまで」
こうして、ダンブルドアの訪問は終わった。
それにしても、しもべ妖精と同居か……緊張する。気をつけた方がいいことを調べようにも、私は魔法界の書物を気軽に読むことはできないし……。
疑問は多く残るけど、ダンブルドアが決めてくれたことだ。
まず、間違いはないだろう。
私はただ……自分のすべきことをするまでだ。
※
●1939年 11月△日
「オズの魔法使い」を観に行ってきた。
感動した……やっぱり、文句なしの往年の名作だ。冒頭のカンザスパートはモノクロ映画だったけど、トルネードに襲われて、オズの国に来てからは一変! 目が覚めるような色彩や鮮やかで不思議な世界観に、私を含めた観客全員は釘付けだった。いまはモノクロ映画が一般的だっただけに、この映画は魔法のように映ったことだろう。
音楽も最高だった……。
虹の彼方……ぜひ、トムに弾いて欲しい。きっと、涙が出るほど美しい旋律を奏でてくれるに違いなかった。
映画は素晴らしかったけど、ロンドンの雰囲気は最悪である。
通りに警官の姿が増え、軍人も多く見かけるようになった。窓をふさぐように砂袋が積み上げられ、鉄条網が巻かれている。トムとピクニックに訪れた公園にも防空壕が掘られ、空には防空気球が浮かんでいる。防空気球があれば、ドイツ機が襲って来ても低空で飛行することができず、高いところから爆弾を落とすことしかできない。すなわち、工場や場所を狙って攻撃されることを防ぐわけだが……その分、被害が拡大しそうな気もするし、そもそも本土が空襲されるような事態にしないでもらいたい。
きっと、誰もが同じことを考えている。
そんな現実から逃避するように、映画館に駆け込む人もいる気がした。
実際、私は空襲があると知っているし、この街並みがもう間もなく破壊されることも分かっている。私は通りの雰囲気を目に焼きつけるように眺めながら、おばあちゃんの家――いまはトムの家に向かうための列車に乗った。車窓から風景を眺めながら、これまでロンドンで過ごしてきた日々の思い出がぽろぽろと湧いてくる。それらがもう間もなく壊れてしまう。そう思うと、なんだか無性に泣き出したくなってしまった。
いまの家は、残しておこうと思う。
他の家と違って、人に貸す予定はなかった。ロンドンに住まいがあると、なにかと便利だし、私にとっても思い出の詰まった家なのだ。たとえ空襲で壊れてしまっても、いずれはまた住めるように直そうと考えるくらいには、あの家を大事にしたい。
家に戻ると、トムからの手紙が届いていた。
いつも通り、学校生活のことがつらつらと記されている。微笑ましいな、青春しているな、と読み進めていると、最後の一文にこのようなことが綴られていた。
『冬休み、アルファードたちとジョナサンに会いに行こうと思っているんだ。いつなら行ってもいいかな? 費用は自分のお小遣いから出すよ』
と。
子どもだけでフランス旅行!?
いや、トムたちは大丈夫だと思うけど、はたして安全なのだろうか? 詳しく話を聞かないと、旅行の許可は出せない。
だけど、これは、ジョナサンを帰国させるチャンスかもしれない。
私が何通手紙で説得しても、まったくもって上手くいかないけど、トムが話してくれたら……良い方へ向かうかもしれなかった。あまりトムを利用したくないけど、またとない機会だ。
おばあちゃんを土葬する日に、トムが一度帰ってくる。
そのときまでにどうするか決めないと……。