●1931年 3月〇日
とりあえず、トムと魔法について話し合った。
基本的に魔法なんて存在しないのは、マグル世界の常識。そこから逸脱すれば、迫害されることは必至だ。現に、魔女狩りなんてものが存在したわけだし、第二次世界大戦に向けて世情が悪くなればなるほど、魔法なんて怪しげなものを使う者は白い目で見られる。
将来的に、そのあたりのことは、ホグワーツで習うのだろうけど、ホグワーツで習う前に迫害され、ロンドンを追い出されたらたまったものではない。そうなってしまったら、原作とは別ルートの「ヴォルデモート卿爆誕!」となってしまいそうだ。
「魔法は他の人が見ている前では使わないこと」
トムには、これを約束させた。
「どうして?」
トムは自分のマグカップを大事そうに握りながら、不思議そうに首を傾げる。
ああ、思い出すだけで可愛い……ではなくて!
「普通の人は、魔法を使えないわ。私もそうだけど……」
「僕はとくべつってことだね」
「まあ、そういうことになるわ。でも、特別な力をね、怖がる人はたくさんいるの」
とりあえず、中世の魔女狩りの資料を引っ張り出し、彼の前に提示することにした。
「魔法を使う人をつかまえて、火炙りにして殺してしまう時代があったのよ」
「それはおかしい」
トムはすぐに反論してきた。
「魔法がつかえるなら、からだがやけないようにできたはずだ」
これには、私も納得してしまった。
たしかに、火を防ぐ魔法くらいありそうだ。
「本物の魔法使いならできるかもしれないわ。だから、実際にこの時に『魔女』としてつかまったのは、本当は魔法がつかえない普通の人や魔法は使えるけど上手ではない人だったのかもしれないわね」
「魔法がつかえないヒトもころされたの?」
「それだけ、みんなが魔法を怖がったのよ」
私は、トムをさとすように落ち着いた口調で続けた。
「いまだってそうよ。普通の人は魔法を怖がると思うわ。科学で説明できないから」
「……孤児院のヒトたちもこわがってた」
トムは苦々しい顔で教えてくれた。
「あくまの子だって」
「それが普通の反応ね」
悪魔の子……孤児院の味方をするわけではないけど、トムが怒ったときや精神が不安定なときのみ超常現象が発動したとなれば、「悪魔の力だ」って怖がるのは当然かもしれない。
そういえば、ファンタビでは魔女狩りの団体が登場していた。あれでも孤児院を経営する養母が、クリーデンスを魔法を使えるから虐待していたっけ。
「本当は怖い力ではないのに、普通はみんな怖がるの。だから、私以外の人がいるときは使わないようにしてね」
トムは、ややあってから頷いてくれた。
「でも、僕は魔法をもっとためしたい」
「家のなかでなら」
そう答えると、トムは嬉しそうに表情を緩めた。
普段はむすっとした表情が多い分、嬉しそうな顔の破壊力はすざましいものだった。
ああ、可愛いかった!! ……ではなく! とりあえずは、魔法を外で使わないように約束することができた。これで、一安心かな。
「ねぇ、アイリス」
可愛さに悶えそうになる心を押し殺していると、トムはこんなことを尋ねてきた。
「アイリスはこわくないの?」
「え?」
「ふつうの人は、魔法をこわがるんでしょ? アイリスはこわくないの?」
「全然」
そりゃ、この世界に魔法があるって知ってたからね。実在するって確信したのは、二カ月前だけどさ。
そうでなくても、魔法は特に怖いとは思わなかった。
「魔法って憧れるもの。むしろ、トムが羨ましいわ。私も魔法を使ってみたい」
そんなことを言いながら、手のひらを天井に伸ばしてみる。
「あこがれてたの?」
「シンデレラの魔法使いは良い人でしょ? アーサー王を導いたマーリンだって、大魔法使いなんだから! ……ここだけの話、子どもの頃、箒にまたがって遊んでたのよ。本当に飛べたらいいなって」
もっとも、それは前世の話だけど。
掃除をさぼり、竹ぼうきにまたがって遊んでいるのを見つかって……母さんに怒られたっけ。もう前世の母さんの顔も朧げだけど、くだらないことばかりは覚えているものだ。
「アイリスは、空がとびたかったのか?」
「……ええ」
私は短く答えた。
「友だちと飛行クラブを設立したこともあったの。……自然消滅しちゃったけど」
いまでも、目を閉じると思いだす。
青い空を背景に、ブルーインパルスが編隊をなして飛んでいく――白い煙を吐きながら、青いキャンパスに綺麗な円を描いたり、機体すれすれを交差したりする様子は圧巻だった。ブルーインパルスが鳥のように自由自在に滑空するのはどこまでも美しくて、一目見たときから、私の胸の奥に空を飛ぶ願望を植えつけたのだと思う。
前世では視力が悪くてパイロットにはなれず、数学ができないので設計科を目指すこともできず、英語が壊滅的だったせいで客室乗務員にもなれなかった。
飛行機に乗りたくても、飛行機に乗れるだけの休みをとることもできなかったのは今でも悔しい。
だから、今世こそ!! とはりきった時期もあったけど、夢は夢で終わってしまった。
「そうなんだ」
トムは神妙な顔で頷いた。
「なら、僕がかなえてやる」
トムはさりげない口調で言った。
「魔法がつかえるから。アイリスを空につれていくよ」
このとき、私はずいぶんと間抜けた顔をしていたと思う。
だって、むかし……どこかで聞いたような言葉だったから。
「アイリス?」
トムには申し訳ないけど、笑ってしまった。
トムは馬鹿にされたのだと思ったのか、怒ったように眉間に皺を寄せた。
「うたがってるんだな!」
「いいえ、違うのよ」
私はなんとか笑いをこらえる。笑いすぎて目元に伝った涙を指でぬぐい、ごめんごめんと謝った。
「ありがとう。待ってるわ。でも、無理はしないでね」
トムが私を空に連れて行ってくれるのは……いつになるのだろう?
ホグワーツに入学して、箒で空を飛べるようになってから?
それとも、原作みたいに自力で空を飛べる魔法を開発するのだろうか? もし、自力で開発した魔法で空の旅へ連れて行ってくれるのなら……きっと、おばあさんになっているに違いない。
ああ、でも――それでも、空の旅へと連れて行ってくれるなら。
こんなに嬉しいことはない。
いつか、遠い未来。
この日のページを見返して、そんなこともあったなーと朗らかに微笑むことができますように。
※
●1931年 4月〇日
まったく、モーリスったら!!
トムに「お土産だよ」って、びっくり箱を渡すだなんて……!
私、トムのあんな冷たい目は初めて見た。
トムはモーリスからプレゼントを渡されたときは、こころなしか嬉しそうだったのに、箱の蓋をとった途端、びよーんっとありふれたピエロが飛び出したものだから……ものすごく冷ややかな目をしていた。
「ごめんごめん。もうやらないって」
モーリスはあはは、と笑っていたけど、トムがあまりにも……モーリスに対し、なめくじを見るような目つきをしていたから、笑い声はだんだん小さくなり、「ごめん、本当にもうやらないから」と真摯に謝っていた。
「トム、失礼よ」
あまりにもトムが冷たい目をしていたので、私は注意することにする。
「そのような目をしてはいけません」
「あいつ、ひどいことをしてきたんだぞ!」
案の定、トムはむすっとした顔で怒っていた。
「いじわるしたのは、あいつだ! どうして、僕がおこられるんだよ!」
「相手が謝っているのに、そういう態度だと嫌な気持ちになるわ。謝っている人も、私みたいに周りで見ている人も……悪いことをした相手もね、謝らなければよかったとさえ思えてしまうの。それに、そういう態度は紳士的ではないと思うわ」
お客さんといっても、モーリスは古くからの友人。
いまは大手の出版社に勤めていて、私の担当でもある。挿絵画家としての仕事が波に乗れたのも、ひとえに彼の協力のおかげだ。
今日、彼が我が家を訪れたのも原稿をとりに来たからである。
「……」
トムは黙りこくってしまった。
だが、彼なりに納得のいく部分があったらしく、ぷいっと顔を背けながらも怒りの空気は若干和らいでいた。そんなトムの姿を見て、モーリスは大きく肩を落とした。
「俺が悪かった。ごめんな、トム。お詫びに、なにか欲しいものはあるかい?」
「本!」
トムは即答した。
「まほうつかいの本がいい」
「魔法使いの本か!」
モーリスはちょっと驚いたように瞬きをした。
「意外だな。経済学の本でも欲しがるかと思った」
私は心底あきれ果ててしまった。
まったく、モーリスはトムを何歳だと思っているのだろう? トムは、まだ4歳になったばかりなのに。
「よし、セイラムの魔女裁判の本をプレゼントしよう」
「もっと夢のある本はないの?」
私はほとほと呆れてから、ふと――ひっかかりを覚えた。
セイラムの魔女裁判。どこかで聞き覚えがある。なんか、ハリポタシリーズと関りがあったような気が……。いま、こうして日記を書いている間も思い出すことができず、なんだかひどくむずかゆい思いだ。
セイラムの魔女裁判……。
アメリカの魔女裁判……。
あー! 思い出せないのが悔しい!!
明日、本屋で自分用に買って来よう!!