●1940年 2月◇日
新聞に「JAPAN」の文字があると、ついつい読み込んでしまう。
今日の場合は、2月10日に建国2600年が祝われたこと。これを記念して、バチカンの教皇様が天皇陛下に電報を送ったらしい。ただ、その内容は完全な祝辞ではなく、日中戦争を諫めるものだった。
いろいろと思うところはあるけど、一番驚いたのは日本が建国されてから2600年も経っていたことだ。「建国記念の日」だったっけ? 休日になっていたけど、実際に建国されて何年だったとか考えたこともなく、ただ学校や仕事が休みになって嬉しい! としか感じてなかった……。
そういえば、第二次大戦前は皇紀何年とか呼ばれてたんだっけ? 前世でおばあちゃんの家に遊びに行ったとき、おばあちゃんが教えてくれた。そんなことを今さらながら思い出す。こたつに足を入れながら、おばあちゃんが戦争時代の話を色々と教えてくれて、「神武、スイゼイ、安寧……」と歴代の天皇陛下の名前を次から次へ呪文のように唱えていた。
……そうだ、おばあちゃん。
おばあちゃんは、いまの日本にいるのかな? もし産まれていたら、私の方が年上だ。私がいておばあちゃんがいるのに、向こうは絶対に私のことを知らないし、年齢が逆転して、住んでいるところも異なるなんて、とても不思議な感じがする……。もし、おばあちゃんが存在するなら、未来で私が産まれることになるのだけど……なーんて、これまでも幾度か繰り返してきた妄想をしてみる。
おばあちゃんも私も存在しない。
だって、ここは前世とは違う。ハリー・ポッターの魔法が存在する世界だから。
そうそう、アメリカで「ピノキオ」が上映されたらしい。
こんなに古い映画だとは知らなかった……戦後の作品だと思い込んでいた。イギリスでも上映されるといいな。観に行けるかどうかは定かではないけど。
※
●1940年 3月〇日
イースター休暇、トムの慰問演奏に同行した。
とある海軍基地。
戦意向上の宣伝目的も兼ねてらしく、取材を行う新聞社も同行しての演奏会だった。記者曰く、政治的な思惑が色々絡み合っているそうで、そもそも慰問演奏自体に反感を持っている者も少なくないとか……。主に、ドイツと和平を結びたい者たちが今回の試みを渋っていたそうだ。そういうことを聞くと、なんというか……無理を言って断ればよかったなと思ってしまう。
道中、記者がトムに対していろいろな質問をしていた。
「学校生活はどう? 練習時間と学業の両立は大変? 全寮制だから、やっぱり家が恋しくなることもあるんじゃないのかな?」
これに対し、トムは余所行きの完璧な笑顔を浮かべ、こう返した。
「充実した学校生活を送っていますよ。放課後に気心の知れた友人たちと集まり、音楽を奏でるくらいには。……ですが、申し訳ありません。いまはインタビューに答える気にはなれません」
「どうして?」
「これから……いえ、すでに死に直面したであろう軍人さんたちを慰めるため、僕はヴァイオリンを弾きます。未成年の僕ができることは、これくらいしかありませんから……」
トムはわずかに目を伏せ、自身の胸に手を当てる。
「だから、集中したくて……いままでで最高の演奏を届けられるように。だから、どうか話しかけないでいただきたい」
記者は「なんて愛国心の強い少年だろう!」と感心していた。
トム……君、半分……いや、三分の一くらいは本心からの言葉だろうけど、残りは「面倒なインタビューに答える気はない」って気持ちだよね?
とはいえ、記者はそれ以降話しかけてくることはなくなった。トムは頬杖をつき、窓の外を眺めている。窓から春の日差しが差し込み、その物憂げな横顔は静かに照らされている。その姿は、まるで一枚の絵画になりそうだった。
私といえば、記者と楽しいおしゃべりなんてする気にはなれず、移動時間は本で時間を潰した。しばらくは車輪と車体の揺れる音だけが響く静かな空間だった。誰も話さなかった。もしかすると、記者は沈黙に耐えられなくなったのかもしれない。私が何冊めだったか忘れたけど、たしか「ル・バル」を読んでいたとき、記者が思い出したように、こんな話題を振ってきたのである。
「リドル夫人はフランスの小説を読まれるんですね。フランスといえば、ノストラダムスを知っていますか? 高名な予言者ですけど……」
「知ってはいますわ。でも、あまり信じていませんの」
「ですが、あの噂は本当だと思いますよ」
記者はこのことをずっと誰かと話したかったのだろう。目を爛々と輝かせると、声を潜めて言葉を続けた。
「ノストラダムスは国際連盟がドイツを説得できずに、挫折したことを予言してたんです。ご存じでしたか!?」
記者はノストラダムス信奉者による著作を手に、いろいろと説明をしてくれたけど……私としては、ノストラダムスに懐疑的である。実際、1999年に恐怖の大魔王はやって来なかった。もちろん、ここは魔法や予言者が実在する世界だけど、この世界でも同じだろう。もし「恐怖の大魔王」なんて存在が爆誕して世界が滅亡していたら、ハリーの子どもたちがキングズクロス駅から旅立つエンディングはなかったはずだ。
そういえば、後日談のミュージカルが日本に上陸するってニュースを見かけた気がする。いったい、どんな内容だったのかな? たしか、ハリーの子どもたちが主役って聞いたことがあるような気がするけど(解読不明の文章)…………長旅だったから、なんだか眠くなってきた。ミミズ文字になってる……私でも何を書いたか読めない。頭がぼんやりするし、あくびが止まらないや。
まだまだ書きたいことはあるけど、続きは明日の自分に託そう。
おやすみなさい。
●1940年 3月×日
トムの慰問演奏は文句なしの仕上がり。
ここで改めて語るまでもない。ただ、今回少し気になったのは、軍人の一人がトムの技法を恐れたことだ。
「君の演奏は神がかり過ぎている。魂を悪魔に売り渡したんじゃないか?」
そんなことを本気で口にし、十字を切る軍人がいたのである。
これにはトムも怒っていた。しかし、トムが反論する前に、他の軍人が言い返していた。
「俺には天使の声に聞こえたね。悪魔なんぞと契約してたら、もっと恐ろしいものになっているはずだよ」
これに賛同する声が多く、「トムが悪魔の手先だ」と恐れ震えていた軍人も納得したのか、だんだんと表情が和らぎ、トムが立ち去る前には「変なことを言ってすまなかった」と謝罪してもらえたけど……帰宅してから、トムはそのときのことを思い出し、ひどく腹を立てていた。
「ヴァイオリンは僕の実力だ。天使でも悪魔でも、ましてや魔法の力も借りてない」
トムはパイを食べながら話してくれたけど、フォークを突き刺すのに普段より力が入っていた。
「ホグワーツでもさ、たまにいるんだよ。僕が魔法の力を使って弾いてるって考える奴がね」
ため息交じりに言うと、ふらふらと足を揺らした。
「もしかして、スクリムジョール?」
「違うよ」
トムの手紙から想像したけど、彼からは即答で返事されてしまった。
「あいつはいつも突っかかってくるけど、そういうことは言わない。もちろん、ムーディも……そうだな、決闘クラブに入ってる連中にはいないな」
「それはどうして?」
「そうだな……例えば、スクリムジョールは断言してたよ。『トム・リドルが楽器を弾くときに魔法を使っているのだとすれば、あの程度の演奏ではすまされない!』ってね。褒め言葉として受け取ってる」
トムは皮肉っぽく笑っていたが、さっぱりとした表情に見えた。決闘クラブ「杖十字会」を通して、他寮の人たちとも良好な人間関係を築けているようで何よりである。
「それより、面倒なのは……」
トムは何かを口にしかけたが、思いとどまったように黙り込んでしまった。トムが話したくないのであれば無理強いしたくはないが、困っているなら無視できるはずがない。
「なにかあったの?」
「……ホグワーツにはさ、スリザリンが残した『秘密の部屋』があるらしいんだ。ほら、僕はスリザリンの末裔だって知っている人は知っているからさ……どこにあるか聞かれるんだよ、たまにだけど」
「秘密の部屋……!」
原作に登場した名称に、私の声は弾んでしまった。
だが、その反応はトムの気に召さなかったらしい。彼はますます目を細め、呆れたように息を吐いた。
「きっと碌なもんじゃない。ちゃんとした部屋なら、オミニスがとっくに教えてくれているよ」
「興味はないの?」
「そりゃ、まったくないといったら嘘になるけどさ……秘密の部屋には、なにかしらの怪物が封印されているらしいんだ。いったい、どんな魔法生物なのか気になる。ニュートなら知ってそうだけど……」
トムの声が次第に萎んでいく。
「いまは聞けないや。外国にいるんだって」
「どこに?」
「いろいろと。詳しくは書いてないけど……でも、もうじき英国に戻ってくるってさ。フランスに寄り道して、ユスフって人に会ってから、ひさしぶりに帰国するらしい。早く会いたいな」
トムは足をふらつかせたまま言った。
「ホグワーツにニュートのヒッポグリフが何頭か預けられているんだ。基本はケトルバーン先生が面倒を見てるけど、僕も世話してる」
「時間あるの?」
「時間は作るものだよ。本当にやりたいなら、どうにかして時間を作るべきだ」
トムは当たり前のことのように言ったが、私にはグサッと刺さった。「時間がない」と後回しにしていることが山ほどあるなんて、トムの前では口が裂けても言えないや……。
「でも、忙し過ぎないかしら? ちょっと多忙なんじゃない?」
トムはちょっぴり強情だ。やると決めたことは、決して手を抜かない。学業を疎かにするとは考えにくいが、日頃の予習と復習にヴァイオリンの練習が入るだけでも大変なのに、そこに「死喰い人」の活動とヒッポグリフの世話まで加わると、一日の時間を軽くオーバーしているように思えてならないのだ。
「まさか、魔法で時間を逆転させているとか……?」
「それはないよ」
トムは不貞腐れたように口を尖らせると、紅茶に角砂糖をポンっと落とした。
「時間を操る魔法は考えたことあるけど、ちょっと危険すぎる。下手に手を出したら、自分の寿命までとられかねない」
そう言うと、彼はスプーンで紅茶をかき混ぜ始めた。
「僕は24時間を効率的に使っているからね。いまのところ問題ないさ」
「そう? だけど、無理のし過ぎは禁物よ。身体を壊してからでは遅いから」
「アイリスは心配性だな。僕は子どもじゃないんだよ」
「私からしたら、まだまだ子どもよ」
私が呟くと、トムはむすっと頬を膨らませた。だが、その仕草が子どもっぽいと気づいたのか、すぐに頬を元の状態に戻したが、それでも、不機嫌そうに細められた目と足をふらつかせる動作は実に子どもらしい。
その姿を微笑ましく思いながら、私は祈るように告げた。
「……トム、ゆっくり大人になってね」
私のようなマグルと寿命が違うから、感じ方も違うかもしれない。
それでも、魔法使いは大人でいる期間が長い。魔法界の成人年齢は17歳。マグルよりも1年も早い。それだけ、早く大人になってしまう。あと数年もしないうちに、子どもらしいところは消えてしまう。本当は成長を喜ばなければならないのに、なんだか無性に惜しく、切ないくらい寂しかった。
「僕は早く大人になりたいけどな」
「焦らなくていいってことよ」
私も紅茶に砂糖を落とす。
久しぶりに砂糖入りの紅茶だったけど、いつもよりも舌に甘さが残った。
それから、トムとノストラダムスの話をした。
どうやら、記者の話に興味が少しあったらしい。
ノストラダムスは魔法史の教科書に出てくるらしいが、そこまで詳しく書かれていないようだった。少なくとも、マグルにも知られている予言のなかには嘘や作り話が混じっているらしく、信ぴょう性に欠けるのだとか。
「アイリスは占いとか予言とか信じてるよね」
トムに断言されたので、私は曖昧に返した。
「自分に都合の良いものは信じるよ」
そうしたら、「アイリスらしい」と笑われてしまった。私らしいのか? 日本人の大半はそうだと思うけど……いや、ここイギリスで、いまの私はイギリス人だった。
ともあれ、ノストラダムスの予言が魔法界でもそこまで有名でないなら「恐怖の大魔王」も降臨しないことだろう。一安心である。万が一、本当の予言で大魔王とやらが飛来しても、トムなら追い返しそうだけど。
そもそもの話、私が1999年7月まで長生きできるとは思えないけどね!
●1940年 3月31日
紙の配給が始まる。
モーリスの懸念が現実になってしまった。
「挿絵の仕事も少なくなったのに、日記などに紙を割くのももったいない」と思う時代が来るのだろうか……いや、これをやめる気は毛頭ない。これからは、豆粒サイズの文字を書いて綴ることにしようと思う。
●1940年 4月1日
ドイツがアメリカを手中に収めた!?
BBCのラジオを聴いていたら、そんなニュースが飛び込んできた!
いや、なにを書いているのか分からないけど、私も混乱している。端的に説明すると、ドイツの総統が「アメリカの起源はドイツであり、アメリカはドイツの保護領である」とか言い始め、アメリカが保護領になってしまったというのだ。
交通渋滞緩和のため、自由の女神が撤去される!?
ホワイトハウスがブラウンハウスに改名された!?
意味がまったく理解できない。
呆然としている間に、ニュースが終わってしまい、また聞こうと思っても、どこも史上最悪最低なニュースを流していない。
夢だったのかな? ディークに確認を取りたいけど、彼はこのとき庭の掃除をしてくれていたから分からなくて……。
「奥様、落ち着いてください。ディークは何かの間違いだと思いますよ」
ディークは混乱する私を気遣うように、甘いココアを入れてくれた。
それで少し落ち着いたけど……明日の朝刊を待つとしよう。そこですべてハッキリするはずだ。