トム・リドル育成計画!   作:寺町朱穂

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〇1940年7月 不安と傷痕

●1940年 7月〇日

 

 近所のマダムのお茶会に誘われた。

 マダムたちのお茶会は、ほとんど噂話。マダムたちって、本当におしゃべりが大好き。

 例えば、お茶会常連のペネロープ・アンダーソン夫人。彼女がいつも庭仕事に精を出しているのは、ずっと聞き耳を立てているから。家のなかで裁縫するときや家計簿をつけるときも常に窓の近くに腰を下ろし、前の道を通り過ぎる者はいないか目を光らせている。

 このあいだ、私が街道を通って郵便局に原稿を届けたときなんて、同じ道を帰ってくるや否や、夫人が家から飛び出して、

 

「ずいぶん大きな包みを持っていたけど、どこに送ったの? 疲れたでしょう。お茶を淹れるから休んで行ったら?」

 

 と、わざわざ聴いてくるほど。

 まあ、噂好きな一面がなければ、気の良い人なんだけどね……。

 他にも、牧師館の隣に居を構えるミセス・ベーコンは、牧師館のことならなんでもお見通し。さながら自分の家のように、なかで起きた牧師家族のいざこざとかすべて分かっている。それを、こういうお茶会で話すものだから、私まで牧師さんの奥様が目玉焼きのターンオーバーが嫌いだなんて個人情報を知っていた。

 私はといえば、毎回総じて聞き役。

 こちらから話す内容もないし。トムのことを聞かれるから、「課外活動で、親しい友達と音楽に励んでいるようですわ」とだけ答えている。

 

 さて、基本的には近所の噂話のレベルを出ないお茶会なのだが、今回は毛色が異なっていた。

 マダムたちの関心は、もっぱら最近の戦況。なかには息子が出兵したまま帰ってこない方もいる。もちろん、命からがら戻ってきた人もいるけど、怪我を負っていない方はいなくて、ミセス・ベーコンの末の息子は帰還して以来、一度も口をきいてくれないそうだ。

 ミセス・ベーコンは消沈しきっていた。化粧で整えても、血の気の失せた顔は隠しきれていないのだ。

 

「よほど酷い目にあったのよ……隣町のマーサーから聞いたのだけど、彼女の息子がフランスから撤退する前にいた街は、水が出なかったんですって。きっと、うちの息子も同じような場所にいたのよ……牧師様が言うには、『時間と愛が息子さんの傷を癒してくれる』とのことだけど……はぁ……」

 

 ミセス・ベーコンはため息をついた。化粧で整えても、血の気が失せた顔は隠しきれていない。私を含め、他のマダムたちも一様に暗い表情だった。

 

「帰って来たならいいじゃない。うちの長男は便り一つないのよ。きっと、捕虜収容所にいるんだわ……」

 

 マクレガーの奥さんが悲痛の声を上げた。

 

「長男の嫁がね、慰めと希望の言葉を呟くのよ。もう死んでしまったみたいな口ぶりで……心を強く持って耐えないといけないのにね。ああ、なんて人の心のない嫁なのかしら。可哀想な私の息子は、辛い思いをしているというのよ。それなのに――……!」

 

 最後の方は涙交じりで、ほとんど聞き取れなかった。

 誰も何も言えなくなった。

 

「……この話はおしまい!」

 

 空気を変えるように、ぱんぱんっと手を叩いたのは、ペネロープだった。

 

「暗い話はやめにしましょう! ほら、ミリー。あなたも涙を拭いなさい。ハンカチならね、何枚も持っているのよ。娘からの贈り物だから」

 

 ペネロープは鞄からハンカチを取り出すと、マクレガーの奥さんに渡した。そして、彼女がまぶたを拭うのを見届けると、ふんっと鼻を鳴らした。

 

「あたしたちがすることは、節約! ラジオも言っていたでしょ? 女性はヒールの低い靴を履いて木材を節約するようにって。まあ、あたしたちには高いヒールを履いて、出かけるような場所はないけどね!」

 

 ペネロープがかかとの擦り切れたブーツでこんこんっと床を叩くと、皆の顔にわずかながら笑顔が戻った。ペネロープは満足そうに頷くと、今度は私の方に視線を向けてきた。

 

「アイリスさん。そういえば、トム君の近況はどう? もうじき、帰ってくるんじゃないの?」

「はい。あと少ししたら」

「良かったわ! トム君、今年の夏も日曜の礼拝でヴァイオリンを弾いてくださるんでしょ? あたし、毎年楽しみにしているのよ」

 

 私は頷いた。

 

「トムの都合があうときは、ぜひ」

 

 ヘレンおばあちゃんが生きていた頃から、トムはここに滞在する間――礼拝の演奏を担当していた。トム自身は神様なんて信じない無神論者だし、どちらかといえば、私もそうなのだけど……昔から、日曜の礼拝には参加している。トムは引き取った頃こそ渋々だったけど、いまではそういうものだという顔で参列し、讃美歌を弾く姿はいっぱしの信徒である。内面で思っていることは、変わっていないみたいだけどね。

 

「あ……そういえば、皆さんにお伝えしないといけないことがありまして……」

 

 この機会に、私はグレイバックのことを話すことにした。

 

「今度、孤児の男の子を我が家で引き取ることになりまして……ええ、先日の戦で父親を亡くした男の子です」

「まあ……っ!?」

「ですが、かなりの虐待を受けていたみたいでして……自傷行為も酷くて……おまけに、満月になるたびに折檻を受けていた経緯があるみたいで、満月の度に調子を崩してしまうみたいなんです」

 

 私は考えた言い訳を、言葉を選びながら話した。

 

「いまの環境に落ちつくまで、家からあまり出さないつもりですし、皆様に迷惑をかけないようにしますので、どうか温かく見守っていただけると……」

「アイリスさん……その子、本当に大丈夫?」

 

 ペネロープが不安そうに眉を寄せた。

 

「あなたが引き取らなくても良いんじゃない?」

「いえ、私が引き取らないといけなくて」

 

 私はそう答えるしかなかった。

 だけど、ペネロープの言い分はもっともである。

 どうして、私はここまで躍起になってるのだろう? 狼人間を引き取るなんて、リスクが大きすぎる。ホグワーツに入学できるだろうとは思うけど、それまでは月に1度は発作のように狼に変身する。ルーピン先生でさえ、狼に変身したときは、ハリーたちに襲いかかろうとしていたではないか。やっぱり、いまからでも断るべき……かもしれないけど、もう決めたことだ。覆すことはできない。明後日には、トムが帰ってくる。ロンドンまで迎えに行って、その足でニュートの家に――……

 

 

 

●1940年 7月△日

 

 昨日は日記を途中でおしまいにしてしまった。

 まさか、夜中にダンブルドアが来訪するとは……。

 

「本当はもっと早くに来たかったのだが、試験の採点があってね」

 

 ダンブルドアはおどけた調子で言っていたけど、本当なのだろうか……? 期末試験よりグリンデルバルドとの戦いの方が激化して大変な気がする。ダンブルドアの微笑みが硬く見えたのは、きっと気のせいではない。ダンブルドアはディークに席を外すように告げ、彼が姿を消したのを見計らってから話しかけてきた。

 

「狼人間の子どもを引き取ろうとしているのは、本当かな?」

 

 私は包み隠すことなく、すべてを話した。

 すると、ダンブルドアはだんだんと難しそうな表情になった。指を組み、青い眼で私のことをじっと見てくる。いつもはこの目を視てはいけないと思うのに、このときはまっすぐ見つめ返していた。

 

「……ニュートにも話を聞いたよ。彼自身、自分の選択に戸惑っているようだった」

「反対されますか?」

「なんとも言えない」

 

 ダンブルドアは私の眼を見たまま言った。

 

「だが、引き取ると決めたというのに、いまになってそれを止めるということは、互いに酷な話になる。特に、狼人間は魔法界の闇だ。迫害は根強い。養子を直前で取りやめられた経験が回り回って、魔法界の脅威となることも考えられる」

 

 実際、原作のグレイバックは闇の陣営側だった。

 このまま育てば、原作通りのグレイバックになることだろう。

 

「――……できる限りのサポートをしよう。私の本音としては、引き取らないでもらいたいのだけどね」

「先生、忙しいのに申し訳ありません」

「君の息子ほど多忙ではないよ」

 

 ダンブルドアは片目を閉じた。

 そのまま帰り支度を始めたので、私はその背中を思わず引き留めてしまった。

 

「あの……」

 

 なにか言わないといけないことがある。それが喉元まで出かかったのに、言葉にならなかった。そもそも何を伝えようとしたのか、思い出すことができずに口をパクパクさせていると、ダンブルドアは苦笑いをした。

 

「大丈夫だ。苦労も多いだろうが、きっと上手くいく」

「……その、すみません……でも、私は不安なんです。いまさらになって、と思うかもしれませんが」

「誰しも不安に思うことはある。しかし、その分、対策を講じることもできる」

 

 こうして、ダンブルドアの密会は終わった。

 ダンブルドアとの話し合いが疲れたのか、日記の続きも書けずにすぐに寝てしまった。けれど、久しぶりにぐっすり眠れたのか、頭が凄くすっきりしている。あの子を引き取る不安はあるし、むしろどんどん悪い方へと考え込んでしまうけど、ここのところぼんやり頭を覆っていた靄が薄れたような爽快感があった。

 

 さて、最終確認をしよう。

 ディークとも打ち合わせをしなくちゃね。

 

 

 

●1940年 7月×日

 

 フェンリールを引き取った。

 養子縁組をしたので、これからはフェンリール・リドルである。

 

 初めて会ったとき、ぎょっとしそうになった。

 顔は想像以上に傷だらけ。両頬に五本の生々しい傷痕が走り、額にも引っ掻いた傷があった。着ている服も粗末で、穴が開きっぱなし。おまけにサイズが合っていないので、ボロボロの袖口を幾重にも折り曲げていた。

 

「……アイリス、あの子を本当に引き取るの?」

 

 トムが私を見ずに言った。

 トムの視線は、フェンリールに注がれていた。フェンリールも黄色い歯を剝き出しにしながら、にまにまと笑っている。トムはしばらく無言で見続け、フェンリールも青い眼で睨み返していたが、先に根負けしたのはフェンリールだった。彼がさっと目を逸らしたあと、トムは肩を落とした。

 

「君は昔の僕みたいだ。まあ、僕は君ほどやさぐれてなかったけど」

 

 それだけ言うと、トムは私を見た。ちょっと呆れたような笑みを口元に浮かべて、やれやれと首を横に振った。

 

「いいんじゃないか。この夏は僕もいるし、満月の時はニュートが来てくれるんだろ?」

 

 7月20日が満月だったから、次は来月。それまでに信頼関係が構築してるといいけど……残念ながら、フェンリールはなにも話さない。ニュート曰く、「言葉は話せるけど、心を開いていないから話してくれないんだと思う」らしい。

 

「服は?」

「脱ごうとしないんだ。魔法で洗浄できるけど、杖を向けられると攻撃性が増す。彼と向き合う時間があれば、どうにかなったのかもしれないけど……あの、本当にごめん。無茶なことを頼んでいるって自覚してるんだ……」

「私も、無茶なことに両足を浸けている自覚はありますわ。ですが、ここで引き返せませんもの」

 

 こうして、フェンリールを引き取ってきた。

 とはいっても、まずはロンドンの自宅。トムを連れて帰るなら列車を使わないと、近所の方に怪しまれてしまう。私には上手い言い訳が考えつくような頭はないので、これ以上、変に勘繰られるのだけは避けたかった。

 

「さてと……まずは歯磨きね!」

 

 帰宅して早々、私は言った。

 

「……アイリス。一番最初が歯磨きって? 他にすることがあるんじゃない?」

「歯の健康は身体の体調と直結するのよ」

 

 トムを引き取ったとき、痩せてはいたし、服も粗末だったけど清潔だった。歯はいつも磨いていたのか白かったし、髪のふけもなかった。

 そのあたり、ウール孤児院はしっかりしていたんだな……と、いまさらながらに感じた。

 

「だから、最初は歯磨き! そのあと、食事!」

「食事と歯磨きを逆にしたら?」

「そうしたいのもやまやまだけど、あの歯がどうしても我慢ならなくて」

 

 フェンリールは案の定というべきか、激しく抵抗した。手足をじたばたさせて、私の腕から逃れようとする。爪を立てられそうになったけど、爪が私の肌をかすめることはなかった。これは奇跡とかではなくて、ニュートが爪切りをしてくれたこと、そして、トムがさりげなく魔法を使って守ってくれたからだ。杖を使わず、指先をくいっと動かして魔法を使っていたので、フェンリールは私を爪で攻撃できないことに酷く動揺していた。その隙をついて、歯を磨くことができたのは、非常に助かった。

 なお、あとでトムに「休暇中は魔法を使ってはいけないんじゃないの?」と聞いてみた。すると、「あれは未成年の周囲で使われた魔法しか分からないんだ。フェンリールは狼人間だけど、それ以前に未成年の魔法使いだろ? しかも、家にはディークがいる。だから、魔法の種類にさえ気を使えば問題ないさ」だって。なんとも悪知恵が働くようになったものだ……今回は助けてもらったから、これは聞かなかったことにする。

 

 歯を磨くとはいっても、歯石とかそういうのはとれない。少し尖った乳歯がボロボロなのも変わらない。トムのように白く輝く歯にはならなかったけど、それでも、幾分かマシになった。口内から漂っていた獣臭も薄れたので、ひとまずは良しとしよう。

 

「てめぇ、おれに魔法をかけたな!?」

 

 私が拘束を解くと、フェンリールは潰れた声を張り上げた。

 

「私はかけてないわ。マグルだもの。それに、誰も杖を持っていなかったよ」

「ふんっ」

 

 フェンリールは値踏みするような目で、私の姿を頭からつま先までじろじろと見てくる。そして、床に唾を吐き捨て、嘲笑うように鼻を鳴らした。

 

「おれをしたがわせようだなんて、おもわないことだな」

「従わせるつもりはないわ。でも、互いに心地よく過ごすためのルールだけは守ってもらいたいな」

 

 私はそう言うと、二本の指を出した。

 

「今日の予定。夕食。次はお風呂。でも、お風呂が苦手なら、タオルで身体を拭くこと。これは譲れないわ」

 

 フェンリールは何も答えなかった。

 ただ、部屋の隅でじっと座り、私の背中を睨みつけていた。私が台所に移動すると、距離を置いてなにも言わずに付いてくる。私が彼の方を振り返ると、あからさまに目線を逸らした。

 トムはといえば、さらにその後ろからフェンリールを見張るように立っていた。

 

「トム。お料理を運ぶの手伝ってくれる?」

「アイリス、僕はいま手が離せないんだ」

 

 トムはそう言いながらも、チキンの大皿を運ぶのを手伝ってくれた。

 とりあえず、フェンリールの好みがわからないので、夕食はトムが好きな肉を中心とした料理を用意してみた。

 

「フェンリールもおいで。隣の席が空いてるわよ」

 

 ぽんぽんっと椅子を叩いたが、フェンリールは動かない。しかしながら、料理を凝視していた。口の端から涎を垂らし、前のめりになって料理を見ている。最終的には、ぐぅっという音を腹から出し、観念したように食卓に着いた。礼儀作法についてはノーコメント。手づかみ上等なワイルドな食事作法だったけど、初日からとやかく言うのも気が引けた。

 いまはただ、お腹いっぱいになってもらいたい。

 お腹いっぱいにさえなれば、心に余裕が出てくる。心に余裕が出てくれば、こちらからの指示も通りやすいだろうと思ったのだ。

 現に、このあと風呂は断固拒否されたけど、濡れタオルで身体を拭くのは許してもらえた。かなり気持ち良かったのだろう。ごしごしと拭うたびに、フェンリールの口元が緩むのを見逃さなかった。すぐに威嚇するような険しい表情になるのだけど、こちらが優しくも力強く拭うと目や口角が緩んでいく。このあたり、子どもらしくて可愛いと感じた。

 

「はい、おしまい。服は――」

 

 私がタオルを身体から離した途端、フェンリールは跳ねるように後退した。ぐるると唸り声をあげているのも構いなく、彼の着ていた服と彼用に新しく購入しておいた服の両方を提示する。

 

「どっちでもいいよ、好きな方を着て」

 

 服を床に置いて、私は待つことにした。

 十分ほど、そのまま待った。やがて、フェンリールは四つん這いになりながらゆっくりと接近し、古い自分の着ていた服を奪うように取り、乱雑に纏った。そして、近くに積まれていたタオルの山に潜り込み、そのまま眠っていた。部屋もあるよと言ったのだけど、いまから動かすのは可哀そうだし、そこが落ちつくのであれば、それはそれでいまはいい。

 

 そのあとは、トムと食後のお茶の続きをしてから、こうして日記をしたためている。

 トムはビスケットを摘まみながら、期末試験が簡単すぎたことや死喰い人の新譜、杖十字会の活動やクィディッチの勧誘などについて楽しそうに語ってくれた。そのあたりは、また後日纏めて書くことにする。トムが充実した学校生活を送っているようで、そこはとても嬉しかった。願わくば、このまま順風満帆に進みますように。

 

 さてと。こうして一日目が終わったのだけど、それにしても……身体を拭いたときに気づいた。フェンリールの身体中に生傷が目立った。ニュートが治療した痕跡はあったけど、傷痕は目に入るだけで哀しい気持ちになる。

 

 

 きっと、この感情とずっと向き合い続けることになるんだろうな……。

 

 

 

 

 

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