トム・リドル育成計画!   作:寺町朱穂

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〇1940年7月~8月 君にとっての最善

●1940年 7月▲日

 

 この一週間、いろいろあったな……。

 

 ロンドンから汽車の旅は、思った以上に平穏に過ぎた。

 個室のコンパートメントを手配したっていうのもあるだろうけど、フェンリールは窓の外に興味津々だったことも要因の一つだろう。汽車に乗った当初こそ、隅の方でじっと固まっていたが、動き出してからは窓に張りつき、外を熱心に眺めていた。そういえば、トムも初めて汽車に乗ったときは興奮してたっけ……?

 だけど、このあとすぐに、フェンリールは元気をなくしてしまった。

 車窓を通り過ぎるものすべてを目で追いかけていたせいで、汽車酔いしてしまったのである。幸い、吐くことはなかったものの、列車を降りてから駅舎でしばらく厄介になった。

 駅長さんは快く休ませてくれた。

 

「幼い子どもならよくあることですよー。このあと、ちょうど昼休憩で家に帰るんで、車、一緒に乗っていきます?」

 

 この提案は本当に助かった……。

 トムのトランクもあったから、車を頼もうと思っていたところだった。

 余談であるが、トムのフクロウ――ウタは移動の間、トランクのなかに隠している。このおかげで、「あそこの家の坊ちゃん、フクロウなんて飼ってるのよ」という噂が立たないですんでいた。夜になれば、ふくろうが飛び交うのはよくある光景だし、いまのところ怪しまれてはいない……はずである。

 

 家に着く頃には、フェンリールの具合も随分と良くなっていた。

 だけど、まだ気分が悪いらしく、歩き方がよろよろとしていたので、抱っこして連れて行くことにした。5歳という年齢の割にはガリガリに痩せており、女の自分でも持ち上げることができる。多少足をばたつかせていたが、体調不良の方が勝っていたようで、抵抗らしい抵抗は受けなかった。

 

 ひとまず部屋に運びベッドに休ませたけど、夕食の時間になっても降りてくる気配がない。

 それどころか、部屋から出てくれなかった。

 大人用のベッドだというのに、その隅の隅で丸まったまま動かない。羽毛布団を被り、その隙間からこちらを睨んでいる。

 

「夕食だけど、どう? 食べることはできそう?」

 

 そう聞いても返事すらなかった。「持ってくる?」と尋ねても、唸り声もない。まだ信用されていないんだな、という事実をひしひしと感じた。

 

「お腹すいたら食べにおいで。いつでも待っているよ」

 

 そう言って、部屋の扉を開けたままでダイニングに戻った。

 私の対応を見て、トムは

 

「強引に連れて来ればいいのに」

 

 って、言っていたけどね。

 1時間経っても、2時間経っても来る気配はなく、もう一度、フェンリールに声をかけに行こうかと思った頃、ふらっと彼は現れた。結局、空腹には勝てなかったらしい。フェンリールからは「お前、まだいたのか」みたいな目で睨まれてしまった。

 

「お腹空いたんだね。ちょっと待ってて。冷めちゃったから、温めてあげる」

 

 初日とは異なり、フェンリールは温めなおした料理をなかなか食べてくれなかった。それどころか、ダイニングに足を踏み入れても、テーブルの方に近寄ろうともしない。私がダイニングテーブルから離れて、ようやく席につき、がつがつと食事を始めた。

 

 一緒に食卓に着くことに抵抗感があるのだろうか……?

 こんな感じで始まった共同生活。

 彼との信頼関係はもちろん、生活習慣もできていなかったので、そこは一つずつ確認していった。例えば、寝る前に脱いだ服は椅子の上に置くとか、朝起きた後のベッドの片付け方とか、フォークの使い方、皿の運び方とか……。

 でも、どこまで本人のなかに浸透しているのか分からなかった。

 なぜなら、フェンリールはなにも言わないし、なにもしない。

 初日以来、唸ることはあったが、一度も声らしい声を発していなかった。

 もっと暴れる系の野生児かと思っていたけど、食事や風呂のとき以外は自室から一歩も出ようとしない。ずっとベッドの隅で座り込んでいる。私が遊びに誘ったり、家を案内しようかと声をかけたりしても、一歩も動こうとしなかった。

 これは気長に努力するしかないか、と思っていると、トムがこんな提案をしてきたのだ。

 

「こういうときは、僕に任せてよ」

 

 トムはエンラクを連れて、フェンリールの部屋に向かった。扉を閉めてしまったので、外からでは室内の様子を確認することはできない。

 しかし、これ以降、フェンリールはエンラクと一緒に行動するようになった。エンラクと一緒に降りてくるし、リビングのソファーに座っていると思うと、その隣には必ずエンラクがいる。エンラクにだけは心を開いたように見えた。

 

「どんな魔法を使ったの?」

 

 私がトムに尋ねると、トムはにやっと笑って言うのだった。

 

「魔法なんて使ってないさ。ただ、エンラクの力を借りただけだって」

 

 彼はさらっと答えたけど、トムが上手くエンラクと仲良くできるように誘導してくれたのは間違いない。

 

「ありがとう、トム」

「礼は要らないよ。代わりに、朝の目玉焼き、ひとつ多くして」

 

 そのくらい、お礼にもならないよ……。

 ということで、目玉焼きに貴重なハムもつけることにした。これで少しはトムのお腹が満たされると良いな……。

 

 

 

 

 

●1940年 8月15日

 

 トムがブラック家に泊まりに行ったので、フェンリールとの二人暮らしだった。

 本当は学用品とか揃えるために、ダイアゴン横丁に連れて行かなくちゃって思ったんだけど、アルファードたちと一緒に行くことになったそうなので、それはそれでいいかと思った。ダイアゴン横丁に行けないのは、ちょっぴり残念だけどね……。

 

 でも、トムが友だちと会って……少し気分が明るくなればいいと思う。

 昨日、ジョナサン君からの手紙がスイス経由で届いた。手紙によれば、結局……スイスへ逃げることはできず、いまはオルレアンのホテルに滞在しているそうだ。ホテルに滞在できたのも、彼の祖父母が裕福な人でホテルを懇意にしていたからで、そうでなければ他の大勢の避難民たち同様、野宿を余儀なくされていただろうと綴られていた。それと同時に、いつまでもホテルで厄介になるわけにはいかないので、パリにいったん戻ることになりそうだとも記されていた。このあたりの理屈が私にはどうも理解できないし、トムも納得できていないようだけど……新しくフランスを任されたペタン元帥に対する信頼の現れなのだろう。ペタン元帥は第一次世界大戦におけるフランスの英雄だから、自国民を非道に扱うことなく、ドイツの圧政から守り抜いてくれると信じているのだ……。

 

「僕にできることは何かないかな……」

 

 トムは手紙を睨みつけながら、終始悩んでいた。

 そのあたりも、きっと……アルファードたちと相談するつもりなのだろう。

 

 

 ということで、いまの我が家にいる子どもは、フェンリールだけ。

 特にエンラクは、すっかりフェンリールを気に入ったらしい。彼の膝の上――もしくは、隣にぴったり寄り添って眠っている。かなしい……私には、餌をあげるときと雷の日以外に寄り添ってこないのに……。

 それから、フェンリールは少し我が家に慣れて、食事の時間は同じテーブルについてくれるようになった。フォークだって使える。まあ……ぐさっと刺して豪快に食べる感じで、使い慣らしている風ではないけど、つい一週間前まで手づかみ上等だったことを考えれば、大きな一歩である。脱いだ衣服だって、脱ぎっぱなしから椅子の上に丸めて置けるまでに進歩した。食事のあと、下膳することはないけど、皿を重ねる所までならできるようになった。これも、とてつもなく成長である。

 

 フェンリールはこんなに頑張っているのに、神様っていうのは残酷だ。

 

 ここにきて、ちゃんと食事をしているにもかかわらず、フェンリールの顔は日に日に青ざめていく。どこか痛むのか、かなりの頻度で奥歯を噛みしめているのだ。

 

「どうしたの? 具合悪い? 熱測ろうか?」

 

 と言っても、首を横に振るばかり。

 でも、この原因はすぐにはっきりした。

 

 8月20日は満月。

 つまり、満月まであと5日……。

 

 少しずつ、フェンリールの身体は狼に変身するための準備を始めているのだ。

 

「……なにもしてあげられなくてごめんね」

 

 私はそう言って、小さな背中を撫でてあげることしかできない。

 

「当日は、ニュートが安全な場所で変身できるように手配してくれるから」

 

 ……でも、それもいつまで大丈夫なのだろう?

 最近、マグルの新聞でドイツ空軍が英国の空を侵していると盛んに報じていた。もうまもなく、ロンドンの空襲が始まるのだろう。ニュートの家は、ロンドンにあった。空襲が始まってしまえば、そこに連れて行くことはできない。

 そうなると、当初の予定通り、うちの地下室を使うことになるのかもしれないけど……フェンリールをそこに閉じ込めるのには抵抗があった。

 彼は依然として唸るばかりで何も語らないし、エンラクと一緒にいてもハッキリとした喜怒哀楽を示すことはない。

 それでも、お風呂に入れたりタオルで拭いてあげたりするとリラックスしたように緩むし、がつがつ食べた後の満足そうな表情は可愛らしいし、エンラクと遊びたそうにちょっかいをかけるかどうするか迷っているような顔は微笑ましく思える。

 そんな子を地下室に閉じ込めるなんて、可哀そうだと思えてしまうのだ。

 いや、でもそうしないと私自身も危険だということは重々承知している。マグルが狼人間に襲われた場合、生存する確率が極めて低く、0に近いことは既に習っている。フェンリールだって、好き好んで誰かを襲いたいわけではないはずだ。もし、そうなら……彼を引き取ってから、いまに至るまでの数週間の間に、私の喉元は切られていたと思う。

 

 なにが、フェンリールの今後にとっての最善に繋がるんだろう?

 ニュートに会ったとき……ちょっと今後のことをもう少し話し合おう。

 

 

 

 

 







 アイリスがペンを置き、眠りにつく頃のこと。
 彼女の部屋から1400㎞離れた孤城で、いままさにアイリス・リドルの話題が上がっているとは知る由もなかった。城の最も見晴らしがよく、一番豪奢な部屋には二人の男がいた。白髪の男性は優雅に腰を下ろし、静かに読書をしている。一方、もう一人――ガーナ・グリムソンは酷くいらだっていた。

「それで……例のマグルですが、まだ手を出してはいけないのですか?」

 グリムソンは少し恨めしそうな目で尋ねた。
 少し前まで、彼はイギリス魔法界で名の知れた賞金稼ぎだった。しかし、その手段を選ばないことや人間性が疑問視され、いまでは引退して一線を引いた――のは表向きで、実際にはグリンデルバルドの信奉者として暗躍を続けている。

「貴方にマグルを見張るように命令されてから、何年経ったと? 最近では警備が強化されて、近づくことも困難です。それだというのに、貴方は――……」
「3年だ」

 グリムソンが抗議を続けようとする声を遮り、グリンデルバルドは話し出した。

「3年だよ、グリムソン。君は3年待った」

 男は椅子から立ち上がると、窓に向かって歩き始める。
 グリムソンは黙したまま、男の背中を目で追った。

「そう、3年だ。3年前よりこの城も活気が溢れるようになった。私を信奉してくれる勇敢な者たちが増え、今日も私の教えを学ばせたい者を連れて来ては、自主的に教育してくれている。君も知っているだろう?」
「私もたまに手伝いをしますからね」

 グリムソンはわずかに頬を緩ませた。
 「自主的に教育」といえば聞こえがいいが、実質的には拉致監禁である。
 グリンデルバルドの思想に共感しない魔法使いを捕まえては、ヌルメンガード城内部に建設された牢獄に収監しているのだ。

「例の魔女を捕まえてきたのは、他でもない私ですよ。マグルの男は取り逃がしましたが……」
「我々が手を汚すまでもない」

 グリンデルバルドは窓の外を眺めたまま断言した。

「マグルはマグルに処理させる。特に、ドイツのマグルは優秀だ。殺し屋マグルはワルシャワを出ることなく、消えていくだろう。誰の記憶に残ることもない」
「……アイリス・リドルもそのようにせよと?」
「9月1日だ」

 ここでようやく、グリンデルバルドはグリムソンに視線を向けた。

「9月1日に、ドイツのマグルがロンドンに空から激しい攻撃を仕掛ける。ロンドンの街は崩れ、かつてない混乱が巻き起こる。……マグルの女性が1人、瓦礫に圧し潰されて亡くなっても、我らが手を下したと怪しむ者はいない」
「……なるほど」

 グリムソンは、ますます笑みを深くした。
 9月1日ならば、確実にアイリス・リドルはロンドンに姿を現す。しかも、彼女が訪れる場所もほぼ確定していた。そうと分かっていれば、これほどまでに狙いやすい標的はない。

「少年はどうします?」
「ホグワーツの生徒を傷つけるのは駄目だ。ダンブルドアが学校を抜け出し、戦場に現れる理由を作ってはいけない」
「……つまり、少年の目の届かないところで、ということですね」

 あくまでも、マグルの空襲の犠牲になったように演出する。
 そうなると、彼女についている護衛の年老いたしもべ妖精の口から真実が漏れるのを防ぐ必要が出てくるが、その程度ならどうとでもなる。

「グリムソン。君は物分かりがよくて助かる。では、あとは頼んだ――より大きな善のために」
「より大きな善のために」

 グリムソンはそう言うと帽子を被り、姿を消した。
 再び、英国へ潜り込むために。



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