トム・リドル育成計画!   作:寺町朱穂

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〇1942年6月~7月 リディクラス

●1942年 6月末日

 

 今日のお茶会で、BBCのニュースが話題に上がった。

 ポーランドの亡命政府があるんだけど、そこが「ドイツ占領下に置けるポーランドの大量絶滅計画」を告発したのだ。要約するに、70万人の絶滅計画。にわかに信じがたい話だし、そんなことできるわけがない。

 アンダーソン夫人を筆頭に、ここに集ったみんなが懐疑的だった。

 

「そのようなこと、赤十字が許すはずがないでしょう? 70万なんて途方もない数の人を殺すことは不可能だし、大量の死体はどう処理するのかしら?」

 

 ってね。

 ………。

 私もあまり考えたくない。

 トムにこのニュースを知らせようか悩んだけど、やめておくことにした。まもなく試験だし、それこそダンケルクのときみたいに暴走をしてしまったら……と考えると、折を見て話そうと思う。

 

 

 

●1942年 7月1日

 

 季節はすっかり夏。

 この時期、庭は雑草の天国に早変わり。

 もちろん、ディークも手伝ってくれるけど、ご近所さんたちからは、トムが学校に行っている間は、フェンリールと二人暮らしってことになっているので、私が庭の手入れをしていないのに綺麗すぎるのも不自然になってしまう。

 この時期、おばあちゃんは庭師を頼んでいたみたい。

 その庭師さんは出征中だから……いや、下手に人を雇って、ディークやフェンリールの秘密が発覚するのはちょっと……。

 かといって、庭仕事はほとんどやったことがない。

 フランクさんから手紙で雑草の手入れとか木々の剪定の仕方とか教えてもらっているけど、なかなかこれが難しい。昨日、ちゃんと抜いたはずの雑草がもう生えていたり、いつのまにかキャベツが病気になっていたり……ただ、おばあちゃんの大事にしていた庭だし、私にとっても思い出深いところなので、頑張って手入れは続けていこうと思う。フェンリールも手伝ってくれるし、エンラクも土を掘り返してくれるからね。

 

 

 と、まあ、いつも通り庭仕事をしていたわけだけど、ちょっと……いや、かなり怖い出来事と遭遇してしまった。

 

 ペチュニアの鉢に肥料をあげたくて、物置小屋に入ったのだけど、そのときに小屋の奥からする物音に気付いた。

 かた、かたっと小刻みに揺れるような音。最初は隙間風か何かの仕業かと思った。もしくは、ネズミでも潜んでいるのかなって。ハムスターとかをペットとして可愛がるなら良いのだけど、野生のネズミはちょっと苦手。だから、いざとなったら、ディークかフェンリールを呼べるように心構えをしつつ、小屋の奥まで進んだとき――音の正体が分かった。

 古びた木製の戸棚が揺れていた。

 埃をかぶり、すっかり灰色の薄い膜で覆われている。木の色も古びて、ところどころ蜘蛛の巣が張っていた。それが、誰も触れていないのに動いている。

 風が原因ではない。

 かた、かたかた、と明らかに、内部に何かがいる。これ、絶対に開けないといけないよね……と躊躇っていたら、フェンリールが私の背中に声をかけてきた。

 

「なぁ、あっちの草、ぜんぶぬきおわったぜー……って、なにしてんだよ?」

「この戸棚に、ネズミか何かが忍び込んでるみたいなのよ」

 

 かなり古い戸棚だから、何かの拍子で扉が開いてしまったときに迷い込んでしまったのだろう。それが、風か何かで閉じてしまい、逃げ遅れたのかしら……? なんて、思いながら、戸棚に手をかける。いや、手をかけたといえるのだろうか? 指先が戸棚に触れるか触れないかのところで、音もなく自然と扉が開いた。

 

「あ……」

 

 戸棚から現れたものに、私は目を奪われてしまう。

 

 まず、血色のない裸足が視界に飛び込んできた。

 次に黒々としたローブの裾が翻るのが見えた。

 ローブの袖から伸びた腕は白く、骨のような指は杖を握っている。

 青白い顔は髑髏のようで、髪も眉毛も鼻すらない。眼も蛇みたいに縦長で、地獄の業火のような赤い目が私を見下ろしていた。赤い目が私の眼を捉えると、にたりと口角を上げた。

 

『――』

 

 なにか、言っていた。

 なにを言っていたのか、聞き取ることはできなかった。日本語でなにか嘲笑していたような気もする。いま思えば、聞き取ることを脳が拒否したのかもしれない。動悸ばかり高鳴り、肩が激しく上下する。息をしているのに、肺にまったく空気が入っていかない。心なしか、視界も徐々に潤み始めていた。

 分かっている。

 頭では理解できていた。

 こいつはただの「まね妖怪」。私がこの世で最も恐れるものに変身してるだけの存在なのだって。「リディクラス(ばかばかしい)」って笑い飛ばさなくちゃって。

 でも、実際には思考が麻痺してしまっていた。口から出るのは喘ぎ声にもならない音ばかりだ。ヴォルデモート卿を笑いに変える想像なんて不可能だったのだ。

 

『――? ―――』

 

 ヴォルデモートが蛇が這うような声で不明瞭な言葉を続ける。おどけたように一礼し、冷酷な顔のまま杖先を私の胸元に向けてきた。そして――

 

「っ! キャンキャンッ!!」

 

 けたたましい犬の鳴き声で、私の身体に意思が戻った。

 弾かれたように振り返れば、エンラクが激しく吼えていた。尻尾を丸め、腰は引き気味だったけど、突然目の前に現れた謎の人物に向かって威嚇している。その隣では、フェンリールが尻餅をついていた。すっかり青ざめた顔は愕然とした表情をしている。たぶん、私も同じかもっと酷い顔をしていたのだろう。だけど、その顔を見て、私は冷静さを少しばかり取り戻した。

 

「フェンリール!」

 

 重たかった足が途端に軽くなり、私は叫びながら床を蹴っていた。

 

「大丈夫だからね! ディーク! ディーク、どこにいるの!?」

 

 私はヴォルデモート卿に背を向け、フェンリールに向かって走り出した。縮こまる男の子を抱きしめ、屋敷しもべ妖精の名前を力の限り叫ぶ。すると、物の数秒で年老いたしもべ妖精は駆けつけてくれた。小屋にいる男の存在にぎょっとしながらも、その正体はすぐに分かったらしい。ディークはヴォルデモート卿の前に飛び出ると、慣れた手つきでパチンっと指を鳴らした。

 

「『リディクラス!』」

 

 ヴォルデモート卿の姿をした「まね妖怪」は密猟者風の男に変身しようとしたが、完全に姿を変える前にしゅっと白い煙になって消えてしまった。

 

「奥様、あれはただのまね妖怪です」

「……知ってます」

 

 ディークの労わるような声に、私はやっとの思いで答えた。

 

「何年か前、ホグワーツの授業を見学したときに見ました」

「……ディークには今の化け物が何か分かりませんが、それは幻です。温かい紅茶かハーブティーを入れましょうか?」

「私は大丈夫。でも、フェンリールには甘いものを用意してあげて」

 

 いつのまにか、膝のあたりでエンラクが尻尾を振っていた。「褒めて!」と言わんばかりに私を見上げている。私のために立ち向かってくれたことが嬉しくて、恐怖で強張っていた顔の筋肉が緩んだ。

 

「ありがとう」

 

 もう空いている手で、すっかり大きくなった愛犬を撫でる。

 エンラクは得意そうにワンっと鳴いた。

 フェンリールは相変わらず震えていたけど、少しずつ落ち着いてきているようだった。しかし、恐怖が抜けないらしく、いまだに戸棚を呆然と見つめていた。

 

「……いまの……あれ、なに?」

「『まね妖怪』。その人が一番怖いって思う存在に変身する魔法生物よ」

「……さっきのバケモン、アレなんだよ? あんなのに会ったことあんのか?」

「……そうね」

 

 いまのは、トムがヴォルデモート卿になった未来。

 つまるところ、原作のヴォルデモート卿だった。ああ、そうか。原作のヴォルデモート卿だから日本語で話していたのだろう。私、映画は吹き替えで観ていたから、もともとの声が耳にあまり馴染みがないのだ。実際にはトムの声になるのだろうけど、想像することすら脳が拒否したのかもしれない。

 

「遠い昔に見かけた人よ」

 

 背中をとんとんと優しく叩きながら、そう答えるしかなかった。

 幸か不幸か、これを目撃したのがフェンリールとディークで良かった。トムじゃなくて、本当に良かった。トムが見てしまっていたら、たとえ同じことを答えていたとしても……賢いトムのことだから、なにか気づいてしまいそうで怖い。

 これから怪しい戸棚があったときは、迷わずディークを呼ぶことにしよう。

 

 まね妖怪なんて、二度と会いたくない。

 

 

 

 

●1942年 7月7日

 

 ロンドンまで、トムを迎えに行った。

 ホグワーツ特急の真紅の車体がホームに入ってきて、ドアが開くのと同時に生徒たちが雪崩のように出てくる。毎年、大勢の生徒からトムを探すのに苦労するのだけど、今年はすぐに見つけることができた。

 なぜって?

 ハグリッドが他の生徒たちの声をかき消すくらいの大声で泣いていたからだ。

 だいたい、ハグリッドのいる場所にトムがいる。

 案の定、ハグリッドの足元にはトムがいた。

 

「あー、もう! ハグリッド、泣きすぎだぞ!」

 

 トムはややいらだったような声を出していた。まあ、トムのいらだちも分からないでもない。ハグリッドの涙が、トムの頭上にぼたぼたと降り注いでいたのだ。そのせいで、トムは旅行用トランクを傘代わりにしている。

 しかしながら、ハグリッドの涙は止まることを知らない。

 

「でもよう、トム! アラスターが卒業したら、寂しすぎるじゃねぇか!」

「手紙を書けばいいだろう。なにも一生逢えないわけじゃないんだ」

 

 トムは心底呆れたように言うも、ハグリッドの涙は増すばかりだった。

 

「そうかもしれねぇけどよ、学校にはいねぇだろう? こっそり城を抜け出す手伝いをしてくれる人が、誰もいなくなっちまう!」

「いいことじゃないか。放課後、僕は君が『禁じられた森』でトロールと相撲(レスリング)なんて馬鹿げたことをするのを止めに行かなくてすむ」

「トロールとはしてねぇ。ケンタウルスだ。でも、次はトロールでもいいかもしれねぇな! さすが、トムだ!」

「そういう問題じゃない!」

 

 トムが反論するも、ハグリッドは感心するように頷くばかりだ。

 トムは彼を見上げていたが、やがて肩を大きく落とした。

 

「そんなに別れが惜しいなら、いま会いに行ったらどうだ? 向こうの車両にいるだろ」

「おう!」

 

 ハグリッドは巨大なハンカチで鼻を拭うと、ムーディがいるであろう場所へと進んでいった。

 トムはその後、アルファードたちと二言、三言なにやら相談しているようだった。遠目からでも、深刻そうな横顔が見えていた。

 やがて、アルファードが私に気づいたらしく、トムを軽く小突いた。トムも私たちに気づいたらしく、一瞬だけ嬉しそうな顔をするも、すぐにスンっとすましたような顔になってしまった。

 

「トム!」

 

 私が手を振りながら近づいても、トムの表情は変わらない。ちょっとぷいっと顔を背け、淡々とした調子でこう言うのだった。

 

「迎えに来なくても良かったのに。僕は一人で帰れるよ」

「私が来たかったのよ。フェンリールも来たがっていたし……」

 

 私が言うと、フェンリールはふんっと鼻を鳴らした。

 

「さっさとかえろーぜ。アニキがかえってくるからって、わざわざヴィクトリアケーキやいてんだからな」

「……アイリスさ、僕のこと食べ物で釣ろうって考えてる?」

 

 トムはじろっと湿った視線を向けてくる。

 生クリーム付きヴィクトリアケーキはトムの好物だから、きっと喜んでくれるかと思ったのだけど……なかなか上手くはいかないものだ。

 

「駄目かな?」

「僕、次は5年生だ。子ども扱いはしないで欲しい」

 

 そう言うと、トムはポケットに手を入れて歩き出してしまった。

 私は小走りで追いかけ、フェンリールも腕を頭の後ろで組みながら続いた。

 

 いやー、それにしても、トムの人気は凄い!

 トムがホームを歩くだけで、傍にいた女子生徒たちは友だち同士で黄色い歓声をあげていた。男子生徒も一目置いているような視線を向けているのだ。保護者も同じで、マグル出身の保護者は「あれが例の天才少年だ!」と二度見するし、魔法使いの保護者は「死喰い人の神童じゃないか!?」と目を輝かせる。

 

 もはや、すっかり有名人である。

 

 でも、私にとってはいつまでも可愛いトムだ。

 汽車に乗ってからも「ヴィクトリアケーキなんて、まったく興味ない」という素振りをしていたけど、家に帰ると、まっさきに紅茶の準備をしていたから。

 

「アイリス、生クリームは?」

「冷蔵庫にあるわよ」

 

 配給の砂糖を惜しみなく使った逸品は、かなりの贅沢品。

 トムはなんだかそわそわしていたし、フェンリールもごくりと喉を鳴らしていた。

 私はまだ食器の片づけとか、留守中に届いていた手紙の整理とかあったので、なかなか手が離せない。だから、さっさと食卓に着いた二人に向かって声をかける。

 

「先に食べていて良いわよ」

 

 しかしながら、2人とも律義に待ってくれていた。

 申し訳ないので、早めに切り上げて、自分もいそいそと席に着くことにする。せっかくなので、ディークにも席についてもらい、4人で夢中になってケーキを食べていた。生地の合間に塗り込んだストロベリージャムの甘酸っぱさと生クリームの甘さが程よい。やっぱり、ケーキには生クリームだよなーっと再認識した。

 

「トム、試験はどうだった?」

「当然、満点だよ。闇の魔術に対する防衛術と魔法薬学は100点満点中120点さ」

 

 トムが当然のことのようにつらつらと語れば、フェンリールはうぐっと喉が詰まったような声を出した。

 

「なんで、おれのまわりには勉強のバケモンしかいねぇんだよ……」

 

 彼の言葉に、私はくすっと笑ってしまった。

 

「フェンリール。もしかして、マクゴナガルさんのこと?」

「あいつなんて、ネコ女で十分だぜ」

 

 フェンリールが唇を尖らせると、トムがわずかに眉間にしわを寄せた。

 

「ネコ女は失礼じゃないか? 魔女なのだから、せめてケット・シーにした方がいい」

「ケット……? あー、もう! おれにもわかるように話してくれってば!」

「アイルランドの妖精だよ。たしか、本に書いてあったはずだ」

 

 トムは鞄から分厚い書籍を取り出すと、机の上で広げた。トムが嚙み砕いていろいろと説明するのを、フェンリールは喰らいつくように聴き入っている。時折、いや、かなりの頻度でフェンリールが質問をぶつけていたが、そのすべてに対し、トムは楽しそうに答えていた。

 フェンリールを引き取った当初はどうなることやらと思ったけど、なんやかんや仲良さそうで安心する。

 二人の様子を微笑ましく思っていると、ディークがこんなことを囁いてきた。

 

「奥様、賑やかになりましたね」

「……そうね」

 

 これから夏休み。

 食糧とかいろいろ工面するのは大変だけど、トムとフェンリールが夏らしい思い出を作れるように努力しよう。まあ、平時の夏のように旅行はできないし、トムにはマグルの音楽関係の仕事が少し入っているけどね。

 

 

 

 

●1942年 7月23日

 

 もうすぐ満月。

 ちょっと早いけど、私とトムとフェンリールの3人でロンドンに戻ってきた。何度も行き来するのは大変だけど、家財道具はコッツウォルズのいまの家だから、ロンドンの自宅に長居するのは難しいのだ。

 

 ニュートはフェンリールの健康診断をしたあと、トムと額を寄せ合って話していた。

 私が気になって近づくと、トムはあからさまに嫌そうな顔をした。

 

「男同士の大事な話なんだ」

 

 仕方なしに、私はバンティと世間話をしていたのだけど……このとき、事件が起きた。

 

 ばちんっと銃声のような音がした。

 私は驚いてしまった。

 しもべ妖精の「姿くらまし」だと知ってはいるけど、ディークは家で留守番をしているはずなのだ。

 

「ディーク? どうしたの……って?」

 

 私は音がした方を向いて、目が点になった。

 たしかに、そこにディークはいた。だけど、1人ではなかった。

 ディークは、すっかり憔悴しきった黒髪の少女を連れていたのである。

 

「えっと……?」

 

 この少女は何者なのか?

 私には見覚えがなくて、困惑しきっていたけど、トムは違ったらしい。

 

「ディーク!?」

 

 トムは血相を変えて、ディークに駆け寄っていた。

 

「君、今日はパリに行って、ジョナサンから手紙と楽譜を受け取ってくるって約束だったよね? それなのに、どうして……? この人は、ジョナサンの――……」

「はい。婚約者の方です」

 

 ディークは長い耳を垂らしながら言った。

 

「ディークが待ち合わせの場所に行きましたら、この方が蹲っておられたのです」

 

 少女は話す気力もないらしい。見ていて可哀想になるくらい、ぐったりとしていた。頬には涙が流れた痕がくっきりついており、しばらく風呂に入っていないのか少し臭っている。茶色の目は虚ろだったが、その目がトムを捉えると、少しばかり光が宿った。

 

「……おねがい、ジョナタンを……たすけて」

 

 血色の悪くかさかさになった唇から紡がれるのは、救援の懇願だった。

 しばらくろくに水も飲めていないのだろう。震える声は切なくなるくらいか細くて、なおかつ枯れてしまっていた。ラシェルと名乗った彼女とジョナサン一家の身に起きたことは、耳を塞ぎたくなるような出来事だった……。

 

 早朝、憲兵が家に押し入り「10分で2日分の食料と着替えを用意すること」と命じてきたらしい。そのくせ、3日以上も冬季自転車競技場に――しかも、他に連行されてきた多くの人たちと一緒にぎゅうぎゅうになるくらい閉じ込められ、ろくに水も与えてくれなかったそうなのだから、それだけでも悲惨だ。もうそれ以上は聞きたくなかったし、ここに書きたくもない。

 それこそ、「リディクラス(ばかばかしい)」と叫んで、すべて書き換えることができたら、どれだけ良いことだろう!

 しかし、これは現実なのだ。

 いま、ラシェルはニュートの仮眠ベッドに寝かせている。「なにか食べた方がいい」と勧めたのだけど、お腹が空いていないと断られてしまった。絶対にお腹が空いているはずなのに、感情がすべてに蓋をしているのだろう……。

 

 トムは……。

 トムは、ニュートとディークと一緒にパリへ飛んだ。

 

 

 私は止めなかった。

 今回は止められなかったのではない。話し合ったうえで、止めなかったのだ。

 

 敵国の首都に行くなんて……それも監禁状態の人を助けに行くなんて危険でしかない。判断を誤ったら逮捕されてしまうし、一歩間違えれば殺されてしまうかもしれないのだ。本心では止めたかった。「ジョナサン君は諦めて、ここにいなさい」と言い包めたかった。

 でも、私にはできなかった。

 

「アイリスは、前にさ……勇気と無謀は違うって言ったよね。これは無謀なこと?」

 

 トムは私に向かって、静かな口調で問いかけてきたのだ。

 

「唯一無二の親友が助けを求めてるんだ。僕は、それを無視できない」

 

 どこまでも、どこまでも真剣な眼差しだった。

 ここしばらく、まともに視線を合わせてもらっていなかったから、余計に強く感じたのかもしれない。かなり見上げないといけないくらいに背は伸びて、すっかり大人びていた。それでも、顔や身体つきは少年のもの。「まだまだ子ども」と思ってしまう。いくら、ニュートが同行してくれるといっても、危険なところに行かせたくない。

 でも、その一方で思うのだ。

 私にとって唯一無二の存在――トムとフェンリールが助けを求めていたら、そこがグリンデルバルドの城であったとしても救出に向かう。トムが抱いている感情はそれと同じだし、止めたところで、たぶん聴いてくれない。たとえ、聴いてくれたところで、心に針が刺さったように痛みが延々と残ることだろう。

 それに、あのトムが……トム・マールヴォロ・リドルがマグルの親友を助けるため、命を張ろうとしているのだ。それだけで、私の涙腺は緩んでしまった。

 

「1つだけ、約束して」

 

 私はトムの手を握った。

 トムのしなやかな手には所々タコがあった。ヴァイオリンによるものなのか、杖によるものなのか、はたまた羽ペンか分からない。トムの努力の成果を感じながら、私はハッキリとこう言うのだった。

 

「明日の夜には、必ず帰ってくること」

 

 ジョナサンを助けられなくても、諦めて帰ってくる。

 それが、私の出した条件だった。ラシェルが競技場を抜け出してから、すでに3日経っている。食料はとっくに切れているし、配給があるとは思えない。冬季自転車競技場に留まっているかどうかも定かではないし、他の場所へ輸送されているかもしれなかった。だから、期日は明日。それ以上はかなり無謀だ、と。

 

「……分かった」

 

 トムはその条件を飲み、ニュートたちと「姿くらまし」をしてしまった。私はニュートとディークに「くれぐれも、トムのことを頼みます」と何度も頭を下げた。

 

 

 トム。

 私の可愛いトム。

 いってらっしゃい。

 神様、お願いします。

 どうか、最悪な結末になりませんように。

 

 

 

 

 




※ジョナタンは誤字ではありません。
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