●1942年 10月〇日
壊れたオルゴールを貰った。
鉄の円盤が回るタイプの古風なもので、私としては満足しているのだけど、フェンリールはちょっと不服そう。
「んなもの、どこに置くんだよ」
ってね。
まあ、彼の言い分も分からなくもない。
このオルゴール、ちょっとした戸棚並みの大きさがあるのだ。
ことの発端は近所のパブに風景画を描く仕事を請け負って、納品したところから始まる。
最近の私は滅多にパブへ足を運ばないのだけど、トムを引き取る前――たまにおばあちゃんの家を訪れた際には顔を見せていた。学生時代、休暇で帰省したときも、おばあちゃんが「ずっと家にいるのもよくないから」と私を連れて行ってくれていたっけ……。
パブの店主は、私のことを良く覚えてくれていた。
「あんたさ、絵を描く仕事してるんだろ? それなら、この街の絵を描いてくれねぇか? ちゃんと代金は払うからさ」
そういうわけで、私は仕事を請け負ったのである。
ディークのやりくりのおかげで食べ物にそこまで困っているわけではないし、ロンドンの借家があるから生活を送ることができている。ただ、いかんせん本業の挿絵画家という職業は仕事が減ってしまっていた。こんな時代だから無理もないのだけど、絵を描けないのはちょっと寂しい。そんなときに飛び込んできた仕事だったので、私はより一層丁寧に取り組んできたというわけだ。
完成した絵は、パブの店主のお気に召したらしい。「これで、ますます店が明るくなる」って褒めてくれた。
「それなら良かったですわ」
代金を受け取って、パブから立ち去ろうとしたとき――ふと、目に飛び込んできたのは、パブの隅に置かれた不思議な家具だった。一見すると古びた茶色の戸棚のようだったが、ガラス戸の奥には鉄製の円盤だけが飾られている。不況とはいえ連日賑わっているというのに、そこだけ埃が薄っすらと幕のように被っていた。戸棚には擦れた金の文字で何か刻まれているが、最初の「Poly」しか読み取ることができなかった。
「これは? ポリー……?」
「40年くれぇ前のオルゴールさ。そこんとこに穴があるだろ? 1ペニー入れたら、その円盤が回って、一曲流れるって代物だ」
「えっと……昔からありましたっけ?」
記憶を辿ってみるが、あまり思い出せなかった。
すると、店主は苦笑した。
「あったよ、あった。まあ、こんな端っこに置いてあるし、目につかんかったんだろ」
私がしげしげと大きなオルゴールを眺めていると、店主は柔らかい表情で近づいてきた。
「親父の話だと、蓄音機が出る前までは大活躍だったって聞いてるが……いまじゃ、古びた置きもんだよ。1ペニーなんざ入れなくても、ラジオやレコード流せばいい。なんたって、気軽に流行の歌が聞ける」
「へー……これって、いまでも動かせます?」
「あー、どうだろうな……1ペニー入れたら分かるが……」
店主が苦い顔をしたので、私が財布から1ペニー硬貨をつまんだ。店主がぜんまいを巻いた後、私が自動販売機のように硬貨を入れると、がちゃんという音のあとに円盤が動き出す。円盤はゆっくりと回転しながら、ぽろん、ぽろんと銀の星が落ちてくるような音を奏で始めた。
「円盤の下に鉄の歯があってな、それを弾くことで音が出るんだ」
店主がひそひそと耳打ちしてくる。
そんな話を聞き落としてしまうくらい、美しい音色だった――が、途中で鳴らなくなってしまった。円盤は回っているのに、明らかに音が途切れ途切れになってしまう。
「壊れてんだな。そりゃそうだよなぁ……処分するか」
店主が寂しそうな声で言いながら、オルゴールを撫でた。
なんだか、その声が寂しくて――気が付くと「これ、引き取っていいですか?」と言って譲り受けてしまったというわけである。
ちょっとした大きな古時計くらいあるので、リビングが少し狭くなったように感じた。
私としては、アンティークが増えた! みたいな感覚なのだけど、フェンリールは新しい住人が気に入らないみたい。
「母さん、なにかんがえてんだよ……こわれてるのに、もらってきてさ……」
「でも、捨てるのはもったいないでしょ。それに、修理すれば使えるかもしれないわ」
「で、だれがなおすんだ?」
「それは……これから探そうかと」
私が曖昧に笑えば、フェンリールはトムとそっくりな表情で溜息をついた。
「母さんってさ、『なんでもみとおしてる!』ってかんじのときと、『とつぜんの思いつき!』なときの差がありすぎるって……なんつーか、ステキすぎる性格してるよな。きっと、アニキもくろうしたんだろうなー」
「お褒めの言葉として受け取っておこうかしら」
「なんでそうなるんだよ! ひにくだよ、ひにく!」
フェンリールはぷんぷん怒っていた。
ディークに直してもらおうと思ったけど、彼の専門外らしく悪戦苦闘していたので、ちゃんとした専門家を探そうと思う。今度、モーリスが来たときに、誰か心当たりがないか聞いてみようかな……。
●1942年 10月△日
今日は、庭のリンゴを収穫した。
いつもはフェンリールやディークと収穫していたけど、珍しくトムも一緒!
本当は、トムは参加しない予定だった。オックスフォードでヴァイオリンのレッスンがあったのだけど、今朝になって先生が体調を崩されたとの電話が入ったのだ。すぐに、トムに知らせようと思ったのだけど、フクロウを飛ばす手配をする前に、暖炉から帰ってきてしまった。
トムはヴァイオリンのレッスンがないと知ると、面倒そうに息を吐いた。
「ふーん、そっか。それなら、今日は大人しく部屋で読書でもしておくよ」
トムはそう言うと、すぐに自分の部屋に上がろうとしていた。
彼の言い分も間違ってはないのだけど、それはそれでもったいない。だから、私はその背中に待ったをかけることにした。
「せっかくだから、一緒にリンゴを収穫しない? 本当は来週の予定だったのだけど、人手が足りないから」
「……あのさ、たしかにリンゴの木は庭の奥まったところにあるよ。外から見えにくいけど、確実ってわけじゃない。僕は学校にいるはずなんだ。それなのに、汽車も使わずに帰省しているって知られたら面倒だろ?」
トムはそう言ったが、小さくため息をついた。
「まあ、マグル避けの魔法をかけるって約束するならいいけど」
そこで、ディークにお願いして、家の周囲にマグル避けの魔法をかけてもらうことにした。今日は誰も来る予定ではないし、問題はないだろう。
清々しい秋晴れの下、私たちはリンゴ狩りをした。
ヘレンおばあちゃんはリンゴが好きで、庭にはクラブアップルや青リンゴの木が植わっている。おばあちゃんが生きていた時は、秋になるとリンゴを裁断機にかけて、ジュースを詰めた瓶を贈ってきてくれたこともあった。
さて、リンゴ狩りだが――フェンリールが大変ご機嫌だった。
いつもはトムに後れを取っているが、こればっかりはフェンリールの方が経験を積んでいた。未経験者のトムに向かって、とても得意げに説明していた。
「アニキ! それはダメだって! リンゴのはしっこまで、ちゃんと色がついているもんを採るんだよ。んで、採り方もさ、もっと、こう、つけねんところに指をあてながら――パキってやるんだ」
フェンリールは自分で実演をして見せながら、リンゴをもいでみせる。
「……上手だな」
「とーぜんだろ! 俺は何年手伝ってきたとおもってんだ?」
フェンリールはえへんと胸を張っていた。
私は「いや、まだ3年目でしょ……」と内心突っ込みを入れながらも、2人が仲良くリンゴを収穫している様子を微笑ましく思った。
しっかり目に焼き付けたので、この日記を書き終えたら、すぐにスケッチブックを広げようと思う。
お昼休憩のとき、すぐ傷みそうなリンゴは食べることにした。
私は皮を剝いて食べる癖が抜けないけど、このときは別だ。もぎたてのリンゴを一瞬でも早く味わいたい欲が勝り、皮を剝いて食べる手間が惜しい。水で洗ったリンゴをタオルで拭い、一思いに齧りつく。皮の歯ざわりや果実のしゃきしゃき感、甘く仄かに酸っぱい香りが口の中一杯に広がった。
「うめぇなー!」
フェンリールが豪快に齧りつきながら、目を輝かせて言った。
「アニキもそう思うだろ!?」
「そうだな。それなりに美味い」
「だろー!」
トムも口元に笑みを浮かべていた。無心でリンゴを食べているようだったが、ふと思い出したように顔を上げた。手元のリンゴをじっと見つめ、何か考え込んでいるようである。
「トム?」
「……アイリス、そういえば……リンゴ、切るの上手だったよね。ウサギの形にするとか……あれって、どこで練習したんだ?」
「ずっと昔よ」
「昔って、どのくらい昔? アイリスの学生時代?」
前世。
前世で練習した――なーんて、口が裂けても言えるわけがない。かといって、いまさらトムに嘘をつく気にもなれなかった。ここまで嘘をつかずにきたのに、こんな単純なことで信頼関係を壊したくない。私はしばし考えた末、口の前で人差し指を立てた。
「秘密」
「はぁー?」
トムの代わりに、フェンリールが声を上げた。
「そんくらい、おしえてくれたっていいじゃねぇか! 逆に気になるっての!」
ところが、不服そうなフェンリールとは違い、トムはにやっと笑っていた。懐かしそうに目を細め、私に向かってこう言ったのだ。
「それって、『
トムが告げた言葉に、私はびっくりして目が丸くなってしまった。
「トム!? なんでそれを知っているの!?」
「どこって……アイリスが自分で作った格言だよ。ほら、あの女が来たクリスマスに……忘れた?」
「あ……ああ、そうだったわね」
トムの口から、前世で流行った探偵漫画の悪役が放った有名な台詞が飛び出たものだから、ひっくり返りそうになった。そういえば、そんなことを呟いてしまった気がする……たぶん、ガランサス夫人が訪れた最悪なクリスマスのときだ。夫人が来襲したときの衝撃が大きすぎて、すっかり忘れてしまっていたけど、私はかの悪役の名言を自分の作った格言としてしまった。あれは……嘘をついてしまったことになる、のか。そうだよな……あれは、嘘だよな……。
まずい……私が気が付かないうちに、なにげなくついてしまった嘘が他にもあるのかもしれない。私が思い出せないような些細なことが、トムの記憶に残っているかも……ちょっと気を引き締めよう。
そんなことを考えていると、トムはこんなことを告げた。
「この間さ、会った女の人も似たようなことを言ってた」
「ホグワーツの先生? それとも、スラグ・クラブに招かれたお客さん?」
私はできるだけ平静を装いながら尋ねる。
トムは私の動揺に気づいていないらしく、リンゴに目を落としたまま答えてくれた。
「クリーデンスの見舞いに来てる人。いつも泣きそうな目をしている」
ナギニだ。
私は確信したけど、それは言えなかった。それを言ったら、トムにダンブルドアの来訪を教えることになる。フェンリールは知っているから話してもいいかもしれないけど、トムは絶対に来訪の内容を根掘り葉掘り聞いてくるだろう。そうなったら、今度は「秘密」では誤魔化しきれない。
「名前は聞いたの?」
「教えてくれないんだよ。魔女なんだろうけど、杖を持ってないし……クリーデンスに聞いてもいいけどさ、起きてることの方が少ないんだ」
トムはそこまで言うと、短く息を吐いた。
「リンゴ、何個かクリーデンスに届けていい? あと、その魔女にも。ほら、『1日1個のリンゴは医者いらず』って言うだろ?」
「もちろん!」
「アイリス、ありがとう」
ナギニが泣きそうなのは、クリーデンスが死んでしまうからだろう。
傷心のナギニに対し、グリンデルバルドの陣営が接触して――なにをするというのだろう?
「トム。その魔女さんだけど……」
そう言いかけて、私は口を閉じた。
ナギニに近づくな、と言おうと思ったけど、良い言い訳が思い浮かばない。グリンデルバルド陣営が接触しようとしている、なんて知ったときには、トムがどんな行動に出るのか――想像しただけで、頭がくらっとした。
「アイリス?」
「……とびっきり美味しいリンゴを渡してあげなさい。悲しいときこそ、甘いものを食べないと」
私としては、あまりナギニには接触して欲しくない。だけど、そのくらいならいいか。きっと、ダンブルドアも見張ってくれている。なにか問題が起きたら、止めてくれる――はずだ。
「トム、学校はどう? 事件とか起きてない?」
「事件?」
トムはリンゴを手にしたまま、わずかに目線を上にあげた。
「特にないよ。いたって平和なホグワーツさ。しいてあげれば、ハグリッドが森トロールを手懐けて、凱旋してきたこと。あとは、レイブンクローの薬マニアがトイレを爆発させたってことくらいかな。ああ、レイブンクローといえば……」
トムは私に視線を戻した。
「例のマグル生まれの女子生徒は、楽しい学生生活を送っているから安心して」
「ダイアゴン横丁で会った子?」
「そうだよ。この間、友だちと仲良くおしゃべりしてた」
「トム……ありがとう。気にかけてくれたのね」
私が礼を口にすると、トムは笑みを深めた。
「僕は何もしてないさ。僕はね」
それだけ言うと、リンゴに思いっきり齧りついていた。
いったい、トムは何をしたのだろう? 絶対に、なにもしてないなんてことはない。裏から手を回したのだろうが、詳細を聞いても教えてくれない気がした。ここで「秘密の部屋」に関する話題を口に出してもいいけど、それが起因して、原作の展開を後押しするような事態になったら目も当てられない。
なにはともあれ、平穏な学生生活を送っていることは間違いないのだ。
少なくとも、いまのところは。
それでいい。それでいいではないか。
余談だけど、トムはリビングに新しく置かれた
「アイリスって、不思議なものを拾ってくる癖があるよね」
どうやら、フェンリールより好意的に受け止めてくれたみたい。
「こいつの音、今度ゆっくり聴かせて」
オルゴールの表面を指先で触れ、ちょっと楽しそうに目を細めていた。
さて、今日の日記はおしまい。
さくっと、今日のトムたちを描いて寝るとしよう。
いつも感想をくださり、ありがとうございます! 執筆の励みになっています!
誤字報告もありがとうございます。自分でも投稿前に読み返して誤字がないか確認しているのですが、抜け落ちが多くて……ありがとうございます!
気が付けば、本作も投稿を始めて一周年が過ぎていました。2カ月も……1年が早いと感じますし、アイリスとトムたちの物語も長くなったなと今さらながら実感しております。
今後とも、本作をよろしくお願い致します。