禁じられた森。
その名の通り、ホグワーツの生徒が許可のない立ち入りを禁止された森である。
昼間でも陽光が差し込みにくい深い森であることに加え、野犬が闊歩し、水辺にはダグホッグが身を潜めている。かなり奥へと進めば、大蜘蛛や恐ろしいトロールだって住んでいるのだ。
もっとも、数十年前よりかは治安が回復したらしい。
大昔は密猟者が侵入したそうだが、すでに姿を消して久しかった。とはいえ、一歩間違えれば命を落とす森であることには変わりがない。毎年1、2人は興味本位で足を踏み入れた結果、大怪我を負い、森番やケトルバーン教授によって回収される。怪我を負った本人たちは総じて口を閉ざし、なにが起きたのか打ち明けない。本人たちは二度と森に入ろうとは思わないし、周りの生徒たちも「禁じられた森は恐ろしい場所」と信じるようになる。
だから、誰も何度も入ることはない。
とある2人の少年を除いては。
「ハグリッド!」
そのうちの1人――トム・リドルの怒声が「禁じられた森」に響き渡る。
トムは眉間に深い皺を寄せ、もう1人の少年に厳しい視線を向けていた。普段のトムは誰に対しても温和で人当たりも良いにもかかわらず、それが嘘のように刺々しい空気を纏っている。
しかしながら、もう1人の少年――ルビウス・ハグリッドはケロッとした笑顔を浮かべていた。
「ああ、トム! ようやっと来たのか!」
「ようやくだよ……君の大きな足跡が残っていてね、ここを見つけることができた」
トムは頬を引きつらせながら言った。
トムはホグワーツ生のなかで、自分こそ最も魔法に秀でる自信があったが、それでも「禁じられた森」はあまり立ち入りたくはない。実際、ここに来るまでに、何匹もの巨大蜘蛛と攻防戦を繰り広げる羽目になった。自分の身体の二倍はある大蜘蛛が三匹同時に降ってきたときは、さすがに悲鳴をあげかけたものだ。
「君のおかげで、僕は蜘蛛の対処が上手になった自信があるよ。蜘蛛に爆発呪文を撃つ速度に関しては、誰にも負けないだろうね」
「そうなのか? そいつは良かったな! だけどよう、トム。お前さんは、どんな呪文も早いじゃねぇか。そんなのにもっと上達させるだなんて、努力家だな」
「……ハグリッド……」
トムは額に筋が浮き上がるのを感じ、拳を強く握った。
ハグリッドに悪気がないのは理解している。間違いなく、善意100%の言葉なのだ。トムはそのことを懸命に胸に刻みつけ、大きく息を吐いた。
「一応だが、理由を聞いておこう。ここでなにをしている」
トムは周囲に視線を向けた。
ここは「禁じられた森」でもかなり奥地。昼間だというのに、鬱蒼とした木のせいで陽光が差し込まず、不気味で薄暗い空気を醸し出していた。右手には静かな湖が広がり、遠くで立派な角をたずさえた牡鹿が水を飲んでいる。そして、ハグリッドの背後には小さな水盆が鎮座されていた。
「厨房にローストビーフがあったんで、セストラルにプレゼントしようと思ったんだ。だけどよう、首無しニックがそいつを欲しがってたから、渡してやったんだ。そんで、一緒に首無し狩りクラブに行ったんだ!」
「……いろいろ突っ込みどころがあるが、君には首がついてるだろ。第一、まだ君は死んでない。それなのに、ゴーストが主催するクラブに行ったのか?」
「参加は断られちまった。仕方なしにその辺ぶらぶらしてたら、カボチャを踏み潰してしまってよう……もったいねぇことしたって思ってたら、ゴーストの頭が隠れちょったんだ!」
ハグリッドは目を輝かせながら語るが、トムの視線はますます冷たくなっていく。ハグリッドはトムの湿った視線に気づいていないらしく、身振り手振りで語り続けていた。
「んで、そのゴーストが『君、ホグワーツの生徒だろ? そういえば、前にもこんなことがあったな』って、この場所を紹介してくれたんだ! ここは、そいつが死んだ場所なんだ!」
「そいつも大概だな。ホグワーツの生徒に『禁じられた森』へ行けって唆すなんて。……それで、ハグリッド。君はそいつの亡骸を発掘に来たのかい?」
「そうとも!」
ハグリッドは胸を張った。
「そいつが死んだとき、首が切られたらしいんだ! 見たこともねぇ魔法生物がいるかもしれねぇ! わくわくしねぇか!」
「新種の魔法生物が潜んでいるなら、ニュートに知らせないとな」
トムは感情のこもっていない声で応えると、ハグリッドは何度も頷いた。
「そうだろう! そうだろう! だけどよう、合言葉忘れちまったんだ。この水盆にラテン語だかギリシャ語の言葉を呟けば開くらしいんだが……インート――いや、イラース――」
ハグリッドはうーんと唸った。
「なぁ、トム。お前さんなら分かるだろ?」
「いまは考えたくないな。それに、そいつが嘘を言ったかもしれないだろ。だいたい、まともな神経なら、ホグワーツの生徒に『禁じられた森へ行け』なんて言わない」
トムはさして考えずに言うと、肩を落とした。
「帰るぞ。早く帰らないと、さすがに罰則を回避できなくなる」
トムはハグリッドに背を向けて歩き出した。
「ま、待てよう。トムー!」
ハグリッドが急いで背中を追いかけてくる。十数歩は離れていたが、ハグリッドは2、3歩でトムの横に並んだ。トムはハグリッドを横目で一瞥すると、ほとほと呆れた声で言った。
「せっかくの土日なんだ。こんな森じゃなくて、ホグズミード村に行けばいい。もしくは、ケトルバーンのところだ。そこで魔法生物と思う存分触れあえるじゃないか」
トムはハグリッドを睨んだまま、言葉を続ける。
「そもそも、だ。君の罰則を回避する言い訳を考えるのは、誰だと思ってる?」
「そりゃ、お前さんだ」
「正解」
そう告げながら、トムは杖を引き抜いた。斜め前に蜘蛛の細い脚が見えたような気がした。実際、白い糸を辿り、すうっと落ちてくる――と分かった瞬間、トムは無言で爆発呪文を放った。蜘蛛の密集地帯を通らなければ、城に帰ることはできない。ここら一帯を燃やせてしまえば、どれだけ楽だろう――トムは杖を指揮棒のように振るいながら、ハグリッドに話続けた。
「スラグホーンから『禁じられた森』へ立ち入る許可証を貰ってから、ここまで迎えに来てやってるんだ。僕がいなかったら、君は――いや、君はこんな場所で命を落とすことはないな」
トムは首を小さく振った。
いまこの瞬間にも、地面から蜘蛛が奇襲を仕掛けてきたのだが、ハグリッドはまったく動じていなかった。自身が攻撃を喰らったというのに意に介しておらず、平然と踏みつぶしていた。ハグリッドの魔法の腕はお世辞にも良いとは言えない。下手したら、下級生よりも杖を上手く扱えないだろう。杖十字会に所属こそしているが、純粋な魔法攻撃だけだと一番弱いかもしれない。
しかしながら、彼は恐るべきフィジカルの持ち主だ。生半可な魔法は弾き飛ばし、ちょっと腕を振るだけで、数人の生徒をいっぺんに倒すことができる。
トムですら、ハグリッドと正面から戦って勝つためには、かなり高度な魔法が求められるのだ。そんな彼ならば「禁じられた森」の蜘蛛程度、どうってことないのだろう。
「君は命は落とさずとも、書き取りの罰則を何度も喰らっていたかもしれない。もっと悪ければ、退学だぞ?」
「そりゃ困る。退学は嫌だ」
ハグリッドはしゅんっとなった。大きいコガネムシのような目を潤ませ、ぼたぼたと涙を流し始める。
「退学になったら、俺はどこへ行けばいいんだ」
ハグリッドがおいおいと泣く度に、トムの頭にぼたぼたと涙の粒が落ちた。トムはすかさず盾の呪文の応用で傘を創り出すと、顔を上げてこう叫んだ。
「泣くな! だから、僕が退学にならない言い訳を考えてやっているんだろ?」
「トムぅー! お前さん、良い奴だなー!」
しかし、ハグリッドはますます泣くばかり。
トムは彼を励ましながら、がっくりと肩を落とす。
(どうしてこうなったんだ……)
グリフィンドール生のルビウス・ハグリッド。
「杖十字会」でこそ一緒だが、それ以外の接点はないはずだった。アイリスを助けた恩人だからといって、いろいろ世話を焼いているうちに、土曜日の午前中はハグリッドを迎えに行くのが定番になってしまっている。
「まったく……僕は多忙なんだぞ」
トムはため息交じりに呟いた。
実際、トム・リドルほど忙しい生徒はいない。
日々の授業の予習復習は当然のこと、毎日最低でも2時間はヴァイオリンの練習に費やし、必ず早朝はヒッポグリフを始めとした魔法生物の世話を欠かさず行っている。隙間を縫って、杖十字会に顔を出したり、「死喰い人」のメンバーと練習にミーティング、そして、ジョナサンを探し出す計画を立てたりしている。その上、トムは誰にも知られずにひっそりと「とある研究」まで手を出していた。
幾度となく、1日が24時間しかないことを恨み、喉から手が出るほど「逆転時計」を欲した。
正直なところ、限られた貴重な時間を、ハグリッドの捜索に費やしたくなかった。しかしながら、朝食の席でグリフィンドールの生徒が申し訳なさそうな顔で注進に来るのだ。
『リドル先輩、すみません……今朝もハグリッドがいないんです……』
と。
何度となく、トムはこう返しそうになった。
『あいつなら、放っておけば帰って来るだろ』
けれども、万が一のことがあってはいけない。
ハグリッドは、アイリスの恩人なのだ。
トムはサンドイッチを強引に飲み込むと、朗らかな笑顔で『ありがとう。すぐに探しに行ってくるよ』と返すのだった。――アルファードが笑いを必死に噛み殺す姿を視界の端に映しながら。
「ホグズミードといえばよう、トム」
トムが蜘蛛を退治しながら回想に耽っていると、涙交じりの声が降ってきた。
「お前さん、この間、ホグズミード村で女の子と話してたが、ありゃ誰なんだ?」
「女の子? ……ああ、レイブンクローのマートルのことか?」
トムが聞き返すと、ハグリッドは大きく頷いた。
「たぶん、そいつだな。トムの話してる相手が、スリザリン生でもなけりゃ、杖十字会でも見たことねぇ奴だったからな。なんか気になってたんだ。お前さん、お礼言われてたろう? あの子となにかあったのか?」
「別に。僕は何もしてない」
「でも、頭下げられてたのを見たぞ?」
「……気まぐれで手を差し伸べた、それだけさ」
トムは小匙一杯分程度――本当の笑みを浮かべた。
「君は知らないだろうが、あいつはいじめられてたんだ。それを止めてやろうと思ったんだよ」
トムからしたら、マートルと名乗った少女など興味がない。どうでもよい存在である。ただ、アイリスが気にかけた以上、最悪な事態になるのは夢見が悪い。それに、いじめを認知してしまったのに、なにもしないで見て見ぬふりをする自分も気に入らなかった。
「僕がしたことは1つだけ。三本の箒に行っただけだ」
「それだけか?」
「正確には、店主のシローナの前でぼやいただけだよ。『最近のレイブンクロー生は、不思議な遊びをしている。特定の女の子の靴を天井に隠して、その子が必死に探す姿を笑う遊びをね。僕には面白さがまったく理解できない』って」
いじめ問題に寮監が動かないなら、第三者の手を借りるしかない。
「三本の箒」の店主――シローナは、数十年も店を切り盛りしている。レイブンクローの寮監が学生だった頃から知っていた。シローナの髪には白髪が混じり、そろそろ引退も囁かれていたが、依然として体格がよく、なにより悪を許せない姉御肌の持ち主だ。
だから、トムはわざと――アルファードとドロホフの3人でシローナがいるカウンターに座り、雑談の最中にこの話題を切り出したのだ。
『ちょっと待って。いま、なんて言ったんだい?』
シローナは驚きながらも、すぐに尋ねてきた。
トムがいじめの詳細と「寮監は黙認している」ことを伝えると、彼女はすぐに動いてくれた。暖炉に煙突飛行粉を叩きつけ、寮監の名前を叫ぶ。そのあとは、トントン拍子に話が進んだ。寮監からディペット校長まで話が伝わり、いじめの首謀者たちは平謝り。なにせ、シローナから「マグル生まれとか容姿がどうとか、そんな理由でイジメをする連中は、『三本の箒』の敷居を跨がないでもらいたい」と言われてしまったのだ。「三本の箒」から入店拒否されたということは、ホグズミード村すべての店への立ち入りが禁止されたも同然。ホッグズヘッドくらいしか行ける場所がなくなるし、そこで楽しくおしゃべりできるほどの度胸はない連中だった。
かくして、いじめは収まった。
もっとも、トムのあずかり知らぬところで続いている可能性はなくもないが――義理は果たした。これ以上、首を突っ込みたくない。
「さすが監督生だ!」
ハグリッドは感嘆の声を出すと、トムの肩を軽く叩いた。――否、ハグリッドは軽く叩いたつもりだったのだろう。しかしながら、トムにとってはバットで殴られる並みの痛みが走った。
「……ハグリッド……」
トムはしかめっ面で、ひりひりと痛む肩に杖先を向ける。
やはりというべきか、ハグリッドはトムの様子にはまったく気づいておらず、心から嬉しそうに話すのだった。
「お前さんは、本当にすげぇ奴だ! バッジを貰う前から『監督生』って呼ばれてたんだからな!」
「……」
トムは文句を飲み込んだ。
「監督生」のバッジを受け取る前から、一部の間で「監督生」と呼ばれていることは知っていた。正確には「ハグリッドを監督している生徒」の略である。実に不本意なあだ名なのだが、かといって、ハグリッドを「友だち」と称するのもはばかられた。
「まあ、そういうことにしておこう」
トムは小さく呟いた。
この頃になると、蜘蛛の襲撃はなくなり、木々の隙間から光が差し込んでくるようになっていた。あと数分もしないうちに、森を抜け出すことができるはずだ。
「あ……そうだ!」
そんなとき、ハグリッドが急に声を上げた。
ハグリッドはごそごそとポケットをあさり出す。彼はポケットにすべての物を詰め込む癖があった。実際、彼のポケットは彼の大きな手が楽々入る程度には広い。ちょっとした鞄を背負うくらいなら、ポケットに入れてしまおうと思うのも理解はできたが――一体何が飛び出してくるのか、トムはわずかに身構える。
「えっと、これじゃないし、これでもない――あ、あった! これだ、これ!!」
ハグリッドはポケットから青色の紙袋を取り出した。
「トム、おめでとう!」
「え?」
トムは紙袋を渡され、一瞬困惑した。だが、青色の紙袋に大きな文字で「監督生、就任、おめでとう」と記されているのを見て、自分はプレゼントを貰ったのだと理解する。綴りに間違いはなかった。一文字ずつ大きく、ゆっくり書いたらしく、インクが強く滲んでいた。きっと、彼なりに丁寧に書こうとしたのだろう。
「……ありがとう」
「お前さんには、いつも世話になってるからな!」
「中を見てもいいかい?」
「もちろん!」
なかを開くと、首飾りが入っていた。緑色をした質素な紐に爪くらいの銀色の塊が一つ吊り下がっている。トムは銀色の塊をしげしげと見つめ、はっと目を見開いた。
「これ、本物の銀か?」
「オカミーの卵の殻だ! ケトルバーン先生の手伝いをしたときに、分けて貰ったんだ。スリザリンといえば、緑と銀だろ?」
ハグリッドはえへんと胸を張る。
「オカミーといえば、蛇みてぇな魔法生物だ。蛇とはちっとばかし違って、羽があるが……そこがドラゴンみてぇでカッコええ! なぁ、お前さんもそう思うだろ?」
「……そうだな。オカミーは蛇より好きだ」
トムは首飾りをかけ、ぽんっと軽く叩いた。
「ありがとう、ハグリッド」
「本当は厨房でクッキーでも焼こうかと思ったんだが、しもべ妖精たちに止められちまったんだ。お前さん、甘いもの好きだろ?」
「いや、これがいい。君らしくて好きだな」
トムはそう言うと、前を向いた。
城の鐘が昼を告げる音が、遠くから響いてくる。
ハグリッドへの言い訳を上手く済ませることができれば、午後からホグズミード村へ行けるかもしれない。そう思うと、こんな言葉が自分の口から飛び出していた。
「そうだ、ハグリッド。午後はホグズミード村に行こうと思っていてね。君さえよければ、一緒に来ないか?」
「おう!」
ハグリッドは大きく頷く。
背丈こそ大きいが、誰よりも純朴な少年の姿を見上げ、トムの口元は緩やかな弧を描く。だが、トム自身は気づかない。
「それにしても、なんで紙袋は青なんだ?」
てっきり、スリザリン色に統一するのだとばかり思っていた。
ところが、ハグリッドはきょとんと首を傾げた。
「緑と銀も好きだろうが、同じくらい青も好きだろ?」
「そうか?」
「そうだろう? 羽ペンのインク壺とか、メモ帳とか、ちょっとしたもんは全部青色だろうが?」
ハグリッドに指摘され、そういえばそうだなと頷く。
「……あまり意識してなかった」
「トムも気づかないことがあるんだなー」
「僕だって人間だからね」
トムは言い訳のようにそう答える。
青を選ぶ理由には見当がついたが、それを口にするのは恥ずかしい。あと10年幼ければ言葉に出していたかもしれない――と、思いかけたが、わずかに首を振った。幼い自分でも、きっと照れてしまって貝のように口を閉ざすことだろう。
トムは耳の辺りがわずかに熱を持ったことを感じながら、足早に城へと急ぐのだった。
※投稿後、一部描写を追加しました。