「スリザリン寮の監督生を一人挙げよ」
このような問題が出されたとき、大半の生徒が「トム・リドル」の名前を口にする。それ以外は「アブラクサス・マルフォイ」の名を挙げるだろう。
「では、女子の監督生は?」
そう問われたとき、誰もがしばし悩む。もしかすると、多くは「ドゥルエーラ・ロジエール」を思いつくかもしれない。「死喰い人」のメインボーカルの彼女は、寮内外問わず高い人気を誇っているのだ。
しかし、他のメンバーとして「ヴァルブルガ・ブラック」の名前が挙がってしまうことがある。
そのたびに、スリザリン生は訂正するのだ。
「6年生の女子の監督生は、ブラックはブラックでもルクレティアだ」
他寮の――特にマグル生まれの学生は、誰もが同じ疑問を抱くことだろう。
ヴァルブルガとルクレティア。ブラックの家名を抱く者だが、ヴァルブルガの強烈な印象のせいで、ルクレティアは霞んでしまっている。ヴァルブルガの真夏の青空のように輝く青い瞳、自信に満ちた表情、誰もがひれ伏す圧倒的な美貌、くせ毛気味な黒髪でさえ自分の魅力の一部に取り入れ、悠々と歩く姿は女傑そのものだ。勉学も申し分なく、過去に一度だけクィディッチで代理シーカーを務めた際には、あっという間に金のスニッチをつかみ取るほどに運動神経も抜群である。
「私に勝ちたいのであれば、チームメイトを三倍に増やすことですわ!」
ヴァルブルガは高笑いをしながら、相手チームに言い放ったとか……。
さて、一方のルクレティアの評価はどうだろう?
ヴァルブルガの隣に並び、たおやかに微笑む美少女――マグル生まれであれば、そのくらいだろう。清楚な美少女であることには変わらないが、ヴァルブルガの前では霞んでしまう。それでも、よく観察すれば気づくはずだ。
2人が並んで談笑するとき、ヴァルブルガの方が半歩後ろに下がっている事実に。
直系の血を引く者と傍流の違いなのだ。
いずれ、ヴァルブルガが嫁ぐことで本家に入ることが決まっていても、その身に流れる血が変化することはない。どこまでいっても、ルクレティアの方が立場が上なのだ。
目立たないからこそ、侮ってはいけない。
控えているように見えるからといって、誤魔化されてはいけない。
ルクレティア・ブラックの微笑みの向こうには、なにが隠されているのか。それを知る者ほど、ヴァルブルガより彼女を警戒する。
ルクレティア・ブラックとは、そのような生徒だ。
※
「……さて、アルファード。貴方が私の力を借りたいとは、どういう風の吹きまわしなのかしら?」
ルクレティアはいつもの微笑みを従弟に向けた。
「三本の箒」の個室に呼び出されたと思えば、やけに深刻な顔をした従弟が出迎えてきたのだ。
「大好きなお姉様に相談すればいいのではなくって?」
「あはは……ヴァルブルガ姉様では、問題を余計に拗らせそうでね」
アルファードは相変わらずの軽い調子で返してくる。
「ほら、姉様は頭かちかちの純血主義だろ? 一歩間違えれば、グリンデルバルドの仲間入りってレベルだ」
「あらあら、私はそうではないと言い切れるのかしら?」
「君の方が、まだ理性的だよ。少なくとも、表面上は皮を被っていられるじゃないか」
ルクレティアは扇子を広げると、くすくすと笑ってみせた。
「表面上は皮を被っていられる女に対して、いったいどのようなお願いがあるのかしら? まさか、マグルと仲良くお茶会をしろと?」
「実はさ、そのまさかなんだよ」
アルファードが半笑いで答えたので、さすがのルクレティアも言葉を詰まらせた。扇子を握る手に力が籠り、従弟の真意を探るようにじっと見つめる。しかし、アルファードは冗談を口にしているわけではないようだった。強張った笑みを浮かべていたが、目だけは真剣そのもの。こういうときに、こんな質の悪い冗談を言うような性格でもない。ルクレティアは不快感を押し殺すように、ゆっくりと息を吐いた。
「……相手はその辺のマグル? それとも、スクイブ? 百歩譲って、相手がマリウスなら考えてあげてもよくってよ」
「マグルだよ。でも、ただのマグルじゃない」
アルファードは真面目な声色で断言すると、ずっと手にしていた鞄を開いた。
「こいつの義理の母親だよ」
アルファードは鞄から出て来た人物――トム・リドルを指して言った。
「……トムの義理のお母様ね……」
ルクレティアは思案するように口にする。
「トム……貴方、最近体調悪そうだけど、今回のお願いに関係しているのかしら?」
「確かめて欲しいことがあります」
トムは硬い口調で、事情を話し出した。
カッサンドラ・トレローニーの予言によると、トムとダンブルドアは将来的に対立し、一方しか生き残らないこと。ダンブルドアは予言を知っていて、トムに幼少期から魔法使いの見張りをつけていたこと。義理の母親もダンブルドアの一味である可能性があり、いざとなったときに自分を殺しに来るかもしれないこと……俄かに信じがたい話だったが、ルクレティア・ブラックは最後まで口を挟むことなく聞き終える。
「蛇の王の予言……カッサンドラの予言に関しては、かなり詳しいけど聞いたことがないわ」
ルクレティアは扇子を閉じ、顎に軽く添えながら答えた。
「少なくとも、授業では習ったことがないし、図書室の本にもないはずよ」
「僕も確認済みです。ですが、先日……ホグズミード村の書店で、このような一冊を」
トムが差し出して来たのは、数年前にドイツで発売された「カッサンドラ・トレローニー」に関する新解釈本だった。そこには、確かにトムの語った予言が記されている。
「これが本当なのであれば、僕はダンブルドアに負けて死ぬ。いまの僕では、ダンブルドアに絶対敵わない。だけど、この本はドイツで出版されている。それが引っかかるんだ」
トムは発行元が記された場所を、ピンっと指ではじいた。
「僕は真実を知りたい。だから、アイリスに聞いて欲しいんです。アイリスは楽観的だから、他の誰よりも警戒心が薄い。僕から切り出したら、さすがに警戒されるかもしれないけど……ルクレティア、貴方なら!」
「……楽観的な性格自体が嘘かもしれなくってよ?」
「それはありえない」
トムは即座に否定した。しかし、すぐに表情が曇った。トムにしては珍しく、もごもごと口ごもっている。
「アイリスのあれが演技だとは……僕には考えられない。普通のマグルが……いや、マグルでなくても、女性が自分を誘拐して殺そうとする男に対して、『家が汚いから、掃除をさせてください』って頼めるとは……とても思えなくて」
「…………それ、楽観以前の問題では?」
「他にも、気になることがあるんだ。アイリスには、未来が視えていることもあるみたいなんだよ」
「マグルが未来視を持つなんて、ありえませんわ」
ルクレティアは再び扇子を広げ、ふむ……と考え込む。
度胸があるのか、はたまた考えなしか。その性格は置いておくとしても、マグルが未来を予見するなどありえない。ルクレティアはトムに話していないが、過去にアイリスの経歴と家族構成について調べたことがあった。しかし、先祖に魔法使いがいるなんてことはなかったし、トムと会うまで魔法使いと関係するような経歴もない。まっさらなマグルである……はずである。
だが、トムが嘘をつくとは考えにくい。
では、アイリス・リドルとはいったいどのような人物なのか。
ルクレティアの好奇心が、わずかにくすぐられた。
「お茶には『素直におしゃべりがしたくなる薬』を入れても良くって?」
そう微笑みかけると、トムの硬い表情が若干ながら緩まった。
「もちろん。すでに準備は――」
「いえ、それに関して問題はなくってよ。ストックは十分にありますから」
かくして、ブラック家でのお茶会がセッティングされた。
母は純血の奥様会でカントリーハウスに滞在し、父はノグテイル狩りでロンドンのタウンハウスを留守にしてる休日を狙い、客人をグリモールド・プレイス12番地に呼び出すことに成功した。今回、片棒を担ぐことになった屋敷しもべ妖精のクリーチャーは嫌そうな顔をしていたが、「彼女はトム・リドルの育ての親。それに、純粋なマグルではないかもしれないの。だから、節度のある態度で接するように」と命じた。
「……これでいいかしら?」
お茶会も終わり、アイリスがお土産を持って退出すると、ルクレティアはすぐ後ろに目を向ける。一見すると何もない空間だったが、とろりと背景から溶け出すように、トム・リドルが現れた。
「目くらまし術ですべて見聞したのでしょう? トム、貴方の感想は……いえ、聞かなくても分かるわ」
ルクレティアは心の底から愉快そうに笑った。
トムの顔は、これまでに見たことがないくらい真っ赤に染まっていた。彼の顔に卵を落とせば、綺麗な目玉焼きが出来上がるくらいに熱を持っていることが一目瞭然だった。
トムはわなわなと拳を振るわせながら、何度か口を開いては閉じた。そして、意を決したように――しかしながら、ルクレティアから目を逸らし、絞り出すような声でこう問うてきた。
「ルクレティア……意見を聞かせて欲しい、です」
「単刀直入に答えるのであれば、どこまでも善人であり、誰が見ても凡人でしょうね」
ルクレティアはくすくす笑いが止まらなくなっていた。
「小さなエンジェルさんのことを、全身全霊で愛していることが伝わってきましたわ」
「その呼び方は、絶対にやめてください。記憶から消してください」
「誰にも口外しないと約束しますわ」
アイリスの心のなかで、引き取ったばかりのトムを「天使」と表現していたなんて面白いネタ、絶対に忘れないだろう。こんな面白い話を誰かに広めるより、いざというときの切り札として大事に胸で温める方がずっと楽しい。
「私の個人的感想ですが、彼女は白でしょうね。ダンブルドア教授と悪い意味で繋がっていたのだとすれば、私が勧めたお茶を飲むことを躊躇するはず。それをしなかった時点で、教授との個人的繋がりはないと思われますわ」
「……僕からすれば、真実薬の可能性について、頭からすっかり抜けていたようにも見えました。魔法界云々ではなく、貴族社会のマナーについて注意していたような気がします」
「貴方に恥をかかせないために、ね。……良いお母様ですわ」
ルクレティアは扇子を広げ、にやけた口元を貞淑に隠した。
「私からアドバイスがあるのだとすれば、意地を張らずに『ママ』と呼ぶこと。それくらいでしてよ」
「……呼べるわけないじゃないですか」
トムは顔を逸らしたまま、ぼそりと呟く。
「あれだけ、疑っておいて……いまさら」
「……まぁ」
ルクレティアは少しだけ目を見開いた。まじまじとトムを凝視する。
トムは自分に注がれる視線が変化したことに気づいたのか、片目だけルクレティアに向けた。
「……なんですか?」
「お母様のおっしゃる通り、意外と可愛らしい面もあるのだと思いまして」
「あの人が語ったことの大半を忘れてください。必要であれば忘却呪文をかけますよ、理論は頭に入っているので」
トムの指がぴくりと動き、杖へと伸ばされる。
ルクレティアは「ごめんなさいね」と心にもない謝罪を口にした。
「ですが、1つ気になったのは、ハリー・ポッターの件ですわ」
このことだけは、ルクレティアの頭の片隅に引っかかっていた。
カッサンドラ・トレローニーの話題を出したときは、「有名な予言者なんですねー、マグルの世界でもノストラダムスという予言者が知られているんですよ」くらいだった。予言に関しては面白半分といった様子であり、「ノストラダムスは1999年の夏に世界が滅亡するって予言していますけど、絶対に外れますよ」と断言していた。あの調子で語っていたので、こちらが「蛇の王」の予言を話題にするのを止めた。仮に切り出したところで「でも、ただの予言ですよね。きっと外れますわ」と返される光景がありありと想像できた。
問題は、ハリー・ポッターだ。
「ウィゼンガモットについては詳しくなさそうでしたし、ハリー本人に関しても知らないようでした。ですが、なんというか……知らないのに、知っているような違和感が……」
ダンブルドアの知人に関しては、ほとんど誰も知らない様子だった。
ダンブルドアの親友とされる「エルファイアス・ドージ」を話題にあげたときには、「ダンブルドア先生にも、ホグワーツ時代に友だちがいたんですね!?」と驚いていた。ドージはダンブルドアの熱狂的な崇拝者として知られている。他にも何人か挙げたが、いずれも知らないようだった。しかしながら、ルクレティアが「他には、ハリー・ポッターとか」と口にした瞬間、アイリスの眉がわずかに動いた。本当に一瞬だったが、アイリスが驚いたように目を見開いたことも、ルクレティアは見逃さなかった。
「まあ、気のせいでしょう。私が『ハリー・ポッターについてご存じ?』と聞いたら、『え、ええ。まあ……眼鏡をかけた少年、ですよね?』と的外れなことを答えてましたからね」
「真実薬の効果が薄れていたことは、ありえませんか?」
「ブラック家の薬を甘くみないでくださいませ」
アイリス自身、「眼鏡をかけた少年」のくだりを口にしたときの表情は渋いものだった。あの顔では「うっかり口を滑らせてしまった」と話しているも同然だ。そのあと、こちらから「ハリー・ポッターはウィゼンガモットのメンバーで、ダンブルドアの古い知人」だと説明すれば「知らなかった」と答えていた。
だとすれば、彼女が口を滑らせてしまった「ハリー・ポッター」とは何者なのか。疑問は残ったが、少なくとも、ルクレティアの知らない少年であることだけは確かだった。
「……私たちの知らない『ハリー・ポッター』という眼鏡の少年がいるということ。マグルの知人でしょうね、きっと。ハリーもポッターも、それぞれよくある名前ですから」
「……だけど、確かに……」
トムは考え込むように項垂れる。
その様子を見て、ルクレティアは嘆息をついた。
「私が『アイリスさんの一番怖いものはなんですの?』と尋ねたとき、『トムが道を踏み外すこと』と答えてました。その耳で聞いていましたわよね?」
ルクレティアが話を向けても、トムは何も返さない。仕方ないので、彼がしっかり思い出せるように、話し続けることにした。
「『トムの魔法の力は強力です。それを悪い方に使わないで欲しい。私、トムが誰かを傷つけるような悪い魔法使いになって欲しくないんです』……これが真相では? 『まね妖怪』が変身したのは、アイリスさんが思い浮かべる『悪い魔法使い』の像だったのですよ」
「だとしたら、ハリー・ポッターの意味が分かりません」
トムの口調にわずかな棘が混ざった。「何故、それを聞かなかったのだ?」と咎めているのだろう。
ルクレティアはやれやれと首を振った。
「あの会話の流れで、いきなり『ハリー』に関する話題を振るのは自然ではなくってよ。貴方が直接聞きなさいな」
ルクレティアは立ち上がると、手を叩いてクリーチャーを呼んだ。クリーチャーの手には、すでに煙突飛行粉がたっぷり入った壺が抱えられている。
「さて、そろそろホグワーツに帰りましょう」
「……ルクレティア、最後に一つだけ」
トムはそう言うと、綺麗な角度で頭を下げた。
「今日は協力していただき、ありがとうございました。しかも、貴方に嘘をつかせてまで」
「いったいどの嘘のこと?」
「……婚約に関する話です」
トムは顔を茹だらせたまま、苦い口調で言う。
「あら」
ルクレティアは愉快そうに目を細めると、ぱんっと扇子を閉じた。
「トム・マールヴォロ・リドル。婚約の話は本当よ」
そう言いながら、トムのポカンとした口元に扇子の先端を突きつける。
「偉大なるサラザール・スリザリンの血、高貴なるブラック家が欲しがるのは当然ではなくって?」
ゴーント家は真面目に純血だけと婚姻を続け、その結果、血が濃くなりすぎて落ちぶれて行った。
ブラック家もなるべく純血と婚姻を続けているが、全員が全員完全なる純血というわけではない。血が濃くなりすぎると、ゴーント家のように奇形に産まれたり、魔力が目に見えて低下することを知っているからだ。だからこそ、従姉婚をするのは、ルクレティアの弟のオリオンだけ。あとは、少しでもブラック家の家系図から離れた純血の家に嫁げるように、両親は苦心している。
そう考えると、ブラック家直系筋とゴーント家はそれなりに血が離れている。年齢だって悪くない。半純血という事実に関しては、後の世で編纂すればいい。つまり、トムは十分に候補に挙がるのだ。
「どうか真剣に考えてくださいませ、旦那様候補さん」
ルクレティアはとびっきりの笑みを向けると、スカートを翻して背を向ける。
自分の背後で、トムはどんな表情をしているのだろう? 彼の表情を想像するだけで、ルクレティアは心から楽しくてたまらなかった。
「人生って、楽しい驚きで満ちているのね」
初めての感情に戸惑いつつも、それを精いっぱい楽しもう。
ルクレティアは弾むような足取りで、ホグワーツへ戻るための暖炉に進むのだった。
次回はアイリスの日記パートに戻ります。