●1943年 2月〇日
ダンブルドアとは、定期的に連絡を取るようになった。
ただし、直接対面するのではなく、両面鏡を通して顔を合わせている。
フェンリールが寝静まったことを確認すると、ディークに周囲を見張ってもらいながら両面鏡を使用し、ダンブルドアに「ハリー・ポッターと賢者の石」の内容を語っている。
ダンブルドアは原作の内容を知りたがった。
それはそうだ、この先の未来に起きるはずだったことなのだ。私がトムを引き取ったことで、かなり状況は変化しているけど、知っておいて損はない。そもそも、ダンブルドアに前世の記憶があることを明かした時点で、原作で起きることを話す覚悟はできていた。
本当は私の記憶をすべて見せられたら楽なのだけど、前世の記憶を見せても謎の女性に阻まれるだろうし、また頭が割れるような痛みを味わうのは勘弁である……。
賢者の石の内容なんて、簡単にまとめてしまえるって思ったのだけど、これがなかなか難しい。原作版と映画版の両方の知識がごっちゃごちゃになっているし、40年近く前に読んだ本の内容をできる限り正確に語るとか至難の業である。しかも、ダンブルドアと対面するのは、長くて30分程度と短いのだ。最近では、ダンブルドアに語ることを見越し、昼間から頭の中で内容を整理することも増えた。
ダンブルドアは良い聞き手で、実に真剣に耳を傾けてくれる。ときどき、私が言葉に詰まると待ってくれるし、「こういうことかな?」と適切な表現を教えてくれた。
例を挙げるとすると、ミネルバ・マクゴナガル先生の初登場シーンだ。
「マクゴナガル先生というのは、フェンリールと文通している彼女のことかい?」
「はい。猫の
「アニメーガスのことかな?」
「たぶん、それです」
私が
ダンブルドアはハグリッドが森番をやっている事実に驚かなかったが、ブラック家のシリウスから空飛ぶバイクを貸してもらったと語ると、少しばかり興味を惹いたらしい。
「一つ確認してもいいかな? ブラック家でシリウスと名付けられた者が、マグルの乗り物を所持しているということは本当かい?」
「なにか変なところでも?」
「いや、気になっただけだ。シリウスは最たる輝きを放つ星だからね。ブラック家直系の長男だろうと考えたのだが……マグルの乗り物を持っているとは、俄かに信じ難くてね」
ダンブルドアの呟きを聞き、私は目を丸くしてしまった。
何気なく語った冒頭のワンシーンだけで、ダンブルドアはシリウス・ブラックが本家の長男であり、マグルに興味がある異端者だと見抜いていた。
本当、洞察力が半端ない。
私が語った断片だけで、どれだけ膨らませているのだろう?
ちなみに、今日はホグワーツ特急の場面を語った。
ダンブルドアは自分がカエルチョコレートのカードになったと知ると、手を叩いて喜んでいた。「どのような肩書きが増えるよりも、チョコレートのカードになれたことが最も嬉しい」ってね。ただ……カードの裏に書かれた業績まで語ると、その表情が沈んでしまったので申し訳なくなった。
そりゃそうだろう……私はハッキリ「1945年、グリンデルバルドを決闘の末に破った」と教えてしまったのだから……。
「グリンデルバルドは……私が殺したのか?」
ダンブルドアが尋ねてきたので、私は言葉を選びながら答えた。
「いえ。ヌルヌルみたいな名前の牢獄に収監されています」
「ヌルメンガード城のことだね」
ダンブルドアは心なしか安堵したように息を吐いた。
グリンデルバルドとは敵対しており、闇の魔法使いとなってしまったとはいえ、彼にとっては親友だ。親友を殺したくない、と思うのは当然のことだろう。
「それにしても、ウィーズリー家の少年が飼っているネズミか……」
「なにか気になるところでも?」
「いや、家庭用のネズミは寿命がそこまで長くない。お下がりとして与えられるとは、とても思えなくてね。指が切れていることも気になる……だが、主人を守るために嚙みついたことは素晴らしい。実に勇敢なネズミだ」
「……確かに、
私は言葉を濁すしかなかった。
このネズミの正体は
いや、全部明かしてもいいと思うけど、ここで種明かしをしてしまったら、アズカバンの囚人を楽しめない。スキャバーズがただのネズミだと思われているからこそ、どんでん返しに背筋が凍るのである。
実際、ダンブルドアから「原作を新鮮な気持ちで知りたいから、伏線があったとしても詳しく語らないで欲しい」と頼まれているからね。
ホグワーツに着き、ハリーが組み分けされたところで時間になった。
組み分け帽子から「スリザリンに入れば、間違いなく偉大になれる」と告げられたのに、「スリザリンは嫌だ」と願った結果、「グリフィンドール」に組み分けされた――という有名な流れを語ると、ダンブルドアは愉快そうに微笑んだ。
「ミス・リドル。ハリーは分霊箱だと最初に言ったね? 彼の身体には、トム・リドルの魂が眠っていると」
頷いて同意すると、ダンブルドアは口元をさらに緩めた。
「大切なことが良く分かっている少年だな」
「主人公ですから」
「誰もが自分の人生という名の物語の主人公だ。私も、貴方も」
私は曖昧に笑うしかできなかった。
そりゃ、私の人生の主人公は私だけど、私が主人公の物語なんて誰も興味を惹かないだろう。それこそ、ハリーやトム、ダンブルドアやニュート、グリンデルバルドたちのような華々しい魔法使いたちの物語を待ち望むに違いなかった。
●1943年 2月△日
もうすぐ、バレンタインデー。
バレンタインデーといえば、チョコレート!
まあ、これは前世に引きずられた感覚だけど、意外と英国人もチョコレートを贈る。もっとも、チョコレートだけに限らず、男性から女性への赤い薔薇やシャンパンなどが一般的である。バレンタインカードを贈るのも慣例の一つで、クリスマスカードを納品した後は、バレンタインカードの制作にとりかかるのが常となっている。
もっとも、チョコレートは配給品。
12月の特別配給で口にしたのが最後である。
これも、あと2年の我慢……こうして日記に書くのは簡単だけど、2年は長い……正確には、2年と数か月もある。戦争が終わった直後はごたごたがあるだろうから、すぐに配給が全廃されるわけないし、嗜好品が市場に出回るまで時間はかかるだろう。
さて、トムが家にいた頃は、トムからのバレンタインカードを期待した女の子たちが家の周りをウロウロしたり、熱い視線を向けてきたりする頃だったが、ここ数年は静かなものである。
フェンリールもいまの学校では女子生徒から、それなりの人気を集めているらしい。野性味のある少年顔をしているにもかかわらず、一か月に一度は体調不良になる病弱キャラとのギャップがたまらないのだとか……フェンリール自身は女子生徒たちに興味はない。
そう、近所の学校に通う女子生徒には。
今朝早く、フェンリールがこそこそと庭に出ていることを発見した。
私がディークと一緒に影から様子を眺めていると、フェンリールはパンジーやスノードロップなどの花を摘み、辞書の間に挟んでいた。つまり、押し花を制作していたのである。
この場面を目撃したとき、私はディークと顔を見合わせた。
「フェンリールが押し花……?」
「奥様、これは……贈り物ではありませんか?」
ディークは声を潜めて続けた。
「ディークは見ました。フェンリール坊ちゃんが奥様の部屋で、押し花や栞の作り方に関する本を読んでいたのです」
「フェンリールは本を読まないのにね……栞なんて使ったところ見たことないわ」
私たちは言わなかったが、たぶん同じことが頭に浮かんだはずだ。
このとき浮かんだ予想が決定的になったのは、夕食の時の会話である。フェンリールがさもいま疑問に思ったかのように、不自然なくらい高い声色で問いかけてきたのだ。
「あのさ、母さん。ミネルバからの手紙の返信、そろそろ書かねぇといけねぇんだけど、この村から手紙出したら、あの村まで何日かかるんだっけ?」
「いつ届くようにしたいの?」
「そりゃ、14――い、い、いつでもいいだろ!」
フェンリールは言葉を詰まらせると、顔を瞬く間に茹だらせ叫んだので、私もディークも温かな気持ちになった。
フェンリールは、ミネルバ・マクゴナガルにバレンタインのプレゼントを贈ろうとしているのだ!
なんて可愛らしい……。
トムとはまったく別のベクトルで可愛さを極めている……!
私は応援しているからね、フェンリール!!
●1943年 2月14日
バレンタイン当日。
まあ、私は未亡人なので浮いた話はない。
しいてあげるなら、モーリスから原稿を取りに来たついでにプレゼントを貰ったくらいだ。
「ごめんなさいね」
玄関でモーリスを迎え入れて早々、私は彼に謝った。
「バレンタインだというのに、仕事でこんな田舎まで来させちゃって……やっぱり、原稿は郵送した方がいいんじゃない?」
「実際に受け取らないと安心できないんだよ」
モーリスは肩に積もった雪を落とすと、大きなトランクを開いた。
「それに、君にこれを渡さないといけなかったからね」
そう言いながら取り出したのは、A4サイズの封筒である。手にしてみると、やや重たい。怪しみながら封を開けると、女の子の妖精が描かれた絵画が入っていた。薄桃色の薔薇の花弁で作られたドレスを身に纏い、モンシロチョウのような羽をはやした妖精は、真っ赤な薔薇の棘に腰かけ微笑んでいる。
この絵を見た瞬間、私の顔は一気に華やいだ。
「シシリー・メアリー・バーカーの絵じゃない! たぶん、直筆でしょ!? どうしたの、これ!?」
「仕事の伝手さ。君、こういうの好きだろ。君だけじゃなくて、たぶんトムも……ほら、妖精とか魔法とか興味があるって話してたからさ」
モーリスはコートを脱ぎながら得意げに言った。
「僕の家に飾るには、ちょっと明る過ぎるからね」
「ありがとう、モーリス! でも、私は何もお返しできないわ……」
「お返しなんて気にしてないさ。ちゃんと原稿を貰えればね」
モーリスは気が利かないことも多いけど、私のことをちゃんと見てくれていることが伝わってくる。仕事を融通してくれることもそうだけど、本当に良い友人に巡り合えたものだ。なにか、彼に食事以外で恩を返せたらいいのだけど……。ちょっと考えてみることにしよう。
ちなみに、薔薇の妖精の絵は居間に飾ることにした。
玄関口を考えたのだけど、そこには岡本一平先生がいる。水墨画風な絵と薔薇の妖精を隣同士にするには、ちょっと不釣り合いで――実際に並べたときに吹き出してしまった。
トムが帰ってきたときの反応が楽しみである。
ちなみに、フェンリールは薔薇の妖精どころではなかった。朝から様子がおかしかったけど、帰ってきてからも部屋をぐるぐる回ったり、ため息をついたりと調子がおかしかったが、家の電話が鳴ると、飛び上がってソファーの陰に隠れた。
私が電話を取ると、受話器の向こうからハキハキとした女の子の声が聞こえてきた。
『リドルさんのお電話で間違いないでしょうか? 私、ミネルバ・マクゴナガルと申します』
「あー! マクゴナガルさんね。いつも息子と仲良くしてくれてありがとう。すぐに代わりますね」
そう言いながら振り返ろうとする前に、フェンリールはソファーから飛び出すと風のような速度で私の足元まで駆け寄ってきていた。彼は私から受話器をひったくるように奪い取ると、口を尖らせながら言った。
「な、なんだよ。いきなり電話なんてかけてくるなって――……あ、ああ、うん……ま、まあ、ほら、本好きだろ? しおりだっけ? つかうって言ってたじゃねーか……たまたまだよ、ぐーぜんだって! わらうなよー!」
フェンリールは顔の表情をころころ変えながら、電話の向こうに向かって呟いていた。
フェンリールの受話器を置いた後も顔の赤みは消えず、珍しく自分の部屋に戻ろうとしていた。私はそんな背中に声をかける。
「マクゴナガルさん、なんだって?」
「手紙とどいたってはなし。それだけ」
フェンリールは上ずった声で言うと、夕食までリビングに戻ってこなかった。ここのところ、いつも足元には彼がいただけに、ちょっと寂しさも覚えたけど、それはそれ、これはこれ。フェンリールの表情から察するに、バレンタインの贈り物は上手くいったのだろう。
いやー、青春だな!
甘酸っぱいな!!
《追記》
さっき、トムから手紙が届いた。
最近の手紙には、ちゃんと近況が記されているから嬉しい。
トムの手紙には、バレンタイン云々については一切触れられていなかった。
まず、レイブンクローの友人ができた旨が記されていた。
ベルヴィなる下級生はトリカブトを活用した魔法薬を模索している変わり者らしく、新薬の開発に巻き込まれかけたところから交友が始まったとか……いったい、どんなことに巻き込まれたのか、やや不安でもあるが、私が気になるのは、トリカブトってところ。確か、脱狼薬もトリカブトが使われていたような気がする……そのことをトムに話すべきか、どうするべきか……絶賛悩み中である。
それから、イースター休暇にBBC交響楽団と共演することが決まったそうだ。
死喰い人のライブはOWL試験もあって夏までない。その分空いた時間に練習ができるらしい。関係者チケットが4枚手に入るそうなので、「誘いたい人いる?」と書かれている。
私とフェンリール、ラシェルも誘うとして、あと……誰に声をかけようかな。ダンブルドア? スラグホーン? それとも……フェンリールの恋路を応援する気持ちも込めて、マクゴナガルさんに声をかけてみようかな。
あとは、ハグリッドがホッグズヘッド滞在中の美女――ナギニと仲良くなり始めているらしく、トムが嫉妬している文面が綴られている。二人で額を突き合わせて、ひそひそと何か取引きしている現場に遭遇してしまったらしい。これに関して、トムはかなり怒っている。トムがハグリッドを問い詰めようとすると、美女が庇う素振りを見せたことが気に入らないらしく、筆圧が強く乱れていた。
『僕を除け者にするなんて、なんて奴らなんだ! もう二度とあいつの尻拭いをするものか! って思ったよ。アイリスは「喧嘩はしない」とか言うだろうけどさ、これは僕とあいつの問題だから口を挟まないように!』
わざわざ私の反応を見越して書いている……。
たぶん、誰にも言えないから、私への手紙に書いたんだろうな……アルファード君とかルクレティアさんは茶化しそうだし……。
しかし、ハグリッドとナギニがなにを話していたのだろう?
どう考えても、接点はないと思うけど……?
あれかな? ハグリッドが蛇語をマスターしたことに関係しているのかも。
とりあえず、トムには「程よいところで仲直りするように」ってことを伝えるとしよう。
トムとハグリッドの仲が拗れないといいな。