TS転移した男が中華マフィアの総帥に寄生しつつ異人町で生活する話   作:めいでん

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【祝】8、ようやくパンさんと趙さんが登場


11 料理人として腕がなるねえ

 

 

 新しいキムチを手にした趙さんはいたく喜んでいた。

 サングラス越しでも分かるくらい、キラキラと瞳を輝かせて「どれ食べようかなあ」と呟く趙さんは夢見る少年のような顔をしている。

 相当楽しみだったようで、前日から仕込んで、朝から炊き立ての白ごはんを用意する妥協なき姿勢を見せつけていた。どこまでも徹底している……。

 

 

「俺ね、福徳町のあたりは普段行けない(・・・・)から、こういうの買えなくてさ。ありがとね」

 

 

 と趙さんはおれの頭を撫でた。いくら地元の人間であっても、やはり暗殺者が闊歩する地域には極力近寄りたくないものらしい。

 

 

「ソンヒさん曰く、伝説のキムチってのがオススメらしいっすよ。ほら、この右のやつ」

「なんかネーミングからして自信満々だね。いいじゃん、それにしようよ」

 

 

 白米の上に赤々としたキムチを載せると、趙さんはうっとりとした表情でそれを眺めた。それから白米とキムチを箸で摘むと、口の中に放り込んで咀嚼して――爆発。

 

 鬼のような形相をした趙さんは、凄まじい勢いで店の外に駆けて行く。店先の階段を駆け上がって公道に飛び出すその姿に、一体何が起きたのかと大勢の人が集まった。

 普通、強盗にでも入られたのかと思うよね。まさかキムチの辛さで血相を変えていたとは思うまい。

 

 ひとしきり走り回り、クールダウンしたらしい。滝のような汗を流しながら戻ってきた趙さんは、見物人を追い払うと「キューちゃん、これ絶対食べない方がいいよ」と真顔で言った。

 

 

「人間って、あんなに瞬発力出るんだね。火事場の馬鹿力ってやつなのかな。あれ以上この場にいたら、思わず机叩き割っちゃうところだったよ」

 

 

 衝動で机を叩き割れそうなくらい精がつくキムチ、逆に気になるな……。

 

「でも味は美味しかったし、やる気を出したい時にはいいかもね」と言って、趙さんは壺を冷蔵庫の奥底に仕舞い込んだ。食べ物を無駄にはしたくないが、2度と口にはしたくないという確固たる意志が感じられる。

 

 そんな中、おれが呑気に卵かけご飯を食べていると、机に置いたスマホが光った。見ると、ソンヒさんからの『食べたか?』というメール通知が表示されている。

『食べた趙さんが飛び上がってました』と返信すると、新たに登場したのは『そうか! 良かった、また渡すよ』という文字だ。

 

 趙さんには悪いけど、嘘はついてないもんね。

 美女が悲しむ顔は誰しもが見たくないものだ。たとえ冷蔵庫がこれからキムチでパンパンになろうとも……。

 

 趙さんは大量の水を飲み干すと、懲りもせず別の壺を開けている。これは部下の人が漬けたキムチだな。今度はお気に召したようで、趙さんは落ち着いたように一息ついた。

 

 

「さっきは死ぬかと思ったよ。ソンヒが激辛好きなの忘れてた」

「卵かけご飯と一緒に食べてもダメですかね」

「ダメダメ。あの辛さは卵じゃ中和できないよ。今もさあ、胃の調子がおかしいからね、俺。下手な毒薬より効果あるよ」

 

 

 一口食べただけで毒薬と比較されるキムチは、もはや食品と呼べるのだろうか……。

 それが堂々と流通するあたり、この街の保健所はあまり機能していないらしい。

 

 

「そういえば、キューちゃんなにか食べたいものある? 今日の夜、久しぶりに料理したいんだ。なんでも作るよ」

 

 

 朝ご飯の時間からすでに夜ご飯について考える趙さんはつくづく料理人の鑑である。

 

 

「そうだなあ。久しぶりにラーメンが食べたいっすね。昔は週1で食べてたんで、禁断症状でそうっす」

「ああ、異人町にはラーメン屋全然ないもんねえ」

 

 

 そう! なんと異人町にはラーメン屋が1軒も存在しないのだ。

 神奈川県民のソウルフードといえばラーメンのはずだが、何故かとんと見かけない。現実の伊勢佐木町には百名店まであったのに!

 

 塾や大学に行くたびにラーメン屋寄ってたのが懐かしいよ。

 毎回スープを完飲して、まくり券を沢山集めたり、帰り際に置いてある機械で綿飴作ったり。飲み終わりの〆にもよく使ったものだ。ああ愛しの家系、サンマーメン、ニュータンタンメン……。

 

 

「でもラーメンなんてパパッと作れるもんじゃないですし、全然違うやつでもいいっすよ。おれ、後で袋麺でも買って食べてます」

 

 

 麺は近くのスーパーで買うにしても、スープの出汁を取るだけで相当時間かかるもんね。最近の袋麺はクオリティ高いし、もやしでも炒めて載せればもうご馳走だ。

 

 

「キューちゃんにそんなこと言わせて袋麺食べさせてちゃあ、俺の名が廃るよ。料理人として腕がなるねえ」

 

 

 趙さんはニヤつきながら舌なめずりをした。ただ料理に意気込んでいるだけなのに、ゲームの悪役さながらの表情である。

 

 

「ぼちぼち新商品考えなきゃって思ってたしさ、ちょうどいいよ。中華料理店のラーメン、いい定番商品になりそうじゃない?」

 

 

 確かにラーメンがメニューにあって喜ばない客はいないだろう。それこそ横浜名物のサンマーメンなんて中華料理店でしか見ないしね。

 

 

「餡かけにしても良さそうっすね。野菜と肉炒めたアツアツのやつ」

「五目麺ってこと? 提供も楽そうだし、それ結構アリじゃんね」

 

 

 趙さんは鼻歌を歌いながらメモを取っている。

 この人、本当に料理好きなんだなあ。調理中にも指輪を絶対外さないのは衛生的にいいのか? とは思うけど、趙さんにとって料理人は天職なんだろう。ネイルもピアスも指輪も欠かさない、新時代の調理師だ。食中毒にだけは気をつけて欲しいけど……。

 

 

「じゃあ、おれ材料買ってきますよ。足りないやつ、なんかあります? 中華麺はないっすよね」

 

 

 と食器を片付けながらおれは言った。すると「ヤダなあ、キューちゃん。俺をナメてる?」と趙さんは少しむくれている。

 

 

「中華料理の麺といえば、手打ちでしょ。俺の手さばき見といてよ、結構自信あるんだよ」

 

 

 手打ち!

 ラーメンの麺といえば製麺所というイメージがあったが、中華だとまた違うらしい。そういえば、日本のラーメンは本国と完全に別物だって言うもんなあ。インドカレーと英国カリーみたいなもん? 鈴と小鳥の話じゃないけれど、これぞ多様性のあり方なのかもしれない。

 

 

「手打ちのラーメン食べたことないっす。楽しみだなあ」

「いわゆる日式とは違うけど、モチモチしててね。少し太めで美味しいよお」

 

 

 趙さんは大鍋に鶏ガラを放り込むとぐつぐつと煮込み始めた。「キクラゲだけ買ってきて欲しいなあ。麺打ち始めるのは食べる直前だから、それまで外出てていいからね」と話す趙さんは、見るからに上機嫌である。

 

 

「じゃあ中華街で買い物した後、ちょっとぶらついてから帰りますね」

「了解。大通りを歩きなね。馬車道なんかいいんじゃない?」

 

 

 確かに、見晴らしも良いし景観も綺麗な馬車道は絶好の散歩スポットだ。

 英国風の街並みにモスク風のドームも建てちゃうチグハグさ、おれは結構好きなんだよね。下手に統一感があるよりパンチが効いていると思わない?

 

 馴染みの店にキクラゲを買いに行くと、晩飯後のお茶請けだけ選んでおれは中華街から離脱した。

 ちなみに今日の茶菓子はエッグタルトだ。月餅より日本人好みの味で美味しくて、よく買い食いをしちゃうんだよね。

 

 おれはエッグタルトを摘みながら、馬車道を優雅に歩いていた。他人より多くお菓子が食べられるのもお使いをした特権だ。

 

 食べカスがこぼれるのもお構いなしに、タルトを口いっぱいに頬張る、至福の時!

 この幸せに水を差す奴がいたら、そいつはきっと致命的なまでに空気が読めない人間に違いない。

 

 

「こら! そこのキミ! この建物の前で食べ歩きをするんじゃない! 地面にカスが落ちまくっているじゃあないか!」

 

 

 致命的に空気が読めない人間に遭遇してしまった!

 げんなりしながら声がした方を振り向くと、眼鏡をかけたスーツ姿の男がひとり、ツカツカとこちらに歩み寄っている。

 

 

「ボクが清掃検定1級を持っているからことなきを得たものの、ここは私有地だからね。ほら、看板の文字が見えないのかい?」

 

 

 となんともキザったらしく男は言った。見ると、看板には大きな文字で『大海原資格学校』と書かれている。

 

 

「はあ。あんまりにも美味しかったんで、食べるのに夢中になってたんす。すみません」

「分かればいいんだよ、分かれば。全く。こんなに美しい街で食べ物を食い散らかすなんて、親の顔が見てみたいよ」

 

 

 男はため息をついてから、怪訝そうにおれの顔を覗き込んだ。

 

 

「か、か、可愛すぎる」

「は?」

「いやしっかりしろ猪狩、ボクには宮越さんがいるじゃあないか! こんなマナーもへったくれもなくて敬語もできない女より、もっと素晴らしい女性がすぐ側に!」

 

 

 なんだかよく分からないが、かなりディスられているような気がする。

 

 男は咳払いを何度かすると「取り乱して失礼」と言って髪を整えた。

 

 

「ボクの名前は猪狩と言ってね。この大海原資格学校に通って、人間力を磨くために色んな資格を取っているんだ」

「はあ。すごいっすね」

「キミもなにか資格を取ってみるといい。そうしたら、ボクみたいにスーパー・インテリジェンスな人間になって、食べ歩きをしなくなるはずさ」

 

 

 スーパー・インテリジェンスという言葉の響き、意味に反してかなりアホっぽいな……。

 

 おれが半笑いを浮かべると、猪狩は気をよくしたのかフフンと笑った。顔の造形自体は整っているはずなのに、全くイケメンに思えないのは、もはやひとつの才能である。

 

 

「ボクの紹介で入ったらひとつ講座が無料で受講できるから、気が向いたらすぐ来るんだよ! では、ね!」

 

 

 嵐のように去っていった……。

 残されたのは、猪狩の去り際に無理やり手にねじ込まれた大海原資格学校のビラだけだ。

 

 TOEICを入れなければ、資格なんて大学時代に簿記を取ったくらいだなあ。仕事以外は暇を持て余しているし、いつか試しに通ってみるのもいいかもしれない。

 

 佑天飯店へと戻ると、趙さんは変わらず鍋と睨めっこしていた。相当集中していたらしい。引き戸が開く音でようやくおれが帰ったことに気づいたほどだ。

 

 

「あれ。キューちゃん、おかえり。思ったより早かったね」

「なんだかドッと疲れちゃって。早くお店で休みたくなったんす」

 

 

 無論、8割くらいは猪狩のせいである。

 

 

「お疲れ。スープはもう出来てるから、時間早いけどもう食べちゃう? あと麺打って具炒めるだけだから、15分もあればできるよ」

「お言葉に甘えたいところですけど、15分で手打ち麺ってできるもんなんすか?」

「やっぱり、俺の腕前ナメてるね? まあ、ようく見てみてよ」

 

 

 趙さんの腕前は宣言通り凄まじいものだった。

 小麦粉の塊を激しく打ち付けたかと思いきや、それを幾重にも伸ばしていく様はアコーディオンのように滑らかだ。手を引くたびに麺が細く倍々になっていく姿を見ていると、まるで魔法にかけられたかのような気分になってくる。あっという間に見慣れた細麺が出来上がったかと思えば、即座に茹でられて、完成品がもう目の前に置かれていた。

 

 おれは趙さんをやんややんやと褒めそやすと、思いっきりラーメンを啜った。とろみの付いた中華餡に包まれた肉野菜の炒め物。それがたっぷりと掛けられた麺には独特のコシがあり、餡にねっとり絡みついている。美味い!

 

 

「趙さんって、本当に一流の料理人なんすね」

 

 

 惚れ惚れしながらおれが言うと、「やっぱりそう思う?」と趙さんは笑った。満更でもなさそうな顔をしているが、耳が赤いのがこの距離からだとよく分かる。趙さんは意外に照れ屋さんらしい。

 

 美味い美味いとラーメンを食べ進めている間に、趙さんは猪狩から押し付けられたビラを見つけたらしい。「これなに?」と言いながら、訝しげにビラを見つめている。

 

 

「あー、なんか今日貰ったんですよ。馬車道の方に資格学校があるらしくて、通えば色んな資格が取れるみたいっすよ」

「そういうのがあるんだね。俺、資格なんて取ったことないから知らなかったよ」

「なに言ってんすか。趙さんは調理師免許持ってるでしょ」

「え? 持ってないよ」

 

 

 趙さんはきょとんとした顔を浮かべている。

 

 

「……防火管理者とか、食品衛生責任者あたりなら、ありますよね?」

「うーん、全部持ってないなあ」

 

 

 佑天飯店はなんと脱法飲食店であったらしい。

 無免許なのに神技コック、ブラックジャックの料理版だ。

 

 おれは全ての疑問が繋がった気がした。

 趙さんの腕がやたら良いのも、その割にやたら店が狭いのも、この店が横浜流氓の眼中にないのも、なにもかも。

 

 この店、そもそも開業の届出すら多分出してねえ……。

 

 おれは大海原のビラを見つめた。

 膨大な量の資格が取れることを売りにしている大海原は、きっと店に必要な免許も取れることだろう。趙さんは論外として、店長は日本語の読み書きがあまり得意じゃないし、頼りになるのはおれだけだ。

 

「趙さん。おれ、この店の役に立ちますからね」と食い気味に言うと「なに急に。怖いよ」と軽く趙さんは引いていた。

 

 

 

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