TS転移した男が中華マフィアの総帥に寄生しつつ異人町で生活する話 作:めいでん
コウジの数学への熱意は本物だった。
おれと猪狩が出す問題は、そりゃあもう意欲的に取り組むし、予習復習も毎回きちんとこなしている。組にいる時も暇さえあれば問題を解いているようだ。二宮金次郎も真っ青である。
この間3人で一緒に帰った時なんて、なにか呟いていると思ったら「193、197、199、えーっと、次は211」と素数を延々と唱えていた。怖いよ……。
すっかり勉強にハマったようで、今では「なあ、世の中のものは全部数学で証明できるんだってよ。すげえな」と声を弾ませながら青チャートもどきを周回している。少し前まで分数もできなかったのに!
あまりに著しい成長に、猪狩は「そろそろボクたちが教えられる側になりそうだね」と軽くこぼしていた。おれと猪狩が追い抜かれるのも時間の問題だろう。
人には思いもよらない才能が眠っているものだ。コウジの場合は、努力ができる才能と言ったところだろうか。
そんな努力の天才は今、大海原のホールで頭を抱えていた。参考書に書かれた公式を見つめながら、忙しなく指を動かしている。
「そんな緊張しなくても絶対受かりますって。明日受けるの2級だから余裕っすよ」
「そうそう。普段やってる問題の方が難しいからね。あんまり緊張しすぎるのも、かえってよくないよ」
「でもよお。俺、最初に受けた小テスト0点だったんだぜ?」
「そりゃ勉強する前でしたもん。気にしすぎっす」
おれと猪狩がなだめても、コウジは不安そうな表情を隠しもしない。もしかしたら本番にトコトン弱いタイプなのかもな、とおれは思った。おれや猪狩のようなスーパーポジティブな人間は簡単なことではめげないが、コウジの挫折体験に裏打ちされたマイナス思考を払拭するのはなかなか難しいのだろう。
猪狩はやれやれと首を振ると「もしどうしても自信がないなら、ボクにとっておきの秘策があるけど使うかい?」とコウジに言った。
「なんだよ。カンニングか?」
「ノンノン! 惜しいけど違うよ。合法的なシロモノだからね」
猪狩はカバンから筆箱を取り出すと、中に入っていた鉛筆を「これはボクがスピリチュアルなパワーを込めたラグジュアリィな鉛筆なんだけどね」と派手に見せびらかした。説明し始めたばかりなのに、既に胡散臭さが漂っている……。
「この鉛筆で問題を解くと異様に正解率が上がるんだ。コウジくんは友達だから、特別に5万円で譲ってあげるよ」
「ダチからそんなボろうとすんなよ」
「ただの霊感商法じゃないすか」
「こら! キミたちインチキだと疑ってるね! 友人割引で相当安くしてるのに!」
猪狩は唇を尖らせて「物は試しだ。佐野さん、これでなにか解いてごらん」とおれに鉛筆を渡した。スピリチュアルなパワーを否定された猪狩はすっかり拗ねているらしい。
おれはコウジの青チャートもどきを手に取ると、パラパラと適当なページをめくった。せっかくだから最後らへんの演習問題をやろうかな。
問題文をあらかた読んだおれは、さっそく式を組み立てようとルーズリーフに目をやった。するとどうだろう。白い紙からあるはずのない文字が薄く浮かび上がっている。
公式から論理の組み立てまで。丁寧に図解まで添えられた謎の文章は、ぼんやりと光り輝いていた。
「な、なんすかこれ、模範解答? 全部なぞるだけでいいじゃないすか」
「フフフフ、どうやら佐野さんにも見えたみたいだ。この鉛筆は不思議なチカラを宿していてね。なんと使うだけで解法が透視できるんだ!」
猪狩は「占い検定の賜物だね」と得意げだ。
日ごろなら一笑に付すところだが、実際に解が現れるところを見せつけられては何も言えない。この世は証拠主義なのである。
「占い検定はキミたちも取っておくことをオススメするよ。頑張れば、ボクみたいに不思議なチカラも使えるようになるし、霊視もできて楽しいよ」
「そんなオカルトなパワー本当にあるんすね」
「ああ。この間も馬車道で女性の幽霊を見かけたよ。白いワンピースを着ていてね。控えめでお綺麗だったなあ」
猪狩は幽霊相手にも全く節操がないようだ。
鼻の下を伸ばす猪狩を冷ややかな目でおれは見ていた。宮越さんはいいのか、宮越さんは。女性であれば、生死を問わず気が浮つく猪狩は男の鑑なのかもしれない。
そんな中、コウジは例の鉛筆を手に取りじっと考え込んでいた。
「気持ちはありがてえけど、鉛筆はいいよ。カンニングよりタチ悪いし、こういうのは自力で受かんねえと意味ねえしな」
やはり極道は正面突破を好むものらしい。
猪狩に鉛筆を返しながら「あとな、5万はさすがに足元見すぎだわ」とコウジはニヤリと笑った。
「そうかい? 他の人には100万で売ろうと思ってたんだけどなあ」
「詐欺で捕まるから辞めといた方がいいっすよ」
「ううん。じゃあ50万にしようかな」
「まあ。止めはしねえけど、上手くやった方がいいぜ」
「ほら。今ボクは就活中だろう? 面接に次ぐ面接で電車賃が嵩んでてね。場所が地方だと、飛行機代やホテル代もかかっちゃうし」
とため息をついて猪狩は言った。
就活生の懐事情が厳しいのは、いつの時代も変わらない普遍の真理。それは間違いない。間違いないけれど、それにしても法外な値段をふっかけすぎである。国税から消費者庁まで、ありとあらゆる機関から怒られそうだ。
猪狩までお尋ね者になったら、大海原が犯罪者養成施設になっちゃうよ。
おれとコウジは既に死体遺棄の共犯だしね……。ロケット団よりはるかに悪どい罪人トリオの結成だ。
「なんか猪狩見てたら、悩んでるのが馬鹿みてえに思えてきたわ」
「含みがありそうな言葉で癪に障るけど、キミの悩みが不毛だということには同意するよ。数学なんて一朝一夕でどうこうできる分野じゃないだろ? 前日に足掻いても無駄だよ無駄」
猪狩の言葉は完膚なきまでに正論だ。
コウジも納得したようで「確かに公式見るくらいしか、やれることねえもんなあ」と頷いている。コウジの肯定に承認欲求が満たされたようで、猪狩は満足そうにフフンと笑った。
「コウジくんが今やるべきことは、リラックス! アンドエンジョイ! レッツプレイ! ハブアナイスデイ! グッドスリープ! ビリーブユアセルフ! だよ」
「俺英語できねえんだけど、猪狩はなんて言ったんだ?」
「『自分を信じて、しっかり休んで遊んで寝ろ』らしいっす」
猪狩の英語、ジャパニーズイングリッシュの極みだな……。
トンチキ英語に舌を巻いていると、「コウジくんも、ボクを見習ってイングリッシュ資格検定を取れば話せるようになるよ」と猪狩はマウントを取り始めた。大海原の資格にはいい加減なものもあるらしい。
「でも内容自体はそのとおりだと思いますよ。息抜きすんのも大事っすもん」
「だろ? こんな桜咲く季節に籠ってばかりだと気が滅入るよ。今日はみんなでスペシャルなチートデーと洒落込もうじゃないか」
猪狩はカバンからチラシを取り出すと、おれたちふたりの前に置いた。なになに、ギャラクシーランド特別イルミネーション実施中……。ああ、桜木町の遊園地ね。あの
「息抜きならここ! ここが一番オススメだよ! さあ、行こうよ今すぐに!」
「別にいいけど圧強えな」
「実は今度、み、宮越さんをデートに誘おうと思っててね。試験前の気分転換ついでに、下見に付き合ってくれたり……なんちゃって。どうかな」
恥ずかしそうに頬を掻く猪狩を見て、おれとコウジは顔を見合わせた。
「バァカ。そういうのは早く言えよ。とっとと行くぞ遊園地」
「歩いても行けますけど、下見なことを考えたら電車の方がいいすかね」
おれが行き先を検索していると、「ふたりとも行ってくれるんだね! ありがとう、ボクは友達に恵まれたよ」と猪狩は涙ぐんでいる。恋愛面では報われないことも多かろうが、猪狩は友人としては最高の男である。
「初デートなんだろ? 放っておくと失敗しそうだしよ」
「猪狩さんが上手くいかずに泣いてる姿見せられても、夢見が悪いですからね」
「失敗する前提でものを考えないでくれるかい?」
そんなこんなで、おれたちは桜木町にやってきたわけだ。
花見シーズンなのもあり街は身を寄せ合う男女で溢れている。少しゲンナリしながらギャラクシーランドへと向かうと、案の定周りの客は全員カップルだった。さすがは恋人たちの聖地である。
「んだよ、全員乳繰り合ってて邪魔クセェなあ。俺たちが誰よりも楽しんでやろうぜ!」
「じゃんじゃんアトラクション乗っちゃいましょう!」
「ボクとしては、それよりロマンチックなデートコースを考えてほしいんだけど。って、ボクを置いて先に行くんじゃない!」
まずはコーヒーカップ!
腕まくりをしたコウジが高速でハンドルを回すと、カップは急旋回を繰り返した。下手なジェットコースターより揺れ動くカップに猪狩は泡を吹いている。
次にジェットコースター!
水飛沫をあげて水中に突っ込むコースターは迫力満点だ。おれとコウジは嬉々として、両手をあげて叫んでいた。猪狩はずっと下を向いていたけれど……。
その次に行くのはお化け屋敷!
なんと怖さが3段階から選べるらしい。猪狩の反対を押し切って1番怖いコースを選んだおれたちは、大音量で鳴り響くラップ音と追いかけてくる幽霊の多さにゲラゲラ笑いながら、出口まで一直線に突き進んでいった。楽しい!
「ようやく落ち着いたよ。全く、この次は観覧車じゃなきゃ嫌だからね」
「つうか、猪狩は本物の幽霊見えるんだろ? お化け屋敷でビビることなくねえか?」
「分かってないね。普通の人間と変わらない見た目の幽霊と、血まみれの偽物だったら後者の方が怖いに決まってるじゃないか」
猪狩はベンチに腰掛けながらハンカチで汗を拭っている。
どうやら出口近くで血濡れの女に肩を叩かれたのが相当効いているようだ。女の子より高い声出していたもんな……。幽霊役のキャストも苦笑いを浮かべていたし、宮越さんとはあまり来るべきではないかもしれない。
「じゃあ次は観覧車にするとして。乗ってる時、中で酒でも飲みません?」
「アリだな。夜景をツマミに飲むビール、悪かねえ」
「猪狩さんは、もう少しそこで休んでてください。ちょっくらコンビニ行ってくるんで」
「あそこは飲食禁止だよってキミたちに言っても、無駄なんだろうね……。早く帰ってくるんだよ」
猪狩と別れたおれたちは近くのコンビニに入った。
おれとコウジ用のロング缶2、3本と、うーん、猪狩の分は缶チューハイにしてあげよう。足早に選んでレジへと急行すると「年齢確認しますね。身分証はお持ちですか」と店員に言われたものだから、おれは堂々と例の保険証を差し出した。
偽造身分証の出番は思った以上に多いのである。用意してくれた趙さんには、本当に足を向けて寝れないよ。
「あれ。佐野ってそんな名前だっけ。もっと男っぽい名前だと思ってたわ」
「別にいいじゃないっすか。人間色々あるんすよ」
「ああ、偽造パス? よし、俺に見してみろや。これでもウチの組のシノギだったんだぜ」
コウジはおれから保険証を奪うと楽しそうに太陽の光を透かしている。縦にしたり横にしたり。斜めや後ろ。四方八方から保険証をじっくり眺めたコウジは「なんだこりゃ」と不思議そうに首を傾げた。
「これ、普通のパチモンじゃねえな。本物じゃね? 印刷がドットじゃねえし、透かしもあるしよ」
「あんま大声じゃ言えないですけど、これはマジもんの偽物っすよ」
「へえ、スゲェな。これ作った職人紹介してほしいくらいだぜ。ウチで囲ってた奴、少し前に消しちゃったから腕利きが今全然いねえの」
偽造業界にもどうやら一波乱あったらしい。
不穏な言葉が聞こえた気がしたが、おれはスルーすることにした。いくらコウジが友人とはいえ、殺しの世界に関わるのは御免である。
おれたちは猪狩の元に戻ると、意気揚々と観覧車に乗り込んだ。100万ドルかは分からないが、闇夜の中でも眩く光るビルの灯りは幻想的である。遊園地のイルミネーションは極彩色に瞬いており、まるでカーニバルが開かれているようだ。
頂上に着くとおれたちは缶で乾杯した。
横浜の夜景を見下ろしながら、酒を飲むのはなかなかに乙なものだった。「イルミネーションってのも悪くねえな」と呟くコウジを猪狩と小突いたのも良い思い出だ。
翌朝、大海原では合格者恒例の胴上げが見られた。
Vサインを決めて喜ぶコウジにおれと猪狩が駆け寄って、天井近くまで高く高く持ち上げたんだ。宮越さんまで手を叩いて祝福してくれて、コウジの名前は合格者一覧に貼り出された。大海原は本当に良い学校である。
「俺、合格したけどよ。お前らさえ良ければ、まだ一緒に勉強しねえ?」
「全然いいですよ。ここ、暇つぶしにはちょうどいいんで」
「ボクも取りたい資格がまだまだあるしね」
というわけで今も3人で勉強会を開いている。
おれはフードコーディネーター、猪狩は危険物取扱管理、コウジは目指せ数学検定1級だ。
そういえば、最近佑天飯店で変わったことが起きたんだ。
差出人不明で、佐野裕子宛の荷物が届いたと思ったら、中身は分厚いハムにソーセージ! 見るからに高そうな品物だ。趙さんなんて、見るやいなや大喜びで、目を輝かせながらハムを冷蔵庫にしまっていた。
「でも。キューちゃんこれ、いったい誰から貰ったの?」
首を傾げる趙さんに、おれはニヤニヤと黙って笑みを浮かべていた。これを贈った人間が誰なのかを完璧に理解していたからだ。
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