TS転移した男が中華マフィアの総帥に寄生しつつ異人町で生活する話 作:めいでん
残酷な描写が含まれるので苦手な方は前半をすっ飛ばしてください⍨⃝
力強く根を張る高粱はかの国の全てを知っている。
乾いた土を踏み締め生きる人々の情を吸い上げ、赤き高粱の群勢は大意を紡ぎ上げてきた。
真っ赤に熟した高粱は、異国の地に住む同胞をも慈しみ、その行く末を見据えていた。そこに善悪の貴賤はない。どんなに悪虐な人間であろうとも、ただ背筋を伸ばしてじっと見守るばかりである。彼らの歓喜。無念。絶望。喪失。そして再生を、地を照らす太陽の代わりに高粱は合わせ呑み続けていた。
数多の汗血を吸った穂は、今も赤く赤く染まっている。
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じめじめと暗い地下深くに芋虫は横たわっていた。
青赤紫のまだら模様が浮かぶその皮膚は無惨に腫れ上がっている。周りには何人かの若い男たちがおり、彼らは芋虫の体がヒクつくごとに笑って芋虫に手を振った。
室内ではすえた臭いが充満している。誰かが小便をかけたようで、暗がりの中、芋虫を包む布きれはてらてらと少し光って見えた。
しばらくして、芋虫の体がぴくりとも動かなくなった頃、ひとりの男が新たに部屋を訪れた。
男は芋虫を一瞥すると、「みんな、随分とお楽しみだったみたいだね」と率直な感想を述べてから「そいつが例のポン中?」と大した感慨もなさそうに部下に尋ねた。
「はい。趙さんが来る前に一応ケジメはつけさせました。ただ、こいつ手持ち全然なくて、全然回収できなくて。財布の中身もしけたもんでした」
「そう。ありがとね」
部下から財布を受け取りながら「本当に肉饅頭にしてあげた方が、彼女にはまだ良かったかもね」と男は言った。
長時間嬲られるよりは、サクッと死んで他人の腹に収まった方がマシである。好き好んで拷問を受けたがる者などグレーゾーンにいる人間でもいないだろう。
部下の言うとおり、財布の中にはろくなものが入っていなかった。
わずかばかりの小銭と少量のリキッドが残ったベイプに、ファンシーな柄の錠剤が数個。無造作に入れられたであろうレシートの数々は皺に塗れている。小さく折り畳まれた銀紙には切手よりも小さな色紙が入っていた。あとは病院の診察券やポイントカード、そして、いくつかの身分証があるだけである。
「へえ、佐野! こいつも名前、佐野なんだ。ね、この身分証貰っていい?」
「別に問題はないですが、なんで……ああ、佐野さんに?」
「うん。ちょうど必要になっちゃってさ。でも顔全然似てないね。免許証は再発行させなきゃなあ」
手巻き煙草に火をつけながら「佐野さんはお綺麗ですからね」と部下は言った。
部下のひとりは男が営む店の常連客でもあった。男の情婦とはよく話し、互いを知る仲である。
「でもこんなの急に渡されたら、さすがの佐野さんでも勘繰りますよ。横浜流氓のこと言ってないんですよね。バレてもいいんです?」
「上手くやるよ。大丈夫、あの子馬鹿だから」
「それは俺も否定できないですわ」
からからと笑う部下を小突くと、「腫れが後で引いたら困るし。一応、顔も剥いでおこうか」と男は青龍刀を腰から抜いた。
芋虫の首を掴んで固定すると、男は芋虫の両耳を削いだ。耳たぶから垂れ下がるピアスがぶらぶらと揺れている。男は地面に耳を放り投げると、骨に沿って額に切れ込みを入れた。まるで熟れた桃を剥くように器用に皮を頭骨から剥がしていく。
芋虫は身動きひとつしなかった。幸いなことに、とうに死んでいるのだろう。
芋虫の皮膚を剥ぎながら、大昔、似た場面がある映画を父親と一緒に観たことを男は思い出していた。あの映画では、日本兵が人民同士に生きたまま顔を剥がさせていたが、今、男は自発的に日本人の顔を剥いでいる。なんと皮肉なことだろう。
自分はきっと将来ろくな死に方をしないのだろうな、と男は思った。人間の想像をはるかに超えて、因果は巡るものである。
「お手を煩わせてすみません。あとは俺たちがやっときます」
「助かるよ。指紋も焼いて潰しといてね」
男は着いた血を払うと青龍刀を腰に戻した。
「これから2、3日留守にするから、なにかあったら電話して」
「遠出ですか?」
「箱根に行くんだ。お土産、期待してくれていいからね」
そう言い残すと、男は地上に戻っていった。顔に付着した赤を拭い、服を着替えると神内駅の方へと向かう。
改札の前では、例の女がベンチに座って待っていた。ガイドブックを読むのにも飽きたのか、間抜けな面で大きくあくびをしている。
「あ、趙さん。お仕事終わったんすね」
「ごめんね。待たせちゃった」
「仕事はしょうがないですよ。観光は明日にするとして、とりあえず温泉入って、宿でまったりっすね」
女は歯を見せて笑うと男に手を差し出した。どうやら手を繋げと言いたいらしい。
ふたりは手を繋ぐと駅のホームへ消えていった。町田から乗り換えて箱根湯本で降りると、さすがは山岳地帯と言うべきか。もう3月になるというのに結構な量の雪が積もっている。
「雪っすよ雪! 雪見風呂っすよ! さっさと荷物置いて、大浴場に行きましょうよ」
「せっかく部屋に温泉付いてるんだから、食事以外は部屋に篭ってもいいんじゃない?」
「えー、大浴場広いのに。でも趙さんが楽な方でいいっすよ。顔、すげえ疲れてますもん」
「そう? いつもと一緒だよ」
「や。顔色、土みたいな色してるんで。なにかありました?」
女はそっと男の顔に手を這わせた。
先ほど芋虫に刃を立てた部位を、何も知らずに触れている。男は女の手を掴むと「気のせいだよ」と言い放った。
「でも、その言葉には甘えちゃおうかな。今日はあまり外に出る気分じゃないんだよね」
宿に着いてチェックインをすると、ふたりは畳の上に寝そべった。窓の外ではしんしんと雪が降り積もり、生い茂るススキはその重みで首を垂れている。
男は早々に服を脱ぐと、ひとりでシャワー室に入った。
体に血がついていないことを確認してから「キューちゃんも早くおいで」と声をかける。鏡に映る自分を見た男は心から安堵して、その事実に愕然とした。
安堵!
泣く子も殺す横浜流氓の総帥が今更何を恐れているのか?
そもそも恐怖におののく資格があるのだろうか。たとえどんなに洗って足を綺麗にしたとしても、手のひらには灼けるような赤がこびりついている。
少しするとカラカラと引き戸が開く音がした。
現れた一糸纏わぬ肉体はもう随分と見慣れたものだ。豊満な乳房。艶やかな黒髪。薄い頬と唇には鮮明な赤が拵われている。女はひょこひょこと近づくと「お待たせしました」と言って男の横にちょこんと座った。
「おれ身体洗うの時間かかるんで、趙さん先温泉入ってていいですからね」
「うん。もう洗い終わったから先行ってるよ」
「カラス並みに早いっすね。背中でも流そうと思ってたのに」
「だって、温泉早く浸かりたいじゃん」
不満げに唇をすぼませる女の鼻をきゅっと摘んでから、男は温泉の方へと向かった。たっぷりの湯に浸かりながら目に焼きついた女の体を思い起こす。
女の肌はどこまでも陶器のように滑らかだった。歪んだ凹凸が刻まれた芋虫とはまるで違う。
室内に香る硫黄の香りが男の思考を奪っていく。
じんわりと染み渡る熱は脳みそを蕩けさせ、身体中の筋肉も解していく。そのうち顔もべろりと剥がれてしまいそうだ。
ああ、気持ちがいい。
「少しは顔色良くなったみたいすね。温泉のおかげかな」
男が惚けているうちに身体を洗い終えていたらしい。
女は男の顔を覗き込むと湯の中に足を踏み入れた。ざぶざぶと音を立てて身体を湯に沈めると、女はゆったりと湯船に腰掛ける。肩より下が湯に隠れ、女のほっそりとした首が殊更に強調されていた。
男は女の首を見て、芋虫のことを思い返していた。
全身が膨れ上がっていた芋虫だが、他と比べてあまり嬲られなかったのだろう。顔や身体は原型を留めていなかったものの、唯一首だけは女と負けず劣らず細かった。
「机の上に雑誌が置いてあったんすけど、その中にクロスワードが3問くらいありましたよ。ね、趙さん後で解いてみましょうよ」
女は男が考えていることなど露知らず、呑気に話しかけている。傷ひとつない身体。白い肌はなだらかな曲線を描いており、湯を纏う姿は清潔そのものだ。同じ佐野という名の人間で、こうまで違いがあるものか!
――この女も芋虫のようになることがあり得るのだろうか。
「キューちゃん、こっち見て」
男は女の首を掴むと体重をかけて押し倒した。
手に力を強く入れると、ぐっと苦しそうな声が漏れる。はくはくと口を開いては閉じる様子はまるで鯉のようだ。女の瞳は徐々に焦点が合わなくなっていき、力の抜け切った肢体は既に放り出されている。ただ赤い唇だけが、しっかりと男の行動を見張っていた。
男は手を離すと、女は大きく咳き込んだ。酸素が急激に補給されたからか、顔全体が血のように赤く染まっている。
呼吸を整えた女は男の方へ向き直ると、「首絞めもたまにはいいもんすねえ」と蕩けた顔で女は言った。
「上がったらまたやりましょうよ。おれのMの血が騒いじゃいました。首絞め鬼ピス、最高に燃えそうっすもん」
「いや、絶対もう二度としないから安心して。ちょっと血迷っただけだから」
「なんでこっちが乗り気だと引くんすか。せっかく興奮してたのに、いけずだあ……」
女はぶいぶいと文句を言っている。
殺されかけたことにも気が付かず、信頼しきった女の様子は、男にとっては酷く胸をざわつかせるものだった。
「本当に、どっちが鬼子なんだろうね」
男はそう呟くと、女はきょとんと首を傾げた。どうやら言葉の意味が分からなかったらしい。
男は「怒っていいんだよ」と苦笑してから、女の指をそっと握った。ガラス越しの雪景色は変わらずに宿の住人を見守っている。
「ね、趙さん。明日、野焼き観に行きません?」
「野焼き?」
「ほら、あそこにススキがあるでしょ? ここら辺はススキが沢山あって、それをいっぺんに焼くんだって。ガイドブックに書いてあったんすよね」
男が女に従わない道理はない。
翌朝、ふたりは草原のあたりに歩を進めた。あたりは物々しい雰囲気で、何十人もの警察や消防が忙しなく動き回っている。近くで見ようとする女を「巻き込まれたらいけんよ」と警察官のひとりが止めた。
「下手したら大火事になるくらい、立派な山焼きなんやから」
警官の言葉は正しかった。
くすんだ色の草原は一瞬で火の海となった。見渡す限り真っ赤な炎に包まれ、ごうごうと燃えるススキは確かに見ものである。空が黒で染まるほどの大量の煤に、残雪期とは思えぬ熱気。赤い赤い草原は異様な迫力を放っている。
「すごいね。まるで高粱みたいだ」
「高粱ってなんすか?」
「中国にある穀物で、お酒の原料になったりするの。まさか日本で高粱畑を見るなんてね」
そう言って男は燃える大地に目線を戻した。
燦然と輝く草原をふたりは黙って見つめている。目の前の真っ赤な大軍は網膜を焼き付けて離さない。全てを焼き尽くすその赤は、大地に養われた生命を全て平等に飲み込んでいく。
それは決して空を飛ぶことのない、草むらの奥深くに住む虫共に対しても同じだった。
「なんか可哀想だね。全部根絶やしにされちゃって」
ぽつりと男が呟くと、「でも定期的にやった方がかえって良いみたいすよ」と女は言った。
「なかなか殺せない害虫も枯れたススキも一掃できて、一石二鳥らしいっす。新しいぶどう酒は新しい革袋に入れろって神様も言ってますし、そんなもんなのかも知れないですね」
「んー。俺、キリスト教とは合わないかも。古いのも新しいのも、汚いのも綺麗なのも、全部ぐちゃぐちゃで混沌としてた方が好きなんだよね。そっちの方が生きやすくない?」
「ほら、異人町もそんな感じだしさ」と男が言うと、「あそこはもっと治安良くなってほしいすけどね」と女は笑った。
ススキは今もなお、絶え間なく燃え続けている。地を覆う炎はまるで高粱の穂のように、全てを飲み込みながら男をじっと監視していた。
一応解説
『赤い高粱』とは『紅いコーリャン』の題で映画化もされた莫言の処女作で、鬼子は主に日帝時代、中華圏で使用されていた日本人(旧日本軍)への蔑称です。
赤い高粱には日中戦争時代のお話も含まれるので、かなりキツイ描写もありますが、小説も映画もそりゃノーベル文学賞&ベルリンで金熊賞獲るわな!となる傑作なので、興味のある方は是非触れてみてください。
時代背景的に抗日描写があるというだけで、莫言自体は大江健三郎のマブダチでむしろ親日批判されているような人なので、イデオロギーで読むのを避けるのは勿体無いな〜と個人的には思います。
※当SSの題名及び本文中における鬼子の使用については、運営に事前確認を取り、問題がない旨の回答を既にいただいております。