TS転移した男が中華マフィアの総帥に寄生しつつ異人町で生活する話 作:めいでん
Ichiban is Jesus Christ…(龍8クリアしました)
佑天飯店では常に漢字が飛び交っている。
横浜流氓のお膝元という土地柄もあって、常連客の大半は流暢な中国語を用い、そうでなくとも酒が入ると母国の言葉がまろび出る。メニュー表はもちろんのこと、店内にベタベタ貼られているチラシも当然のように簡体字だ。
ちなみに佑天飯店は常連客の周辺住民率が異様に高いからか、店内の壁はご近所掲示板と化しているらしい。
ホラー映画にでも出てきそうなボロボロの見た目をしたチラシだが、右から順に読んでいくと、『パソコン教室の生徒募集』『急募! 家庭教師のアルバイト』『開店記念セールのご案内』……異人三の存在を加味しても、異人町は案外平和である。
おれは古いチラシをゆっくり剥がすと、チラシが貼られていた場所に小さな額縁を壁掛けた。証明書がようやく届いたのだ。
一応国家資格なのに、偽造身分証で受けても問題がなかったことには驚きだが、今日から晴れてこの店も合法飲食店の仲間入りである。
努力の成果が飾られた壁を眺めてご満悦。
おれは棚からモップを取り出すと、店内の床を拭き始めた。
こまめに掃除しないとすぐ油でぬめりだすんだよね。放置すると趙さんが不機嫌になるし、うっかりゴキでも出たら最悪だ。町中華には黒光りする例の虫が付き物だが、見た目が愛らしいだけネズミの方がマシである。
おれがバケツの水を取り換えていると、奥で涼んでいた店長がふと思い出したかのように言った。
「佐野さんね、今日は偉いお客さんが来ますから。知らない誰か来たら私に言います、いいですね」
「はえー。どんな人なんすか?」
「このお店に食材を分けてくれる人です。例えば、この向日葵油でしょ。エビにタケノコ。紹興酒。あとはフカヒレね」
店長はパタパタとうちわを仰いでいる。
暦の上では過ぎ去ったものの、夏の残り香はまだまだ消えてくれないようだ。その煽りを受けてか、佑天飯店の客足も遠のいており、毎日あししげく通う客は今もカウンターに座っているスー先生くらいである。
「卸売業者さんですね。確かにウチはどのメニューも結構値段安いしなあ。安価で取引してくれる業者さんには感謝っすね」
「いいえ、取引じゃないよ。おすそ分けですね。私も趙さんも別に買ってないですね」
ジーザス!
今から来るお客さんは、なんと食材をタダで譲ってくれているらしい。
言うのは悪いが、佑天飯店は別に有名店ではない。小さくて狭いし、外観は薄汚れているし、なんなら店があるとも分からない見た目をしている。趙さんも店長も腕はピカイチだから、味は文句なしに美味しいんだけどね。
でも、こんな小さな店にも融通してくれるなんて、一体どんな富豪なんだろうか。恐るべくは趙さんのコネである。
「ただ、最近返事が悪いですね。特にフカヒレはもうあげたくないと言われました。困ったね」
「そりゃあ、相手からしたらそうっすよ。高級食材ですし」
「だから今日頑張って説得します」
店長は額の汗を拭ってにっこり笑った。頼もしい笑顔を浮かべてはいるものの、説得が成功できる気は全くしない。
おれと店長が談笑していると、「小姐! 更多的酒!」と声が飛んできた。察するに、おかわりの催促をしているらしい。スー先生は今日も元気に飲んだくれている。
「すみません。ちょっと待ってください。あ、梅もひとつ付けときますね」
「
「そんなに急かさなくっても、お酒は逃げないっすよ」
おれは冷蔵庫から酒と干し梅を取り出すとスー先生の前に置いた。先生は眉を上げると、おれの顔をじっと見てからトクトクと酒を注ぎ始める。
うーん、なんか言いたいことがありそうだなあ。思わせぶりな態度を取られると、真意が気になってしまうのは人間のサガである。
「そのジジイ、干し梅は要らねえってよ。今日はザラメを入れて飲みたいんだと」
顔をあげるとひとりの男が店先に突っ立っていた。
白いスーツに趙さんが着ているものと全く同じ派手なシャツ。薄い眉毛にぶすけた顔。不機嫌そうな男はスー先生に目をやると「あんたも不精せずに、たまには日本語も喋ったらどうなんだ?」と顎をしゃくっている。
「え。スー先生喋れるんすか?」
「何十年も住んでるとは思えねえほど拙い日本語だが、一応な。現に、今までお前が日本語で話しても意思疎通は取れてたはずだ。なあ?」
スー先生を見ると、イタズラが失敗した子供のように笑顔で舌を出している。なるほど、おれの今までの苦労はこの老人が横着した結果だったらしい。
「すみません、助かりました。おれ、中国語はからきしなもんで。ちょっとずつ勉強はしてるんすけど」
おれはザラメを皿に盛りながら男に頭を下げた。
ちなみに勉強しているというのは真っ赤な嘘だ。数ヶ月前に参考書を買ったはいいものの、量詞の多さに挫折して今ではすっかりタンスの肥やしと化している。
男は嫌そうな顔をしつつも「このジジイは中国人から見ても訛りが酷くて聞き取りにくいから、分からなくても気にすんな」とおれに言った。
どうやら慰めてくれたらしい。うう、無駄な嘘をついた罪悪感が急に湧いてきた……。
「あら。老马来たんですね。久しぶりです」
「そっちが呼びつけたんだろ。趙はいんのか?」
「いません。あの人は今、すごくやばい方の仕事してますね」
店長の言葉に男――ラオマーさんは眉間の皺をさらに深めて「舐められたもんだ」と吐き捨てた。聞かなくても分かる、ラオマーさんの機嫌の悪さは最高潮を迎えている。
「なあ。そこのお前も趙に言ってくれ。俺は慶錦のついでに使えねえ食材を卸してやってるだけなんだってな」
「慶錦って、近所にある慶錦飯店ですか?」
「知らねえのか、この店のカラクリ」
ラオマーさんはため息をつくと、ゆっくりと話し始めた。
テンプレのような悪人面に反して案外面倒見がいい人らしい。
「いいか? 俺の会社はそこにある慶錦飯店に食材を卸している。慶錦飯店は、地位、名声、そして格式の高さ。どれを取ってもこの店とは比較にならん」
そりゃあ、佑天飯店がいくら美味しくても、上海蟹がランチで出てくるお店には敵わないよね。
おれが相槌を打っていると、ラオマーさんは少し口角を上げて説明を続けた。
「当然、慶錦飯店は客も多いから大量に食材が必要になる。すると、ある問題が起こる。飲食店には付き物のな」
「フードロスですか」
「そうだ。店の規模が大きい分、使いきれない食材が大量に出る。だが、廃棄にも金がかかるだろう。それで、鮮度は落ちるが食べるには問題がない物の一部を趙の店に横流ししてるんだ」
趙さんは流行りのSDGsを上手く取り入れているようだ。
おれが感心していると、「とはいえ、これはあくまで廃棄分の話だ」とラオマーさんは言った。
「フカヒレなんざ保存が効くんだよ。しかも輸送で砕けたやつじゃなくて、丸ごと持ってってるだろ」
確かに、中華料理で使われるのは乾物だもんなあ。
ちなみに佑天飯店ではフカヒレの姿煮を3000円で提供している。原価率が驚異の0%だからこそ成せる破格の値段だ。
「おや。バレました。老马もうちのフカヒレ食べてもいいですよ」
「誰が食うか」
青筋を立てるラオマーさんに対して、店長はにこにこと笑っている。
「
「!」
「
ラオマーさんは虚をつかれたようで少し黙り込むと、どかりと近くの席に座った。
胸ポケットからアイコスを取り出すと、ボタンを押して加熱する。深く息を吸い込んで、煙を吐き出して。それでも彼の表情は曇ったままだ。
「佐野さん、私頑張ったでしょ? 話が上手くいきました。よかったね」
「え。今の一瞬でなんとかなったんすか?」
「凄いでしょ。カルシウムをもっと取った方がいいと、老马にアドバイスしました」
「んなこと言ってねえだろ」
ラオマーさんは苛つきを隠しもせずに店長を睨むも、当の店長はどこ吹く風だ。「話がまとまりましたから、今日は老马にもご馳走しますね」と言うと、さっさとキッチンに戻っていく。
その結果、ラオマーさんとおれ、そして酔い潰れて寝ている先生だけが、この張り詰めた空間に取り残されたのだった。き、気まずい……。
「お前、例の趙が連れ込んだっていう女だろ」
「あ、多分そうです」
「そうか。噂は案外当てにならねえもんだ」
慶錦飯店に関わる人たちの間でどんな噂が流れているんだろう……。
おれは少し気になったが、聞かないことにした。これでナンバさんとの珍道中の話が飛び出してきたら、色々と耐えられる気がしない。
「ラオマーさんは、その、趙さんとはどういう関係なんですか?」
おれが恐る恐る尋ねると、「手下だよ」とラオマーさんは言った。
「俺があいつの手下だ。幼馴染の腐れ縁でな」
「幼馴染なんすね。なんか、いいですね。そういうの。おれは中高私立で遠くの学校行っちゃったから、もう地元で繋がってる人がいないんですよ」
「そりゃ可哀想に」
ラオマーさんは鼻で笑うと、再びアイコスの煙を吸い込んだ。
それから何度か煙を燻らせて「地元の縁なんて、呪いみたいなもんだよ」とラオマーさんは言った。
「少なくとも異人町ではな。異人三の話は知ってるだろう?」
おれは頷いた。
星龍会。コミジュル。そして横浜流氓。この街でおれが出会った人は、おそらく皆どこかしらで異人三と関わっている。
元東城会のマスターは除くとしても、高部さんとコウジは星龍会の組員だし、ソンヒさんが暮らすのはコミジュルが巣食う場所の近く。趙さんも横浜流氓に近しい人間のはずだ。
だって、おかしいじゃないか。
横浜流氓が闊歩するこの地域で、佑天飯店が好き勝手できている理由はなんだ?
慶錦飯店から物資の横流しなんて、ただの町中華ならありえない。あの偽造パスだって、コウジの言うとおりなら簡単に手に入る代物ではないだろう。
この街で生まれ育つなら、きっと『普通の人間』にはなり得ないのだ。もしかしたら平凡そうな猪狩だって、星龍会と繋がっているのかもしれない。
「俺はな、このクソみたいな肥溜めから成り上がるんだ。まずは横浜で1番の会社にして、今以上の名声を得て、そして――見返してやる」
ラオマーさんの瞳はギラついている。
横浜で1番というと、現実だと自動車の日産と同じ規模だ。壮大な野望ではあるものの、有無を言わせぬ説得力が今のラオマーさんにはあった。もしかしたら、数年後にはハワイ支社ができるくらいの企業になっているかもしれない。
「凄いっすね。おれには真似できないです」
「当たり前だ。簡単に真似できてたまるか」
ラオマーさんはひと息つくと、「その点、趙の奴はてんでダメだ」と言った。
「あいつは向上心が欠片もない。才能はあるのに、それを活かそうともしない。体の良いことは言うが、事なかれ主義を体現したような奴で、ただただ現状を維持するだけだ」
ラオマーさんには思うところが沢山あるらしい。
堰きが壊れたダムのように、口からとめどなく言葉が流れ続けている。
「そのくせ、本当は料理人になりたかったと言って、この店にうつつを抜かしやがる。思えば昔からいけすかない奴だった。プレイ中のゲームのネタバレをしてくるわ、操作方法も知らねえバーチャファイターでボコってくるわ。……思い出したら腹立ってきたな。趙のゲーム機が親父さんに叩っ斬られた時はスカッとしたもんだ」
怒涛の勢いで趙さんの悪口を言う間に、店長の調理が終わったらしい。ラオマーさんの目の前に置かれたのは五目麺。この間趙さんが考案した料理だった。
ラオマーさんは一際嫌そうな顔をしてから「せめて姿煮出せよ」と文句を言った。それから箸を割って、蓮華に麺を載せてから静かに食べ進める。眉間に皺を寄せながらも、蓮華を口に運ぶ速度は一定だ。
あらかた麺を食い切った時、思わず言葉が口から転げ出たように、ただ、ラオマーさんはぽつりと呟いた。
「でも、味は悪くない」