TS転移した男が中華マフィアの総帥に寄生しつつ異人町で生活する話   作:めいでん

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久米の出番、オールカット(悲しい)


21 あんまり邪魔しないであげたら?

 

 

 最近めっきりナンバさんを見なくなった。

 

 普段ナンバさんがいるあたりを賄い弁当片手にうろついても、サッパリ反応が返ってこないんだ。

 雨の日も風の日も小銭を拾っている自販機の側、魚釣りをしているドブ川の橋、日向ぼっこにはもってこいの浜北公園、廃棄の弁当を突きにカラスが群がるゴミ捨て場……。いつもなら、目にも止まらぬ早さで一目散に駆け寄って来るのに!

 

 それが1日、2日の出来事ではないのだから心配もひとしおというものだ。

 さほど遠くない未来に、おそらく死ぬ人だとは分かっていたが、こうまで急だと心の整理がつかないものである。

 

 おれはため息をつきながら帰路へと着いた。ビニール袋の中に眠っている弁当も少し寂しそうに揺れている。

 歳の離れた友人と酒を酌み交わすのは、猪狩たちとは違う楽しさがあった。おれ、結構ナンバさんのこと好きだったんだなあ。

 

 

「心配なのは分かるけどさ。いくらなんでもネガティブすぎじゃない?」

 

 

 と残った弁当を突きながら趙さんは言った。

 

 

「いなくなったからって、のたれ死んだとは限らないよ。それにそういうのはニュースになるしねえ。今はブリーチジャパンもいるし」

「ブリーチジャパンってなんすか?」

「ほら、たまに異人町にも来る胡散臭い団体。知らない?」

 

 

 知らない。

 おれが首を傾げていると、趙さんは「キューちゃんはそういうの、興味なさそうだもんねえ」と笑った。

 

 

「なんでも、世の中にある『グレーゾーン』を無くして健全な社会を作りたいんだって」

「グレーゾーン?」

「たとえば、ホームレスとかソープでしょ。ヤクザとか半グレとか、外国人だったら不法就労かなあ。そういう本当はダメなんだけど、社会からお目溢しされてるやつのことを指すみたい」

 

 

 ヤクザ以降の言葉は特にお目溢しもされていないと思う……。

 おれはそのまま相づちを打つことにした。藪をつついても碌なことにならないのは目に見えている。

 

 

「ホームレスが事件に巻き込まれたなんて表に出たら、ブリーチジャパンには良いエサだよねえ。それを機に『ホームレス支援の拡充を』って、行政を動かせるかもしれないじゃん?」

「でもそうなってないから、逆にナンバさんは無事ってことですか」

「と俺は思うけどね。こっちにもそんな話は来てないし」

 

 

 そう言って、趙さんはおれに魚を取り分けた。

 熱した油をかけたばかりの白身魚は香ばしい匂いを部屋中に漂わせている。蒸されて白く濁ったお頭の目も、愛しく思えるほどには美味しそうだ。

 

 華やかな匂いに柔らかな口触り。そしてギュッと詰まった身の旨み!

 気がついた時には何度も何度も流れるように箸が口元へと運ばれていた。店長の料理も美味しいけれど、やっぱり趙さんの料理は天下一だ。

 

 おれが魚をかき込んでいると、「喉に詰まらせないようにね」と趙さんは言った。

 最近、趙さんからやけに子供扱いをされているのは気のせいだろうか……。親子どころか、なんなら飼い主と犬の関係の方が近い気がする。

 もしかしたら、おれは途方もない馬鹿だと思われているのかもしれない。なんてこった。これでも一応、それなりに社会に揉まれてきたいい大人なのに!

 

 にこやかにおれを見る趙さんにムッとしつつ、おれは「でも、思ったんですけど」口を開いた。小難しい社会の話題は馬鹿のレッテルを払拭するにはいい機会である。

 

 

「ブリーチジャパンみたいな存在はありがたいっすね。この街は治安が悪いけど、グレーゾーンの人たちがグレーゾーンじゃなくなったら少しは住みやすくなりそうですもん」

 

 

 趙さんはおれの言葉を聞くやいなや「まあ、キューちゃんはそう思うよねえ」と爆笑した。よほどツボに入ったようで、ヒイヒイと腹を攣らせている。

 

 それから少し落ち着いたのか、呼吸を整えて「キューちゃんが昔どんな暮らししてたかは分かんないけど、グレーゾーンにしか生きれない人間ってのもいるんだよ」と趙さんは言った。

 

 

「学も金もなかったり、生まれた時からビザがなかったり、母国でも戸籍がなかったりさ。そりゃ少数派ではあるけど、結構多いんじゃないかなあ。うちの店長だってそうだよ? 今は永住ビザ持ってるけど、元々は不法移民だもん」

「え、そうなんすか」

「俺が言ったって内緒ね? デリケートな問題だから」

 

 

 趙さんは口元に指を当てて瞳を細めた。

 色気すら感じる茶目っ気たっぷりの仕草は趙さんによく似合っている。

 

 

「それに、キューちゃんだってそうじゃない? 俺があげた身分証使ってるし、税金も一切払ってないでしょ。グレーゾーンど真ん中じゃんね」

 

 

 確かに!

 雷に撃たれたかのような衝撃に思わず口を開けていると、「そんなに心配しなくてもさあ」と趙さんは噴き出した。

 

 

「グレーゾーンにはグレーゾーンなりの生き方があるし、ノウハウもあるんだ。俺は周りの人(在日華僑)のことしか分からないけど、異人町には肉の壁もあるし。多分キューちゃんも大丈夫だよ」

 

 

 おれは箸を止めたまま少し目線を下におろした。白濁した魚の目ん玉がじっとりとおれを見つめている。

 

 

「じゃあ、ナンバさんも大丈夫なんすかね。いなくなっちゃったけど」

「ホームレスはここら辺の連中とはまた別問題だからねえ。案外社会復帰したのかもよ?」

 

 

 趙さんは鼻歌を歌いながら、「つまり、自力でグレーゾーンから脱却したってこと」と言うと魚に香菜をどっさりと載せた。

 

 

「普通の暮らしができるようになったら、昔の話は知られたくないだろうし、みんな言わないよ。昔、同中で鑑別所に入ってた先輩が言ってたけど。どんなに塀の中で仲良くなっても、外に出たら誰とも連絡を取らないんだってさ。きっとその人もそうなんじゃないかな」

 

 

「あ、俺の話じゃないからね?」と言う趙さんに「知ってますよ」とおれは返事をした。

 横浜流氓と深く関わる土地で生まれ育ってきた趙さんだ。柄の悪い知り合いなんて、山ほどいるに違いない。

 それでも趙さんが危害を加えられるのは店内に現れたゴキブリくらいだ。グロいのは苦手だし、争いも好まない。チャラついた見た目に反して、中身は優男そのものである。

 

 

「便りがないのはいい知らせだよ。社会復帰できたのかもしれないし、あんまり邪魔しないであげたら?」

「友達が急にいなくなるのは寂しいですけど、良いことですもんね」

「うん。もうそいつと関わっちゃダメだよ」

 

 

 趙さんはにっこり笑うと手早く食器を片付け始めた。

 油汚れを意に介さず、皿を洗っていく趙さんはどことなく機嫌が良さそうだ。

 

 趙さんはナンバさんのこと、あまりよく思ってなさそうだったもんなあ。

 でも、その気持ちは分かるんだよね。おれだって知り合いが浮浪者と仲良くしてたら、どうしたのかなって心配する。むしろ今まで交流を止められなかっただけ温情があるというものだ。

 

 

 

 ▼

 

 

 

「あー。そのオッサンなら知ってるぜ。パンピがコミジュルと揉めたって、ちょっとした噂になってたからなあ」

「え、まじすか!?」

「マジマジ。なんだっけ、確かウチのソープで働いてるんだよ」

「おじさんが働くソープ、……画期的だね。ボクには理解できない需要があるみたいだ」

「嬢なわけないだろ。スタッフだよ」

 

 

 コウジはため息をつくと、クルクルと猪狩の鉛筆を回した。

 怪しげな力が込められた猪狩の鉛筆だが、最近良いカモが現れたらしく法外な値段でもなぜか売れ行きは好調らしい。本当に効果があるとはいえ、将来、猪狩が詐欺で訴えられないことを祈るばかりである。

 

 

「でもそっか。ナンバさん、ちゃんと生きてたんすね」

 

 

 暴力団がケツモチの風俗店スタッフとしてだけど……。

 グレーゾーンから完全に脱却したわけではなさそうだが、ひとまず生計は立てられているようだ。

 

 

「気になるなら案内できるぜ。店、近所だし」

「いいんですか?」

「ボクも行くよ。そういうアダルトな店も、しゃ、社会情勢を学ぶにはいい機会だからね」

 

 

 猪狩は鼻の穴を広げながら立ち上がった。

「就活にも役立てられるかもしれないし」とも呟いているが、大手企業狙いの猪狩の就活とソープ見学の相性はどう考えてもよくない気がする……。

 

 大海原を出ると、おれたちは風俗街の方へ歩いていった。

 し尿の臭いが強く香る出稼ぎの街。何十人ものホームレスが暮らす澱んだ街だ。

 

 その片隅にひっそりと、白く巨大な建物はあった。

 ギリシア建築のような円柱が置かれた入り口は高潔さすら感じられる。白を基調とした汚れひとつない外壁に、ポッカリと浮かぶのは大理石さながらの黒だった。隣のネオン看板さえなければ、ここがソープだとは誰も気が付かないだろう。

 にしても、90分で1万8000円か。不安になるくらい安いなあ。

 

 しげしげと看板を眺めていると、建物の中から人の声が聞こえてきた。話し声はガヤガヤと、徐々に大きくなっていく。

 おれたち3人は慌てて電柱の陰に隠れた。ソープの前でたむろするなんて、タチの悪い冷やかし以外のなにものでもない。

 

 建物から出てきたのはおれたちと同じ、3人組の男だった。

 赤いスーツを着崩した、変な髪型をした男。年季の入った青いジャケットを着こなす、いかにもソープにいそうな中高年。それから薄汚れた、見慣れた緑のパーカーを着ているのは、

 

 

「ナンバさんだ」

 

 

 離れた場所から見ても分かるくらいナンバさんの顔色は明るかった。

 洗濯をしたのだろうか。いつもの悪臭がしないナンバさんの服は、少しだけ汚れが落ちている気がする。同年代の同性同士で和気あいあいと話す姿は微笑ましく、そして屈託のないものだった。ソープでの仕事内容は分からないが、きっといい職場なんだろう。

 

 おれは鼻の奥が熱くなるのを感じていた。

 込み上げてくるものに思わず目頭を押さえていると、そっと猪狩がハンカチを渡してくる。思いのほか、猪狩は空気が読める男なのだ。

 

 

「声、かけなくていいのかい?」

 

 

 おれは猪狩の言葉に黙って頷いた。

 おれにはナンバさんの無事を知れただけで十分だ。社会の外にいた人間が、職を見つけて楽しそうに過ごしている。ナンバさんの過去を知るおれが、声をかけるのは野暮というものである。

 

 その日おれたちは夜どおし酒を飲み明かした。

 未だに就職が決まらない猪狩に、難関資格の勉強に詰まったコウジ。そして貴重な友人をひとり失ったおれとの3人で不毛な傷の舐め合いだ。

 朝方に千鳥足で帰ってきたおれを見て、趙さんは呆れていたけれど、たまには羽目を外すのも許してもらいたいものである。

 

 だが、おれは全く分かっていなかった。

 その気になればすぐ社会に戻れるナンバさんが、なぜホームレスをしていたのか。なぜ趙さんが、ナンバさんとの交流に嫌な顔をしていたのか。

 

 その理由をおれが知ったのは、全てが終わった後でのことだった。

 

 

 

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