TS転移した男が中華マフィアの総帥に寄生しつつ異人町で生活する話 作:めいでん
0のゴローちゃん、あまりにもカッコ良すぎる……
ラオマーさんが店に来た後も佑天飯店は変わらなかった。
店長は今日もニコニコと愛想よくしているし、店のメニュー表に並ぶ数字は据え置きのままで、相変わらずの激安提供を続けている。話し合いの甲斐あってか、どうやら問題なくタダで譲り続けてもらえているらしい。うーん、高価な代物なのにラオマーさんも懐が広いなあ。
「いや、老马はとても心が狭い人ですね。でも全部が悪いわけじゃないよ。この間、出したご飯を残さず食べてました」
と店長は言った。
「佐野さんがお皿を下げる時、老马は机を叩いてたでしょ。あれ、中国でありがとうの意味です。素直じゃないね」
言われてみれば、トントンと指で机を軽く叩いていた気がしなくもない。
おれの鈍臭さに痺れを切らしているのかと思いきや、感謝の意を示していたなんて! 終始しかめっ面をしていたラオマーさんだが、心のうちは分からないものである。
おれは戸棚の中から乾物を取り出した。
鮑にフカヒレ、萎びたナマコ。町中華にはそぐわないほどの高級食材の数々だ。どこから流れてきたものなのか、もはや言うまでもないだろう。
おれは心の中でラオマーさんを拝むと、乾物を何個か懐に入れた。それから冷蔵庫に手をかけると、奥底に眠る壺を掴み取る。
ソンヒさんがくれた伝説のキムチ、まだ大量にあるんだよね……。
発酵食品だから日持ちはするにしても、冷蔵庫の中に封印してから半年以上も触れていない状況はよろしくない。趙さんは断固として手をつけないし、消費するにはいい機会だ。
店の外に出ると、びゅうびゅうと木枯らしめいたビル風が吹いていた。葉が落ち切った枝を揺らす風は冷たくて、ヒリヒリと頬を凍えさせる。もうすっかりダウンジャケットが手放せない季節になったなあ。
神宮駅ではすでに先客が待っていた。
ベンチに腰掛ける男の胸元には小さなピンバッジが光っている。手を振ると、コウジは鬱陶しそうに眉を上げつつもひらひらと軽く手を上げた。
「じゃあ行くか。あいつんちの位置情報もらったから、さみぃしさっさと電車乗るべ」
電車を乗り継いで着いた駅には、タワーマンションが何棟も聳え立っていた。「本当にこの建物っすよね?」と確かめ合いながら、そのうちの一つに入ると、フロントにあるモニターに部屋番号を打ち込んでいく。
寒い寒い冬に友達の家で集まって、やることと言ったらひとつに決まっている。そう、鍋パである。
「やあ、よく来たね! キミたちがちんたらしてる間に、もう鍋はセッティング済みだよ」
意気揚々と玄関で出迎えてくれた猪狩は得意げにルームツアーを開始した。
トイレに洗面台、リビングにキッチン。案内されなかった部屋は寝室だろうか。部屋に置かれている木製家具は少し丸みを帯びており、工場生産ではありえない意匠が施されている。
相当インテリアにこだわってるなあ。うげっ。このソファー、合皮じゃなくて牛革だ!
「この部屋、ファミリー用じゃないすか。ご実家すか?」
「まさか! ボクはここで一人暮らししてるんだ。でも、実家といえば実家かもしれないね。大学進学を機に、親にこの部屋を買ってもらったんだ」
ブルジョワ!
開いた口が塞がらないおれとコウジを尻目に、猪狩はテーブルに食材を並べ始めた。白菜にネギに豚バラと、猪狩が用意した具材の数々は鍋界の王道を歩んでいる。
室内をよくよく見渡せば、猪狩宅の冷蔵庫は野菜室までしっかり付いていた。横にあるレンジもトースターも多機能タイプなのが分かる。炊飯器はもちろん炎舞炊き。学生とは思えぬリッチさだ。
「なあ。猪狩さ、次の資格取れたら100個目って前言ってたよな」
「そういえば、んなこと言ってましたね」
「大海原で資格取るとよ。受験料、大体3万から5万はするよな」
「…………」
思わぬところで資本主義社会を目の当たりにした気がする……。
おれとコウジは黙って首を振ってから、持ってきた食材をテーブルに置いた。おれはキムチと店からパクってきた中華食材。コウジは大量の酒、酒、酒。それからエノキのような萎びた白いキノコと、これまた萎びた緑のなにか。
「なんだい? これ。中国茶みたいだね」
「まあ、食ってからのお楽しみだな。ウチで1番の上物持ってきたぜ。ちゃんと粉吹いてるだろ」
粉吹いてたら、なんなんだろう……。
不安になるコウジのセリフと共に鍋パーティは開始された。
とはいえ、鍋パで何かをすることはほとんどない。酒以外の物を無造作に放り込んでから蓋を閉めて、グツグツ煮えたら完成だ。うーん、キムチのせいか不安になるくらい真っ赤だけど、きっと味は美味しいだろう。
「とりあえずテレビつけましょうよ、テレビ。リモコンどこにあります?」
「テーブルの下にあるよ。ほら、雑誌の上」
「なんかテキトーなバラエティでも流そうぜ」
おれは電源ボタンを押すと、どんな番組が放送しているのかパラパラと観ていった。
堅苦しいドキュメンタリーに萌えアニメ。選挙のニュースに掃除グッズの通販だ。飯時にちょうどいい番組を見つけるのは案外難しいものである。
チャンネルをシャッフルしていると、「あれ。ちょっと止めてくれるかい」と猪狩は言った。
「なんすか、CM?」
「知り合いが映ってたんだ。ほら、最近ボクが色々教えてる春日くん」
テレビの画面には巨大な煎餅を持った男が映っている。
アパホテルの広告さながらに「私が社長です!」と言って、自分の顔を指差す男。人相こそは悪いものの、人の良さが画面越しからも伝わってくる。
『笑顔が1番、一番製菓』って、おれとナンバさんが行った煎餅屋だよね。社長変わったんだ。もしかして婿入りでもしたのかなあ。
「こいつ、ソープ行った時もいた奴じゃん。煎餅屋とソープなんてよく掛け持つな」
「え、そうだっけ。全然気が付かなかったよ」
鍋の火力を弱めながら「春日くんは悪い人じゃないよ」と猪狩は言った。
「彼は見た目どおり、学はないし、頭も悪いし、野蛮で歳も取ってるけど。ボクにも素直に助けを求めるし、あの鉛筆も買ってくれるからね」
どうやら春日さんは相当人間ができているらしい。
おれは鍋をよそいながら、「でも社長と知り合いなら雇ってもらえばいいんじゃないですか?」と猪狩に言った。
「勉強見てるなら恩も売れてますし、頑張って頼めばいけますよ」
「うーん、B to Cの中小企業はインテリジェンスなボクの肌には合わないよ」
「贅沢な奴だなあ。選り好みしすぎだって」
そう言ってから、コウジは鍋をかき込むとゲホゲホとむせこんだ。出汁で薄まったからか走り出すほどの辛さではないようだが、「俺が持ってきたやつが霞むくらいの劇物入れんな」と文句を言いながら、滝のような勢いで麦茶を喉に流し込んでいる。
その様子を見た猪狩は、黙って鍋に野菜と水をたっぷり足した。尊い犠牲はひとりだけで十分だ。
「ていうか、お前の店中華だろ? なんでキムチなんだよ」
「趙さんがキムチ好きなんすよ。ほら、おれがお世話になってる人です」
「ああ。例のフシダラで淫らな関係の人だね」
猪狩は恐る恐るひと口食べてから、晴々とした笑みを浮かべた。どうやらちょうどよい辛さの塩梅にできたらしい。
おれも食べてみよう。うん、出汁が効いてて美味しい! 隠し味の鮑が絶妙に効いているような気がする。早くも締めの雑炊が楽しみだ。
おれと猪狩がパクパク食べ進めていると、何杯目かの麦茶を飲み終えたコウジが「そういや、さっきの男なんて名前だっけ」と口に出した。
「春日くんのことかい? CMに出てた」
「いや、佐野のセフレの方」
「ああ。趙さんですね。言ったことなかったでしたっけ」
「趙? 趙ってまさか、お前の男、趙天佑かよ!」
コウジは大きく声を上げると、驚愕の表情でおれを見た。
「そういえば、下の名前そんな感じだったかも知んないです」
「ボクが言うのもなんだけどさ、お世話になってるなら相手の名前くらい覚えなよ」
「うわー、だからカシラがあんな、あー……。なるほどな。お前の店で集まらなくてよかったわ」
コウジはガシガシと頭をかくと、「世間って狭えな」と呟いた。あまり嬉しくないことに、どうやら趙さんの名前は星龍会でも通りがいいようだ。
「ふうん。ボクは行ってみたいけどね、佐野さんのお店」
「絶対に辞めとけ。いや、猪狩は逆にいいのか? 無職になりかけってだけの学生だもんな」
「うるさいよ。近いうちにビッグ・カンパニーの内定を手に入れてみせるからね」
猪狩は不服そうに長い箸で豚バラを突いている。
「だからこの集まりも、じきに開かれなくなるさ。キミたちは寂しくなるだろうけど」
「いや、俺は他にダチいるし。仕事もあるし」
「おれも右に同じっすね」
「寂しがろうよ! 少しはさあ!」
憤慨する猪狩を横目におれは白米を鍋に流し込んだ。
さっきから無性にお腹が空くんだよね。この飢えを満たすには、糖質をたくさん摂るのが1番だ。
上からチーズを思う存分重ねがければ、ピリ辛チーズリゾットのできあがり。カロリーで横っ面を殴ってくる料理って、なんでこんなにも惹かれるんだろう!
ものすごい勢いで締めを食い尽くしたおれたちだが、まだまだ腹は減っている。
お腹が空いたと喚いていると、コウジがカバンから菓子パンを何個も取り出してくれた。さすがはヤクザ、よく宅飲み慣れしてるなあ。
はち切れそうなくらい食べ物を詰め込んでから、心地よい眠気に身を委ねると、いつの間にか目の前には知らない世界が広がっていた。
壁紙の模様が1列になって行進する様子は小気味良い。猪狩たちの声が色づいて、部屋中に膨れ上がっている。部屋にある置物は大きくなったり、小さくなったり。ある人形は台座から飛び降りてサーカスのように踊っていた。トイストーリーの世界に入れたら、こんな感じなのかなあ。
うたた寝をしているうちに、すっかり日が暮れていたらしい。ふと窓の外を見ると、目が潰れんばかりの月光が爛々と夜空を包み込んでいた。タワーマンションの上層階にいるだけあって、手を伸ばせば月をも掴めそうである。
猪狩とコウジは絨毯の上で潰れるように横たわっていた。おれはソファの上でひとり寝転ぶと、流れるように目を閉じる。
まぶたの裏ではテレビで観た春日さんが揺れるように回っている。私が社長です、私が社長です、私が社長です。遠くから聞こえてくるこの声、どこかで聞いたことがある気がするんだけど……。
次に目が覚めた時はすでに天高く太陽が昇っていた。
大きくあくびをしながら伸びをすると、華やかなコーヒーの匂いが鼻を抜ける。ぐうたら寝ていたおれと違い、猪狩たちはとっくに起きていたようで、すでに食卓に座してこんがり焼かれたパンを齧っていた。
「やあ、佐野さんも起きたんだね。全く、昨日は変な夢を見たよ。採用面接で会った役員たちが巨大な札束をぶん投げてくるんだ」
「しっかりバッドに入ってやがるな……」
「おれが見た夢は人形と春日さんが踊ってましたよ。コウジさんはなんか見ました?」
「俺は耐性あるから普通に寝てたわ」
おれがパンにジャムを塗っていると、「夢にまでNNTを煽られるなんてね」と猪狩は大きなため息をついた。
「今日で『ドンマイ☆猪狩会』なんてふざけた会合はもうお終いさ。次に集まる時は、ボクの内定祝賀会で決まりだね」
「そのセリフ、もう10回は聞きましたよ」
「集まるネタも尽きてきたぜ」
「うるさい、うるさい、うるさーい! いちいち揚げ足を取ってボクのやる気を削ぐんじゃない!」
猪狩は咳払いをすると「というわけだから、これはあげるよ」とおれとコウジに鉛筆の束を押し付けた。
「もう二度とSPIは受けないから、ボクの分は不要なのさ。春日くんにも十分な量を渡しているし」
「一応何本かは保険で持っておいた方がいいんじゃないですか?」
「シャラップ! ……今の手持ちで絶対に決まるんだから、キミたちは黙ってもらっておきたまえ」
こうしておれの手元には得体の知れない鉛筆が転がり込んで来たわけだ。大手病に取り憑かれた猪狩がさらに持ち駒を減らす様は、おれとコウジには容易に想像がつくものだったが、猪狩はガンとして譲らなかった。
背水の陣ってやつかなあ。成功するかは置いといて、追い詰められた時の人間の覚悟は馬鹿にできないものである。
ただ、言霊というものはきちんと存在するらしい。
猪狩の宣言どおり、これを最後に『ドンマイ☆猪狩会』が開かれることは2度となかった。