TS転移した男が中華マフィアの総帥に寄生しつつ異人町で生活する話 作:めいでん
真島建設の社歌を流して今日も労働!
春日さんがどうやら主人公らしい、というのが分かってもおれの生活は変わらなかった。
そりゃそうだ。キャバクラなんかのプレイスポットで働いていたらまた違っただろうが、今のおれは飲食店で働くとにかく顔が良いだけの一般人である。
にしても、『俺が勇者だったら、ナンバは魔法使い』だっけ。
主要キャラだとは思っていたけれど、まさかパーティメンバーだったなんて!
ただ、ヤンキーにも怯んでいたナンバさんがヤクザ相手に戦力になるのかなあ。返り討ちにあって病院送りにされないかだけ心配だ。
「でも、ならナンバさんは逆に安全か」
おれはポツリと呟くと、持っていたグラスを傾けた。
パーティメンバーのひとりだとしたら、よほどのヘマをしない限りはきっと死なずに済むに違いない。
アクションアドベンチャーならいざ知らず、仲間の死亡離脱を避けるのが昨今のJRPGのマナーなのである。最近プレイしたドラクエも死んだけど死ななかったしね。
カランカランと氷が鳴るようにグラスを揺らしていると、マスターが無言で2杯目を出してくれた。
おお、これぞジャパニーズ・おもてなし精神。サバイバーはいつ来ても気が利くお店である。
「すみません、催促したみたいになっちゃって」とおれが頭を下げると、「客が気をつかうな」とマスターは笑った。
気さくとは言えないものの、客には優しいマスターの顔には今日も大きなサンマ傷が堂々と居座っている。
どこからどう見ても堅気とは思えない風貌だが、本人曰く今はれっきとした堅気の人間であるらしい。
極道から身を引いたとしても、あの柏木さんが何もないところにいるはずないもんね……。
異人町がゲーム本編の舞台だなんて、よくよく考えればすぐに分かったはずなのに!
おれが一気にショットを飲み干すと、「次はアルコールがないやつの方がいいんじゃねえか」とマスターは言った。
冷麺をかき込んで桐生を殴りつけていた人物とは思えぬほど、信じられないくらい丸くなっている……。
こくりと頷いたおれを見て、マスターはお湯を沸かし始めた。
うーん、至れり尽くせりだ。今日の集まりの場をサバイバーにして正解だったなあ。このお店を友人に紹介するのは初めてだが、きっと気に入ってくれるだろう。
コーヒーを丁寧に淹れる姿を眺めていると、「そういえば、お前の店に刑事が来たと話していたが」とマスターは言った。
「足立だろ。そいつもウチの常連だぞ」
「ええ!」
「ああ、足立さんはねぇ。いつも夜遅くに来るから、佐野ちゃんとは会ったことなかったかも。あの人、面白いよねぇ」
と気の抜けた声でいろはちゃんは言った。
「足立さん最近ね。クビになっちゃったんだって、ケーサツ」
「公務員でもクビになることあるんすね」
「うん。でも悪いことはしてないと思うよぉ。足立さん、ああ見えて正義感強いから」
正義感が強い人ほど割りを食ってしまうのも、龍が如くの世界であれば納得である。
おれが相槌を打っていると、「あと1年で定年だったらしいが、そのせいで退職金が貰えなくなったんだとよ」とマスターは説明を付け足した。
40年も働いて2000万がパァ!
少し話しただけの間柄でも、思わずホロリと泣けるエピソードである。
「だが、最近のあいつは側から見ても楽しそうだ。今まではひとりで気ぃ張ってたもんだが、最近は店にダチ連れてくるようになってな。警察にいた時よりも、心なしが自由に見える」
そう言って、マスターはおれの前にコーヒーを置いた。
思うに、マスターにとって友人は、お金よりもずっと価値のあるものらしい。
「その友達のひとりがおれの友達でもあるんです。ナンバさんって言うんですけど」
「ああ、ナンバが? 紗栄子さんならともかく意外だな。あまり想像がつかねえ組み合わせだが」
「ナンバさんが行き倒れてるところを、佐野ちゃんが助けてあげたんですってぇ」
マスターは合点がいったようで、「思ったよりは想像できたな」と口角を上げた。
「おおかた、ナンバがホームレスやってた頃、腹を空かせたところに飯でも恵んでやったんだろ」
「大正解っす。そっから仲良くなったんですよ」
湯気が立ったコーヒーを啜りながら、「今はナンバさん、それこそ足立さんたちとソープで働いてるらしいっすね」とおれは言った。
「仲が良さそうな職場でなによりです。春日さんとか、他の人にも会いましたけど、みんないい人そうだったし」
おれの言葉に「そのことなんだが」とマスターが微妙な顔をしたところで、扉に付けられた鈴の音がタイミングよく来客を告げた。
「あ、ソンヒさん。道分かりました?」
「迷いはしたが、なんとかな。この辺りにはよく来るんだが、この店のことは知らなかったよ」
ソンヒさんはおれの横に座ると「雰囲気の良い店だな」と感想を述べた。
「恐縮です。ご注文はどうされますか?」
「そうだな。あのボトルの酒でも貰おう、と言いたいところだが。ひとまず佐野と同じものを頼む」
「かしこまりました。コーヒーですね」
マスターが敬語を使っている……!
歴戦の漢といえども。凛とした美女にはへりくだりたくなるものなのだろうか。恐るべくはソンヒさんのカリスマ性である。
コーヒーを淹れるマスターを見守りながら、「マスターには、異人町に来て間もない頃からお世話になってるんですよ」とおれはソンヒさんに耳打ちした。
「このお店、ずっと誰かに教えたかったんです。だから今日、ソンヒさんと来れてよかった」
「そうか。趙とは来ていないのか?」
「趙さんとは、そもそも一緒に出かけたりしないんすよね」
基本的に家と店だけで完結する関係など、まあそんなものである。
おれが適当に笑っていると、「あいつは本当に甲斐性のないやつだな」と呆れた声でソンヒさんは言った。
「なら私が佐野とこの店に来た第1号だな。鼻が高いよ」
ソンヒさんはにっこり笑うと「ほら、これもお揃いだろう?」とマスターに出されたコーヒーを指した。
あざとい! さすがはソンヒさん、趙さんとの関係がなかったら、うっかり惚れかねない胸キュン行動である。
おれは耳が赤くなるのを感じながら、「そういえばですけど」とマスターに話を切り出した。
「さっきマスターが話しかけてたのって、なんだったんすか?」
「ああ、あいつらがソープで働いてるって話だったろ。実はな、ゴタゴタがあってまた無職になっちまったらしい」
グラスを布巾で拭きながら「雇い主が死んじまったんだとよ」とマスターは深いため息をついた。
そういえば殺されたと話していたなあ。せっかくホームレスから脱却できたというのに、どこまでもナンバさんは不運である。
「まあ、バイトは始めたみてえだな。倉庫の荷下ろしだったか」
「あー。時給いいっすもんね。配送業は万年人手不足ですから」
おれも学生の頃は羽振りの良さに惹かれてAmazonの倉庫バイトをしていた奴が周りに大勢いたものだ。大半は仕事内容の過酷さから、1週間で根を上げていたけれど……。
ソンヒさんは優雅にコーヒーを飲みながら「それは例のホームレスのことか?」とおれに尋ねた。
「そうです。つっても、ナンバさん。もう住所不定無職からは卒業しましたけどね。今や立派なフリーターです」
「……早く定職に就けるといいな」
ソンヒさんは頭を押さえながらコーヒーをゆっくり飲んでいる。物憂げな表情も絵になるから美人っていいよなあ。
「おれもナンバさんみたくバイト始めようかなあ」
大きく伸びをしながら言うと、「趙の店はいいのか?」とソンヒさんが首を傾げている。
「もちろん佑天飯店は辞めないすけど」とおれは前置きをして言った。
「最近あんまり友達と遊べなくなって休みの日が暇なんすよね。ナンバさんは社会復帰しようと頑張ってるし、他の奴は就活してたりで」
「お前は思いの外ワーカホリックだな」
「ベビーシッターとかどうすかね。掲示板に求人のビラ貼ってあったから、ちょっと気になってるんすよ」
ソンヒさんは眉間に皺を寄せると「辞めておけ」と大きく首を振った。
「赤ん坊の世話は責任重大だぞ。少しでもよそ見をしたらどうなるか分からないだろう。佐野、お前には絶対に向かない仕事だ」
ソンヒさんからのおれへの評価が、なんとなく分かったような気がする……。
真顔で説き伏せるソンヒさんを見て、カウンター奥のいろはちゃんは笑っている。ああ、心なしかマスターの視線まで生ぬるい!
おれがくちびるを尖らせて拗ねていると、突然スマホが震え出した。
猪狩からだ。なになに、『今夜! 緊急集合!』……。そういえば、今日が最終面接だと言っていたような気がしなくもない。
『内定貰えました?』とおれが送ると、猪狩は何個かのスタンプを返してきた。
ふざけた顔をする男のスタンプ、シャドーボクシングをする男のスタンプ、怒りの炎に燃える男のスタンプ……。哀しいかな、猪狩の就活生活は年を明けても続きそうである。
「すみませんソンヒさん、おれ今日の夜予定入っちゃいました。友達がまた面接失敗したみたいで、慰めに」
「私も夜は仕事があるから構わないが、お前の周りはそういう奴しかいないのか?」
「真っ当な社会人もいますよ。趙さんでしょ。うちの店長でしょ。ソンヒさんでしょ。マスターにいろはちゃん」
「……ほとんどがこの場にいるメンバーじゃないか」
「他にも何人かいますよ!」
星龍会って真っ当な社会人に入るのかなあ。
いや、きっと入るはずだ。極道だけど、名刺もあるし、福利厚生もしっかりしてる!
白い目でおれを見るソンヒさんに「そのうちのひとりと、面接失敗した奴を慰めに行くんですもん」とおれは言った。
「なんでも良いが。日が暮れてから出歩くのは、今はやめた方がいいぞ。最近、街が嫌にひりついているからな。マスターはどう思う?」
「私にはさっぱり分かりませんが。貴女ほど、この街に詳しい人はいませんからね」
「この店を知らなかった私には過ぎたお世辞だ」
ソンヒさんはすっかりマスターと打ち解けたようだった。
ある程度酒を嗜んだら、締めはマスター特製の冷麺だ。おしゃれな雰囲気のバーなのに、居酒屋のような気楽さがあるのもサバイバーの良いところである。
ちなみにマスターの冷麺は絶品なので、「福徳町のものより美味いな」と食べながらソンヒさんはうなっていた。
韓国本場の味より美味しく冷麺が作れるなんて! マスターは一体、どれだけの情熱を冷麺に注いできたのだろう……。
サバイバーを出てソンヒさんと別れると、おれは猪狩たちとの待ち合わせ場所に向かっていた。
商店街にある居酒屋だ。なんでも星龍会のシマだから、少し社割が効くらしい。あのあたりは人通りが多くて好きではないが、酒代が安くなるなら話は別である。
しかし、どうにも場所が分かりにくい。スマホアプリで地図を見ても、近くにあることは分かるけど……うーん。もしかして表通りじゃなくて、路地裏から入るのかもしれない。
おれが右往左往していると、表通りをコウジが歩いているのが見えた。どうやら今は別の連れといるらしい。一緒に歩いている男の襟元にも小洒落た代紋が光っている。
……これ以上ヤクザの知り合いが増えても困るし、声をかけるのは辞めておこうかな。
おれは路地から手を振ると、コウジも気がついたようで、ほんの少しだけ手のひらを動かした。
女絡みいらんと組の仲間内で豪語しているだけに、おれと仲良くしている姿を組員に見られるのは避けたいらしい。30代のおれには眩しい、なんとも青臭く、初々しい考え方である。
おれがぼうっとコウジたちを眺めていると、おもむろにふたりが足を止めた。持っていたスマホを地面に落とし、それから体を少しだけのけぞらせて、
ぱん。
現実味のない乾いた音が商店街に響き渡った。
その音はダムの堰が切れたように止まらない。何度も何度も繰り返し、壊れたテープのように同じ音が流れている。
コウジはすでに地に倒れ伏していた。
身体には無数の穴が開き、音が鳴るたびに赤が弾ける様子は季節外れの花火のようだ。
それでもコウジは体を起こそうとしていた。虫のように這いながら、健気にも立ち上がろうとしている。
おれは呆気に取られていた。
もうじきに死ぬであろう友人にも、友人を襲う圧倒的な理不尽にも。誰から見ても助からないのに、それでも生きようとする生への執着に。
だが、いくら未練があってもどうにもならないこともある。
コウジの頭に一際大きな花が咲いてから、ピタリと嘘のように音は止んだ。地面に転がるふたりはぴくりとも動かず、ただ赤のペンキを床に塗りたくるばかりである。
音が止み、光が消えた中で、コウジと向かい合っていたのは見覚えのある男だった。白いスーツを着崩した、趙さんの旧友の……。
「本当に人殺しだったんだ」
震える声で呟いた言葉は、周囲の喧騒に掻き消された。
スマホには猪狩からの着信が入っている。かじかむ手を宥めながら、おれは猪狩に電話を折り返した。
猪狩がその時、何と言ったかは覚えていない。
警察が到着するまでの間、ただただおれは上の空で友人の亡骸を見つめていた。