TS転移した男が中華マフィアの総帥に寄生しつつ異人町で生活する話 作:めいでん
趙さんのお店──佑天飯店は小汚い外観に反して案外繁盛しているらしい。行列ができるほどではないが、ピークタイムには常に人が入っている。
ただし、客は皆平気で紙タバコをスパスパ吸うし、店内は中国語が常に飛び交っているので、一見さんに厳しい店なのは間違いない。
汚い。ケムリ臭い。異国情緒たっぷり。
マトモな人ならこの店には入らないと趙さんは言っていたが、確かに入る勇気が湧かない人も多そうだ。
ちなみにここの店名は趙さんの名前から取っているらしい。
趙さんこの店に相当思い入れあるんだな、とおれは思った。新しく発見された星には発見者の名前が付けられがちなように、名付けには漢のロマンが詰まっているのだ。
そんな佑天飯店で、おれは今、店長から研修を受けている最中だった。
「じゃあ今日から趙さんの紹介で働いてもらう佐野さんね」
「ハァイ!」
「ここのお客さんは日本語分かる人多いよ。でも、中国語しか分からない人もいるね。その人日本語ダメ、分かる?」
「でも、おれ中国語はニーハオしか分かんないっすよ」
「メニュー表見せて指差してもらう良いよ。すると相手も分かる。でしょ?」
そう言って店長はメニュー表をおれに見せた。
ようは、ボディランゲージでなんとかしろということだ。
「じゃあこれで仕事できるね。ハイ、これエプロン着けて注文聞いてくる、よろしくお願いします」
店長はエプロンをおれに渡すと「今までひとりで回してたから若い子が来て助かるねえ」と言いながらサッサと厨房に引っ込んでしまった。
研修1分で終わっちゃったよ。メニュー内容なんも分かってないけどいいのかな。
店内をぐるりと見回すとすでに何人か客が座っていた。
奥の席にいるふたり組はゆっくりタバコを吹かしている。首元から指の先まで刺青が彫られており、あまり関わりあいになりたくない雰囲気を放つふたりだが、存外謙虚に「すみません」とおれを呼んだ。
「え、あっハイ! なんでしょう」
「Aランチにビール。あと本日のデザートで」
「俺も同じの頼むべや」
「え、Aランチすね。少々お待ちください」
おれはメモ帳に注文を書こうとボールペンを取り出した。
Aランチとビールにデザートがふたつ……。正しい書き方は全く分からないが、まあなんとなく意味が伝わればいいだろう。
慣れない動きでばたついていると、客のひとりが「そんな焦らんでいいかんね」と声をかけてくれた。
全身タトゥー塗れの男は反社かYouTuberの二択という世界にはびこる偏見を今日で終わらせてあげたいな、とおれは思った。男でなければウッカリときめきかねない優しさだ。
「ねえ、きみバイト? 初めて見る顔だけど、外のモンがよくここに応募しようと思ったね」
「まだあっちのキャバのが働きやすいべ、なあ?」
「ああ。実は色々あって、この店の社長? の趙さんに仕事を紹介してもらったんすよ」
「趙さんの紹介?」
途端に男ふたりは顔を見合わせ背筋を真っ直ぐピンと伸ばした。それからおれの胸にある名札をチラリと覗いて「佐野さんね。ははは、こりゃ失礼な真似を」と浮かべた笑みは引き攣っている。
「まさか趙さんのお知り合いだとは露知らず、馴れ馴れしい態度を取りました」
男ふたりは帽子を取るとおれに軽く頭を下げた。
それから「趙さんには普段から世話になってるんです」と彼らは目を細めて言う。
名前出すだけで態度変わるじゃん。趙さん一体何者なんだよ。
「コイツ趙さんの知り合いっぽいな、ってだけで畏まるくらいあの人すごい人なんですか?」
「すごいってもんじゃないですよ」
「俺らにとっちゃ、超すごい人ですよ!」
「はあ。ちょーすごいんすね。趙だけに」
「それ絶対趙さんに言わないでくださいね」
言われてみれば、普段から高そうな服を着ているし案外只者ではないのかもしれないな、とおれは思った。革ジャンのしっとりとした柔らかさ、あれは絶対に二桁万円のシロモノだろう。
プロデューサーを名乗っていたし、実は色々な会社経営に噛んでいるその道のカリスマなのかもなあ。
その時流行りのマリトッツォとかタピオカとか、唐揚げ専門店を開かせるコンサルみたいなイメージ? 一気に胡散臭く感じてきた……。
注文を書いたメモを厨房にいる店長に渡すと、おれは店内に向き直った。客がもうひとり端の方に座っていたからだ。
今にもぽっくりいきそうな爺さんで、透き通るくらいの真っ白な髪と髭をしている。ピッチャーを取る手はプルプルと震えており、数秒後には水をぶち撒けそうだ。
「爺さん危ないっすよ。ほら、おれが今水注ぎますから」
「
「んあ?」
一単語も聞き取れず思わず気の抜けた声が出た。
店長に助けを求めようと厨房を目でやるも、彼女は黙って親指を立てて笑っている。どうやらこの人が件の中国語しかできない常連のようだ。
爺さんは水を飲み干してからメニュー表をパラパラと捲っていた。
「
おれは爺さんからメニュー表を奪ってから広げて見せると「ちょっと指差してくんないすかね」と苦笑した。最後のシェイシェイしか分からないおれの残念な語学力ではなんの打つ手もないからだ。
爺さんは眉をへの字に曲げるとメニュー表に向かって何個か指を差してくれた。ええと、紹興酒と肉まんとマンゴープリンね。
おれは近くの冷蔵庫から酒瓶を取り出してグラスと一緒に配膳した。爺さんはさらに眉を下げて「
紹興酒って日本酒くらい度数なかったっけ。すっげえケロッとした顔してるけど。
唖然としていると店長が「佐野さん、肉まん蒸し終わったよ」とおれに料理を運ぶよう催促した。蒸籠からは視界が白く染まるほどモクモクと湯気が立ち昇っている。
「はーい。今しばらく!」
「熱いから注意した方がいいです。ゆっくり運ぶの大切ね」
「余裕っすよ。お盆の上に載せますもん」
蒸籠をお盆に載せるとおれは爺さんの下へ歩いていった。
少しの椅子と机しか置けないような、窮屈な店内でさ。前が見えない時にスタスタ歩いたらどうなると思う?
店長の不安が見事に的中し、おれは机の脚に蹴躓いた。
投げ出された蒸籠から肉まんが綺麗な放物線を描いていく。この場合の点Pは爺さんだ。
当然ながらおれは慌てた。バイト初日から客に飯ぶっかけるなんて最悪だ。
だが、おれの予想に反して、肉まんが爺さんにぶつかる事故は起きなかった。
爺さんは人差し指を伸ばして肉まんを受け止めると、ゆっくり指を回転させて肉まんの勢いを殺したんだ。
ピンと伸ばされた指の上には肉まんがふたつ乗っている。もうその手に震えは残っていなかった。
あんぐりと口を開けるおれを横目に爺さんは肉まんを食べ進めている。何事もなかったように過ごす爺さんにおれは衝撃を受けていた。
「ああ。それは蘇老师だね」
「スーラオシー?」
「蘇は名字。老师は敬称で、日本語だと先生って意味だよ。よく店に顔出してくれるんだ」
と趙さんは丁寧に教えてくれた。店仕舞いした後にやってきた超すごい人こと趙さんは、今日もおれとセックスをして一緒にコーヒーを飲んでいる。
そんな超すごい趙さんが先生と敬うほど、あの老人は超超凄い人らしい。
「へえ。じゃあ、おれもスー先生って呼ぼうかな」
「あの人は面白いよ。ああ見えて酔拳の使い手でね」
「酔拳って実在するんすね……」
どうやらあの手の震えはアル中の禁断症状だったらしい。
香港映画の世界だな、とおれは思った。白髪に白髭。あの出立ちで瓢箪でも持てばドランクモンキーそのものだ。
「俺もあの人に酔拳をね。昔少しだけ教えてもらったんだ」
「え。使えるんすか酔拳」
「武芸のひとつやふたつは男の嗜みだよ」
「はえー、すげえ。おれ体育で柔道ちょっとやったくらいっすけど、マズイかなあ」
「女の子はそんなもんじゃない?」
女の子はそんなもんでも、おれは男なんだよね。
少し渋い顔をしていると、趙さんはおれにミルクポーションを手渡した。どうやらコーヒーの苦味に耐えているのかと思ったらしい。超すごい男は気配りの達人でもあるようだ。
ポーションの封を開けて入れるとドロリとした白とコーヒーが混ざりあう。白と黒の境界がなくなっていく様を見て少しやらしいな、とおれは思った。
夢から覚める気配は未だにない。性別も存在も、まるで全てが曖昧なおれみたいだ。
「ごめんね。コーヒー苦かった?」
「や、めっちゃ美味いっすよ。ただ今日は色々あったんで」
「ああ。仕事終わりだもんね、お疲れ様。初めてやる仕事は疲れるよねえ」
趙さんはおれにマドラーを渡すと、「それで給料のことなんだけど」と話を続けた。
お金! 無一文のおれにはスーパーホットで助かる素晴らしい話題だ。
「銀行口座持ってないだろうから給料は手渡しにするよ。
「ハイ! 最高です!」
「で、キューちゃん今うちの2階に住んでるじゃん。ご飯もうちの賄いでしょ? 今着てる服も俺が買ったやつだし」
「ハイ! お世話になってます!」
「だからその分は給料から天引きするんだけど」
「ハイ」
「ちょっと額が大きくてさあ。しばらくの間お金渡せそうにないんだよね」
「……ハイ」
「どうしても必要なものがあったら言ってね、お金貸すから。それも後で天引きするけど」
趙さんはセフレからもしっかり金を取り立てるタイプらしい。
いきなり借金返済生活の幕開け宣言されちゃったよ。どん底からの成り上がりどころかマイナスからのスタートじゃんね。
そういえば何年か前に出た龍が如くの新作も似たようなことを言ってたな。主人公交代が嫌で様子見していたのが懐かしい。
良作で評価が定まった後もツシマに夢中でスルーしたんだよなー。コロナ禍とは無限に遊べるオープンワールドの相性が良かったのです……。
現実逃避に勤しんでいると、「キューちゃん大丈夫? 放心してるみたいだけど」と遠くの方から声が聞こえた。
決まっている。大丈夫なはずがない。
続けて「明日から16連勤よろしくね」との声が鼓膜に届いた頃には、おれの意識の糸はプッツリ切れてしまっていた。