TS転移した男が中華マフィアの総帥に寄生しつつ異人町で生活する話 作:めいでん
バッティングセンターは随分街の外れにあった。
繁華街の喧騒から離れたこの場所は、人通りもなくしんと静まり返っている。心地よい潮の匂いを感じながら海の方を眺めると、向こう側では
うるさくない。人もいない。景色も綺麗。
まさに仕事の疲れを癒すのにもってこいのチルスポット。趙さんがオススメしてくれたのも納得だ。
バッセンの中に入ると、球とバットがぶつかる音が小気味よく響いていた。どうやら先客がいたらしい
スイングをして暑くなったのかTシャツ姿でいる男がマウンドに立っている。袖からは立派な紋紋が顔を覗かせており、男がお天道様の下を歩けない人間であることが推し測られた。
だって、今どきフルカラーの和彫ゴリゴリに入れる人いるか? デザインは古風でカッコいいけど、絶対堅気じゃないじゃんね。
おれはグラウンドには入らずに男が球を打つ様子を眺めていた。さすがの腎力だ。何度も何度もホームランを連発している。
ピッチングマシンから球が放たれる。金属音。球が見えなくなる。
ピッチングマシンから球が放たれる。金属音。球が見えなくなる。
ピッチングマシンから球が放たれる。金属音。球が見えなくなる。
ピッチングマシンから球が放たれる。破裂音。球は地面に転がっている。
マウンドにいる男は腹を押さえてうめき声を上げている。地面にはぼたぼたと血が滴り、変色した土が鈍色に光っていた。
おれはあっと驚いて音が鳴った方を見ると、拳銃を持った男がつまらなそうに突っ立っていた。先端に
「よお、霜山さん。元気そうでなによりだ」
男はそう言って、地面にうずくまる男を持ち上げてから乱暴に殴りつけた。先ほどまでの乾いた金属音から打って変わって、芯を捉えた鈍い音がバッセン内に響き渡る。
おれはゆっくり後ずさった。
バカでもわかる。これはおれが関わるべきじゃない。絶対に関わってはいけないものだ。
息を潜めてなるべく声が漏れないように。なるべく音を立てないように。なるべく、なるべく……。
「ああ、他の客いたのか。せっかく店員がいない頃を見計らったのにな」
先ほどまで他人を殴っていた男はイタズラがバレた子供のようにバツが悪そうな顔をしている。それから黙りこくったまま、こっちへ来いと指でおれに示した。
おれは心臓が止まりそうになった。生まれてこの方、ヤクザの揉め事に巻き込まれることはなかったからだ。
全身をがくがく震わせながら、おれはゆっくり足を進めた。
怖い。怖くて、本当に怖くてたまらなかった。
男は地面を指差すと、「この血が垂れた土、集めてくれねえか」とおれに
おれは泣きべそをかきながら手のひらで土をかき集めた。男が差し出してきたビニール袋へ慎重に土を入れていく。
「よし。じゃあ、外行くぞ。ついてこい」
男は物言わぬ肉体を担ぎ上げると店の外へ歩いていった。
これおれも外に出なくちゃいけないんすかね。外に行ったら殺されませんか。
でも、店内に居続けたところで銃で撃たれて仕舞いだろう。新たな犠牲者が増えるだけだ。なにせおれは撃たれる瞬間を目撃してしまったのだから。
案内されたバッセンの裏手に回ると、男は担いでいた
「そんなに怯えなくていい。座って落ち着きな」
おれは男の横に座ると静かに煙を浴びていた。甘い独特の香りが強く鼻を刺激する。
「ガラムすか。凄い臭いっすね」
「くさやみたいなもんだな、臭いけど癖になるんだ。これも何かの縁だ。お前も吸うか?」
「ご相伴に預かりますよ。人生に一度もない経験っすもん」
おれは男から1本煙草をもらうとライターを借りて火をつけた。強烈な匂いを醸す煙草はパチパチと火花を散らしている。
フィルター越しに息を吸い込むと肺に煙が充満していくのを感じた。何も解決はしていないのに、ヤニが全身に回ったからか少し心が軽くなっていく。
「これで俺とあんたは共犯だ」
男は屈託のない笑みを浮かべた。それから眼鏡をいじりながら「堅気を巻き込むつもりはなかったんだ。悪かったな」と軽く謝って、煙草をふかし続けている。
「後の処理はこっちでするから安心してくれ」
「これからおれはどうなるんすか」
「どうもならんよ。どうかしたいのか? やめた方がいい。大人しく家に帰って誰にも話さないことだな。さもなければ俺と一緒に地獄行きだ」
そう言って男は息を吐いた。白い煙がすっと闇夜に溶けていく。
「お前は名前、なんて言うんだ」
「……佐野久太郎」
おれの女らしくない名前に一瞬男は目を丸くしたが、「まあ、生きてたら人間色々あるよな」と少し笑った。
「俺は高部っつうんだ。覚えなくてもいい。普通に生きるなら忘れた方がいい名前だしな」
男はポケットから革の小物入れを取り出すと、一枚の紙をおれに寄越してきた。見ると『横浜星龍会 若頭 高部守』と書かれている。
ヤクザも名刺持ってるのか。下手なリーマンよりちゃんとしてるな……。
「うちの若い衆に近くまで送らせる。家はどの辺なんだ?」
「映画館の近くです。うみねこ坐っていう」
「あー。そこはうちのシマじゃねえな。つっても、近くは大通りか。今ここで人目がある場所に降ろすのはな」
高部さんは肉塊をちらりと見て言った。当たり前だが、事件関係者であるおれから情報が出るのを避けたいらしい。
「すまねえが、少し離れた場所に降ろすぞ。知ってのとおり異人町は縄張り争いがシビアでな。競合相手を刺激するわけにはいかないんだ」
いや、『皆さんご存知ですが』のノリで言われてもサッパリわからんけどな、とおれは思った。
実際は血生臭い抗争に近いんだろうが、縄張り争いと言われると野良猫みたいで和んでしまう。物は言いようだよね。本当に。
高部さんが呼んだのだろうか。しばらくすると年若い荒くれ者がへこへこしながらやって来た。
「すいやせん遅れました、高部のカシラ」
「おうコウジ。わざわざすまねえな。とりあえず、これトランクに載せてくれ」
そう言って高部さんはぐったりした男を指差した。それから「あとこの女を少し離れた場所に降ろしてやるんだ」と高部さんは続けた。
おれは内心ゲンナリしながらも、「ほら早く乗んな」と急かすコウジに従って車に乗り込んだ。
死体と相乗りするのは最悪だが、下手に好意を無碍にできない相手、それがヤクザだ。本来口封じに殺されてもおかしくないところ、何故か見過ごされている状況だしね。
なんでだろう。おれが超絶美女だからかなあ。いやあ、可愛すぎるのも困っちゃうぜ。
「あの、コウジさんさあ」
「なんだよ」
「おれが高部さんに殺されなかったのって、なんでなんすか? ばっちり犯行現場見ちゃったんだけど、そんなヤツ普通ジャマだよね。やっぱりおれがちょー可愛いから? 情けをかけてくれた的な?」
おれが自信ありげに仮説を披露すると、コウジは「やべえナルシストもいたもんだな」と顔を引き攣らせた。
「堅気を殺すのはメンドいんだよ。俺たちと違って、身寄りも社会的地位もあるだろ? グレーゾーンの人間が死んでも世間は何とも思わんけど、お前みたいなんはギャアギャア騒ぐの」
堅気だけど、残念ながら身寄りも社会的地位も今はないんだよね……。
おれはコウジに的当な相槌を打ちながら神に感謝した。どうやらおれが生かされたのは完全に運によるものらしい。
「ほら。着いたから降りろよ」
チカチカと灯されていたウインカーを消してコウジは言った。車内がパッと明るくなるとコウジの容貌もはっきり浮かび上がる。
筋肉質な体。いかにもな人相。ごつめの銀アクセサリーに、着崩したワイシャツ。胸元で煌めくのはきっと組の代紋だ。
暗闇にいた先ほどまでは単なる下っ端モブAくらいに思っていた男でも、こう間近で見ると関わってはいけませんオーラがビシバシと伝わってくる。
よくおれ、この人にタメ口で話しかけられたな。これが生存者バイアスってやつ?
「あ! お前、カシラの名刺貰ったのか。いいよなあ、それ。カッコいいだろ」
「はえ。あー、はい、代紋のデザインが凄くイカしていると思います」
「なんでいきなり殊勝な態度になってんだ? 気持ち悪りぃな」
と失礼なことをのたまってからコウジはひそひそ声でおれに言った。
「お前、あんまその名刺人に見せない方がいいぜ。いざという時まで隠しときな」
ヤクザの名刺が頼りになる時、永遠に来ないで欲しい……。
おれが頬を引き攣らせながら別れを告げると、コウジも「気をつけて帰れよ」と片手で手を振ってくれた。
優しい。死体と相乗りとはいえ、タダで車に乗せてくれるあたり、おれがこの街に来てから初めて会ったレベルの聖人だ。
コウジが降ろしてくれた場所は小さな空き地だった。
ドラえもんを彷彿とさせる土管が置かれており、昭和生まれでもないのにどこか懐かしい気分にさせてくれる。
おれは土管の上に座り込んだ。
真冬の澄んだ空気の心地よさに、高部さんに煙草もう1本貰っておくんだったと後悔する。夜空を見上げると、どっと押し寄せてきた疲労が宙に溶けていくような気がした。
おれはさまざまな事を思い返していた。
この街に来た時のこと。趙さんとの関係。佑天飯店での仕事。バッセンでの出来事。
先ほどまで殺人現場にいて、ヤクザと話していたとは思えぬほどに、おれの思考はクリアになっていった。
「帰りてえなあ」
帰りたい。
彼女と同棲していた家に戻りたい。
残業塗れで嫌な仕事だったけど、16連勤も働かされるよりは遥かにマシだ。
趙さんとのことバレたら彼女怒るかなあ。思いっきり浮気だもんな。女になってたなんて、そもそも信じられないよな。
職場もいきなり無断欠勤したから騒ぎになってるかな。仕事回ってんのかなあ。そういや引き継ぎ書類作ってねえや。誰がやってくれてるんだろ。
かじかんだ手はすっかり赤くなっている。白い息を吹きかけてから擦ると少しだけマシになった気がした。
「おい。死にそうな顔だが大丈夫か」
声がした方向を向くと男が一人立っていた。
買い物帰りなのだろう。かなりの量が入った白いビニール袋を持っている。品の良いスーツを着た英国紳士さながらの格好。それに反して、ムカデが這っているような醜い傷跡が顔には残されている。
今日はコワモテの人と絡む機会が多い日らしい。
おれが口を開こうとすると、ぐううと腹の音がなった。
最悪だ。お腹を押さえるも、さらにもうひと鳴り大きな音を響かせてくる。
男は優しい目をしておれを見てから「俺は近くで店をやっているんだが、飯でも食うか?」と声をかけてくれた。
まさに旅は道連れ世は情け。思わず涙ぐんだおれに、男は黙ってハンカチを出した。