TS転移した男が中華マフィアの総帥に寄生しつつ異人町で生活する話   作:めいでん

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\ドンドコしようぜ!/


閑話 過橋米線、妻への愛

 

 

 昔々、まだ人々が後ろに髪を結いていた頃のこと。緑豊かな雲南にあるひと組の夫婦がいました。

 

 科挙を目指す夫は湖に浮かぶ孤島で勉学に励み、妻はそれを支えるべく島に料理を届ける日々を過ごしていました。しかし、遠く離れた地へ運ぶまでの間に、どうしても料理が冷めてしまいます。

 

 ある日、妻は庭で飼っていた鶏を締めて煮込み、米粉で出来た麺や具材と合わせたものを届けに孤島へ向かいました。するとどうでしょう。橋を渡った後も、鍋がまだ温かいままではありませんか! たっぷりと膜が張られた鶏油には優れた保温効果があったのです。

 

 これ以降、温かい食事を食べられるようになった夫は、心身共に健康になり、科挙試験に合格することができました。人々は夫を献身的に支えた妻の愛を讃え、この料理を広めました。過橋米線は雲南を代表する料理となったのです。

 

 

 ここまでは雲南省に古くから伝わる有名な話だ。

 今、蘇老师が啜っている中華風フォーの由来だね。科挙の受験者には糟糠の妻が付き物なんだ。女は家を守り夫を支える。それが当たり前の時代だからね。

 

 でも俺は思うんだ。

 じゃあ、身の回りのことを全て任せて、ひとりで籠っていた夫は妻をどう思っていたのかなって。何年も勉強に追い込まれる中で側にいてくれた妻の存在に、どんな宗教よりも救われていたんじゃないかなって。

 そう思わずにはいられないんだ。

 

 

 

 ♢♦︎♢♦︎

 

 

 

「あー、あいつ殺ったの星龍会だったんだ。手間が省けて良かったね。塩を贈りたいくらいだよ」

 

 

 男はそう言って蟹にしゃぶりついた。卵をたっぷりと蓄えた雌蟹は節々まで身が詰まっており、時季の旬を感じさせる。

 貸し切られた宴会場には男と長年連れ添った知己しかいない。彼の父の代から仕える壮年の男。父子を見守ってきた老人に、隣に座るは竹馬の友。馴染みの者しかいない環境は彼にとって親しみ深く、そして窮屈なものであった。

 

 

「霜山はあっちでも随分やんちゃしてたみたいでな。星龍会の幹部直々に制裁に来たそうだ」

「へぇ。うちの刺客よりも始末が早いなんて、相当恨み買ってたんだね」

 

 

 生姜が浸かった黒酢に蟹の身を垂らすと、男は口に放り込んだ。身体を冷やす蟹には生姜を合わせる。食には陰陽が肝要なのだ。男にとっては死んだ人間の話より、目の前の食事の方がよほど大切なことだった。

 

 霜山は凛々というキャバクラの常連だった。

 度重なるツケの滞納に、嬢への付き纏い。店外行為の強要。さらに店の支配人と連んで横領を試みたとなると、ケツモチの組織——横浜流氓(ハンピンリューマン)が黙って見過ごすわけはない。

 それで暗殺者を放ったのだが、もう死んでいたと一報が入ったのがつい先日だ。外国人墓地の目立つ場所に、見せしめのように無惨な死体が転がっていたらしい。

 

 

「霜山はあれでも質の良い(・・・・)在留カード(偽造身分証)を作っていたじゃねえか。キャバなんかより、よっぽど横浜流氓の役に立ってたんじゃねえのか?」

「見逃した方が良かったって? うちの沽券にも関わるし、それに星龍会も絡んでくるんじゃあねえ。異人三のことを考えたら、火種はないに越したことはないでしょうよ」

「実利を取れってんだ。星龍会と敵対することを考えても、奴を生かした方がリターンは大きかった。『不管黑猫白猫(黒い猫でも白い猫でも),』」

「『能捉到老鼠就是好猫(鼠を捕るのが良い猫だ)』って?」

 

 

 男がニヤリと笑うと、隣にいた青年、馬淵は気に食わなさそうに鼻を鳴らす。

 

 

「年月とは悲しいものですな。趙も馬淵も昔は2人とも仲が良かったのに、今ではすっかり冷え切っとる」

 

 

 同席していた老人は若いふたりを酒の肴に杯を飲み干した。

 狭い組織の中で生きる彼にとって、知己の不仲は最高の娯楽なのだ。それも赤子の頃から知る者たちの、とくれば尚更である。

 

 

「言い方が悪いね。俺は総帥で馬淵がその右腕じゃん? 俺たちはダチから横浜流氓の同志に進化したってわけ」

「勝手にほざいとけ」

 

 

 馬淵はやってられないとばかりに右手をヒラヒラと振った。どうやら家に帰るつもりらしい。

 

 

老马(ラオマー)、まだ会議は終わっていないが」

「これ以上いても何もねえだろうが。なんせ、総帥様のやる気がないんだからな」

 

 

 馬淵は席を立つと男をぎろりと睨みつけた。素知らぬ顔で蟹を食らう男に「少しはテメェも仕事しやがれ」と吐き捨てる。そのまま部屋を出て行く馬淵を見て「嫌われたもんだね」と軽い調子で男は言った。

 

 老人は嘆かわしそうに首を振って、さらに酒を煽った。

 馬淵の総帥に対する態度は全く褒められたものではないが、横浜流氓における馬淵の活躍が目覚ましいのは事実だった。警察を部署丸ごと買収し、貿易ビジネスで巨万の富を築いた彼の手腕は本物だ。そして、それはこの横浜流氓の根城である慶錦飯店にも還元されている。

 

 

「あーあ、疲れちゃったよ。俺も家に帰ろっかなあ」

()か。()の間違いでは?」

「もうヤダヤダ、小言が多いオトナって」

 

 

 壮年の男は総帥の様子に「あのな、趙」と頭を抱えた。

 

 

「老马が異人三の実態を知らない(・・・・・・・・・・・)とはいえ、奴が言うことは正論だ。あいつは好かんがな、お前も女に現を抜かしている場合じゃないぞ」

「総帥の仕事はちゃんとしてるよ。その分、プライベートで何してようが関係ないでしょ」

 

 

 ふたりの言い合いに老人は「女に情でも移ったんか?」と茶々を入れている。彼にとっては随分と酒が美味い夜になりそうだ。

 

 

「そんなわけないじゃんよ。そりゃあ、俺はあの子を気に入ってるし、側にも置いてるけど、横浜流氓に都合が悪ければいつでも消すよ。裏切り者は許さないのがうちの流儀だ。だよねえ?」

「ふうむ。総帥も難儀なもんですな」

 

 

 老人はニタニタ笑いながら杯に酒を注いでいる。男は先ほどの馬淵と同じく、ヒラヒラと右手を振ると席を立った。結局のところ、長年連れ添った仲だけあって男と馬淵は似たもの同士なのだ。

 

 男が慶錦飯店を出る頃には、あたりはすっかり暗くなっていた。街灯もろくにない飯店小路は仄暗く、不気味な雰囲気を醸し出している。やはりこの街で女が夜に外出するのは間違っていると男は思った。それが自分のような裏の人間でなければ尚のことである。

 

 

「趙さん今日は遅かったっすね。おかえりなさい」

 

 

 そう、例えば裏の世界に触れたことがないであろう、この気狂いのような人間だ。

 男がひと月ほど前に拾った女は眩しい笑顔を浮かべている。きっとこれまでの人生で、犯罪に手を染めるどころか、少しでも後ろ暗いこととは無縁だったに違いない。そう男に思わせるくらい、女は人をよく信じ、そして楽天的だった。

 

 

「ただいま。俺疲れたよ、キューちゃん慰めてえ」

 

 

 男は女に抱きつくと顎を女の肩に乗せた。ほのかに香る女の体臭が鼻腔をくすぐる。それは柔らかくて、甘くて、心地よい。

 女はぎこちなく男の頭を撫でた。ゆっくりと労るように撫でる手は温かく、じんわりと男の身体に染み込んでいく。

 

 

「だいぶお疲れみたいすね。とりあえず風呂でも入ります?」

「いいね。一緒に入ろうよ」

 

 

 男と女は生まれたままの姿になって風呂場で戯れた。入浴剤が溶けて白濁した湯は全てを都合よく隠してくれる。それに、この雑居ビルにはもう他に人はいない。どんなに音が響こうが誰もそれを聴くものはいなかった。

 

 男は女の肉体を堪能した後、互いにくっつきあって湯船に浸かっていた。女の吸い付くような柔肌は、男の指を心地よく滑らせている。

 

 

「きもちいー。疲れ、取れるわあ」

「風呂まじで最高っすよね。あー温泉行きてー」

「いいじゃん、今度行こうよ。草津か箱根」

 

 

「そんな金、おれにはないっすよ」と女が眉を下げたので、「旅行代くらいは俺が出すって」と男は言った。予想外の回答だったのか、「まじすか!?」と女は喜色満面の笑みを浮かべている。

 

 

「マジマジ。仕事落ち着いたって言ったでしょ? たまには息抜きしてもバチは当たらないよ」

 

 

 女は嬉しそうに自らの手を男の指に絡ませた。湯で上気した頬は桃のように紅く染まっており、女の白い肌を際立たせている。男はその細くてしなやかな指をぎゅっと握ると、女の首筋に唇を落とした。

 

 このままふたりで湯に溶け込めたらどんなに良いだろう、と男は思った。このままふたりが混ざり合って、地球と一体になれたなら。

 

 のぼせて思考が曖昧になっていく中で、外からバイブ音が聞こえてきた。誰かから電話がかかってきたようだ。女はスマホを持っていなかったので、男の用であることは明白だった。

 

 

「ごめん、電話かかってきちゃった。先上がってるね」

「はぁい。おれはもう少し浸かってますね」

 

 

 洗面台にかけられたタオルを掴むと、男は身体についた水滴を無造作に拭った。その間もスマホは振動を続けており、早く手に取れと男を急かしている。

 

 

「もしもし。なに? 今俺忙しいんだけど」

『嘘をつけ。どうせ部屋で寛いでいるだけだろうが』

 

 

 声の主は異人町の若き盟主だった。異人三の一角を担う組織、コミジュルの首領は電話の先でくすくすと笑っている。

 男は先日、この女の部下にも笑われたのを思い出した。どこの組織でも上司と部下はどうにも似てくるものらしい。

 

 

「ソンヒが電話してくるなんて、珍しいじゃん。どうしたよ」

『この間、例の女と話したと言ったろう? それで少し伝えたい事があってな』

「ふぅん。何か素性でも分かったの?」

『無論だ。分からないという事が分かったのさ(・・・・・・・・・・・・・・・・)。お前から聞かされたのと全く同じ話をされたがな。話している時の脈拍の変化、瞳孔の縮小、そして細かな仕草から見るに、あいつは嘘をついていない。少なくとも我々はそう判断した。佐野はな、佐野から見た真実(・・)を語っていたんだよ』

 

 

 朗々とソンヒが語るのを聞きながら、男は風呂場を覗き見た。女は依然として呑気に湯船に浸かっている。首元までたっぷり湯に浸ろうと、黒い髪を手で持ち上げる様はなんとも間抜けで滑稽だ。

 

 

『裏の人間なら多少なりとも情報は回るんだが。全く出てこないあたり、まあ堅気の人間なんだろうな』

「んー、よく分からないんだけど。つまりどういうこと?」

『要は、あいつは素で頭がおかしいということだ。喜べ、趙。変な奴じゃなくて良かったな』

「そっちの方がよっぽど変な奴じゃない?」

『なんだ、刺客の方が良かったのか?』

「そういうわけじゃないけどさ」

 

 

 ソンヒは楽しそうにカラカラと笑っている。

 男とソンヒが言い合っていると、風呂場からざぶんと大きな音がした。女が足を滑らせたらしく、頭の先まで全身を湯に潜らせて、手足を忙しなくバタつかせている。黒々とした髪が水面に広がる様子はさながら海坊主のようだった。

 

 男は電話を切って風呂場へ向かうと女の手を引っ掴んだ。ずぶ濡れの髪から垣間見える黒い目を見て、男はブラウン管から這い出る著名な亡霊を思い浮かべた。そういえば、あの亡霊も端正な顔立ちをしているのだったか。美しさというのは状況によって見損なってしまうものらしい。

 

 

「ねえ、キューちゃんはさあ」

 

 

 と男は言って、口をつぐんだ。「何言おうとしたか忘れちゃった」と笑ってから、湯から上がった女にタオルを渡す。

 

 女は精神の病を患っているのだと男は考えていた。ありもしない他人の記憶を持つ女の支離滅裂な言動は、男がそれを確信するのに十分だった。女は妄想に憑依されている。

 

 着の身着のままで、忽然と佑天飯店に現れた女の意味を男は思いあぐねていた。いや、違う。結論に辿り着くことを恐れていたのだ。

 異人町の近辺には中央病院がある。そしてそこには精神科があり、何十床もの規模からなる閉鎖病棟があった。

 

 

「今度さ、この部屋に木置いていい?」

「モンステラみたいなのすか。別にいいですよ」

「いや盆栽。ちっちゃい松の」

「趣味渋いっすね」

「見てて落ち着くじゃん。侘び寂びがあってさ。ああいうの、好きなんだよね」

 

 

 窓の外では雑居ビルの隙間から星々が煌めいている。淀んだ異人町の街並みにも、きっと松の緑は映えるだろう。

 

 

「この部屋を全部癒しアイテムで埋め尽くすのが俺の野望なの」

 

 

 そう言って男は女の腿をゆるゆると撫でた。滑らかで肉付きのよい女の脚は揺籠のように男の頭を抱きとめている。

 男がぼうっと天井を眺めていると、女は急にニタニタ笑って「いやあ、気づいちゃったんすけどね」と嬉しそうに男の頬をつついた。

 

 

「趙さんって、おれにも癒されちゃってます?」

「うん。珍獣飼ってるみたいで楽しいよ」

「それ全然褒めてなくないすか」

 

 

 女はげんなりした顔をして「そんなこと言うなら、もう膝枕してあげないっすよ」といじけている。「褒めてるよお」と宥めながら男は確かな幸せを感じていた。地縁と血縁による強固な繋がりの中で育ち、共同体の長として君臨している男にとって、自己を解放できるのはこの六畳一間だけだった。

 

 

「キューちゃんは、ずっと今の(・・)キューちゃんのままでいてね」

 

 

 呪いを掛けられたことにも気が付かず、女はきょとんとしてから気恥ずかしそうに少し笑った。

 

 

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