それはルーディアがラノア魔法大学を卒業してから数ヶ月後の事。
リハビリを続けるルーディアの元に、ノルンがやってきていた。
だが、その目の下にはうっすらと隈が浮かんでいた。
ルーディアはアイシャに額に浮かんだ汗をタオルで拭いて貰いながらも、心配そうに表情を歪めた。
「ふぅっ。どうしたの?ノルン」
とさり、と椅子に座り込む。
アイシャはそこにすかさず水の入ったコップを差し出す。
それを受け取り、口に含むと、大きく息を吐き出した。
「姉さんに私の卒業の研究成果を見せたいんです!
クリフ先輩にも御墨付きは貰ってたんですけど……気付けばかなり時間経ってしまいましたが……」
クリフはルーディアの卒業を見届けた後一ヶ月程した後、ミリスへと旅立って行った。
やがて教団において揺るがぬ地位を築いた後は、エリナリーゼとクライブをミリスに迎え共に暮らすと告げて。
それまでは今まで通り、エリナリーゼとも家族ぐるみの付き合いを続けていた。
時折心配そうに、至極真面目に、体が不自由で性行為は大丈夫なのかとルーディアへと聞いてくるものの、今の所エリナリーゼの懸念する体調不良等は起こってはいなかった。
「研究成果……そういえば一度もその辺りの話聞いてなかったね、どんな事を研究してたの?」
純粋な好奇心から問い掛けた言葉に、隣で聞いていたアイシャも気になるようで小さく頷いていた。
ノルンは不敵な笑みを浮かべ、ルーディアの左頬に手を添えた。
「ふふ、姉さんでもきっと驚きますよ」
醜い火傷跡の残る左頬を撫で、ノルンは微笑みを浮かべた。
ノルンの指が火傷跡をなぞり、くすぐったさにルーディアはその身を震わせた。
「それじゃ……少しこのままでいてください、姉さん」
「~~~~~~~」
ルーディアの頬に手を添え、目を瞑り集中した様子のノルンは、そのまま言葉を紡ぎ続けた。
長い長い詠唱は、内容からすると治癒魔術のような、けれど聞いた事のない詠唱だった。
ルーディアは右目だけを開き、その様子を眺めていた。
やがて、数十秒から一分程の時間が経った時、ノルンが目を開き、一度言葉を止めた。
そして、意を決して、口を開いた。
「『レイトヒーリング』!」
聞き覚えも見覚えもない治癒魔術……左頬に添えられたノルンの手が暖かな光を放つ。
じんわりと頬に顔全体に暖かさが浸透していく。
そんな感覚を覚えた時、肌の表面が無性に痒くなってきた。
思わず触ろうとするルーディアの手を、ノルンがやんわりと止めた。
「もうちょっと……待って……!」
むず痒さは感じるものの、痛み等はない……ルーディアは小さく頷いた。
やがて、差程時間はかからず、ノルンの手から光は失われていった。
その間もルーディアの顔半分は妙に暖かく、そして全体がムズムズとした感覚に襲われていた。
ルーディアの右手は、落ち着きなく宙を泳ぐ。
「……よし、姉さん、もう掻いても大丈夫ですよ」
「んんっ……」
ノルンの言葉に、早速ルーディアはむず痒い頬を掻いた。
途端に、ぼろり、と掻いた場所から肌が剥がれ落ちる。
「えっ」
その感覚に驚き、思わず剥がれた所に触れてしまう。
痛みはないけれど、かなり大きな皮膚片が剥がれ落ちていたからだ。
けれど、触れた所には傷痕も何もなかった。
そう、何も、なかった。
「えっ……えっ……?」
触れた指はつるつる、ふにふにとした感触を伝えてきて、先程までの消える事のなかった凸凹とした感触とは程遠いものだった。
痒みのままに指を滑らせると、更にポロポロと顔の表面から皮膚片が剥がれ落ちていく。
その剥がれ落ちた跡を触れば、そこはつるりとした触感。
ルーディアは俄には信じられず、暫し自分の頬を震える指で撫で続けていた。
「お姉ちゃん、はい、鏡」
横で微笑みながら見守っていたアイシャから鏡を差し出され、ルーディアはやっと頬から手を離し、その鏡を受け取って自分の顔を覗き込んだ。
そこには、まだ所々に跡が残っているものの、火傷跡のない自分の驚いた顔が映っていた。
残っていた跡も、アイシャが軽く触れるだけでぺりぺりと剥がれ落ちていく。
そうして映し出されたのは、傷一つない自分の顔……左目の周りの溶けたような跡すらなくなっていて、ルーディアは驚きに目を見開いた。
「古傷を治す魔術……ずっと研究してたんだ。
私、才能ないからこんなにかかっちゃったけど」
てへへ、と自虐的に笑うノルンだが、これは今までに誰も成し遂げられなかった快挙であった。
詠唱こそ長いものの、古傷に悩む人は多い。
この先、ザノバとクリフの作った義手、義足と同様に、様々な人の心の支えとなっていく事となる。
「ノルン……!」
そんないじらしいノルンを、ルーディアはグッと抱き寄せた。
「はぷっ」
ルーディアはその胸にノルンの顔を埋めさせ、優しく抱き締めた。
「ありがとう、ノルン……火傷跡なんてもう、諦めてた。
でも、気にしてなかった訳じゃない……。
こんな日が来るなんて、思ってもみなかった……。
ありがとう、ありがとうノルン……貴方は、私の自慢の妹だよ」
「んふふ……んむ……ん……」
ルーディアの柔らかな双丘に顔を埋めながらも、ノルンは嬉しそうに笑みを溢す。
だが、最近の無理が祟ったのか、その瞳がとろんと蕩けた。
眠そうに、ルーディアの甘い匂いのする胸に顔を擦り付け、ノルンは子供のように愚図りだす。
「んんー……」
「ふふ……眠いなら寝ていいよ?疲れてるみたいだし」
「んー……お姉ちゃん、もっと褒めて……」
「……ありがとう、ノルン、嬉しいよ……貴方の気持ちが、その努力が。
本当に、ありがとう、ノルン……」
「えへへ……お姉ちゃん……ごめんね……」
ポヤッとした表情で呟かれた言葉、ノルンの目尻には僅かに涙が浮かんでいた。
「すー……すー……」
ルーディアがその言葉に驚く間に、ノルンは寝息を立て始めてしまった。
困ったように、けれど愛おしそうにその体を抱き締める。
「……寝室に連れて行こっか?」
答えはなんとなく察しながらも、アイシャは一応問い掛けた。
ルーディアは首を振って、ノルンの頭を優しく撫でた。
「……まだ、気にしてたんだね。気付いてあげられなくて、ごめんね。
大丈夫だよ、ノルン。もう何も気にしてない。
貴方は私の大事な妹……もう、それが変わる事はない」
ルーディアは胸の中で安らかに寝息を立てる、愛しい妹の額にキスを落とす。
チュ
「愛してるよ、ノルン」
「私はー……?」
少しだけ寂しそうに呟くアイシャに、ルーディアは苦笑を浮かべた。
「勿論アイシャも愛してるよ。
……今日は誰ともシない日だから、夜は三人で寝よっか」
「やった!えへへ、約束だからねお姉ちゃん!
それじゃ……張り切って家事してこよっかな!また、後でね!」
アイシャはそう言って部屋をゆっくりと立ち去って行った。
残るのはルーディアと、安らかに寝息を立てるノルンだけ。
ルーディアは改めてノルンを慈しみの目で見つめてから、自身も目を閉じた。
ノルンとは……色々あった。
トラウマを刺激され、酷く傷付き、忌々しく思っていた事もあった。
辛く当たられた事も、辛く当たってしまった事もあった。
けれど、今は愛おしさで溢れていた。
果てにはこんな素晴らしいプレゼントまで。
火傷跡のなくなった左頬で、ノルンに頬擦りし、ルーディアは笑みを溢す。
ノルンが妹で誇らしかった。
そんな暖かな気持ちを抱えたまま、ルーディアの意識もゆっくりと沈んでく。
陽だまりの中、姉妹は抱き合い、安らかな寝息をたてていた。